明日死ぬと思って、今日を生きる。

急に、虫の声が大きくなった。雨があがって涼しくなり、虫たちも元気になったのだろう。

明日から、また暑さが戻るようだが、季節が進んだことは間違いない。

ところで、今日は妻方の伯母のお通夜があった。

熱中症のような症状で入院したらしいが、ベッドで寝たきりの生活で一気に体力が弱ってしまったようで、残念ながら、帰らぬ人となってしまったそうだ。

伯母とは、それほど接点があったわけではないが、とてもはっきりした性格の人で、妻方の親戚の中でも、存在感のある方だった。

その伯母のお通夜に参列しながら、この先の自分の人生を考えた。

スティーブ・ジョブスのスタンフォード大学の卒業式でのスピーチを思い出した。

毎日毎日、明日死ぬと思って、今日を生きる。

鏡に向かって、明日死ぬとして、今日の予定は本当に自分がやりたいことだろうか?という自問自答を繰り返して毎日を生きる。

そうすれば、必ず、自分の生きたい人生が送れるはず。

彼は、そう言っている。

50歳まで、2年と7ヵ月。

「ずいぶん遠くへ来たもんだ」と思う反面、「人生は短い」と感じる。

今日の予定は、他人の目や社会の価値基準でははく、自分自身の価値観に則って、僕が本当にやりたいことか?

これからは、その問いを毎朝、自分に向かって投げかけよう。

伯母が僕にくれた「ギフト」だと思って。

「夏らしい夏」。

猛暑が続いている今年の夏も、暦の上では立秋を過ぎ、昨日今日の雨で、東京はだいぶ涼しくなった。

産みの母が生きていた頃、「最も暑いのは梅雨明け後、一週間」と言っていたことを思い出す。

あの頃の僕は、7月が終るのが寂しかった。

さて、今週末はお盆ウィーク。

それが終ると、小学生たちは、宿題が気になり始める頃だろうか?

夜になると、虫の頃が聞こえるようになった・・・。

2010年の夏らしい夏を最後まで楽しみたい。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
★ベランダにとまったミンミンゼミ。

自分自身の心を揺さぶれる何かをしないと・・・。

サッカーファンの間では既に周知の事実だが、カズが43歳5ヵ月12日で、Jリーグ最年長ゴールを更新した!

後半44分からの途中出場で、尚かつ、ロスタイムの48分にゴールを決めるあたり、やはり、この人は何かを持っているのだろう。

残念ながら、その場に居合わせることはできなかったが、カズがゴールを決めた瞬間、球技場内は、まるで優勝したかのように揺れたらしい。

そこまで「人の心を揺さぶれる」サッカー選手は、日本にはカズをおいて他にいないだろう。

願わくば、ドーハの悲劇が起こらず、あるいは、フランス大会直前での代表落ちがなく、ワールドカップのピッチでプレーをして欲しかった。

それだけが悔やまれる・・・。

でも、彼の勇姿を見ていられる僕たちは幸せである。

「自分自身の心を揺さぶれる何かをしないと・・・」という気にさせてくれる。

「人生は短い」。

人生には「今」しかない。

今日は、あるアポで会う方に渡そうと思い、自分の著書(自分でできるネットリサーチ)を買いに行った。

以前にも何度か自分の著書を買ったことがあるが、何となく照れくさいものがある。とは言え、書店の人が僕が著者だと知る由もなく、単なる自意識過剰でしかない(笑)。

ところで、著書を買いに行った本屋で、東洋経済の「Think!」を立ち読みした。

僕が読んだ記事は、マッキンゼー出身の経営コンサルタントの波頭亮さんと、同じくマッキンゼー出身のDeNAの南場さんとの対談。

「ニッポンを構想する」という特集タイトルも手伝い、「読みたいな・・・」と思ったものの、色々とやることがあり、一度はその場を立ち去ろうとしたが、「でも、本当に後で読むだろうか?」と思い直し、所要時間が20~30分であれば、今、読んだ方がいいと判断した。

実際、所要時間、約20分。

定量的に検証したことはないが、「後で・・・」と思ったことで実際に実行に移したことは、そう多くはないと思う。

すべては「今」しかない。

そのことを実感したと共に「実行」した。

たまには、自分で自分を褒めてやろうと思う。

さて、その特集であるが、20分という投資時間を回収して余りある内容だった。

論点は「経営者」に求められるものと「経営コンサルタント」に求められるものは大きく違う、ということ。

具体的には、以下の5つ。

1. 経営コンサルタントに求められるのは「正しい判断」能力だが、経営者に求められるのは「決断力」であり「胆力」である。自分の「決断」が「正しい決断」になるように血みどろの努力をするのが経営者に求められること。

2. 自分の意思決定で会社を潰すかもしれないというプレッシャーを受けながら経営できるコンサルタントはいない。そういうプレッシャーがないから、客観的な提案ができる。

3. 判断基準のすべてにおいてそこそこの評価をつけられる選択肢ではなく、他はすべて「×」でも、ひとつだけ「◎(二重丸)」なものの方がうまく行くことが多い。

4. 「合理的」な判断ではなく、「土下座」してでも提携先の了承を取り付けることが必要な場合がある。しかし、コンサルタントには「土下座をする」という提案をすることはできない。

5. A案とB案は僅差でありA案を選択すると、その直後から予期せぬ問題が発生し、それはA案にとって都合の悪い問題であることが多い。そのことで最も揺らいでいるのは自分であるが、そんな素振りは微塵も見せてはいけない。

上記は、波頭さんの発言と南場さんの発言が混ざっているが、南場さんの発言には、ドリームゲートが運営する「大挑戦者祭」の基調講演で話されていたことが多く含まれていた。

「経営者」に必要な能力は「胆力」ということと、5.で書いたことである。

ところで、僕にとっても最も大きな収穫は、波頭さんがマッキンゼー時代や独立して暫くは、自分では現場目線でのコンサルティングをしていると思っていたが、実はそうではなかったということに気づくまでに、「10年」という時間を要したということだ。

僕は幸運にして(ある方の紹介で)波頭さんと一度だけお目にかかったことがあるが、あの波頭さんでさえ、物事の本質に気づくまで「10年」も要したということを知り、大きく勇気づけられた。

ましてやこの僕が、1年や2年で物事の本質に気づける訳はなく、挫けずに努力を続けていくことが必要であり、また、そうして努力を続けて行けば、きっと、ブレイクスルーがあるに違いない。

僅か20分の時間をケチらなかったお陰で、人生には「今」しかない、ということを実感することができた。

そして、人生は「合理」だけではない、ということも。

「光陰矢の如し、学成り難し」。

Twitterでも書いたが、木曜日の夜、イギリス人の起業家との会食で盛り上がり、ついついワインを飲み過ぎたせいで、金曜日は終日、酷い二日酔いに悩まされた。

さすがに、一日で抜けるかと思っていたら、何と今日も二日酔いが残っており、三日酔い?状態。

三連休初日で天気も良く、子供を連れて、久しぶりに新宿御苑に出掛けたが、夕方まで頭痛と吐き気が治まらなかった。

その新宿御苑、早春に咲く「桜」が満開で、周囲の緑とのコントラストがとてもキレイだった。

今年になったと思ったら、もう一週間もすれば桜の季節。

時間の経つのは、本当に速い。

昨日、「光陰矢の如し、学成り難し」という言葉を検索してみたところ、なるほどな・・・と思わされるブログを発見した。

「少年老い易く、学成り難し」という言い方もあるが、こうして書きながら、僕は35歳になった時、

「20歳から今日までと同じ時間がもう一度訪れると、僕は50歳になる」

と思ったことを思い出した。

因みに、3月30日で「47歳」。あれから12年(一回り)になる。

20歳から35歳までの15年間よりも、この12年間の方が密度が濃かったし、あっという間だった。

1998年頃からネットビジネスを始め、2000年にネットバブルの最終列車に飛び乗り、それなりの成果をあげることができ、一方、2008年末には人材紹介業から撤退し、痛い思いもして、まあ、飽きることの無い12年間だったことは間違いない。

インタースコープを創業した頃、30代最後の3年間を懸けようと思って頑張っていたが、40代最後の3年間をどう過ごそうか?と思っている。

さすがにもういい大人なので、50歳以降の人生も考えないといけないしね。

そして、何よりも重要で大切なことは、どうやって子供を育てていくか?ということ。

ドリームビジョンの株主に対する責任も果たさなければいけないし、あの頃のように、ただ我武者らに突っ走ればいいというものではない。

ドラッガーの言うとおり、「時間」というものは最も「貴重」且つ「厄介」な資源である。

有限であり、保存もできない。

「劣後順位」を整理し、何を捨てて、何を拾っていくのか?を、よくよく考えたい。

追伸:3月という月は、僕にとっては特別な月だ。生まれたのも3月。人生で初めての会社を創ったのが3月27日。インタースコープ創立記念日は3月9日。そして、ドリームビジョンは3月4日。今の母親の誕生日は3月23日。
今年の3月も残すところ、あと11日。充実した毎日を送りたい。

それ、いつからやるんですか?

今日は何年ぶりか分からないほど久しぶりに、オプト創業メンバーのひとりである野内さんとお会いし、お昼をご馳走になった。

Twitterで再会したのがきっかけだった。

彼とは、オプトがまだ「ファックスDM」事業をやっていた頃からの知り合いだが、ゆっくりと話をしたのは、今日が初めてだった。

特に一緒に仕事をしたことがわるわけでもなく、そんなに深い話をしたこともなかったが、お互いに、スクラッチからベンチャーを立ち上げることがどれだけ大変で、どんなダイナミズムがあるかを知っていることもあり、じっくりと話をしたのが初めてとは思えない感じがして、とても楽しい時間だった。

やはり、同じ価値観を共有できる関係というのは「わくわく」するということを、改めて実感した。

ところで、最近、Twitterでグロービスの堀さんをフォローするようになり、堀さんのブログを読むようになったが、その中で、とても考えさせられることがあった。

堀さんが言うには、彼のブログにコメントを寄せたり、Twitterやブログで意見を述べる人の中には、彼の言葉でいうところの「評論知」に長けている人と「実践知」に長けている人がいることに気づいたという。

つまり、社会のあり方について「評論・批判」することに長けている人と、自分が実践してきたことをもとに「こういうふうにした方がいい」と提案することに長けている人がいる、ということだ。

では、僕はどうか?と考えた時、マーケティングやネットビジネスに関することであれば、それなりの具体的な提案ができる自信があるが、政治や社会制度のことになると、堀さんの言うところの「評論値」の域を出ないと思う。さらに言えば、それにすら至っていないと言った方が正しい。

それなりの「問題意識」を持ち合わせている自負はあるが、その「解決策」を考えるには、まだまだ、政治・経済、社会制度に関する知識が足りないのは間違いない。

一方、社会に通用する解決策を提案できるほどの「知識と知恵」を身につけるためには、勉強や情報収集に、かなりの「時間」を投下する必要がある。

それを「職業」にしている(例:政治家や官僚)、つまり、それで生計を立てているのであれば別だが、僕にそのような余裕はないのも、これまた事実である。「能力」の問題もあると思う。

では、堀さんが言うところの「実践知」を磨くにはどうすればよいか?

自分が「得意な領域」あるいは「当事者である領域」に絞ることである。

ドラッガーの言う「劣後順位」を明確にし、自分がフォーカスする領域を「選択する」ことが必要ということだ。

マイケル・ポーターの言う「選択と集中」である。

そういう意味では、今日のランチの席で僕は、野内さんに「(この一年、いろいろなことを考えてきた結果)あることをやりたいと思っている」と話したところ、間髪入れず、「それ、いつからやるんですか?」という質問が飛んできた。

さすが、成功したベンチャーの創業メンバーである。

「人生は短い」。

僕の自作の「座右の銘」のとおりである。

人生の「極意」。

・・・そんなご大層なことを書けるような人間ではないのだが、ここ1~2日、あまり読んでいなかったTwitterの怒濤のTLを眺めていて、芥川龍之介の、ある言葉に目が留まった。

「我々はしたいことの出来るものではない。ただ、出来ることをするものである」。

僕はある時から、テクニカルなことには興味がなくなり、この手の哲学的なことに興味が向くようになったが、それは、ALBERTの上村が言うとおり、僕は「想いの人」だからだろう。

最近、Twitterで「名言BOT」なるものをフォローしていて、上記の言葉以外にも、例えば、

★1つのドアが閉まれば、もう1つのドアが必ず開きます。それはバランスをとるための、自然の法則なのです。─ブライアン・アダムス

★指導者は世論の誤りを是正できなくてはならない。たんに世論を代表するだけでは、その責務を果たすことはできない。(仏作家: Honore de Balzac)

★努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る 井上靖(���家、詩人)

★一生の仕事を見出した人には、ほかの幸福を探す必要はない。 カーライル

★幸福人とは過去の自分の生涯から満足だけを記憶している人びとであり、不幸人とはそれの反対を記憶している人々である。(萩原朔太郎『絶望の逃走』)

などなど、様々な名言に出会う。

でも、これらのステキな言葉たち(そういうと軽いニュアンスになってしまうけど)は、以前の僕には、今の僕ほどは、響かなかったと思う。

英語で「チャンスは準備が整った時にやってくる」という諺(格言?)があるが、つくづくそう思う。

特に、数年前の僕だったら、「我々はしたいことの出来るものではない。ただ、出来ることをするものである」という言葉には、共感できなかったと思う。

石川遼くんは、いくら名誉とおカネが手に入るからといって、今から、メジャーリーガーを目指したりはしないだろう。

要するに、その次元が世界レベルになれるかどうかではなく、自分が持って生まれた才能と努力して手にした能力を遺憾なく発揮できるかどうか?ということなのだろう。

「人生は短い」。

僕は、出来ないことに「時間を費やしている」ほど、暇じゃない。