「一歩」を越える勇気。

昨夜の「榎本あゆみ」さんの「起業を祝う会」には、40人を超える人が参加してくれた。

ドリームゲートの「鞄持ちインターン」出身の彼女が、ドリームゲート運営企業のプロジェクトニッポンに就職し、4年半。

彼女の退職はプロジェクトニッポンにとっては痛手だが、「日本に起業文化を醸成する」というドリームゲートの理念を、榎本さん自身が実行するということだ。

日本ではならまだしも、上海で、それでも単独でだ。

「苦難の道」が待っているのは間違いない。

ところで、日本コンピュータ・ダイナミクス創業者の下條さんの著書を読み終えた僕は、マクロミルのキャラクター(スポンサーしているのだろう)でもある「栗城史多(くりき のぶかず)」さんの本を読み出した。

NHK総合テレビのドキュメンタリーで紹介されたらしいので、ご存知の方も多いと思うが、エベレスト単独・無酸素登頂に挑戦する若き登山家である。

著書のタイトルは「一歩を越える勇気」。

半分ぐらいまで読んだ。

彼は17歳の時、お母さんを肺ガンで亡くしたそうだ。

亡くなったお母さんと交わした約束は、「一生懸命に生きる、弱音を吐かない、そして、最期に『ありがとう』と言える人生を送ること」。

お母さんが亡くなった時のことも描写されていたが、15歳の時に母親を同じ肺ガンで亡くした僕は、目頭が熱くなった。

ただでさえ涙もろい僕には、かなりヤバい本だ。

さて、榎本さん、あんなに大勢の人達に門出を祝ってもらって、もう後に退けなくなってしまい、今頃は少々後悔をしているかもしれない。

山と違って失敗しても死ぬことはないが、中国語も話せず、ひとりで上海に渡るのは、相当に心細いのは想像に難くない。

でも、もう「一歩」を踏み出してしまった。

それも、大勢のみんなの前で。

それを見ていた僕たちも、一歩を踏み出すしかないよね。

人生、観客席に座っているわけにはいかないわけで・・・。

「一生懸命に生きる、弱音を吐かない、そして、最期に『ありがとう』と言える人生を送ること」。

持つべきものは、頑張っている友人である。

おそらく温暖化の影響なのだろう。

今年の梅雨は、ほぼ毎日のように雨が降るにも関わらず、それが全国平均か関東圏の話かは把握していないが、雨量自体は、例年の半分程度らしい。

今日も朝方は雨が降っていたが、日中は晴れ間が覗き、暑い一日だった。

ところで今日は、僕が20代の頃に勤めていた会社で一緒だった工業デザイナーの福本さんを、彼のオフィスに訪ねた。

彼のオフィスは、世田谷区の三宿という閑静な住宅街の一角にあり、地上4階地下1階建ての自社ビル(オフィス兼住居)である!!

ご本人は「地方人(地方出身者)の意地です」と謙遜されていたが、意地だけで自社ビルを建てられるほど、世の中は甘くない。

彼が言うとおり、デザインという仕事は、基本的に「足し算」であり、案件ひとつずつの積み重ねである。

「継続は力なり」というが、その積み重ねが大きな成果を産むわけであり、無条件で尊敬に値する。

但し、デザインの世界においても「グローバリゼーション」の波が押し寄せており、これからは日本国内の仕事だけでなく、海外にも目を向ける必要があると言っていた。

そして、そう言っているだけでなく、きちんと「布石を打っている」ところが素晴らしい。

彼の生き方に、アントレプレナーシップを感じた。

実は、福本さんとは数週間前、とあるアポで出掛けた勝どきのトリトンスクエアのエレベーターホールで、何年かぶりに邂逅を得た。

それがきっかけで今日のアポとなった。

ところで、下の写真は、福本さんのオフィスのプレゼンテーションルームと、そこに置いてあった、懐かしい「Macintosh SE/30」である。

あまりにカッコいいので、写真を撮らせていただいた(僕のブログへ掲載する許可も頂いた)。

因みに、一番右の白い筐体のSE/30は、福本さんが改造したもので、中身は「OS X」が入っている。

今も現役で動いているらしい。

持つべきものは、頑張っている友人である。特に、異分野の・・・。

今日は、大いに刺激を頂いた。

福本さんに感謝である。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」

「無手負け流」。

先週末は思い掛けず、辻さんとブログを介してのやり取りがあり、色々と考えるきっかけとなった。

彼が言うとおり、「心」の問題は大きい。

ゴルフに限らず、仕事でも人生そのものでも、いざという時の「精神力」がものを言う。

そういう僕は、決して「心」は強くない。

今までの人生を振り返ってみると、上手く行った時は「幸運」。
上手く行かなかった時は「心」が弱かった。

では、なぜ「心」が弱かったのか?ということだが、「惨めな思い」をするのが嫌なのだろう。

「他人にいいところを見せたい」とか?「カッコ悪いところを見せたくない」とか?「虚栄心」というか「エゴ」が強いのだと思う。

さらに言えば、何故、虚栄心なりエゴが強いのか?ということになるが、そのことを掘り下げるよりも(自分では、かなり掘り下げた/笑)、どうすれば、それらを捨てることができ、常に「自分」でいられるか?その方法を考えた方が建設的である。

しばしば「無欲の勝利」と言うが、要するに「欲しがるな」ということなのだろう。

僕の好きな「相田みつを」の本に、こういう一節がある。

「無手負け流」

「男が仕事をする時には、常に捨て身でなければだめである。捨て身とは、何も欲しがらぬことである。損得、勝ち負けという、人間の『物差し』を捨てることである。無手負け流家元 1986年6月18日」。

もうひとつ、昨年のエントリーでも紹介したが、今季に入り絶好調の「宮里藍」選手のコーチは彼女に、「自分に期待し過ぎてはいけない。すぐに結果を求めないこと」と指導しているという。

「目の前のことに集中する」。

「処方箋」は既に出ており、あとは「実践」するだけ。

それが最も難しいんだけど・・・。

ところで、辻さんは独特のクリティシズムの持ち主で、ちょっと取っ付き難いところがあるが、住信インベストメントを辞める時、たった一度しか面識のなかった僕のところに、わざわざ挨拶に来てくれた律儀な人でもある。

「心」を強くするために、一度、辻さんとゴルフをご一緒させていただくのは妙案かもしれない。

平均スコア80台の彼にとっては、平均スコアが100を切るか切らないかの僕では物足りないだろうけど・・・。

50代になった「松任谷由実」。

今日は何年ぶりかで東京の下町「人形町」を訪れた。

「甘酒横丁」なる名前のついた通りを歩き、とある会合に向かった。

僕が住んでいるエリアとは赴きが異なり、ちょっとした異文化を楽しんだ。

ところで、今日の日経新聞夕刊に、ユーミンこと「松任谷由実」のインタビュー記事が載っていた。

ミーハーだった僕は何度か彼女のコンサートに出掛けたことがある。

最も想い出深いのは1993年の夏、「逗子マリーナ」で行われたコンサートだ。

海沿いの特設ステージで繰り広げられたライブは、幻想的だった。

そのユーミン。年齢と共に曲づくりに対する考え方が違ってきたと話している。

「年齢を重ねると『もういいじゃない』っていう悪魔のささやきが聞こえてくる。でも、そこで立ち止まってしまうと苦しむのは自分」。そう述懐している。

振り返ってみると、10代や20代の頃も「もがき苦しんで」曲を書いていたそうだ。

「過去は美しく見えるし、身体も若いから、苦しんだ記憶は薄れてしまう」。

でも、「苦しくても一歩一歩歩いて目指すところに辿り着く」。

「今はそれが天才だと思っている」という。

50代になったユーミンのコンサートを見てみたい。

追伸:伊達公子の全仏オープンでの勝利は、素晴らしかった。「尋常ではない精神力」の為せる技だろう。

自分しか証人のいない「試練」。

僕は試合を観てはいないが、ネット上の書き込みを見ていると、一昨日の「韓国戦」は、結果以上に良くない内容だったようだ。

今回のワールドカップは、何となく、盛り上がりに欠ける。

以前のエントリーにも書いたが、幸か不幸か?日本代表がワールドカップに行くのが当たり前になり、それだけでは「評価」されなくなっているのが現実だと思うが、「勝てそうだから応援する」というのでは、あまりに無責任な話だと思う。

フランスの時だったかは、帰国する選手を空港で待ち構えて「生卵」をぶつける(被害者は、たしか城だった)という騒動があったが、裏を返せば、そのぐらい「本気」だったということだ。

高校生の時から大のサッカーファンの妻が「応援しなきゃ、そりゃ負けるよ」と言っていたが、僕は今回だからこそ、応援したいと思う。

ところで昨日は、インタースコープ時代にお世話になったある方と数年ぶりにお会いするために、久しぶりに「東急池上線」に乗った。

実は、妻の実家が池上線沿線にあり、両親が顕在だった頃はしばしばお世話になっていた路線である。

駅と駅の間隔が短く、加速し切る前に次の駅に着いてしまう、何ともローカルな赴きの漂う「池上線」は、僕にとっては「東京の光景」のひとつでもある。

さて、そんなことを思いながら「旗の台」に着くと、時間が止まっているような感覚を覚えた。

高校を中退し「中学浪人」をしていた時の友人が、旗の台にある「昭和医大(昭和大学)」に通っていたこともあり、何度か足を運んだことがあるが、20年以上も前の光景が今も残っていた。

少し早く着いてしまったので周囲を散策すると、何とあの頃にその友人と入った「ゲームセンター」が今もあった。

実は、その彼は、もうこの世の人ではないのだが、彼とやっていたバンドを思い出した。

彼に貸した「ストラトキャスター」は結局、どこに行ってしまったのだろう?

前回は「父」の想い出を書いたが、早くに亡くなった友人の分も含めて、良いことも辛いこともたくさん詰まった「濃い」人生を送りたいと思う。

「旗の台」に向かう途中で読み終えた「ニーチェの言葉」の最後の2つ、「すべての良い事柄は、遠回りの道を通って、目的へと近づいていく」という一文と「自分しか証人のいない試練」というタイトルの元に書き綴られている言葉、そして、この章(最終章)のテーマ(美について)同様、最初のページに書かれている「理想や夢を捨てない」という言葉は、まさに今の僕に必要な言葉である。

ところで今日は、僕が保育園に迎えに行った。

朝からの約束で、帰宅後、彼のリクエストに応えて「アルファベット」を教えた。

日本語の発音にはない「F」「V」と「L」に手こずっていた。

運動神経の発達はやや劣るが、知的好奇心は抜群である。

子供の可能性を信じてあげるのが「親の最大の責任」である。

「国立を満員にする」。

今朝は、投資先のイミオでの経営会議があった。

詳細は今はまだ書けないが、ここ2~3ヶ月でビジネスモデルを大きく見直し、急ピッチで事業の運営方法を変更してきた。

今年度の後半には、その効果が数字となって顕れてくると思う。

ところで、イミオが発行している「GREEN」というフットサルのフリーペーパーがある。

最新号(5/4)はワールドカップ特集で、元日本代表「北澤豪」氏のインタビュー記事が掲載されている。

その記事の中に、彼のこんな発言が紹介されていた。

「当時、カズさんは、新聞の見出しになるようなフレーズを自分で考えて言っていたからね。人を惹き付ける為に。だからマスコミが集まるんです。三浦知良だからじゃなくて。あの人がブラジルから帰ってきたときは、『国立を満員にする』とか、『ワールドカップへ行く』とか、大きなビジョンがあった。だからそういう行動をしていたし、我々も学んだし、一緒にそういうことをやってきた。それは今との違いとしてあると思う」。

そういう僕自身もそうだが、今年のワールドカップは、以前の時ほどの盛り上がりを見せていないと言われる。

日本がワールドカップに行くのが何となく当たり前になってしまったり、今年の代表チームの戦績がいまひとつだったりと、その理由は色々とあると思う。

「ドーハの選手はいつも言っていたんだよね、『時代を変える』とか」。

「我々の頃は、サッカー界全体や、それを超えたところを、みんなが意識していた。我々のそういう思いを、見ている人が感じてくれたというのはあるんじゃないかな。『何かが変わるんじゃないか』というのが、人が関心をもつ理由の1つではあるから」。

「時代の違いはあるし、ヨーロッパや南米みたいにサッカーが定着していれば別だと思う。ただ、今のサッカー界に必要なものは何かということは、常に考えながらやって行かないといけないと思う。それは自分達にまた戻ってくることだから」。

記事を読みながら、今の自分に足りないのは、そういうことなんだろうと思った。

「インターネットで旧態依然とした調査業界を変える!」とか、「インターネットリサーチを主流にする!」とか、もっと大きなことを言えば、「インターネットやベンチャーや起業というものを通じて既得権益を打破し、社会を変えて行く!」とか、自分自身や自社(インタースコープ)のことを「超えたこと」を考えていた。

時代が変わったと言えばそれまでだが、ここ数年の僕は、大きな失敗をしたことで、心が縮こまっていたと思う。

そのことに気づかされた。

ところで、ここ数日、スペンサー・ジョンソンの「頂きはどこにある?」を読み返してみた。

改めて読んでみると、昨年の秋には気づかなかった、たくさんのことに気づいた。

特に「次の山に到達するには、『自分の具体的なビジョン』、つまり、自分にとって『意味』があり、現実的で、本当に望めば達成できるビジョンをつくり、従うこと」というメッセージは、僕の心に響いた。

「国立は満員になった」し、「インターネットリサーチは主流になった」。

これからの僕にとって「意味」があり、本当に望めば「達成可能(現実的)」で、尚かつ、自分の人生を超えて、社会全体にとって「意味」があるビジョンを考えたい。

そう簡単じゃないけど、それがないと、僕のこの先の人生は進まない。

「MBA」はエリートか?

HBS(ハーバード・ビジネス・スクール)やスタンフォード等を出られた方は、言うまでもなく、エリートだろう。

日本では、KBS(慶応ビジネススクール)、WBS(早稲田ビジネススクール)、一橋ビジネススクール等を指向する人はエリートと言っていいだろうし、グロービスもそういう人が多いだろう。

では、僕がお世話になっている「法政ビジネススクール(イノベーションマネジメント研究科:通称イノマネ)」はどうか?

色々な見方があるが、誤解を恐れずに言うならば、僕は「イノマネ」の学生の方々は「エリート」というより、むしろ、「知的リスクテイカー」と形容した方が合っていると思う。

HBSやスタンフォード等はさておき、KBSやWBSを出た方は、起業するよりも、以前の会社に戻ったり転職する方が多いと聞く。

それと比較して「イノマネ」の場合、「起業志向」の人が多い。

修士論文の代わりに「プロジェクト」と呼ばれる「事業計画書」の作成が必須となっており、当然とも言える。

30代40代の彼・彼女たちは、自らの意思で「安定した仕事(勤めていた会社)」を辞めて(中には企業派遣の方もいる)、人生の「シフトチェンジ」をするために「イノマネ」に来ている。

そんな彼・彼女達のプランは、20代から30代前半の人達が手掛ける最先端のネットビジネスとは違う面白さがある。

昨年度のグランプリを取ったプロジェクト(事業計画書)は、一昨日、会食をした「虎の穴」社長の吉田さんのプランだったが、今年は誰のどんなプランが栄冠を手にするのだろう?

「知的リスクテイカー」が増えれば、日本は活性化すると思う。