「子供の心」に生き続ける「言葉」。

昨夜は子供を寝かしつけたまま眠ってしまい、先程、1時半頃、起きてきた。

ところで、昨日の午前中、GWを挟んで約10日ぶりに耳鼻科に行ったが、アルコールのドクターストップは解除されず、会食の予定でいっぱいの来週もソフトドリンクで我慢。

でも、お酒を飲んで週4日の会食は僕の肝臓にはtoo muchで、「人間万事塞翁が馬」ってことだろう。

さて、今日は、ここ最近、目に留まった言葉を書いておきたいと思う。

日経新聞に「私の履歴書」というコーナーがあるが、今月は演劇研究家の河竹登志夫氏。

僕は河竹氏のことは存じ上げなかったが、たまたま読んだ連載4回目に、彼の母親の躾のことが書いてあった。

河竹氏が幼少の頃、諸事情があり、お手伝いさんがいたらしいが、お手伝いさんに乱暴な口を利いたところ、「あの人たちは働いて自分でお金を稼いでいるのだから、あんたよりえらいんですよ」と母親にひどく叱られたという。そして「この母の一言は、子供心に強く響き、しみ入った」と書いている。

それを読んで自分の母親(産みの母)のことを思い出した。

僕の母は小学校の教師をしていたが、僕がまだ未就学の頃、バスに乗っていた時に「あなたはお金を払っていないのだから、座ってはいけません。立っていなさい」と言われたことが今も鮮明に記憶に残っている。

子供ながらに「なるほどな・・・」と思い、それ以来、その言葉を忘れたことはない。

そんなこともあり、僕たちの子供にもその躾を実践している。

座るときは、僕か妻の膝の上だ。

また、河竹氏はご自分の母親のことに続けて、その頃に読んだリンカーン大統領の逸話を紹介している。

リンカーンが自分の靴を磨いていると執事が、「大統領ともあろう方がそんな賤しいことを・・・」と咎めると、リンカーンは静かに「いや、世の中には賤しい職業というものはない。賤しい人間がいるだけだ」と諭したという。

さて、氏のそんなエピソードを読み返しながら、昨日はドリームゲートのオフィスを訪ね、とあるMTGをした。

ドリームゲートのオフイスには、たくさんの起業家や経営者の方の「寄せ書き」がある「大挑戦者祭」というイベントのポスターが貼ってあるが、その「真ん中」に「田坂広志さん」の「言葉」が書いてあった。

そのポスターや寄せ書きのことは以前から知っていたが、なぜか、その「真ん中」に書いてある田坂さんの言葉に気づいたのは、昨日が初めてだった。

あるいは、読んではいたものの、憶えていなかったのかもしれない。気づかないはずはないので、その可能性が高いだろう。

そこには「高き頂をめざし最高の登山を 田坂広志」と書いてある。

$シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」

「頂」と言えば、昨年の秋、僕が精神的にとても辛かった時に読んだスペンサー・ジョンソンの「頂きはどこにある?」を思い出した。

ちょっとしたひと言に救われたことが何度もある。

その言葉に出会ったという事実以外、自分の人生に何の変化もないのに、たったひと言で人生が変わったり、勇気や元気をもらうことがある。

自分が亡くなった後も子供の心に生き続ける「言葉」をどれだけ残せるか?

それが親の「責任」であり「仕事」かもしれない。

役員に「NO」と言える友人。

人によっていつまでかは異なるだろうが、日本中が楽しみにしていたGWも基本的には今日でお終い。

僕のブログを読んでくれている皆さんは、どのようなGWをお過ごしだっただろうか?

僕たち家族は、上京してきた母親の相手をして、ずっと東京で過ごした。

いくつかトピックスをご紹介すると、5/3(月)は、甥(末弟の長男)のバイオリンの発表会があり、調布まで出掛けた。

この春、小学生になった甥は白いシャツにネクタイをして、とても上手に演奏していた。

一番下は3歳から上は大学生までの独奏と合奏があったが、その中でひとり、他の子供たちと較べて別格に上手な小学校2年生の女の子がいた。きっと将来は音大を目指すのだろう。

ところで、時間は前後するが、5/1(土)、ロシアから一時帰国していた友人と、彼と知り合った頃に知り合った女友達2人と僕の4人で、約1年ぶりに会った。

リーマンショック前のバブル全盛期とその後の景気低迷期を経て、ロシア(=モスクワとサンクトペテルブルク)がどんなふうに復調してきたか?その間、どうやってビジネスをしてきたか?など、とても参考になる話を聞くことができた。

その中で最も勉強になったのは、具体的な仕事の仕方も然ることながら、彼の「姿勢」というか、「組織に対するスタンス」だった。

彼は現地法人の社長をしているが、本社に戻っても管理職ではない。

そもそも彼は「出世しようという願望がない」のである。

なので、本社の役員に対しても「NO」が言える。

周囲が心配したり反対しても、自分の方針をきちんと説明し、自分でリスク(責任)を引き受け、仕事に励んでいる。

そして、きちんと結果を出している。素晴らしいことだ。

そういう友人を持てたことを幸せに思う。

ところで、GW直前にも、大企業に勤める友人と会った。

ひとりは総合AV家電メーカー、もうひとりは総合商社。

総合商社に勤務する友人は現在、事業会社(子会社)の社長をしており、新しい市場を創ろうと奮闘中。シリコンバレーに駐在していたこともあり、ベンチャーの匂いを知っている人だ。

総合AV家電メーカーの友人は営業推進の仕事をしているが、先日、経営TOPと若手社員との会合に出席したらしい。

詳細は口止めされているので書けないが、他の人間が殆ど発言しないなか、彼は経営TOPの方針を否定し、正々堂々と自分の意見を述べたという。

能力が高く自信家なのは勿論だが、やはり、組織の中で「出世」することに「関心がない」のだろう。

孫さんが、最近の講演で、幕末の時代を引き合いに出し、「カネも要らない。名誉も要らない。命さえも要らない、というぐらいの奴じゃないと大きなことは成し遂げられない」という話をしているが、そこまでの話でなくても、何かを「失いたくない」と思うと、思い切った攻めはできないということだ。

結局は「自信」がなければできないことだが、仮に「能力」も「自信」もあったとしても、「他人の評価を気にしない」という姿勢がなければできない「生き方」である。

もうひとつ、彼らの発言で共通するものがあった。

それは、「どういう人間を出世させるか?」ということ。

「事業領域」にしても「海外市場」にしても、これから伸びるところにエース級の人材を投入できるか?

そのやり方には問題もあると聞くが、「資源」を求めて猛烈な勢いで「アフリカ」に進出している中国企業と比較して、日本企業はそうではなさそうである。

経営側の判断もあるが、そういう「未開の地」に自ら行こうという気概を持った人間がどれだけいるか?ということでもあるだろう。

さて、僕も明日から仕事に復帰。

彼らの「生き方」を見習いたい。

「したいけど、できない。できるけど、したくない」。

今日は、この4月から非常勤講師としてお世話になることになった法政大学経営大学院(MBA)でのガイダンスがあった。

僕の担当は「プロジェクト」と呼ばれている「事業計画」策定(一般的な大学院でいう修士論文に該当するもの)の指導。

この経営大学院は「イノベーション・マネジメント研究科(通称イノマネ)」というところで、より実践的なカリキュラムになっている。

因みに、法政大学にはもうひとつ経営大学院があるが、そちらはもう少しアカデミックな内容で、昨年度の下半期は、そちらで客員教授を仰せつかっていた。

僕には、今回の経営大学院の方が向いていると思う。

ところで、今日のガイダンスで、初めて、イノマネの「教育理念」を聞いた。

「先端知識(Technical Skill)」「豊かな教養(Human Skill)」「知識の活用と構想力(Conceptual Skill)」により、「革新的なコンセプトを構築できる能力」を育成することが、イノマネの目的である。

上記の理念は、あまり驚きはなく、至極、納得の行くものだったが、僕にとって「大きな発見」だったことは、補足説明の方にあった。

(イノマネが育成したいのは)「社会」が求めている「問題」に気づき、

– 原因を分析・究明し、
– 現実的な解決策を立案し、
– 提案・実行・検証・改善できる人

という説明文があった。

僕が心を動かされたのは「社会が求めている問題」というフレーズである。

つまり、自分にとっての問題ではなく、社会にとっての問題を解決する、ということだ。

そんなの当たり前でしょ!!と言われてしまいそうだが、僕はある時まで、自分では「社会的な問題」を解決するためにビジネスをしてきたつもりだったが、それは確かに社会的な問題ではあるものの、僕がそれに取り組んでいるのは、「自分にとっての問題」であるからということに気づいた。

だから「自分にとっての問題」が解決されれば、あるいは「その分野での勝者にはなれない」ことに気づくと、それでも取り組もうという気にはなれなくなってしまうのだろう。

故に「人生は全て次の二つから成り立っている。したいけど、できない。できるけど、したくない」ということになる。

因みに、これは「ゲーテ」の言葉だそうだ。

話は変わるが、これは以前にもご紹介した孫さんの2時間以上に及ぶ講演(孫正義LIVE 2011)で知ったことだが、西郷隆盛は「名も要らない、金も地位も名誉も要らない。命さえ要らない。そんなやっかいな奴でないと大事は成し遂げられない」と言ったそうだ。

結局は、自分の「エゴ」を満たすために仕事をしているうちは「大事は成し遂げられない」ということである。

僕に、どれだけのことができるか分からないが、1年3ヶ月、こうして自分と向き合って来れたことが、人材紹介業から撤退したことで得た最大のメリットかもしれない。

さらに言えば、その「気づき」を今後の人生に活かせて、初めて、メリットだったと言えるのだろうけど・・・。

頑張ろう!!

「オルタナ3周年記念パーティ」と「揺るぎない信念」。

朝が最高気温で11時頃から寒くなり、小雨も降り出した今日は、僕が超マイナー株主として応援している「オルタナ」というビジネス誌の3周年記念パーティがあった。

創業者で社長兼編集長の森さんのことを知ったのは3年ぐらい前で、新丸ビルで行われた何かのセミナーの時だった。

個性がハッキリしていて人間として魅力がある人だなと思い、名刺交換をしようかと思ったが、縁がある人とは必ずまた会えるはずだという「信念」の僕は、その日はそのまま会場を後にした。

たぶん、その半年後ぐらいだったと思うが、オルタナが第三者割当増資をすることを知り、その説明会に出掛けたのが、森さんとの再会だった。

ご存知でない方のために簡単に説明すると、オルタナという雑誌は「環境とCSRと『志』」をテーマとしたビジネス誌だ。

文字どおり、その「志」ゆえに創刊当初から注目を集め、それなりに読者を増やしてきたが、いわゆるリーマンショック後は「広告スポンサー」の激減により、経営的には大打撃を受けた。

僕は、ひとりのマイナー株主に過ぎないが、森さんとは波長が合い、共同で新規事業を立ち上げようかという話をしていたが、まずは、オルタナの経営を軌道に載せることが先決でしょう!と言い、そのプランは見送ったという経緯がある。

オルタナの3年間(僕が知っているのは2年間)は、文字どおり、「茨の道」だった。

常識的に見れば、もうダメなんじゃないか・・・と思う危機的状況ををことごとく乗り越え、こうして3周年を迎えることができたのは、優秀な編集スタッフと外部協力者、そして、ロイヤリティの高い読者あってのことだが、どん底に合ってなお、オルタナの発行を諦めない、森さんの「強い想い」抜きにはあり得なかったと思う。

3周年記念パーティにお邪魔しながら、元アップル日本代表(現リアルディア社長)の前刀さんに言われた「揺るぎない信念」という言葉を思い出した。

人材紹介業から撤退し、身ひとつになってから1年3ヶ月。

僕はずっとそのことを考え続けてきたが、今日は、そのことの「意味」を目の当たりにした。

最後の最後に頼れるのは、「それしかない」。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
★創業者で社長兼編集長の森さん

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
★3周年パーティ会場内の様子

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
★編集スタッフの吉田さん

「茶パツ」と「ピアス」と「捨て身」の心。

ここ数週間は何だかんだと慌ただしく、今月はブログの更新も滞り気味だったが、今日は僕の誕生日もであるし、ここのところ、書きたいと思っていたことを書こうと思う。

昨日は「日本フォーム印刷工業連合会」なる団体の月次セミナーの講師としてお招きいただき、「新たなるビジネスモデルへ���挑戦(「既に起こった未来」というドラッガーの著作のタイトルを副題につけた)」というテーマのもと、約1時間、話をさせていただいた。

僕にとっては殆ど接点のない「フォーム印刷」なる業界団体のセミナーにお招きいただいたのは、あるベンチャー仲間からの依頼により「JAGAT」という印刷関連団体の年次カンファレンス(PAGE2010)で講演をさせていただいたことがきっかけだった。

僕の話は、印刷(紙メディア)の「機能の本質」と「その限界」について、そして、Webの進化がもたらすインパクトについてだが、印刷業界の「経営層」の方々(年齢的には50代60代がメインだったと思う)が、どの程度、ウェブに関する知識をお持ちなのか?が分からず、薄氷を踏むような気持ちだった。

これは主催者(事務局)の方からメールを頂いて知ったことだが、受講者の中に某大手印刷会社の常務の方がいらしていて、良い講演だったとの電話が今朝、あったらしい。

主催者の方の顔も立ったようで、とても嬉しく思った。

ところで、今日は3週間ぶりに中目黒にある整形外科にリハビリに行った。

目黒川沿いの桜は5~6分咲きぐらいになっており、たくさんの人で賑わっていて、季節が変わろうとしていることを実感した。

話は変わるが、整形外科に行った後、とあることで時間を潰す必要があり、老夫婦が経営する代官山のある喫茶店に入ったところ、カウンターに上品で裕福そうな老夫婦が座っていた。

僕が入って程なくした頃、いわゆる「生保レディ」が「挨拶」に来た。

その彼女が帰った後、「いったい何なんだろうね。あの派手な服は・・・。紺のスーツじゃなきゃいけないでしょうに・・・」という会話が繰り広げられた。

僕はiPhoneでメールをチェックしていたので、彼女の服装はあまりよく見ていなかったが、たしかに、コバルトブルーの明るい感じの色だったと思う。

こればかりは個人の美的センスに委ねざるを得ない問題なので、ここでとやかく言うつもりはないが、でも、お客さんに不快感を与えるような色だっただろうか?

因みに、数日前の日経新聞の夕刊で知ったことだが、全日本スキー連盟は、次回のオリンピックから、選手の「茶パツ」と「ピアス」は禁止するそうである。

「国母選手」の問題が、ここまで発展したわけだ。

何だか戦前の「全体主義」の匂いを感じるのは、僕だけだろうか?

そういう僕は「茶髪の中年男性」であり「茶パツ歴19年」。

全日本スキー連盟的には、お話にならない人間ということになる。

「服装」という意味では、僕は、昨日の講演に、敢えて、「パーカー」に「Gパン」という服装で出掛けた。

僕が演台に立つと「予想通り」の雰囲気を感じたので、自分から「いったい、どこの兄ちゃんが来たんだよ・・・とお思いの方が大半だと思いますので」と前置きした上で、見掛けとは違う?極力丁寧な言葉を選び、自己紹介をした。

約70分ほど話をさせていただいたが、寝ている方もいた一方、熱心にメモを取って下さっていた方もいらして、伝わる方には伝わったようだった。

事務局の方から後日、アンケート結果を頂戴できるそうなので、それを楽しみに待ちたいと思う。

ところで、上海でビジネスをされている藤田さんのTwitter経由で、ソフトバンクの孫さんに関する記事を読んだ。

世の中を「革新」する人は「不安に抗し、高い精神エネルギーを維持する、高度な感情知能(EQ)というものが必要になってくるはずである」とし、次の「2つ」の要素が必要だとしている。

ひとつは「状況は自分の力で変えることができる」という信念の強さ。やるべきことをやれば、変えられないことなどない。そう信じる心。

もうひとつは「他人の評価や自分に向けられた感情によって影響を受けない」という点である。世間から「善い人」と思われようとして、既成の秩序を壊すことなどできるはずもない。孫の言葉を借りれば「人の目を気にして生き方を変える必要も、有頂天になる必要もない」という思い定めが、革新者には必要なのだ。

その記事の著者(「 」内は記事より引用)は、そう解説していた。

上記の2点に照らし合わせると、前者もさることながら、僕は「後者」の資質が大きく欠けている。

最近、そのことを改めて感じていたこともあり、この記事は僕の心にストレートに入ってきた。

妻がつい先日、とある会話の中で「音楽の世界では、よほど図太くない限り、成功することはできないよ」と言ってたが、音楽に限らず、成功する保証がなく、確率的には「芽が出ずに終る人が圧倒的に多い仕事」を職業に選んで生きていくには、「自分を信じる強い心」がなければ無理だろう。

僕は28歳で起業して以来、最後の最後は精神力だと思うようになったが、僕には、その「精神力」が欠けている。

では何故、精神力なり「強い心」が持てないのか?ということになるが、それは「失敗する」ことが怖いからであり、失敗することによって生じる「社会の評価」を気にしているからである。

「相田みつを」が、「男が仕事をする時には、常に『捨て身』でなければだめである。捨て身とは、何も欲しがらぬことである。そんとく、勝ち負けという、人間の物さしを捨てることである」と書いているが、そのとおりだと「思う」。

そして「思い」はしても、本当にそれを「実践」するには、それ相応の「勇気」がいる。

「みんなから愛されたい(評価されたい)」と思うから、誰からも愛されないのである。

「個性」が強いほど「敵」もできるし、むしろ、その方が強固な支持者がいるとも言える。

無いものを強請るより、あるものに感謝した方がいい。

ゴルフで言えば「ボギーでいい」と思えた時の方が、良いスコアが出たりする。

結果を欲しがらず、プロセスに集中することが、結局は結果に繋がるということだ。

「人生はすべて必然」であり「人生には勇気と自信が必要だ」。

「生保レディ」の服装の話から「国母選手」と「全日本スキー連盟」の話を経由して「ソフトバンクの孫さん」の話に発展し、最後は自作の「座右の銘」で恐縮だが、そんなことを考えた47歳の誕生日だった。

ところで、35歳になった時、「20歳から今日(35歳の誕生日)までの時間がもう一度やってくると、『僕は50歳になる』という事実に気がつき、目の前に『砂時計』を置かれた心境になった」という話を何度か書いたことがあるが、その「50歳」まで、あと「3年」となった。

「人生は短い」。

「時間という資源」ほど厄介(貴重)なものはない。目に見えないし、保存することもできない。

by Peter F. Drucker

「羊」でいる代償は「退屈」。「狼」でいる代償は「孤独」。

日本は一年の節目が2度ある。

ひとつはお正月。もうひとつは4月。

そして、3月末から4月中旬にかけて、日本列島を「桜前線」が北上する。

別れの季節でもあり、出会いの季節でもある。

今朝、桜の名所のひとつ、千鳥が渕に立つ「武道館」の前を通ったら、東洋大学の卒業式の看板が出ていた。

彼・彼女達は、どんな気持ちで4月1日を迎えるのだろう?

ところで、ライブレボリューションの増永さんが、ご自身のブログで、某経済紙の社説にクレーム?をつけていた(3月18日付け某経済紙の社説のことと推察)。

彼はブログだけでなく、Twitterでも同様な趣旨の発言をしており、彼の主張は以前から目にしていたが、日本社会の「年度末」にあたり、僕なりの考えを書いておこうと思う。

増永さんの主張は、以下のふたつに要約される。

「年功序列(の賃金制度)は是」。
「人材の流動化ではなく、業態転換がし易い仕組みを考えるべき」。

最初の「年功序列」の「是非」については、まず「言葉の定義」を明確にする必要がある。

これが違っていると、議論は噛み合ない。

日本には「年季が入る」という言葉がある。

何事も「一流」になるには「修行」を積む必要があり、ある程度の「年月」が必要ということだ。

Yahoo! 辞書を引くと「長い間、修練を積んで確かな腕をしている」と書いてある。

つまり「年功」とは「年季が入った」ことであり、「年功序列」は何ら問題はない。

問題なのは「加齢」序列であり、入社後の「時間の経過」序列である。

僕はちょうと1週間後、またひとつ歳をとるが、そのことと僕の能力の向上は同義ではない。

また「年功?」序列とセットで語られる「終身雇用」であるが、これは、働く側に「安心感」を提供することを目的としたものであり、「来月の給料を心配せずに、とにかく仕事に励んでくれ」というものだろう。

これも、それ自体は悪くない。

僕だって、いつクビになるか分からない状態では安心して働けないし、それでも平然としていられるほど図太くはない。

問題は周知のとおり、「能力の向上カーブ」と「給与の支払いカーブ」のギャップにある。

またまた僕の好きなゴルフの例えで申し訳ないが、100を切ったり、90を切ったりするあたりまでは「努力」に比例して伸びていくが、それ以上のレベル(70台)に行くためには相当な努力が必要であり、「投下努力(練習時間)」に対する「技術向上(スコア向上)」の「効率」は極端に悪くなる(と思う)。

要するに「能力は頭打ち、アウトプットも頭打ち(場合によっては下降気味)でも、給与は伸びて行く」という仕組みに問題がある。

こんなこと、僕がわざわざ書かなくても、みんな分かっている(笑)。

つまりは「既得権」を「手放したくない」という人達がいるということである(まあ、みんなそうと言えばそうだ)。

さらに言えば、これもみんな分かっていることだ。

では、どうすればいいか?である。

僕は「解雇規制」を緩和すべきだと思う。

僕はここ一年ぐらいで、今まではあまり接点が無かった大企業の中高年の方々とお会いする機会が出てきたが、そこで実感したのは、元来は優秀なのにも関わらず、社内に「仕事」がないのか?あるいは上司に嫌われたのか?は別として「窓際の憂鬱」を余儀なくされているうちに、失礼を承知の上で申し上げると、もう手遅れと言ってもいい状態になってしまっている人(恐らく少なくない数の方々)がいるということである。

そうなってしまった理由は色々あると思うが、今までの日本社会は、過去の延長線上で何とか「パイ」の拡大ができており、社員を「労働生産性の低いまま」にしておく余力があったことと、若い働き盛りの有能な従業員を囲い込んでおくために、10~20年満期の「約束手形」を発行してきたということだろう。

そして、「企業年金」というポータブルではない仕組みも、人材の流動性を阻んでいるひとつだろう。

これは、産業構造がドラスティックな変化をせず、線形な成長が見込める時には、極めて有効に機能した「雇用戦略」だったのだろう(僕はその恩恵に被ったことがないので皮膚感覚はない)。

しかし、そのシステムは完全に制度疲労を起こしており、騙し騙しいくのも、もう限界である。

そこで、次の「人材の流動化ではなく、業態転換がし易い仕組みを考えるべき」という命題が必要になる。

ここで議論になると思われるのは、「企業が新しい分野に進出する祭に、既存の従業員で取り組むことができるか?」という点である。

ソフトバンクが、ソフトウエアの流通業からネットビジネスへの投資業にシフトし、自らもブロードバンド事業を始めて、気がつくと「携帯電話」事業者になっている。

ソフトバンクの場合、M&Aでの事業拡大や事業転換を行ってきているので、この問いの事例としては適さないと思うが、そのダイナミックな変化を既存の人間だけでドライブできるだろうか?

もちろん、ある程度は対応可能だと思うが、但し、非常に「優秀な人達」であれば、という条件がつく。

大多数の人々にとって「変化は痛み」を伴うし、ある程度の「年季」を経て、ようやく、それなりの仕事ができるようになってから、まったく畑違いのことに挑もう(挑める)という人は、そうそういないのではないだろうか?

そう考えた時、僕は「そのゲームに必要な人材を社外から連れて来る」必要があると思う。

そこで「人材の流動性」が必要になるわけだが、日本では「様々な要因」で、それが阻害されている、というのが社会的なコンセンサスだろう。

僕も、そう思っている。

しかし、この場合は「逆もまた信なり」とはいかない。

つまり、人材が流動化しさえすれば、今の日本社会の閉塞感は解決するか?というと、そうは思えない。

それ以外に、教育の問題、税制の問題、行政の問題等、様々な問題がある(この話をすると、ただでさえ長いエントリーがさらに長くなるので今日は割愛)。

ここが悩ましく、難しいところである。

さて、話を「解雇規制」に戻すと、僕は今までに何度か、経営者として「解雇」をしたことがあり、日本の法律がいかに「労働者」保護を前提としているかを身を以て学んだ。

「法律」というものは常に「事実の後追い」なので、ドラッガーの言う「既に起こった未来」を反映してはいないし、そうなることはない。

産業史を専攻したわけではないので詳しいことは知らないが、以前は「経営者=資本家」であり、明確に「労使」という構造があったと思うが、今の経営者(ここでいう経営者は、大企業なり一部上場企業の経営者)は、一部の創業経営者を除けば「サラリーマン経営者」であり、今や純粋な意味での「労使対立」はない。

また「知識労働者」の社会になると価値の源泉となる「資本」は彼らの頭の中にありポータブルとなり、「資本家=知識労働者」という構図である。

その上で、どうやって「優秀な人材」を「自社に繋ぎ止めておけるか?」が、経営者の仕事である。

そして、現代社会のように「産業の盛衰」サイクルが短い時代においては、「労働力」という観点において社会が「フレキシブル」であることが「競争優位」の条件のひとつだと思う。

また、「社会的価値(効用)」を生み出すことが「企業の存在意義」であり、僕はそれを達成するために「雇用」があると思っているので、雇用を守ることや生み出すことが、企業なり経営者の使命だとは思わない。

「雇用」を生み出すのは「産業」であり、その「産業を創る」のが「起業家や事業家」である。

そういう意味では、結果として、起業家・事業家・経営者は人々を雇用する。

そして、起業家・事業家・経営者は労働者から「選ばれる対象」であり、僕は両者はフェアな関係だと思う。

但し、経営者は「どんな『未来』を実現しようとしているのか?」を明確にし、その船に乗ることが、自分の人生にとって「有益(幸せ)」かどうかを判断できるようにする責任を負っている。

そして、ここで言う「未来」の定義は「創造したい社会的価値(効用)」であり、それによって「どんな社会を実現したいのか?」が人々が自分が働く場所を選択する物差しになるし、そのアウトプットを最大化することが、その企業で働く人々が「物心共」に満たされることに繋がるはずである。

また、パイの拡大が困難な状況で「解雇規制」が厳しく、社会慣行としての「終身雇用」が残ると当然、若者の「椅子」は少なくなる。

加えて、失業リスクの低い人(正規雇用の人)が「失業保険」に入ることができ、失業リスクの高い(非正規雇用の人)は失業保険に入れない(セイフティネットがない)ことも、大きな問題のひとつではないかと思う。

この辺は、城繁幸氏の著作に詳しいので、興味のある方は、そちらを読まれたい。

最後に、そもそも、起業したことも、会社の経営もしたことのない人間が、「雇用」というテーマで、どれだけ示唆に富んだ論説ができるのか?という疑問も残る。

以上が、増永さんがクレームをつけていた某経済紙の社説に対する僕の感想と考えである。

もうひとつ、これは「制度」と「価値観」の問題になるが、日本社会というのは、アスリートやミュージシャン等が「サクセス」をすることは応援するにも関わらず、いわゆる通常のビジネスの世界での「成功者」を出そうとはしていないように思う。

僕の言葉で言わせてもらえば、日本社会というのは「ナローバンド」を善しとし、「ブロードバンド」な生き方を善しとしない傾向があるように思う。

つまり、「はみ出るなよ・・・」という暗黙の価値観が横たわっているように感じるということである。

ところで、とある「歳の離れた友人」が、「ホンダ技術研究所」で「エアバッグ開発者」をされていた「小林三郎(64歳)」氏から聞いた話を教えてくれた。

それが、今日のエントリーのタイトル、

「羊(ものまね)でいる代償は退屈、狼(クリエーター)でいる代償は孤独」

である。

上手いことを言う人だなと思った。

「孤独な狼」でいるには「勇気と自信」が必要だ。

また、同氏は「長期の研究を支えるには自分のコンセプトが不可欠。反対が多く、目標と方向を定めていないと、ぐらつく」とも言っていたらしい。

身につまされる話である。

そして、「あなたの人生(の目的)は何か?」とも。

「皆さん、ここがないんだよ。戦略的に生きてない。あなたの人生なんだから。年に2-3回考えてもいいじゃない、変わってもいいしね。そういうことを考えると自分が自立してくる」。

人生は人それぞれであり、「千差万別、多種多様」である。

「社会の物差し」ではなく、これからも「自分の価値観」に則った「成功」を目指す「生き方」をしていきたい。

そして、「主体性と多様性」に基づいた「生き方」を許容する「懐の深い」社会になることが、もう一度、日本が世界で輝くための「必須科目」だと思う。

「10年の歳月」と「一夜限りの再結成」と「経営理念」。

昨夜は、僕たち「インタースコープ出身者(関係者)」にとっては、文字どおり、記念すべき一夜になった。

年度末で多忙を極めているところに生憎の悪天候が重なったにも関わらず、既に法人としては存在していないインタースコープというベンチャー企業の「一夜限りの再結成(10周年)」に、50人もの仲間が参集してくれたことを、とても光栄に思ったと同時に、そういう仲間と仕事ができたことを改めて幸せだと思った。

みんな当時とあまり変わらず、とても元気な表情で楽しそうに談笑している姿を見ると、あまり時間の経過を感じれられなかったが、当時は20~22歳の学生だったインターンの面々が30代を迎えている事実を知り、10年という歳月の重みを実感した。

もう父親や母親になっている人もいる。

また、「パラダイス鎖国」なる著作がヒットするほどに萎縮している今日の日本だが、インタースコープOBOGの何人かは、海外で仕事をしたり暮らしたりしており、グローバルに活躍していることを誇りに思う。

その一方、それ程に優秀な人材を惹き付けていたインタースコープというベンチャー企業を、今日まで存続させることのできなかった僕や山川さんの不甲斐なさを感じもした。

それでも集まってくれた仲間には、心からお礼を言いたい。

当時とはお互いの立場と関係は変わったが、それぞれの人生において、「科学的アプローチと徹底した人間主義により、新たな社会的価値を創造する」というインタースコープの経営理念を実践していってくれたら、創業者として、それほど幸せなことはない。

そして、いつの日かOBOGの中から、インタースコープを超えるベンチャー企業を創業する人が現れることを期待したい。

僕もまだまだ頑張ろう。

そんな想いにさせてくれた「一夜限りの再結成」だった。