すべてを知ることは不可能。

僕の好きな宋文洲さんのメルマガに、「日本の単位面積の農薬使用量は世界で最も高いという事実を知る人は少ないと思います(世界平均の3倍前後だと思います)」ということが書いてあった。

インターネットが普及したからといって、自分の欲しい情報が、自分の欲しい形で、どこかに格納されているわけではなく、上記のような情報を自分で調べようと思うと、かなりのエネルギーと時間が要求されるだろう。

そうなると、誰の言うことであれば信用できそうか?ということで、「有識者」の方々の発言が「影響力」を持つし、「マスコミの報道」はとても「大きな影響力」を持つ。

因みに、日本の食料自給率は40%で世界最低(小学校の教科書にも載っているらしい)というが、宋さんのメルマガによると、この数字の作り方は国際的な笑い話だそうだ。

上記の話を最近どこかの番組が報道したそうだが、裏番組の酒井法子の話題に抑えられ、殆ど見られていなかったという。

一方、大前研一氏のように、外国の農業に投資をする(経営権を取得する。例えば、オーストラリアやウクライナ等)ことで「食料」を「確保」すれば、食料自給率に拘る必要は無いという主張もあり、いったい、何をどう考えればよいのか、僕もよく分からない。

しかし、ひとつだけ言えることは、これだけ国際化が進展した現代社会において、食料自給率を上げれば、それで良いのか?というと、そう単純な話ではないと思う。

そういう意味では、シンガポールのような国は、どうすればいいのか?となってしまう。

国際的な役割分担は、必要不可欠である。

たしかに、有事の時を考えれば、食料自給率は高いに越したことはないが、食料自給率が高いだけでは、国家の安全を担保できるとはいえないだろう。

何事も「複眼的」視野が必要である。

そういう意味では、酒井法子の件に限らず、芸能界の話題や「バラエティ番組」ばかりが目立つ最近のテレビの在り方は疑問である。

しかし、そういう番組を求める「視聴者(国民)」が多いということの証でもある。

「高速道路」は「無料」にするべきか?

政権交代を懸けた衆議院選挙がいよいよスタートした。

僕の記憶にある限り(僕が大人になってから)、今までで最も世間の関心を集めている選挙と言ってよいだろう。

小泉さんが首相時代の「郵政民営化」選挙の時も盛り上がったが、あの時は、日本社会に今ほどの危機感はなく、小泉劇場という言葉のとおり、お祭り騒ぎ的な雰囲気があったと思う。

しかし、未曾有の経済危機の真っ只中にあり、膨大な財政赤字を抱え、政治とカネの問題が再燃し、少子高齢化に悩み、人口の減少が現実となった今、国民もマスコミも、いよいよ本気で日本の未来を考えなければならない時が来たのだろう。

その流れだと思うが、昨日の「報道ステーション」で、「高速道路」の「無料化の是非」に関する生討論があった。

組織名は分からなかったが、あるシンクタンク代表の山崎さん(無料化「賛成」)と、作家にして道路公団の民営化に携わり、現在は東京都の副知事を務める猪瀬さん(無料化「反対」)とで議論が闘わされた。

僕の知識では、高速道路の無料化の是非は判断できないが、主張内容や言葉の勢いや表情をみる限りでは、山崎さんの主張に分があるように見えた。

というか、猪瀬さんの説明や応答に「守りの姿勢」が感じられ、それが説得力を欠いていた。

司会進行に関しては、視聴者として注文をつけたいところが多々あったが、そういう取り組み自体は、評価に値する。

「高速道路」以外にも、国民にその問題を公開し、関心を換気することを、マスコミには期待したい。

20年後と言わず、10年後の日本がどうなっているか?

国民ひとりひとりの問題である。

「愛情」という資本。

アポとアポの合間に、ある駅のネットカフェに入った。厳密に言うと、普通のカフェに「ネット接続」用のパソコンが置いてあるコーナーがあり、その席に座った。

つい数週間前までは、外出時はいつもノートブックを持ち歩いていたが、右肩に負担がかかっていたらしく、ある時から右肩が痛くなり、最近はPCは持ち歩いていない。

急ぎの用件ならケイタイに電話がかかってくるし、身体も頭も、少しスローライフにしてみようと思った。

このエントリーは、その「ネットカフェ」コーナーで書いている。

ところで、今日は、ランチタイムに事業再生やベンチャー投資をしている会社のパートナーの方、その後、つい先日までベンチャーキャピタルの役員をされていた方と久しぶりにお会いした。

それぞれの方との話で記憶に残ったのは、「成長産業」「中長期」「育成」という単語だった。

今の日本には、10数年前にインターネットが出現した時に匹敵するような「成長産業」が見当たらないということと、何かを「育てる」には「時間」が必要であり、その過程で発生する多少の問題にうろたえず、それを受け入れていくことが必要だということ。

そして、中長期的に物事に取り組むためには、育成に携わる人たちの「評価」も中長期的に行う必要があるということ。

日本におけるベンチャー企業を育てるには、中長期的に「新興市場」を育成していくことが欠かせないと、ベンチャーキャピタルの元役員の方は仰っていた。

そう考えると、ドッグ・イヤーと言われたような時代は、そもそも無理があったのかもしれないし、人間、何年も何年も、そんなスピードで働けないのは間違いない。

話は変わるが、フランスの知識人、ジャック・アタリ氏は、自身の著書「21世紀の歴史」の中で「博愛の精神が世界を救う」と語っている。

そこまで崇高な話は別として、親が子供を思うような気持ちで「愛情」を持って物事に取り組めば、大きな成功は無理だとしても、そこに何かがあるような気がする。

そういう意味で「ライフワーク」と言えることがある人は幸せである。

古いものを出さなければ、新しいものは入らない。

今日のエントリーのタイトルは、僕が好きな「相田みつを」の言葉である。

彼は「人生」というものを独特の視点から掘り下げ、とてもパワーのある言葉の数々を紡いできた方だが、人間の「生き方」だけでなく、国家のあり方を考察するにおいても、参考になるような気がする。

今日の日経夕刊に、貿易統計として「輸出の落ち込み縮小」という記事があったが、これは、日本社会の近代化とイコールの「加工貿易」の流れでの話であり、輸出「増加」ならまだしも「落ち込み縮小」では、ここから新しい何かが始まるという高揚感は、僕には感じられない。

トヨタも日産もホンダも、世界販売台数の約半分を「日米」市場に依存し、尚且つ、新興国でも富裕層向けの中型車以上の車種で稼いできており、小型車に強いスズキがインドでの販売台数を伸ばすなか、トヨタとホンダは販売台数を減らしている。

その「構造」が、ここ数ヶ月の「スズキ」の株価に表れている。

マイナーチェンジではなく「フルモデルチェンジ」が、僕自身も含めた日本人全員に求められている。

「官製不況」極まれり。

「官製不況」という言葉があるようだが、一度は解禁になった「市販薬のネット販売が禁止」になったり、「専門業務以外の登録型派遣」を「禁止」にする法案が検討されていたり、どうにも解せない動きが目立つ。

また、そもそも政府には「富の創出」能力はなく、国民によって創出された富の再配分(税金の再配分)が仕事のはずが、未来の税収を充てにして「赤字国債」を乱発したりと、理解に苦しむことばかりである。

誰かが「政治家の仕事は選挙ではない」と言っていたが、おっしゃるとおりである。

なぜ、ベンチャーに元気がなくなったのか?

ここ最近は、子育て等の私生活に関するエントリーが多かったので、今日は久しぶりに「ベンチャー企業」に関することを書いてみたい。

日経ビジネスオンラインに「なぜ、ベンチャーに元気がなくなったのか?」というコラムがあった。

そのテーマに関することで、今日までに計3回のコラムが掲載されており、その内容には僕も概ね同感である。

筆者の主張は、要約すると、

1. 上場がゴールになってしまっており、その時点で疲れ果てているベンチャー企業が少なくない。従って、その後の業績の伸びに勢いがなく、株価も低迷する。

2. 粉飾決算等の不祥事が相次ぎ、投資家のベンチャー離れが加速した。

3. その対応策という趣旨は理解できるが、J-SOX等の大企業向けの「内部統制」を新興市場に上場するベンチャーに適用するのはナンセンス。コーポレートガバナンスは、別の方法で対応できる。

4. ベンチャー行政?に関わる人達が、ベンチャー企業を立ち上げた経験もなく、ベンチャーの実態を知らない。机上の論理になりがち。

5. 10億円程度の売上と、1~2億の利益で上場するのではなく、50~60億円の売上と10億円以上の利益が出るぐらいの体力をつけてから上場した方がよい。

というものである。

3. J-SOX、4. ベンチャーを知らない人がベンチャー行政に関わっている という2点に関しては、特に共感する。

ところで、つい先日、ある方のお誘いで、未上場のベンチャー企業の経営者の集まりに参加した。

但し、その会合に集まったベンチャー企業の経営者は、その殆どが、ベンチャーキャピタルからの出資を受けていない。でも、中には、数十億円規模の売上があると思われる会社の経営者もいた。

自分が創業した会社を「上場」させるというのは、間違いなく「名誉」なことだし、キャピタルゲインというかたちで「富」も手に入れることができ、インタースコープ時代の僕も含めて、ネットベンチャーに関していうと、多くの経営者が「上場」を望んでいた(いる?)と思うが、彼らの場合、必ずしも上場は望んでいないように見受けられた。

マスコミに取り上げられたり、様々な賞を受賞したりということは少ないかもしれないが、見方によっては、彼らのような経営者の方が「実利」は多いとも言える。

殆どの場合、自分とその関係者が株主であり、会社が儲かれば、社員にいくらボーナスをだそうが、自分の役員報酬をいくらにしようが、どんなクルマに乗ろうが、誰かに叩かれることはない。

但し、限られた資金の中で事業を行っていく必要があり、成長のスピードは限定される等、制約もある。

結局は、何を善しとするかである。

話をベンチャーの元気の有無に戻すと、1990年代後半のインターネット黎明期のように、これからの社会を変えるようなテクノロジーが登場し、新興市場も整備され、それによって、VCからリスクマネーが供給されるようになり、その結果、上場して行ったベンチャー企業が多かった時代がいつまでも続くわけはない。

ソフトバンクの孫さん曰く、あの頃は「戦後の原っぱ」のような状況で、先見の明があり且つ実行力がある人たちが、一時代を築いた。

それから約10数年、ネットビジネスもひとつ成熟期を迎えつつあり、画期的なテクノロジーが出現しない限り、あの頃と同じようなことを期待するのは無理がある。

そういう意味では、DeNA、mixi、GREEの御三家は、SNS、モバイル、ゲームという要素を上手く活用し、インターネット初期のビジネスモデルとは異なる収益構造を実現したと言える。

また、インターネットに続くフロンティアとして、「クリーンテック(環境技術)」に注目されているが、それがインターネットと異なるのは、サービス業やコンテンツプロバイダーではなく、「製造業」的なビジネスモデルになりがちだということである。

つまり、多額の「初期投資」が求められ、ネットベンチャーのような形での創業は難しい。

そう考えると、不祥事等による投資家の新興市場離れは別として、ある意味、今の時代環境は当然と言えば当然とも言える。

また、「ベンチャー企業=新興市場に株式公開」という図式を当然と考えるのではなく、ベンチャー企業にも「多様性」があって然るべきと考えてもよいように思う。

因みに、キリンと経営統合しようという「サントリー」も「未公開」である。

ただ、ひとつだけ言えるのは、今の日本社会は、リスクを取った人達が報われる仕組みが脆弱だということである。

そこを何とかできれば、少子高齢化に悩む日本社会であっても、活力が生まれるはずである。

「人参」がなければ、馬車馬は走らない。そして、その「人参」は、人によって異なる。

成熟した社会では、「多様性」が重要である。

追伸:僕が社会に出た1980年代後半は、戦後の高度経済成長期の仕組みが成熟する一方、新しいテクノロジーは出現せず、享楽的・刹那的な雰囲気が漂っていたように思う。その10年後、I.T.革命により、千載一遇のチャンスが訪れたわけだが、そのまた10年後の今の日本社会を見ると、若者の就労意識にも、若い女性の髪型やファッションにも、1980年代後半に通ずるものがあるように思う。何らかの「ブレイクスルー」が必要である。

「終身雇用」の是非。

何週間か前のエントリーでも書いたが、未曾有の不況の影響せいか、「終身雇用」を望む若い人が増えている。

新卒で就職した会社に、結果として、定年退職まで勤めることがあってもいいし、本人が望むのであれば、それが叶えられるのは良いことなのは間違いない。

しかし、最も大切なことは、「様々な選択肢」があり、生き方や働き方の「多様性」が担保されている社会を実現することである。

一生懸命に就職活動をしても、就職した会社の社風が肌に合わなかったり、仕事の内容に興味を持てなかったりと、転職をしたくなる人も大勢いるだろうし、そういう人たちの「受け皿」がない社会は、健全とは言えない。

会社の経営においては「価値観を共有する人たち」と仕事をする、つまり、「誰をバスに乗せるか?」が重要なのは論を待たないし、その方法として「新卒」の方が、転職者と異なり、他社の価値観(DNA)を持っていない分、自社の価値観に合う人だけを採用しやすいという点においてメリットがあるのは事実である。

しかし、それはひとつの方法に過ぎず、効率は悪いかもしれないが、新卒だろうが転職者だろうが、自社の価値観に合う人材だけを採用するノウハウ(それほど難しくはない。大変なのは、時間がかかることである)を持っていさえすれば、問題はない。

因みに、僕が個人株主のひとりとして応援しているライブレボリューションの増永さんは、2年ほど前から「新卒採用のみ」という方針を打ち出している。

期首に予想したよりも事業が成長した場合、途中での人材補強ができないという制約を伴うわけだが、それを承知の上でのことであり、ひとつの方法だと思う。

僕が経営者だったとしたら、そういう方針は採らないと思うが、未公開のライブレボリューションに新卒の応募が何千人もいることが同社の魅力を物語っており、少なくとも現時点では、増永さんの方針は奏功していると言えるだろう。

改めて申し上げるが、僕は「選択肢の多い社会」、言い換えれば、「主体性」と「多様性」に満ち溢れた社会が理想だと思っている。

ところで、話が後戻りするかもしれないが、僕がまだ20代か30代の前半だった頃、ちょうど終身雇用が崩壊しつつある時期だったと思うが、右肩上がりの「経済成長」が続かなくなり、20代よりも30代、30代よりも40代と所得が上がっていくことが保証されなくなると、いわゆる「家族計画」が立てづらくなるだろうと思っていた。

つまり、「将来の収入が保証されない時代」になると、子供を産んで育てていくことが「リスク」になり、「少子化」が進むだろう、と漠然と思っていた。

何故なら、自分自身が「終身雇用」という「安全弁」から自らの意思で飛び出していたので、「年齢の上昇」が「所得の上昇を保証しない」ということが、よく分かっていたから。

即ち、子供の「養育費」が必要になる頃に、それを賄う収入がある保証はないし、むしろ、収入が減る可能性すらあると思っていた。

そういう意味で、これからの社会においては、税収における「子育てのための投資(保育園や育児手当、公立校の運営費等)」と「年金(老後の生活資金)」の配分が、今までにも増して大切になるのは、こうしてブログに書くまでもない。

因みに、日本は、OECD加盟国中、GDPに占める「教育費」の比率が、下から数えた方が早い位置にある。

たしか、平均「5%」に対して、「3%」程度だったと思う。

また、「年金」に関しては、今朝の日経新聞にも出ていたが、年金を「所得税」で賄うか?それとも「消費税」で賄うか?の議論、つまり、勤労者から徴税し、それを、現時点の高齢者に「再配分」するか(納税者=受益者にはならない)?経済的に余裕のある高齢者は、自らも「消費者=消費税納税者」として、自分達よりも経済力が劣る同世代に「再配分」するか?という議論が必要になってくる。

政府(行政)の重要な役割のひとつは「徴税権」に立脚した「富の再配分」機能にあると言ってよく、にも関わらず、現在の政府には「再配分」における「思想」がない。

正確には、あったのだろうが、今の時代に機能しなくなったのだろう。

「高齢者が多い=有権者に占める割合が多い」というだけで、高齢者に優しい政治を行っていては、いずれ、この国は崩壊する。

「中央集権」v.s.「地方分権」の議論も含めて、どういう「思想」と「システム」の国にしていくのか?

その議論が、子供達のためにも、自分達の老後のためにも、本当に本当に、必要である。

自分が総理大臣だったら、どうするか?

そういうマクロの視点に立ち、自分自身の生活(ミクロ)を考えてみよう。

「終身雇用」の是非から始まり、徴税に関する話しも含めて、政治・行政の話にまで及び、何のエントリーだか分からなくなったが、今年上半期最終日に、このところずっと書こうと思っていたことを書いておきたかった。

さて、明日から後半戦。

また、「坂道」を登って行こう。自分のペースでね。