久しぶりの「夫婦喧嘩」。

昨晩のことだが、久しぶりに妻と口論になった。原因はいつも決まっている。子育てのことだ。

この3連休は昨年末の「ノロウイルス?騒ぎ」に続いて、子供→妻→自分自身という順番で体調を壊したことは先日のエントリーで書いたとおりだが、昨日は、僕の具合が悪く、妻は治りかけ、という状態だったため、僕にとっては「(今日は)これ以上、僕は子供の面倒は看れないよ・・・」という精神状態で、妻にとっては「(私だってまだ具合が悪いのに)平石さん(僕のことをそう呼ぶ)は、(子供の面倒を看ずに)なぜ、新聞を読んだり、本を読んだり、ブログを書いたりしているわけ・・・」ということになり、思わず、僕の方から文句を言った。

ブログはさておき、新聞を読んだり、本を読んだりしているのは、僕にとっては趣味でも娯楽でも何でもなく、仕事の一環であり、将来に向けての「INPUT」であり、具合が悪くても、また、そういう時に限って、何かしていないと不安にかられるという性分もあり、ついつい、そちらに気が行ってしまう。

具合がいい時は、子供を連れて出掛けたり、家の中では一緒に遊んだりと、自分のことは何もできないので、こういう時ぐらい・・・と思ってしまうわけだ。

しかし、昨日の妻は、今日が「修士論文」の締め切りということもあり、Kinko’sに印刷に行ったり、その間も色々と準備をしたりで、とにかく、精神的に余裕がなかったのだろう。

口論なり夫婦喧嘩というのは、だいたい、双方あるいはどちらか片方が精神的に余裕がない時に起こるもので、昨日は、体力的にも弱っており、且つ、精神的にも余裕がなかったわけで、まあ、当然と言えば、当然とも言える。

ところで、僕は2000年にインタースコープを創業してから、昨年末のノロウイルス騒ぎで会社を休むまで、この7年間で「1度も会社を休んだことがなかった」。

それが、年末年始を挟んでこの3週間の間に、2回も会社を休んだ。今日は、午前中は子供と一緒に病院に行き、午後は仮眠を取ったりして、身体を休めていた。

今までの僕には考えられないことだ。

「責任感」という意味では、インタースコープの頃と今とで何も変わらないし、むしろ、今の方が責任を感じている。

すべてのことにおいて僕が最終責任者であり、また、インタースコープの頃と違って何億円もの資本金があるわけでもなく、いつ何時、どうなるか分からない会社なわけで、そういう意味での「緊張感」や「プレッシャー」がある。

でも、僕は、考え方を変えた。

昨年末に「自分はいない方がいい」というエントリーを書いたが、ここ半年から1年ぐらいで様々な経営書を読んだり、実際に自分自身で色々なことを考え、経験してきたことで、僕の仕事は「会社の将来やビジョンを考えること」であり、具体的な「方針を決める」ことであり、その仕事は、会社にいなくても、自宅にいても、どこにいても出来ることだと思うようになり、働き方を変えようと思ったのである。

僕が身体を壊したら、すべてがお終いである。「健康管理」という「責任」を負っているわけだ。

年齢から来る体力の衰えと子育ての蓄積疲労とが重なり、以前のような働き方が出来なくなったというやむを得ない事情があるのは事実だが、経営の神様と言われた松下幸之助さんも身体が弱かったらしいし、物事は万事、塞翁が馬であり、何事も「プラス志向」で考えるようにしたい。

社員のみんなへの手紙。

多くの会社がそうだったと思うが、ドリームビジョンも今日で仕事納め。17時から近所のカフェで「納会兼忘年会」を行った。

インターンや派遣社員、契約ベースの方も含めて、計10名での会食。僕にとっては、今年一年で最も楽しい会合だった。

ところで、僕はその納会に、約1時間ほど遅れて参加した。

今日の参加者全員に、僕の下手な字で手紙を書き、気持ちばかりのプレゼントを会社の封筒に入れて手渡した。その準備の時間を日中に取れなかった。

みんな、とても喜んでくれていたように思う。

ところで、仕事納めで大掃除の今日、僕の人生において、とても大きな影響をもたらしているふたりが、当社のオフィスに訪れた。

ひとりは、インタースコープ共同創業者の山川さん。

もうひとりは、当社の監査役でもあり、僕にとって最初の起業時のパートナーだった堀水。

こういう日に会う人とは、何かの「意味」があるのだと思う。

山川さんとの話しでは、経営とは結局、人間の営みであり、能力云々を超えた「人間力」の世界だということを、改めて確認した。

堀水は、オフィスのすぐ近くから突然に電話をしてきて、予定外の来社だった。

その堀水との会話を通じて、自分でも想定していなかった「構想」が、自分の口をついて出た。

しかし、よく考えてみると、その構想は「概念」としては10年前から持っていたことであり、それが「具体的」なモデルとして、僕の口から出たということだ。

ここ数ヶ月、一生懸命に来期以降の事業を考えてきたことにより、潜在意識にあったことが、堀水との会話で触発されたのだと思う。そして、納会の席で、その話をした。

また、企業理念に関しても、僕の「想い」はそのままに、もっとシンプルで分かり易い表現はないかと考えてきた結果、数日前に辿り着いたセンテンスを、僕と近い席に座っていたメンバーにお披露目した。

これからも、迷ったり、怖くなったり、躊躇したりすると思うが、最後の最後は「可能性に賭ける」という姿勢を忘れずに、来年は「意識の変化」だけでなく、実際の「現れ」において「変化」を実現したいと思う。

「成功し続ける経営者の条件」。

今日は年末の支払いを済ませた後、新宿のパークハイアットで、ある方とランチをご一緒した。

因みに、まだまだ弱小のドリームビジョンでは経理担当者はおらず、僕が支払い関係も担当している。

ところで、ランチをご一緒した「ある方」とは、彼女が学生の頃に知り合った。

彼女が、ある学生団体の代表をされていた頃、インタースコープの経営者として、その団体が主催するイベントに参加させていただいたことが縁だった。

まだ20代にも係わらず、「人間」という存在に対する深い洞察や「死生観」というものがとても発達しており、逆の意味で年齢を感じさせない人だ。彼女と話をしていると、僕自身が勉強になることが多い。

お互いの生き方や仕事観について話をしたが、お陰で、ここ数日、乱れ気味だった、自分の心を鎮めることができた。

ところで、一昨日の日経新聞の夕刊から、DeNA南場さんのインタビュー記事の連載が始まった。因みに、彼女の前は、チューリップの財津和夫さんだった。

南場さんの記事を読んでいて、改めて、この人は凄い人だと思った。

DeNAが未公開ベンチャーだった頃や公開して間もない頃に、ベンチャー関連のイベントで何度かお会いしたことがあるが、日本を代表するベンチャー企業の経営者となった今は、僕とは生きている世界が違う。

その南場さんは、「私は社内で『私、アホです』ってカミングアウトしっぱなしです。コンサルタント会社の時は、頭が良いふりをする必要がありましたが、事業を始めてみて、そんなことをしても何の得もないことが分かりました」と仰っていたが、言うまでもなく、それは謙遜以外のナニモノでもないだろう。

彼女が「アホ」であれば、世の中の99%は「アホ」になってしまう。

でも、たしかに、彼女は飾りっ気がない。

僕は、マッキンゼー時代の彼女は知らないが、今の彼女は、とても自分に素直に、自然体で生きているのだろう。

さて、その南場さんのお父さんは、新潟(彼女の実家)で事業を行っていたらしい。とても古風で厳格な方だったそうだ。

彼女がDeNAを創めて何年目かのことらしいが、会社は赤字続きで(そのことはベンチャー企業仲間では有名な話だ)、南場さん個人の銀行預金残高が「ゼロ」になった時があったという。

その何年か前に、お母さんが病気で倒れて、その看病で大変だろうと実家に仕送りをしていたそうだが、お金がなくなってその仕送りが出来なくなってしまった時、お父さんからお叱りの言葉と一緒に「200万円の小切手」が送られてきたそうだ。

手元に新聞がないので正確な文章はわからないが、「達成感や成長は、苦労の大きさに比例するので、頑張りなさい」という趣旨のことが、お父さんの手紙には書いてあったらしい。

そういうドラマチックなことが起きることも含めて、彼女の「生き方」というか「存在」は、人々に勇気や自信をもたらしているように思う。

さて、話しは変わるが、ライブレボリューションの増永さんが発行するプレジデントビジョンの今年最終号に、いつもの経営者インタビューに代えて、「成功し続ける経営者の条件」と題して、彼自身の今年一年を振り返っての感想が書いてあった。

「成功し続ける経営者の条件」。

何とも凄いタイトルに物怖じしつつ、ざざっと斜め読みをしてみたところ、彼がインタビューしてきた経営者の方々の中でも成功し続けている方に共通していることは、「経営が好きだ」ということだという。

世の中には、カネや名誉のために事業を興し、経営者となる人がいると思うが、そういう人は、一度、ある程度のお金や名誉を手に入れてしまうと、現場や顧客を顧みなくなってしまうと、増永さんは書いていた。

たしかに、一理あると思う。

では、僕はどうかというと、わざわざこうしてブログで書くまでもない。成功とは程遠い。

そんな僕だが、今年一年を振り返ってみて思うのは、100人の組織から、たった7~8人の組織に戻ったお陰で、経営というものの何たるかを、ほんの少しではあるが理解できるようになったように思っている。

特に、ここ2ヶ月は、会社の現状、将来について、とても悩み、考え、メンバーと議論を重ねてきたが、そのプロセスを通じて、少しずつではあるが、会社としての求心力や一体感が醸成されてきたと思う。

ひと頃のエントリーでしばしば書いていた「Unfinished Business(終っていない宿題)」を、この調子で頑張っていけば、終らせることができるかも?しれない。

またまた話しは変わるが、紀伊国屋書店に電話して取り置いてもらって買ってきた「Voice(PHP)」という雑誌で、「進化するリーダーシップ」と題する、田坂広志さんと増田宗昭さん(CCC社長)、新浪剛史さん(ローソン社長)の対談記事を読んだ。

その記事の最後に「対談を終えて」として田坂さんの論考が掲載されていたが、新浪さんの「夜も眠れぬ日々がある」という発言を紹介して、「その言葉は、企業の進化とは、経営者の心の深化であることを教えてくれる」と結んでいる。

まだまだ会社とは言えない、とてもちっぽけな会社ではあるが、安田・泉谷・松本という、とても個性的で優秀な彼らが、それぞれの能力を存分に発揮し、充実した人生が送れる会社にできるよう、これからも物事を「割り切らず」、むしろ、積極的に悩んでいこうと思う。

ところで、ランチをご一緒した彼女は、「怖いときほど前に出る」と言っていた。

僕も頑張ってみるか?

「自分の心に忠実に生きる」。

先週の木曜日、ノロウイルスのダメージから完全には回復していなかったが、国連WFP主催のチャリティ講演会に出掛けた。

WFP会長でもある伊藤忠商事の丹羽会長が基調講演をされた後、丹羽氏とWFP顧問で元資生堂社長の池田氏、そして、女優の竹下景子さん(WFP顧問)の3人によるパネルディスカッションが行われた。

丹羽さんの講演が「仕事と人生~どう生き、どう働くか」がテーマだったこともあり、「熱い」ものを期待して出かけていった僕には、正直に言って、少々物足りない感があったが、やはり、伊藤忠や資生堂という大企業のトップにまで上り詰められた方の話には、学ぶものがあった。

丹羽さんの言葉で心に響いたのは、「自分の心に忠実に生きる」ということだ。どうしても言いたいことが言えない時は、黙っていると仰っていた。

池田さんは、「友達や一緒に働く仲間の成長や成功を心から喜べるというのは、実はそう簡単ではない」と仰っていたが、これも真実を捉えた言葉だろう。

ところで、先日のエントリーで、2003年末の頃のような雰囲気というか、ワクワク感を感じているということを書いたが、その一方で、本当に上手く行くのか?という不安も隣り合わせである。

特に、僕のような感情人間で尚且つ小心者は、どうしても感情の起伏が激しい。

それは僕の弱点でもあるが、僕の長所にも繋がっているわけで、それを受け入れることが、心の平穏に繋がるのだろう。

さて、今日は数ヶ月ぶりにインフォプラント創業者の大谷さんが来社された。

大谷さんのスケール感の大きさを改めて感じたと同時に、彼は伊藤忠の丹羽さんが仰る「自分の心に忠実に生きている人」だと思った。

素晴らしい人だ。

ところで最近、人を羨ましく思うことがある。そういう心、つまり、他人と自分を比較する心があるうちは、大成しないのだろう。

今さら他の生き方は出来ないし、そもそも他人にはなれないのだから。

今年も残すところ、あと数日。

来年は、45才になる。50才まで、あと5年。

自分に出来ることを地道にコツコツと積み重ねていけるよう、心を鍛えよう。

「マダム・キコ」&「ムッシュ・ヨースケ」

今日は久しぶりにゴルフレッスンに行き、その後、代官山にあるセラピアというリラクゼーションのお店で整体を受けた。

ゴルフレッスンと整体の間に少し時間があったので、わざと回り道をしてドライブを楽しんだ。

僕にとっての初めてのクルマ(BMW Z4 3.0i)に乗っていた頃は、まだ、子供もいなかったし、とにかくZ4を運転するのが楽しくて仕方なかったので、特に理由もなく横浜まで出掛けてみたりと、いわゆるドライブを楽しんでいたが、今のクルマに買い替えて、子供が出来てからは、そういう時間的余裕は無くなった。

そういう意味では、久しぶりに目的のないドライブを楽しんだ。

さて、そのドライブの途中、目黒通りを右折し、山手通りを池尻方面、旧インタースコープのオフィスがあった辺りに向かった。

中目黒を過ぎ、立体交差のところを側道に入り、目黒川の上を通り過ぎる瞬間、何とも言えない感情が沸き上がってきた。

2002年の夏から2007年2月まで、その道を幾度となく通ったが、特に、2003~2004年の、もう一踏ん張りすれば上場できるのでは・・・という頃の、今にして思えば、いい年をして無邪気なメンタリティだった頃のことを思い出した。

とても楽しい時期だった。

当たり前のことだが、もう2度と、あの頃には戻れないし、あの頃のようなメンタリティにはなれないが、そういう時期があったことを、とても幸せに思う。

ところで、山手通りが目黒川の上を通るすぐ近くに、1Fがカレー屋さんで2Fがパスタ屋さんという、ご夫婦で経営されているお店がある。

「マダム・キコ(2F)」&「ムッシュ・ヨースケ(1F)」だ。

僕がインタースコープの経営をしていた頃、ランチタイムに最もよく通ったお店である。

とにかく、おいしい。近くに行く機会があったら是非、足を運ばれることをお勧めする。

僕も、また、何かの機会に行ってみたいと思う。

ところで、ここ最近1~2週間ぐらいだろうか。2003年末の頃のような、何とも形容し難い雰囲気がある。

翌2004年の秋に、僕が創業に携わったウェブクルーが上場し、1991年(僕が起業した年)から始まった「苦労の缶詰」のような僕の人生が報われた時期でもあった。Z4 も、ウェブクルーの株の売却益で買った。

あの頃とは違う、今の僕にとってのステップアップの年に、来年がなったら幸せである。

デューデリジェンス

今日は妻が大学院の関係で遅くなるということで、18時半過ぎに会社を出て保育園に向かった。

自宅に着くと、19時半。

保育園で食事を済ませた筈なのに、食いしん坊の我が子は「パン!」と言って食べ物を要求。好物の黒糖パンを1つ半食べた。それだけは足りないようで、昨日の残りのおでんも食べる。相変わらず物凄い食欲だ。

お風呂に入れようとすると「入らない」と言ってダダをこねる。

「まあいいか・・・」と思って今日は諦めた。

ところで、投資育成事業を始めて、まだ、2ヶ月かそこらだが、ありがたいことに、少しずつではあるが、案件の紹介や問い合わせが来ている。

デューデリジェンスを受ける立場だった僕が、今はデューデリを行っている。何とも不思議な気分だ。今日もある会社の役員の方とお会いした。

投資先候補の経営者とお会いしていると、何故だか分からないが、日本アジア投資の新家さんの顔を思い出す(笑)。

ところで、投資育成事業の目的は、言うまでもなく「キャピタルゲイン」を実現することだが、その過程で、自分が「事業主体」側だったら知り合わないだろうと思われる業種の方々と知り合えることは、とても大きなベネフィットだ。

僕の知識やフィールドが広がるのは、将来に向けて、大きな意味を持つ。

2号案件はどんな会社で、いつになるか?

今から楽しみにである。

海外からのクリスマスカード。

先週から子供に始まり妻が具合が悪くなり、嫌な予感はしていたが、遂に昨晩、僕も激しい嘔吐に見舞われた。いわゆる「ノロウイルス」のようだ。

今日の午前中、掛かり付けの病院で点滴を打ってもらい、だいぶ良くなった。

そんなことで、昨晩は当社の監査役の堀水との会食、今日はALBERT山川さんとのランチ、夜は株主でもある親友の佐藤裕氏との会食が予定されていたが、すべてキャンセルした。残念だし申し訳ないが仕方ない。

年齢のせいもあり、健康(体調管理)には今までに以上に気をつけなければと思う。

ところで、海外からクリスマスカードが届いた。

1通は、ロサンゼルスから。もう1通は、ボストンからだ。

時代はWeb2.0ではあるが、やはり、物理的な手紙は嬉しいものがある。特に、Airmail となると格別である。

僕の感覚が古いせいかもしれないが、こういうアナログ(手間のかかる)な付き合いを大切にしていきたいと思う。

経営も同じだと思う。効率化を推進する中にも、手紙やハガキのような温もりを大切にしたい。