僕がブログを書く理由。

このテーマ(僕がブログを書く理由)は以前にも書いたことがある。しかし、もう一度、書きたい?書くべき?と思わせる出来事があった。

2006年の4月初旬、インタースコープ退任の挨拶メールを約3,000人に送ったところ、たくさんの方々が返事を下さり、中にはケイタイに電話をくれた方々もいた。法政大学ビジネススクール(イノベーションマネジメント研究科)の小川教授は、その中のひとりだった。

「6年間お疲れ様でした。近いうちにお会いしませんか?よければ、食事でも・・・」。そんな内容だった。

その小川教授と創業間もないドリームビジョンと共同で、人生における「イノベーション(起業)」をテーマとしたオープン講座を企画し、始めることになった。小川教授が、教授会で僕らのことを熱く推薦してくれたのだと思う。

そのオープン講座は2006年7月23日、アップルコンピュータの代表取締役を退任した直後の前刀さんを記念すべき最初のゲストにお招きし、19時から開催した。

僕らのマーケティング戦略が奏功してか、定員60名のところに、優に100人を超える申込みがあり、予定していた締め切りを早めるほどの盛況ぶりだった。

ところで、「僕がブログを書く理由」というテーマで「もう一度、ブログを書く理由」であるが、それは、小川教授と一緒に運営してきたオープン講座(人生におけるイノベーション=起業がテーマ)の受講生の中から、実際に「起業」する人が現れたからだ。

ある意味、社会的な責任を感じた。

僕は自分のことを、かなりの「強運の持ち主」だと思っているが、2003年の秋、ある出来事により、その理由が分かった気がした。

それは、僕のような人間でも、一生懸命に頑張れば、このぐらいのことは出来るということを、僕が身をもって示すことで、その僕の悪戦苦闘している姿をみて「平石さんが出来るんだったら、自分にも出来るだろう!!!」と思い、後に続く人達が出てくるからではないかということだ。

この世の中に「神様」」という存在がいるとすれば、神様が僕に「運」を授けてくれるのは、僕という人間を活用することで、可能性を信じチャレンジする人々を世の中に輩出するためではないか?そのために、僕に「運」を授けてくれるのではないか?と思うようになった。

その「運」のお陰で、今まで何とかやって来れたし、自分の実力以上のことが出来ていると思っている。

そして、小川教授と一緒に運営してきたオープン講座の受講生の中から、「平石さんに影響を受けて、僕も起業をすることにしました!!!」という方が、実際に現れたのである。

とても嬉しく光栄に思った反面、とても大きな責任を感じた。

大谷さんではないが、「もう、後には退けない」。

階段は一段ずつしか上れない。

僕が20代前半の頃に付き合っていた女性から言われたことで、20年近く経った今でもよく覚えていることがある。

「ノリちゃんは、先が読める人だと思うけど、階段は一段ずつ上ること(一段ずつしか上れない)」。
「何かを始める時は『これしかない(退路を断つ)』と思ってやること」。

という2つである。

(その頃の僕は、とんねるずの「木梨憲武」に似ているということで、当時の仲間からは「ノリちゃん」と呼ばれていた。)

最近、そのことの意味がよく分かるようになった。

彼女が言いたかったのは、「見えることと、出来ることは違う」ということ、「これがダメだったら何々をすればいい・・・という『逃げ道』があると、人間はコミットできない」ということである。

ドリームビジョンを始めた時の僕は、インタースコープで中途半端に成功したことで、自分の力を過信したり、世の中を甘く見ていたのだと思う。自分ではそういうつもりはなくても、潜在意識の中で、そういうものがあったのだと思う。

ところで、自分で「計画(直観)」した「43~45才」という「自己変革期」において、今年は「2年目(3月で44才になる)」になる。

9ヶ月の時間を要したが、初年度である「43才」は、初心に帰るために必要な時間だったのかもしれない。

2年目の「44才」は、変化を本物にするピリオド(期間)にしたい。

「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」。

リクルートの社是は本当に素晴らしい。

「予言は自己実現する」。

昨日(12/28)は、ドリームビジョン初年度の仕事納めだった。

午前中は経営会議を行い、今期(12月決算)の支出内容の分析をもとに、来期は「何にお金を使べきか?」と僕らの戦略を具現化するために必要な材料は何か?を議論した。とても有意義な会議ができた。

午後は大掃除。インターンの学生達がテキパキと働いてくれたお陰で予定よりも早く片付いた。

夜は「納会兼忘年会」をした。日頃からドリームビジョンを支援してくれている社外の人達も参加してくれて、計10名で会食をし、その後、カラオケに繰り出した。安田くんはけっこう歌が上手いことが分かったのは収穫だった(笑)。

今日は午後からラソナで会議をした。ソリューション事業部を強化していくために、事前に用意しておいてもらった「数字」をもとに、今後の戦略を議論した。こちらもかなり有意義な会議だった。ラソナにとっても、今年は大きな変化の年だったと思う。会議の後は、ポン(岡村氏)と添島さん(経営管理)と僕とで食事をして帰ってきた。

大袈裟な話しではなく、今年は、今までの僕の人生で最も短く感じられた。

とても短く感じられた1年だったと同時に、とても密度が濃く、心身ともに疲れた1年だった。同時に、とても収穫の多い年でもあった。

それ故か昨日、ドリームビジョンの納会を終え家路についた時は「ほっ」としたというか、安堵感を覚えた。

今年は僕にとって、すべてが「変化」だった。

僕の計画では再来年に「大きな結果」を出す予定なので、来年はそのための「地固め」の年にしたい。

「予言は自己実現する」。

ノロウイルス

幸いにして僕は元気であるが、僕の周りにもノロウイルスにやられてしまった何人かいる。ドリームビジョンの創業メンバーである安田くんもそのひとりである。

彼は一人暮らしをしており、心配になったので、コンビにでお粥などを買い込み、中目黒に彼を見舞いに行った。今週月曜日のことである。

だいたいの場所は知っていたが、住所までは知らなかったので、彼のアパートの近所と思われるコンビニで買い物をした後、電話をした。

熱があるので外に出てくるなと言ったのだが、ケイタイで話しをしながら、ダボダボで今風のGパンとシャツを着て、僕を探しに外に出てきた。

彼は精神的にマチュアというか安定しており、仕事の時はとても大人びて見えるのだが、その時は、26才の若者の顔をしていた。

その彼を見て、ふっと、自分が26~27才の頃を思い出した。

あの頃の僕は、43才(今)の自分はまったく想像できていなかったが、当時の「夢」は叶っただろうか・・・。

当時の僕は、将来に対する「不安」の方が大きく、「夢」や「希望」といったものは持っていなかったような気がするが、今の自分はとても幸せだと思っている。

子供も生まれて父親になり、こうして、3度も起業するチャンスをいただき、安田くんのような優秀なパートナーに恵まれている。そのことに感謝をしている。

そして、5~6年経った頃、僕と一緒にドリームビジョンを創業して良かったと安田くんが思えるよう、ひとつずつ、努力を重ねて行こうと思う。

今年一年を振り返る。

常日頃から「人生は短い」と言っている僕だが、今年は本当に短く感じられた。歳を重ねるほどに時間が経つのが速く感じられるというが、そのせいだけではなかったと思う。

田部さん(現インタースコープ社長)に「(インタースコープを)非常勤にさせて欲しい」という話しをし「話しが違いますよね?」と言われたのが、ちょうど昨年の今頃だったと思うが、それは随分と昔のような気がしている。

しかし、今年になってから、特に3月以降、更に言えば、インタースコープを退任し、本格的にドリームビジョンの立ち上げに取り組むようになってからは、時間の経つのが本当に速く感じられた。

それは、色々なことに取り組んできた=「変化の時期」だったということもあるが、それよりも、僕の「心」が目まぐるしく変化していたからのような気がする。

希望に満ち「高揚」したり、不安に苛まれて「萎縮」してしまったりと、こうして振り返ってみると、結果として、この9ヶ月間は「自分という人間と向き合う」とても良い時間だった。

話しは変わるが、昨日、今年最後のゴルフに行った。日本生命の方が主催するコンペだった。

そこで、44+46=90 という、僕にとってはとても良いスコアを出せた。2年前の宮崎(フェニックス)で出した「89」に次ぐスコアだった。

2年半前からレッスンに通い出し、スイング(フォーム)をゼロから造り直し、ショット自体は格段に良くなってきていたが、どうしても、スコアという「結果」に結びつかず、とても悔しい想いをし、落ち込んでもいた。

それが昨日、すべてのことが噛み合い、自分でも納得するゴルフができた。

きっかけは「パター」の打ち方だったが、その結果、自分の打ち方が分からなくなっていたドライバーも復調した。また、ミスショットの大半は、技術的なこともさることながら「精神面」にあることもわかり、年明けに予定されているラソナのゴルフコンペが楽しみになってきた。

一緒に回った佐藤裕氏も調子がよく、そのことも含めて、とても楽しく、収穫が多い一日だった。

ところで、以前にもこのブログに書いたことがあるが、僕の人生は、12月と3月に変化が起きる。統計的にそうなっているが、今年も、どうやら、そのような兆候がある。

来年は、良い一年(結果を出す一年)にしたい。

追伸:ドリームビジョンの株主の方々も、僕のブログを読んで下さっているが、日頃のご無沙汰をお詫びすると共に、近況報告とさせて頂ければ幸いである。

久しぶりの「じゃんがらラーメン」。

僕が最初の会社を経営していた時(最後の頃)、オフィスが原宿にあり、原宿駅からすぐ近くにある「じゃんがらラーメン」でラーメンを食べて帰ることがよくあった。

貧乏ではあったが、まだ、30代半ばで、人生の時間(チャンス)はまだまだあると思っており、夢だけが僕を支えていた頃だった。

あれから7~8年の時間が過ぎ、インタースコープというベンチャー企業の創業と退任を経験し、年齢は40才を超え、極貧生活とそこそこの経済水準と、その両方を経験した今は、さすがに「根拠の無い夢」だけでは自分を支えられなくなっている。

しかし、懲りずにも、また、スクラッチから会社の立ち上げを行っている。

起業家生活も15年、起業も3度目になると、さすがに始める前にある程度のリアリティが分かるようになり、それ故に「怖さ」を感じるようになった。

先日のセッションで藤田さんが「自分が創業した頃のことを考えると危なくて任せられない。あの頃は何も分からなかったから(起業)出来たんですよね」と言っていたが、まさしくそのとおりである。

今日はドリームビジョンの創業メンバー(20代の若者)とインターンの学生と3人で、久しぶりに「じゃんがらラーメン」を食べて帰ってきた。

あの頃と同じように「こぼんしゃんの味玉めんたい入り」と「ビール」を注文した。

カウンターでビールを飲みながらラーメンを食べていると、当時の感情が蘇ってきて、何とも言えぬ懐かしさを覚えた。

繊細な性格であり且つ単純な僕は、それだけで何となく楽しくなってきて、元気が出た。

40才を超えても、気持ちだけはあの頃のままでいたい。

マクロミルの調査結果

日曜日(昨日)の日経新聞の「SUNDAY NIKKEI α」というコーナーに、マクロミルの調査結果に基づく記事がある。

昨日の記事は、「子供が起業すると言ったら?」というテーマである。

その調査結果(記事)をみて僕は驚いた。50~69歳の会社員もしくは公務員で子供を持男女に質問したらしいが、なんと「反対する・反対した」という人は「13%」しかいないという。

たしかにインターネットリサーチでの調査ということで、回答者にはリベラルな方が多いだろうと思われるが、それにしても、たったの「13%」とは、僕の想像とは大きくかけ離れていた。

僕の両親は「昭和一桁」生まれで、戦後の焼け野原を経験していた世代だが、その世代とは価値観が大きく異なるのだろう。確かに、時代背景が今と当時とでは違う国と言っていいほど違うので、僕の両親が生きていて同じ質問をされたら、もしかしたら「反対しない」と回答するのかもしれない。

今回の調査は、たまたま「起業」ということだが、それが「転職」であろうと「留学」であろうと、何か人生を大きく変えるような時のハードルは、親や配偶者ではなく、結局のところ「自分自身」ということかもしれない。

「人生はすべて必然(自分の選択した結果)」であり、「人生には勇気と自信が必要だ」ということを感じる。