人生の時間

僕が「人生は短い」と思うようになったのは、35才になった時だった。初めて創った会社が丸7年経った頃だ。

それまでは、持って生まれた才能は別として、人生の時間は「無限大」のような気がしていたが、折り返し地点を迎えた気がして、僕の人生に残された時間は確実に短くなっていくことを理解した瞬間でもあった。

あれから8年の歳月が過ぎた。

もう一度、7年という時間が過ぎると、僕は「50才」になる。なぜか今日、そんなことを考えた。

35才になった時も50才の自分をイメージして、20才から35才までの時間がもう一度訪れると僕は50才になると思い、人生は短いと思うようになった。35才で、その50才を意識してから、約半分の時間を過ごしたことになる。

時間の感覚でいうと、インタースコープを創業してから退任するまでが「丸6年」。あっと言う間だった。と同時に、それまでの人生では経験することのなかった様々なことを経験することができた。

あと7年経つと、悠生は8才、小学校2年生になる。父親の仕事のことも理解できるようになる頃だろうか?

振り返ってみると、僕の人生は、6~8年周期で大きな変化があるようだ。

話しは変わるが、僕のブログに「皆勤賞」でコメントをしてくれている「坊主頭のりょうへいさん」が、こんなコメントをしてくれていた。

「人生というものは、会うべき人には、会うべき時に、必ず会うことになっている。早すぎることもなく、遅すぎることもなく」。

これからの7年は、今までとは異なるタイプの人達と出会い、異なる価値観に触れ、異なる自分を発見し、歳を重ねるのを楽しめる「50代」を迎えられるように頑張ることにしよう。

今日、そう決めた。

「若さ」を差し出す代わりに知識や経験を得る。

僕のブログを読んで下さっている方の中には、板倉雄一郎さんをご存知の方も多いかと思う。

インターネットが世の中を席巻する以前、日本のベンチャーシーンを席巻した人である。
30億円以上の負債を抱えて会社を倒産させて、自己破産をした人でもある。

「社長失格」という著作でも有名な人である。

彼は今、板倉雄一郎事務所という名称で「投資」や「ファイアンンス」に関する仕事をしているが、先日、アライドアーキテクツ中村さんと話しをしていた時、彼が「板倉さんって、物凄く頭がいい人ですよね」と言っていた。

「僕はお会いしたことがないので分からないけど、そうなんでしょうね」と返事をしたところ、「僕も会ったことはないけど、ブログを読んでいると(とても頭がいいということは)分かりますよ」とのことだった。

それで早速、板倉さんのブログを読んでみた。

板倉さんは理系の人で、彼が初めて創った会社はゲーム開発会社だったと思うが、たしかに論旨の展開が非常にロジカルであり、彼のブログには僕の苦手な「数式」がしばしば登場する。

中村さんが何を言いたいのか、分かるような気がした。

実は板倉さんと僕とは同い年(1963年生まれ)であるが、その板倉さんが書いていたことで「なるほど」と思ったことがある。

「若き起業家に会うたびに、「若さって、それだけで価値だよな」と思います。
(いや、そう思う歳に、僕自身が成ったということでしょうか)

言うまでも無く、若さには価値があります。
しかし、若さに価値があるということは、一方で、
時間経過と共に「若さの価値」は減少して行くということでもあります」。

そう、若さの価値は減少していくのである。

また、板倉さんは、こうも続けている。

「つまり、
時間経過によって「若さの価値」は減少するが、
一方で、時間経過の中で、経験や知識を習得し、
社会からの信頼が増大(=リスク認識が減少)すれば、
トータルとしての人の価値が「時間経過と共に増大」することになります。
ちなみに、
PV=FCF(1)/(WACC-g) に無理やりあてはめれば、
人の現在価値=
(「若さの価値」+「知識経験の価値」)/(「社会からの信頼の逆数」-「成長率」)
ということになるでしょう。
(生み出すキャッシュフローが、人の価値のすべてだ、
 と言っているわけではありません。
 あくまで、ファイナンス理論にあてはめれば、という意味です。)

刻一刻、我々すべての人間は、間違いなく「若さの価値」を失います。
失った「若さの価値」以上に、素晴らしい経験と知識を身につけることによって、
時間経過による「若さの価値の減少」以上に、
他の価値を手に入れることができます。
逆に言えば、
素晴らしい経験のチャンスや、知識習得のチャンスを逃していれば、
ただただ、時間経過による「若さの価値の損失」だけで終わってしまいます。

私たち人間のすべては本来、
「若さを差し出す代わりに知識や経験を得る」という「投資家」なのです。
投資家として成功するためには、
「差し出す時間以上の価値を手に入れる」を死ぬまで繰り返すことでしょう。
もちろん、
得られた知識や経験を社会に還元して初めて、
「社会にとっての価値」となり得、当人のキャッシュフローと成り得るわけです。

つまり、「One for All and All for One」ってことです」。

43才になった僕は、決して若いとは言えないが、50才になってからでは出来ない(したくない)ことを、今、やっているのであるが、43才という自分の時間を差し出す以上の価値とは何か?そのことを自問自答してみようと思う。

2種類の後悔

「しておけばよかった」という後悔と「しなければよかった」という後悔があるとして、僕は「しておけばよかった」という後悔はしたくないと思っている。

1995年の阪神大震災の時、妻の友人が神戸に住んでいて、僕らは個人的に救援物資を送った。そして、僕は「現地」に行き、その惨状を自分自身の目で確かめたいと思った。そのことによって、自分自身の何かが変わるような気がしたからだ。しかし、結局は何となくの躊躇により、現地に足を運ぶことはなかった。

「行っておけばよかった(行くべきだった)」と後悔している。

もし、あの時、神戸に行っていたら、きっと、中越地震の時も、もっと被災した方々に対する支援をしていたのではないかと思う。

つい先程、銀座で働く社長のBlog 藤田憲一さんのブログを読もうと思い、リンクをクリックしたところ、彼のお父様の挨拶文が掲載されていた。

藤田さんは、10月12日(木)午後2時22分、永眠されたという。心からご冥福をお祈りしたい。

実は彼とは、僕がインタースコープを経営していた頃、事業提携の話しで何度かお会いしたことがあった。

彼が末期ガンになったという事実は、ある時、知り合いのブログに掲載されていた彼が書いた本へのリンクで知った。何とも言えない衝撃を覚えた。

彼が生きているうちに「藤田さんに会いに行こう」と思ったのだが、悲運なことで「有名人になった彼に会いに行く」と思われるのではないか・・・?という躊躇があり、面会を打診することはしなかった。そして、今朝、彼のブログを読もうとしたら、既にこの世を去っていた。後悔をした。因みに、藤田さんのお父さんのお名前は「郁夫」といい、僕と一字違いである。

彼は、自分が末期ガンになったことを知ってから、残された人生をどう生きるべきかを考えて、新しい会社を設立したらしい。僕は、彼の古い連絡先しか知らず、彼に連絡を取るためには、彼のブログだったか会社のウェブだったかにあった「彼への連絡フォーム」に面会したい旨を「入力」せざるを得ず、「以前からの知り合いなのに、面会を断られたら嫌だな・・・」という、極めて馬鹿げたことで入力することを躊躇をし、結局は最後の面会の機会を得ることができなかった。

少しばかり自分を擁護すれば、僕は両親ともにガンで亡くしており、末期ガンとはどういう状態かが分かっていたということと、その一方、これだけ精力的に活動している彼なら、ひょっとしたら治ってしまう可能性もあるのではないか?という思いがあった(そう願いたかったのだと思う)ことも、彼への面談を躊躇した理由かもしれない。いずれにしても、もう一度、お会いしたかった。

人生というのは、ほんのちょっとした「勇気」があるかないかで、大きく変わってしまうもののような気がする。

自分が最も大切にしているものの本質に対する掘り下げ方が足りないことと、他人の目を意識してしまう精神面の未熟さが、こういう後悔を引き起こしてしまうのだろう。

すぐに変えられるものではないかもしれないが、これからの人生は、会いたいと思った人には会い、行きたいと思ったところへは行き、やりたいと思ったことはやる、という生き方を貫けるよう、今回のことを機に、自分自身の本質を見つめ直そうと思う。

最後に、藤田憲一さんのご冥福を改めて心からお祈りします。

リクルートの社是

あれは、僕が「自分でできるネットリサーチ(ラトルズ)」という本の原稿を執筆している最中で2003年の秋だったと思うが、渋谷マークシティのスターバックスで、リクルート創業者の江副浩正氏が書かれた「かもめが翔んだ日」という本を読んでいた。そして、江副さんの幼少時代の苦労に共感するものがあり、人目を憚らずに泣いてしまった。

インタースコープを創業する前の僕にとって、リクルートという会社は、急成長はしているらしいが、どことなく胡散臭い会社というイメージしかなく、とくに興味もなかったが、インタースコープを創業し、リクルートの方々と仕事をするようになったことで、そのイメージは跡形も無く崩れ去っていた。

リクルートが凄いと思ったのは、まず、会う人、会う人が、非常に優秀であり、議論がぶれないということだ。

どの会社にも優秀な人はいるし、凄いと思わされる人は少なからずいる。

しかし、リクルートにおいては、仮に、5点満点のレーダーチャートがあるとしたら、殆どの人が「4.5~5.0点」に位置しており、尚かつ、共通の「価値観」を有しているので、レベルの点においても、質の点においても、議論がぶれないのである。

僕がインタースコープ時代、実務をしていた頃に担当していたクライアントでは、リクルートと野村総研には非常にお世話になり、その両社の方々に育てていただいたと思っている。この場を借りて、深くお礼を申し上げたい。(野村総研に関しても、別の機会にエピソードを書きたいと思う。)

ところで、僕が大きな影響を受けたリクルートであるが、とても素晴らしい社是がある。

「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」というものだ。

先日、アバカス・ジャパンのCOOをされている横江さんという方の紹介で、元リクルートの井崎さんという方をご紹介いただき、3人で食事をしたのだが、井崎さんからいただいたメールに、リクルートの社是が書かれていた。

僕のことを「若い頃からリクルートの社是を実戦している人だと思いました」と書いていただいていたが、それは褒め過ぎだとして、確かに、機会が人を変化させるし、成長させるのは間違いないと思う。

僕の場合は、自分の意志で(自ら)機会を創ってきたというよりも、「時代の流れと僕を取り巻く環境と、僕自身の興味の方向性や【直観】を信じて【変化】を受け入れてきた」というのが実態であるが、28才で起業し、今回が3度目の起業になり、今までに6社の創業に携わってきた(内1社は上場した)プロセスにおいて、それこそ「値段が付けられない」経験をさせていただいてきたと思っている。とてもありがたいことである。

そのプロセスの中で何が最も「影響力」が大きかったかというと、やはり「お金」だったと思う。

最初に創った会社は、資本金1,000万円で、思い切った先行投資ができるわけもなく、ただひたすらに日々のお金を稼ぐことだけで精一杯で、実務家としての仕事以外、つまり、経営者としての仕事は「資金繰り」だけだったと言ってもよい。

今年7月にアップルコンピュータ日本法人の代表取締役を退任した前刀さんが、退任以前、親しい仲間内4人で食事をしていた時に、自分のことを「所詮、サラリーマン経営者だからさ。自分でやるのと比べたら楽なもんだよ。だって、資金繰りの心配をしなくていいんだから」と言っていたが、それは、元祖ライブドアを経営してた頃の苦労とは較べものにならないということを言っていたのだろう。

誤解のないように補足すると、前刀さんにしても、僕にしても、サラリーマン経営者(日本でもいわゆるプロフェッショナル経営者が出て来ていると思う)を否定しているわけではないし、事実として、素晴らしい経営者の方がいるのは周知の通りである。

しかし、ゼロからイチを創る尊さや、そのプロセスにおいて余儀なくされる苦労ということを、僕にしても、前刀さんにしても「リスペクト」しているということである。

前刀さんも同じことを言っていたが、「創業者」が好きな理由はそこにある。

ところで、インタースコープを創業してからも、最初の3年間は、資金繰りには苦労をした。

特に、創業して2年目は、会社の現金が底をつき、僕と共同創業者の山川さんがナケナシのお金を会社に貸し付けて、社員のみんなの給料を払う足しにしていたりした。1億円以上の増資をしても、先行投資で事業を拡大していた時期だったので、常に綱渡り状態だった。僕の人生の中で、最も辛い時期だったと言ってもいいかもしれない。

さて、話しを元に戻すと、「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」という点では、今はとても良い時代だと思う。

僕は学生の頃は、たいした練習も努力もしていなかったくせに「ミュージシャンになりたい」などと戯言を言っていた人間だったので、過去にベンチャーブームなるものがあったとかないとかは詳しく知らないが、インターネット出現以前の社会では、起業というと、比較的資本の要らない「飲食関係」か「旅行代理業」、僕が20代の頃は「広告代理業・販売促進・デザイン・市場調査・コンサルティング」といった選択肢ぐらいしかなかったように思う。

それに比べて、今の時代はとても多くの選択肢があるし、優秀で且つ本気でやる気がある人ならば、ベンチャーキャピタルからお金を調達することも可能だし、そういう意味で「チャレンジ」をする人にとっては、とても良い時代だと思う。

特に、何らかの形でインターネットを取り入れたビジネスであれば、起業をするにしても、転職をするにしても、業界としての「生態系(様々な意味での人脈)」が形成されているので、自分という「資産」の「流動性」も高い。つまり、実力さえ身に付けていれば、食えなくなるというリスクは無いと言ってもよい。

僕は、大企業で働くことを否定する気はないが、まだまだ「優秀な人」ほど「大企業」に行こうとする傾向が強いのは、大学生の就職人気企業ランキングを見ていても分かるし、そういう「常識」や「価値観」を少しずつでも変えていければと思っている。

まさしく、リクルートの社是のとおり、「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」である。

そして、人生は短く幸運の女神は「前髪」しかない(後ろ髪はない)のである。

もう一度、43才になった自分自身にも言い聞かせたい。

ミハエル・シューマッハ

F1に興味のない人でも、彼の名前ぐらいは知っているだろう。アイルトン・セナなき後のF1界を引っ張ってきたミハエル・シューマッハが遂に引退した。

僕はセナの大ファンで、彼が事故死をした時は、1週間ぐらいは立ち直れず、当時、婚約中だった妻が、結婚を延期しようか?と言ってくるほどに落ち込んでいた。

そのセナに憧れていたシューマッハのことを僕は特に好きだったわけでもなく、ファンだったわけでもないが、彼のことで、とても強く印象に残っていることがある。

それは、セナの持つF1での優勝回数である「41回」という記録にシューマッハが並んだ時の記者会見での彼の姿だ。

シューマッハは、鉄のような意志の持ち主(だと思う)で、自分の感情やモチベーションを常に最高の状態にコントロールして、つけ入る隙がないような人に見えていたが、その記者会見の席で、なんと泣き崩れてしまったのである。

セナに憧れてF1の世界に入り、そのセナに追いつき追い越そうと頑張っていた25才の時、シューマッハの目の前を走っていたセナがマシントラブルにより事故死をし、そのセナの後を継いで必死になって頑張ってきたシューマッハにとって、セナの偉大なる記録に並んだことは、何とも表現できない、僕らのような凡人には到底想像すらできない想いがあったのだろうと思う。

しかし、別の見方をすれば、ターミネーターとまで呼ばれていたシューマッハも、内心では必死になって「自分自身と戦っていた」のではないか?と思われ、彼の人間らしさを垣間見た瞬間だった。

そのシューマッハが、今期限りでF1を引退すると表明した後、テレビで放映される彼の表情には、とても晴れやかで和やかなものが感じられた。

ある極限まで上り詰め、自分の限界ギリギリのところで生きていた人だけが判り得る、充実感があるのだろう。

マラソンの有森裕子さんが、自分で自分を褒めたいと思うと言っていたことがあるが、ストイックにそこまでの努力ができる人だけが、何かをつかめるのだろう。

家族の記憶

先程のエントリーに書いた「記憶」のことが、妙に頭に残っている。

正確に言うと、「最後には白紙だけが残る」というフレーズが、とても大きな「存在感」を持って、僕の脳裏に迫っている。

昨日は、妻の伯母の一周忌だったこともあり、また、今日はこれから実家に帰省することもあり、亡くなった家族のことを考えているのかもしれない。

先程、時間の合間を縫ってメールの整理をしていたら、今年の2月27日と28日に、僕を入れて「3人兄弟」でのメールのやりとりが出て来た。

2月27日は、僕らの生みの母親の命日である。

末弟のメールに、「あの頃の平石家のメンバーは、我々3兄弟しか生きていないのだな、と改めて思い、世の儚さみたいのものを感じ、喪失感を覚えました。・・・としみったれたことを言うのではなく、前向きに生きていきたいものです」と書いてあった。

あれから27年の歳月が流れたことを思うと、無理もないことかもしれないが、世の中の高齢化を反映してか、僕ら兄弟の友人達の両親は健在の方が多く、僕らはマイノリティである事実は変わらない。

そんな僕にとって、「そうしているうちに訪問者が少しずつ減っていき、書き込む人も減り、残されたコメントは薄れていき、最後には白紙だけが残る」という一文は、とてもリアリティがあり、「生」ということの「尊さ」を改めて感じるには充分過ぎる「パワー」を持っている。

そんな「静か」ではあるが「パワー」のある生き方をしたいと思う。

追伸:一昨日のゴルフのキャディさんは、どことなく、亡くなった妻の母親に似ているところがあった。とても頭の良い方で、コースの攻略法やラインの読みについて、的確なアドバイスをくれていた。

エリック・クラプトン

実は、僕はエリック・クラプトンと誕生日が同じである。

その事実を知ったのは、かれこれ10年ぐらい前になると思うが、あるエピソードがある。

僕らの結婚式の立会人は、80年代に一世を風靡した「H2O」というデュオの一人だった「赤塩正樹」夫妻だが、彼の言葉で印象に残っていることがある。

彼と知り合ったのは、僕が学生の頃なので、もう20年以上も前のことになる。最近、昔のことを思い出す度に、年を取ったことを再認識させられて、少々ガッカリしてしまう。

いつだったか、彼が、「クラプトンは年を取るに連れて、どんどん良くなるよね」と言っていたことを思い出す。

エリック・クラプトンを知らない人のために簡単に解説すると、クラプトンは「ギターの神様」と言われたほどにギターが上手かったわけだが、ロックギタリストの場合、50才を過ぎるとさすがに衰えるというか、往年の切れ味はなくなると思うが、クラプトンの場合、それがどんどん良くなっていくと言うのだ。

また、こんな話しもある。

田坂広志さんのメルマガで読んだ話しだったと思うが、彼らの「顔」を見せないで、年齢が大きく異なる3人のバイオリニストにバイオリンを弾いてもらい、子供達にどの人が最も「若い」かを当ててもらったところ、最も年上のバイオリストのことを「最も若い」と全員が回答したそうである。物理的な年齢ではなく、「感受性」が年齢を決めるのかもしれない。

ところで、今日の午後、こんなシーンに遭遇した。

渋谷のある交差点で信号待ちをしていた時、僕の前に、自転車で書類を配達する「Bicycle Messenger」の男性がいた。

彼はロードレーサータイプの自転車に乗っており、信号が変わると同時に、筋肉を躍動させて走り去っていった。彼の後ろ姿をみていて、ああいう「躍動感」は若さゆえであり、今の僕には望むべくも無いだろうなと思った。少々物悲しいものがあった。

精神的にはいつまでも若くいることができても、やはり、肉体は確実に衰えていく。そのことは止めようもない。女の人の気持ちが少し分かるような気がした。

人生は短い。だからこそ、刹那的という意味ではなく、今を楽しみたい。