Social Graph(人間関係と意訳しておこう)。

今週は、とてもよく働いた。

ベトナム出張から帰ったその日に伯父の告別式に参列するなど、かなりハードなスケジュールのまま今週月曜日に突入したが、不思議なことに、身体も頭(集中力)も何とか持ち堪えられた。やはり、気持ちの持ちようなのかもしれない。

ところで昨日は「Social Graph」等のウェブの最新概念&技術がテーマの、ゼロスタートコミュニケーションズ主催のセミナーに参加した。

ウェブ関連の仕事をされている方以外には関心の無いテーマだと思うのでセミナーの内容は割愛させていただくが、「類は友を呼ぶ」ということなのだろう、本籍デジタルガレージで現在はCGMマーケティングの佐藤さんと旧インタースコープ(現ヤフーバリューインサイト)の久恒整に会った。

この手の新しい技術やトレンドをキャッチアップしようというところが、3人の共通点だろう。もっとも、エンジニアである佐藤さんは、このセミナーに参加せずとも、内容は充分に理解されていると思うが・・・。いずれにしても、ふたりとも、とても元気そうだった。

話しは変わるが、同じ日に、ヤフーバリューインサイトの旧インタースコープ社員に電話をした。ある仕事を紹介するためだ。

さすがに、誰が出るか分からないので、「ドリームビジョンの平石と申します。○○さんは、いらっしゃいますか?」と電話をしたが、自分が創業した会社(正確には半分)に、そのように他人行儀な電話をするのは、何とも妙な気分だった。

電話に出たスタッフに「羨ましいよ、日本で最もイケテル東京ミッドタウンで働いててさ!!」と言ったところ、「なに言っているんですか、(私たち)見捨てられちゃってさ!!(笑)」と言う返事が返ってきた(考えてみると、この日本語は「馬から落馬」だが、よく使う表現だ)。

確かに、僕が選択した事実だけを見れば、そう思われても仕方ない。でも、こうして、冗談で話しができる関係でいられることは、とても幸せなことだ。感謝している。

ところで、ネットライフ企画の岩瀬さんのブログで、僕のことが紹介されいた。それを機に、僕のブログに読者登録をする人が何人かいて、改めて、彼の影響力の大きさを知った。

彼のブログに書いてあったことだが、「どの世の中でも、変革を促す原動力となるのは、新規参入」と、ネットライフ企画社長の出口氏は言っているという。

また、早稲田のビジネススクール教授の山田英夫氏の著書「逆転の競争戦略」には、「業界破壊者:代替品・サービスによって、業界そのものを破壊してくる企業(機能を同一とした別次元の代替品・サービスによってリーダーを攻撃してくる企業である(例:CD→音楽配信サービス)」と書いてある。

そう言われてみると、インタースコープ(インターネットリサーチ)もウェブクルー(保険スクエアbang!)も、「インターネット」を活用することで、既存の業界を破壊しようとした企業である。

ネットライフも、そのひとつになっていくだろう。是非、頑張って欲しい。

さて、今日のエントリーの最後のテーマは、アップルコンピュータ共同創業者の「Steven Jobs」氏の有名過ぎるスタンフォード大学の卒業式でのスピーチだ。

英語でも日本語でも読んだし、映像も見たことがあるが、元インタースコープ社員で現在はデジタルガレージ社員の山崎富美さん(最近は、JOI=伊藤穣一氏と一緒に仕事をしているらしい。彼女は、英語もほぼ完璧で、JOIのマネジャーにはうってつけだろう)がMIXIにアップした映像で、改めて、そのスピーチを見た。

元アップルコンピュータ日本代表の前刀さんやアップルでの勤務経験がある旧インタースコープ社員の某女性、そして、アップルのカンファレンスの演出等の仕事をしていたことのある親友の佐藤裕氏の話しを総合すると、ジョブスという人間は、かなり傍若無人というか、我侭というか、自己中心的な人だということが伝わってくる。それでも、はやり、彼のカリスマ性というか人間的魅力は、人を惹き付けるものがある。

さて、脈絡の無いエントリーになったが、要するに、今日のエントリーで書いたような僕の人間関係や興味関心事を、複数のSNSやソーシャルメディア(個人を識別できるサイト)間で「共有(僕に関するデータがポータブル)」できることが、Social Graph の概念であり、Open ID、Open Social等の技術である。

ウェブの世界は、とてもおもしろい。

「血縁」の意味するもの。

23(土)のエントリーで伯父が亡くなったことを書いたが、ベトナムから帰国した22(金)の昼過ぎから、告別式および初七日の法要に参列した。その後、18時半頃に会社に行き、雑用を済ませて帰宅。さすがに疲れた。

そんなスケジュールだったので、22(金)は、22時には就寝した。

翌土曜日は、子供を保育園に送った後、午前中は「赤ちゃん本舗」に買い物に行き、午後は、行きつけのセラピア(整体)が昨年の秋に出した帝国ホテルの店舗で整体を受けた。

23(土)のエントリーは、その前後に書いたものだ。

ところで、日曜日は、告別式のために急遽帰国した叔母の家に、子供を連れて遊びに行った。彼は、その叔母を「プッシュのおばさん」と言ってなついている。彼女は日系アメリカ人と結婚したので、現在はロスに住んでいる。

しばらく、叔母の家で過ごした後、亡くなった伯父の奥さんであり、僕の妻の実の伯母の家を訪問した。既に80才を超えており、永年連れ添った夫を亡くし、これからが心配である。

その伯母の家で、昔の写真を見せてもらった。

妻の母は、その伯母(長女)を含めて6人兄弟だが、その内の4人が女性で、4人とも、とてもキレイだ。その中でも、長女である伯母は最も美人だ。若い頃の写真は、女優のようだった。

ところで、その伯母の家で昔の写真を見ながら、ふっと、こんなことを考えた。

僕らの子供は、伯母たちと血が繋がっており、伯母たちの両親とも血が繋がっている。現在を起点として、過去まで繋がっているのである。

当たり前のことと言えばそれまでだが、なぜか、そのことがとても不思議で且つ神聖なことのように思えた。

僕と妻は、そもそもは赤の他人であるにも係らず、僕らの間に生まれた彼は、僕とは血の繋がりのない母親(妻)の「先祖」と血が繋がっているのである。

その「命の絆」が、とても不思議に思え、そして、とても重たい(大切な)ことだと言うことを改めて考えた。

そうやって考えると、この僕も、両親ふたりは他人であるにも係らず、その両親の先祖と「血が繋がっている」のである。

亡くなっていった「命」を前にして、こうして生きていること(命)の大切さと神聖さ(深さ)を、初めて認識したような気がした。

改めて伯父の冥福を祈りたい。

ベトナムから帰国。

現地時刻「22(金)00:05」ホーチミン発のフライトに乗り、同日の朝「07:30」に成田に到着した。

とても混んでいる便で、中央5列席のなんと「真ん中」の席だった。トイレが近い僕にとって、6時間のフライトでその席はちょっと辛いものがあったが、時間帯が夜中(機中泊)ということもあってか、結果的には軽食後にトイレに行っただけだった。

ところで、19(火)朝09時過ぎ、成田でチェックインを済ませた数分後、妻から携帯に電話があった。妻方の伯父が亡くなったという知らせだった。告別式は、ベトナムから帰国する日(22)の12:30とのこと。

今までの僕の人生は、波瀾万丈というか起伏に富んだものだったが、どうやら、それは今後も続きそうである。

実は、23(土)のフライトで帰国する予定だったのだが、その日のフライトが取れず、仕方なく、22(金)にしたという経緯がある。

伯父には、妻の父親が介護病院に入院していた時、とてもお世話になり、また、伯父夫妻が父のお見舞いに行っていた時に、父の容態が急変し、最後を看取ってもらったということもあり、23(土)のフライトが取れなかったのは、何かの「縁」だったのかもしれない。伯父の冥福を祈りたい。

さて、初めてのベトナム出張は、とても有意義だ���た。自分自身のためにも、今回の出張で得たことを整理しておこうと思う。

まず、ベトナムという国の基本知識から。

正式な国名は、ベトナム社会主義共和国(Socialist Republic of VietNam)。僕はベトナムが社会主義の国であることを、初めて知った。

というよりも、今回のベトナム訪問まで、ベトナムのみならず、タイ、ラオス、カンボジア、マレーシア、シンガポール等の東南アジアの国々がどのような政治体制の国なのか?そもそも関心が無かったし、中国とロシア、そして、旧東欧の国々以外は、すべて資本主義の国(なのだろう)という観念を持っていた。

お恥ずかしい話しであるが、そのこと知った(関心を持った)ことだけでも大きな収穫だったし、世界、特に、発展途上国に対する「関心」が増したことは、今後の僕の人生において、大きな転換点になるような気がする。

ベトナムの面積は、日本の約90%。人口は「8,312万人(2005年時点)」。今は、もう少し増えているだろう。

人口の増加率もさることながら、注目すべきは、人口の約60%が「30才以下」の人たちで構成されていること。生産人口が激減していく日本と較べると、驚異的な人口ピラミッドである。

首都は「ハノイ」で、人口は約300万人。旧サイゴンの現「ホーチミン・シティ」は、人口約600万人の大都会である。

また、ハノイとホーチミンでは、都市としての性格がまったく異なる。

「ハノイ」はベトナムの北にあり、四季もあって冬は寒いせい。また、中国と陸続きであることから中国の影響を強く受けており、何となく「重たい雰囲気」がする街である。

一方、ホーチミンは、緯度のとおり「南国」であり、この季節でも人々は半袖である。また、フランスの植民地時代があったこともあり、雑然とした街並みにも、どこかエスプリが効いた感じがする。

今回、ベトナムを案内していただいた武田さんと猪瀬ルアンさん(元々はベトナム人で、日本に帰化されている)の説明によると、ホーチミンの人々の方が、社交的であり、開放的だという。

ガイドブックを見ながら、主要なエリアを歩いてみたが、たしかに、ホーチミンの方が、街のエネルギーを感じるというか、ダイナミックな感じがした。

さて、次は、ベトナムの経済について。

通貨は「ドン(Don)」。10,000ドン=約70円

観光客が入るような、そこそこのレストランで食事をしても、ひとり「10~15ドル(1,100~1,650円)」ぐらい。

因みに、現地の人の月収(一般庶民)は、約10,000円ぐらいらしい。

それにも係らず、ベトナムでは普及価格帯でも3~5万円、高機能のものになると10万円ぐらいする「ケイタイ電話」が飛ぶように売れているという。

また、物凄い数のバイク(日本でいうスクーター)が走っている。夕方の帰宅時は、道路全面がバイクで溢れかえり、まるで洪水のようである。バイクも廉価版が4~5万円で、高性能なものは10万円ぐらい。

いったい、どうやって買っているのか?

ガイドブックよるとベトナムの経済規模(GDP)は、日本の「1/100(約5兆円)」。因みに、僕の試算だと「約6兆円(1/83)」。ひとり当たりGDPは「約700ドル(約77,000円)。

但し、ベトナムの「実態経済」に占める「約1/3」は海外からの「送金(出稼ぎ資金)」らしい。

そんなことで、発展途上国によくあるパターンで、表には出て来ない経済が結構あるということだろう。上海と較べると僅かな台数だが、それでも、BMWやメルセデスベンツが走っている姿を時々見かけた。

また、ベトナム経済の発展を象徴するように、ホーチミンにできた株式市場はかなりの盛り上がりを見せているらしいが、今のところ、キャピタルゲイン課税はないとのこと!!! 値上がり著しい「株」や「不動産」で儲けた億万長者が結構いるらしく、日本円にして「2~3億円」もするような高級マンションを「キャッシュ」で買うベトナム人がいるという。

「不動産」に関していうと、韓国や台湾の資本がかなり購入しているらしい。日本企業は何故買わないのか?というと、土地の「使用権(日本でいう定期借地権で50年が一般的らしい)」に関する「登記」がかなりいい加減で、ひとつの土地に、自分が持主だと名乗る人が複数いることも珍しくないことに躊躇しているからだという。

どこかの国の「年金」ではないが、政府の管理がいい加減で、ある期間に「使用権」を与えた人、また別の期間に使用権を与えた人など、オーバーブッキング状態になっているのが原因らしい。

逆に、では何故、そのような状態にも係らず、韓国や台湾の企業は、ベトナムの不動産投資をしているのか?

そのリスクも織り込んだ上で、そ���でもリターンが期待できる歴史的タイミングと判断し、トップダウンで意志決定をしているからだそうだ。

ここにも「リスクを取りたがらない=失敗すると敗者復活がない組織社会」という日本の構造的欠陥が垣間みれる。国際社会で影が薄くなるはずである。負けるべくして、負けている。悔しいのは、僕だけだろうか?

今回のベトナム訪問で僕が学んだことが、概ねこんなところである。

さて、経済やビジネスの話しではないが、もうひとつ、僕がベトナム訪問で感じたことがある。

それは、ベトナムという国は、過去何十年にも渡って、外国からの「侵略」にあってきた国だということである。

ベトナムというと、多くの人が「ベトナム戦争」を連想すると思うが、ベトナムの歴史を遡ると、フランスの植民地支配や中国の支配等、様々な「侵略」を経て今日に至っている。

今ではカップルの憩いの場所になっているらしい、ホーチミンの街を流れるサイゴン川沿いの通りを歩きながら、今から30年前、この街が戦火に塗れていたのかと思うと、何とも言えない気持ちになった。

街中には当然のことながら子供の姿も見受けられ、その子たちの顔を見ながら、彼らにとって幸せな未来が訪れて欲しいと思った。

戦後の時代に生きる僕たちは、幸せである。

ところで、僕もよく知る某ベンチャー企業のCEOが、頻繁にベトナムを訪れているらしい。

彼はリスクを取る人であり、彼なら思い切った先行投資をするだろう。

そういう日本人が、もっともっと出てきて欲しい。

追伸:高級ブティックが立ち並ぶホーチミン・シティであるが、街中で時折り見かける「黄土色の軍服」のような制服を着た警察官の姿を見ると、ベトナムは「社会主義の国」だということを認識させられる。カントリーリスクを感じさせる光景である。

★ホーチミン・シティ

ハノイを昼頃に発ち、15時頃にホーチミンシティに到着。こちらは、ハノイと違い南国である。街の赴きが随分と違う。

ガイドブックのお勧めコースに則って繁華街を散策した後、日本アジア投資のオーチミンオフィスの方と会い、こちらの事情を伺った。

やはり、物凄い経済発展を続けているらしい。引き続き、ウォッチしたい。

これから、武田さんたちと食事をし、いよいよ帰国である。

無事に帰国できるまで、慎重に。

★ハノイの街。

ベトナムと日本との時差は「2時間」。日本の方がベトナムより「2時間」早い。

今朝はベトナム時間で「5時」に目が覚めた。日本の「7時」である。

子供がいつも6時から7時に起きるので、自然と7時前後には目が覚めてしまう。

さて、今日の日中は、武田さんたちは通常業務があるので、僕は初めてのハノイでひとりで過ごすことになった。正直、心細いが仕方ない。

僕は、初めての土地が苦手なわけではなく、今までも色々なところへ行ってきたが、「言葉が通じない」ことに、とても不安を覚える人間である。

街中の標識には英語が殆ど無い。ベトナム語はまったく分からないし、地理もまったく分からないし、自己防衛本能が発達しているせいか、心配性というか神経質というか、タクシーに乗っても、遠回りをされるのではないか?とか、不当な料金を請求されるのではないか?とか、とにかく心配で仕方がない。

また、発展途上国の常なのか、通りを歩いていると、やれ、タクシーやバイクタクシーやシクロという人力車のような乗り物などの運転手が、とにかく、声をかけてくる。それも大の苦手でストレスを感じる。

昨年の3月に行った「上海」では、声をかけて来る人はいなかったのと、大谷さんと一緒だったこともあり、言葉の心配も、街の地理の心配も無かったが、こうして、初めての「国」にひとりで来ると、言葉が通じたり、地理に不安がないことが、どれほど「ありがたい」ことか、そのことが痛いほどよくわかる。

日本人に生まれたこと、そして、今の日本に生まれたことが、どれほど幸せなことか、そのことに改めて感感じた。感謝をしなければと思う。

因みに、当社の松本というスタッフは、2001年から2003年頃まで「上海」に住んでいたのが、言葉も話せないまま上海に渡り、現地で仕事をしていたわけで、その精神力は凄いと思う。僕には、とても出来ない芸当だ。

さて、明日は、ハノイからホーチミンへ移動である。

日本アジア投資(JAIC)の新家さんのご好意で、JAICの現地オフィスの方とお会いすることになった。

段取りが悪い僕は、「そういえば、ベトナムにもJAICのオフィスがあるのでは・・・」と思い、ハノイに来てからメールをしたにも係わらず、現地の方をご紹介いただいた。

現地の方も、急な話にも係わらず、貴重な時間を頂けるとのことで、感謝にたえない。

もっと「計画性」を持たなければと思う。僕の欠点である。

44歳にもなって、今さら直らないかもしれないが・・・。

初めてのハノイ。

昨日、現地時刻の15:00、無事にベトナムはハノイに到着。

緯度的にはかなり南のはずだが、東京の11月下旬から12月初旬ぐらいの気温だろうか?思ったよりもかなり寒い。

さて、今回のベトナム訪問は、リクルート出身の武田さんという方が経営する株式会社アストミルコープのベトナム現地法人である「JV-IT Co.,LTD」のオフィスを訪ねることが主目的である。

武田さんとの出会いと彼のビジネスを簡単に紹介したい。

彼とは、僕がインタースコープを経営している頃、経済産業省の音頭で立ち上げられたドリームゲート(起業家輩出プロジェクト)で知り合った。

武田さんは以前、ドリームゲートの運営を行う株式会社プロジェクトニッポンの社長である松谷さんがリクルート時代の部下だったそうだが、リクルートを辞めてフリーランスになっており、ドリームゲートの仕事を手伝っていた。

そのドリームゲートの「鞄持ちインターン」プロジェクトのコーディネーターとして、インタースコープのオフィスを訪ねて来られたのが、そもそもの出会いだった。

彼は当時からベトナムに注目しており、既に、エンジニア育成やオフショア開発の事業立ち上げに取り組んでいたが、当時の僕には、そのことの意味や事業としての可能性は分からず、彼が何をしているのかも、よく理解していなかった。

しかし、人生や人の縁というのは不思議なもので、昨年の3月、インフォプラント創業者の大谷さんに連れられて上海に行って以来、また、BRICsやVISTA等が注目されだしたことにより、僕も遅まきながら「東南アジア」に興味を持ち始めていた矢先に、あるセミナーで「ベトナムのエンジニア育成事業」に関する武田さんの講演を聴いた。数年ぶりの再会だった。

そんなことで、東京とベトナムを行き来している彼のスケジュールに合わせて、こうしてベトナムにやってきたわけである。

さて、昨日は単身ベトナム空港に降り立った後、タクシーに乗り、ハノイのホテルに向かった。

会社に電話をしたり、ネット接続を確認し、メールのチェックをしたりした後、彼の会社にお邪魔した。

ベトナム出身で日本に帰化した猪瀬ルアンさん(JV-IT Co.,LTD社長)とお会いし、彼らの事業の話しを伺い、ベトナムの現状について詳しい話を伺った。

事前にガイドブックで読んで得た即席のベトナムに関する知識をもとに、あれこれと質問をし、ベトナムに対する理解を深めた。

そのあたりのことに関しては、改めて書くことにする。

今日は、これから、ハノイ市街を散策する予定である。自分の五感で、今のベトナムを理解したいと思う。

金曜日の妻たちへ。

1983年。僕が大学生の頃、「金曜日の妻たちへ」というTBSの連続ドラマが大ヒットした。

主な出演者は、小川知子、篠ひろ子、いしだあゆみ、佐藤友美、古谷一行、板東英二、竜雷太など。

ラグジュアリーカーというカテゴリーが全盛だった時代で、番組の中でホンダのプレリュードが使われて、人気を博していた。

先週末の日経新聞の別冊「THE NIKKEI MAGAZINE」で、第4の山の手となった「たまプラーザ」に代表される田園都市線沿線の特集を組んでいた。懐かしい思いにかられて、その特集を読んだ。

当時は、テレビドラマの影響もあり、人工的且つミーハー(表層的)なイメージが先行した同エリアだが、あれから「四半世紀(25年)」が経った今、それ以前からの住民と新しい「古い住民」が一緒になり、新たな関係を築いているという。

当時20才だった僕は、来月で「45才」。

「産みの母」が亡くなった年齢になる。

人生の時間の流れを感じる。