イギリスの財政削減の意味。

前回のエントリーではフランスの年金問題について取り上げたが、今回は「イギリスの財政削減」について。

既にニュース等でご存知の方も多いと思うが、イギリスが戦後最大規模の財政削減に踏み切るらしい。

その規模は、4年後までに日本円換算で約10兆円。

因みに、イギリスの財政赤字のGDP比率は「68%」。

同比率200%(なんと世界第2位!)を超えると言われている日本と較べれば、3分の1。

しかし、公債の95%を国民や企業が購入している日本とは異なり、諸外国の場合、かなりの割合を「海外の投資家」に買ってもらっている。

つまり、その国の「通貨」が安くなれば、資金を引き上げられてしまうため、通貨の価値を保つためにも、財政赤字を削減せざるを得ない、ということになる。

問題は、そのことに伴う「公務員の失業」である。

10兆円を単に「バラまいて」いたのであれば、それを止めるだけなので、人員削減には繋がらない(多少は関係あるが、便宜的に無視)が、その資金で「公共サービス」を提供していた場合、そのサービス提供を担当していた「人達(公務員)」の「給与が払えない」ということになる。

その人数が「約50万人」ということで、大きな問題になっている。

ある時、田中康夫氏が長野県知事だった時、彼と一緒に働いていた人から、「ある意味、公共事業&サービスには『無駄』なものはないんです。つまり、そのことで生活をしている人がいるということです。だから、一旦、始めた公共事業を止めるのは、とても大変なんです」という話を聞いたことがあるが、なるほど・・・と思ったことを思い出す。

ところで、そもそも「財政赤字」という代物は、何故、いかなる理由で発生するのか?

それは、国民が収める税金だけでは賄い切れない「公共サービス」を提供するために、税金ではなく、国債や地方債、つまり、政府の国民に対する「借金」という形式でサービス提供の「原資」を徴収するからである。

たしかに、新興国(かつての日本)のように、経済規模が拡大し、人口も増えてゆく国であれば、将来的には税収も増大するので、その「借金」も返済できるが、人口は減り、人件費は高くなり新興国との価格競争には勝てず、雇用が海外に流出する構造となった日本では、かつての「方程式」は機能しない。

さらに言えば、国民から借りたお金で「公共サービス」を提供するという(国民はその恩恵を享受する)ということは、「1万円の貸付(政府への融資)」に対して、「1万円相当のサービス」を提供してもらっているということであり、「現物で返済」してもらっていると言える。

その上、借金を返済するというのは「二重払い」のようなものだ。

然るに、経済が拡大基調(税収が増大基調)にある時代以外、その方程式は機能しない。

勿論、一部(ひょっとしたら大部分?)には、殆どクルマが通らない地域に「高速道路」を建設したり、最近話題の「スーパー堤防」のような「不必要」なものに貴重な資金を注ぎ込んできたという事実もあり、行政執行側に責任があるものもあるのは事実である。

治安の良さにしても、国民皆保険にしても、老齢年金にしても、教育機関にしても、公共サービスの恩恵に与ってきたのは紛れも無い事実であり、それを政府の責任だけと主張するのは無理がある。

親から財産を受け継ぐとき、「資産だけ頂戴し、借金は知らないよ」というのは通用しないだろう。

結局は、自分が生まれ育った日本という国が好きなのであれば、自分たちで何とかするしかない。

ジム・ロジャーズが言うように、

1. 移民を受け入れる(将来の労働人口を増やす&市場規模を拡大する)。
2. 子供を産む(将来の労働人口を増やす&市場規模を拡大する)。
3. 生活レベルを下げる(今の水準の公共サービス&個人の収入を諦める)。

のいずれかを選ぶのか?

あるいは、1.と関連するが、4. 様々な「規制緩和」をして「外資を呼び込む」ということだろう。

さて、今日は「子供の保育園の遠足」。

我々は、どういう未来を選択するべきか?

「フランスの年金問題」と「ジム・ロジャーズ」の言葉。

フランスでは今夜、「年金改革法案」の採決があるとのこと。

内容は、現在60歳の支給開始年齢を62歳に変更することらしい。

僕は詳しいことは知らないが、欧州の他の国では、年金支給開始年齢はもっと高いところが多く、62歳になったとしても、フランスはそれでも高齢者が優遇されていることになる。

さて、我が日本はどうか?ということだが、生まれた年によって支給開始年齢が異なるようだが、昭和36年以降に生まれた人(僕も)は、65歳からの支給のようである。

そこそこの会社に務める人であれば、60歳が定年として、その後の5年間は、退職金を含めた自分の蓄えで生きていくことが必要なわけだが、僕のように若くして起業した人は退職金などというものはなく(例外もあるでしょう)、年金が破綻しないという前提だとしても、65歳までは自分の経済力で生きていくということである。

もちろん、年金制度が破綻すれば、一生、自分の力で生きていくことだ。

因みに、平成22年度の国家予算(約92兆円)の内、約30%(約28兆円)が「社会保証」関連だ。

年金について見てみると、同じ年度の数字が見つからなかったが、平成19年度末で、国民年金が「16.5兆円」、厚生年金が「24.4兆円」で、合計「41兆円」が年金として支給されていることになる。

では、収入はどれだけあるか?ということだが、約48兆円(平成22年度)である。

要するに、国家予算の「52%」しか「収入」はなく、残りの「48%」は「公債金」収入、つまり、将来世代への「ツケ(借金)」である。

どう考えても、やっていけなくなる日は確実にやってくる。

いつだったか、ジム・ロジャーズの講演を聴いた時に、彼が、日本が取るべき選択肢は、次の3つだと言っていたことを思い出す。

1. 移民を受け入れる。
2. 子供を産む。
3. 生活レベルを下げる。

人間は豊かになると、その恩恵を享受したくなる生き物であり、子供を産んで育てるより、自分達のライフスタイルを守りたくなる。

その結果、先進国は皆一様に、少子高齢化に悩んでいる(但し、アメリカでは、WASP(白人)のカップルが、2人以上、子供を産んでいると聞いている)。

一時期、頻繁に通ったロシアでも、2000年代に入ってからの「資源バブル」で経済が急速にテイクオフし、長かった冬の時代が終わり、ようやくやってきた「消費文化」を謳歌したい20代30代が子供を産まなくなり、深刻な社会問題と化している。

小泉・竹中改革が続いていたら、だいぶ景色は違っていたかもしれない。

初めてのSFC。

今日は、法政大学の田路先生から紹介していただいた、とある学生の方を訪ねて、SFC(慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス)を訪問した。

初めて足を踏み入れたSFCは、想像していた通り素晴らしいキャンパスで、この夏、シリコンバレーで6週間のインターンを経験してきたという彼は、頭脳明晰且つ志のある、将来が楽しみな若者だった。

キャンパスをひと通り案内してもらった後、教職員食堂でランチを食べながら、将来は起業したいという彼の生い立ちや将来展望を聞いた上で、僕なりのアドバイスをした。

彼の話を聞きながら改めて思ったことは、当たり前のことだが、家庭環境や両親の教育方針が、人間形成に大きな影響力を持つということ。

シリコンバレーでのインターンシップの情報を教授が提供してくれる等、SFCという環境が彼に与えている影響は勿論大きいが、SFCという大学を選んだことやシリコンバレーでインターンシップしようと思うような価値観は、彼が幼少の頃から時間をかけて育まれてきたものである。

そう考えると、人間を教育するということは、少なくとも2世代を要するということであり、広大なキャンパスと最新のMacintoshを揃え、一流の教職員を迎えるには、莫大なお金が必要である(親に出してもらうか?自分でバイトして稼いだお金で行くか?は別として、シリコンバレーでのインターンシップに参加するにも、それ相応のお金が必要である)。

ビジネスで成功した人でなければ、私学は創れない。

だからこそ、名誉もお金も手にした人には、次世代の日本を創る若者に投資して欲しい。

国力は、ベンチャーを立ち上げるのとは異なり、5年や10年で何とかなるものではない。

長い時間と大きな投資が必要である。

iPhoneからの投稿@湘南新宿ライン

「内定式」と「日本社会」。

今日は「内定式」。

夜の街には、来春から同期入社の仲間として働く学生の皆さんが繰り出していたようだ。

いわゆる「シューカツ」の総括が今日の内定式であり、今までの苦労の慰労会といったところだろうか。

でも、そんな慣習(シューカツ)に違和感を覚える学生もいる。

この夏、シリコンバレーでインターンを経験し、シューカツに違和感を覚えているという、SFCに通うある学生に、来週金曜日に会うことになっている。

彼が、今の日本社会をどのように見ているのか?じっくりと聞いてみたい。

色々な意味で、もっともっと日本社会の「多様性(ダイバーシティ)」が進んで欲しい。

「カナディアン・カヌー」と「温泉旅館」。

さて、ブログの更新が少々滞ってしまいましたが、連休を利用して、日光方面に旅行に行っておりました。現地で感じたことを振り返りながら、久しぶりのエントリーを書いてみようと思います。

9月は、僕たちの子供の誕生月ということもあり、10年来の付き合いの友人夫婦と一緒に、日光・鬼怒川方面に出掛けた。

東京から約200キロ。僕の実家がある福島県郡山市までと同じような距離だ。

実は、日光からちょっと外れたところに、塩谷町というところがあるが、そこは、僕の父親や父方の祖父母が生まれた場所である。

祖父の仕事の関係で何度か転勤をした後、僕が生まれる何年か前に郡山に移り住んだらしい。

そんなこともあり、子供の頃は、祖母の実家にしばしば連れて行ってもらっていた。

その頃、よく耳にした地名に、鬼怒川や今市というものがあったが、今回は、鬼怒川温泉街を通り抜け、那須塩原方面に通じる峠を登ったところにある鬼怒川高原のコテージに泊まった。

鬼怒川や今市あたりより約5~6度ほど気温が低く、この時期でも肌寒いほどだった。

ところで、鬼怒川温泉と山を挟んで、川治温泉というところがある。

そこを流れる川で、カヌーに乗った。

川治温泉の中心街から、ダムとダムの間でほとんど流れがないところを、約2時間をかけて往復した。

川の上には鉄橋が掛かっており、1時間に1~2本しか通らない単線の電車を見上げながら、初めてのカヌーを楽しんだ。

僕たちが乗ったカヌーは、日本で主流のカヤックではなく、カナディアンカヌーと呼ばれるものだったが、思ったよりも簡単で、手軽に自然を楽しめた。

最初はピンと来なかった僕たちの子供も、途中から、とても楽しんでいた。

僕たちが往復した川沿いには、いくつかの滝が流れ込んでおり、その近くに行くと涼しい風が吹いており、マイナスイオンが発生している。天然クーラーのようなものだ。

そんな川面を、動力を一切使わず、腕の力でパドルを漕ぐだけで前へ進んでいると、まるで時間が止まったような感覚さえ覚える。

デジタルデバイスで慌ただしい日常を送っている都会人には是非、お勧めしたいアクティビティである。

さて、そんな日光方面(今回は東照宮や中禅寺湖には行かなかった)、鬼怒川、川治であるが、ひと言で表すなら、寂れていた。

僕が子供の頃、日本の高度経済成長期、1ドル360円や308円の固定相場時代を経て、第一次オイルショックのあたりまでの「海外旅行が憧れ」だった時代には、鬼怒川や川治に限らず、日本国内の観光地や温泉街は大勢の観光客で賑わっていたであろうことを物語る大規模旅館(ホテル)が、まばらな人影と共に、あちらこちらにたっていた。

不勉強な僕は責任をもった発言はできないが、規制緩和を徹底し、割高な国内線(飛行機)を是正したりすれば、もっと客を呼べる観光地もあるように思う。

因みに、今回の旅行で最も繁盛していたのは、「古民家」を改造した「蕎麦屋」だった。

欧米が憧れだった時代は過ぎ去り、日本古来の文化に「新鮮さ」を感じるのが、今の日本とも言える。

すべてにおいて、過去の延長線上ではなく、新しい日本を創っていく必要があるのだろう。僕自身の人生も含めて・・・。

祖父母や父の生まれ故郷で感じたことである。

その場所を選んでくれた友人夫妻に感謝。

徹底的に「若者」に投資すべきである。

8月に引き続き、9月も平日はブログ更新皆勤賞を狙っていたが、昨日は、妻方の伯母の告別式でほぼ終日、慌ただしくしており、残念ながら皆勤賞はならなかった。

さて、今日の午前中は、投資先のイミオでの経営会議があった。

創業5年目の今年は、数ヶ月前に第三者割当増資を行い、事業構造も大きくReDesignしたが、今日はその後の経過をレビューした。

創業者の倉林さんは、僕が直接知っている20代の経営者の中では間違いなくトップクラスで優秀だが、それでも、はやり、やってみないと分からないことが多い。

「選択と集中」という言葉は、経営学を勉強したことのない人でも、その意味することは理解できると思うが、理屈や「頭」で理解することと、その「本質」を「実感」を伴って理解することは、まったくもって異なる。

僕が法政大学ビジネススクールでお世話になっている小川先生が「本人が納得するかどうかが一番大切だよ」と仰っているが、まさしく、そのとおりであり、それは僕に関しては勿論、倉林さんであっても、課題に直面して初めて、理屈や理論の意味を理解する。

勝負を決めるのは、どれだけ早い時期に、言い換えれば、最小限の経験(失敗)で、最大限の「学び」を得られるか?ということである。

僕は、それが遅かったが故に苦労をしているわけで、そう言う資格はないのだが、でも、見方を変えれば、その経験があるから、倉林さんや沼田さん(取締役)に、アドバイスができていると思えば、無駄な経験ではなかったということだ。

さらに言えば、僕自身が味わっている苦労と周囲にかけた迷惑から学んだことを、よりいっそうのレバレッジをかけて活かさないといけないし、活かせるように、もっともっと勉強しようと思う。

ところで、イミオでの経営会議の後は、健康のため、青山一丁目の顧問税理士のオフィスまで歩き、その後は、外苑前のオフィスまで歩いた。

外苑前のオフィスに向かう途中、ワンフロア約35坪のオフィスビルが、テナント募集の看板を出していた。

青山通りに面しており、外苑前の駅から至近で、ビルの程度もそこそこにも関わらず、数フロア、空いているようだった。

賃料にもよるだろうが、ネットバブルの頃であれば、ほぼ間違いなく、埋まっている物件である。

日本の産業構造なり経済情勢(情勢ではなく、構造的な問題である)を物語っている光景だった。

日本の国家予算(平成18年度。探せば、今年度も資料も公開されているだろう)の約25%は「社会保障(保険や年金等)」で、その約半分は「年金、老人医療給付費」である。

そして、文教および科学振興費は「6.6%」。そのうち、子供の「教育」に投じられる予算が、約半分だとして、3%強。

要するに、高齢者に厚く、若者に冷たい国だということだ。

僕は最近、つくづく思うが、やはり、10代20代の時に「見聞き(勉学)」したことの「広さ(多種多様さ)」と「経験」が、その後の人生の「OS(Operating System)」の基盤を築くのは間違いない。

徹底的に若者に投資すべきである。

一国の長は「直接選挙」で選びたい。

口火を切った民主党の代表選。

たくさんのメディアが、その「真相」に迫ろうとして様々な報道をしているが、ここまで来ると、もう何も言う気になれない。

議院内閣制の限界である。

人気投票になり兼ねないリスクはあるが、一国の長は「直接選挙」で選びたい。

都道府県の長(知事)は、直接選挙で選んでいるわけで、出来ないはずはないと思う。

猛暑も民主党の代表選も、早く終わって欲しい。