「高齢者」が政治を動かす。

クリスマスの今日は、都内の某ホテルで開催された民主党のある国会議員の忘年会(囲む会)に参加させていただいた。

このような会にお邪魔させていただいたのは初めてなので以前との比較はできないが、民主党が政権を取った年ということもあってか、会場は賑わっていた。

実は、その方とは、彼が東京の区議会議員だった時に知り合っていたが、ある時、僕が仕事をお願いしているデザイナーの方が「幼馴染み」ですと言って僕のオフィスに連れて来られて再会した。

そのような経緯があり、また、同年代ということもあり、それ以来、ざっくばらんな付き合いをさせていただいている。

ところで、その方は将来を有望視されているらしく(清廉潔白な方である)、小沢幹事長が600人を超える民主党議員を引き連れて中国を訪問した際に、胡 錦濤 国家主席の「日本の将来を担う有望な若手議員は誰か?」との質問に答えて紹介された「5人」の中のひとりらしい。

さて、その方は「今日は忘年会ですし、マスコミも来ておりませんので、個人的な見解を申し上げたいと思います」と前置きした上で、沖縄の普天間米軍基地、高速道路等の諸問題に関し、率直な考えを述べていた。

彼の主張は概ね、賛同できるものだった。

ところで、僕は今日の忘年会に参加させていただき、あることに「失望」した。

それは「政治」の世界では仕方のないことであり、当然のことなのかもしれないが、参加者の多くが「高齢者」と思しき方々(所謂、お歴々の方々)で、46歳の僕でさえ、若い部類に入る感じだった。

ドラッガーの言う「高齢者が政治を動かす」の現場を見た思いがした。

たしかに、彼が政治家として仕事ができている背景には、そのような方々のご指導やご鞭撻があるのは事実だと思うが、僕は、彼のような政治家こそ、こういう席には、20代30代の人達を「リーズナブル」な料金で招いて欲しいと思う。

そして、政治の現場について、彼らからの質問を受け付け討論をする。そんな忘年会にすれば、若者の政治に対する関心は必ず、向上すると思う。

話は変わるが、今日の忘年会にマスコミは来ていなかったとして、はたして、ブログを書いている人は、何%いるだろう?

そういうところにも、この国の政治の「膿み」があるように思う。

僕は、彼にはとても期待しているので、今日の感想を手紙に認めて送ろうと思う。

彼の選挙区の人間ではないが、この国の有権者のひとりとして。

日本「政治」新聞。

最近の日本経済新聞は、さながら、日本「政治」新聞のような印象を受ける。

現在の日本は、少子高齢化、人口減少、GDPの2倍近い財政赤字(企業で言えば、売上の2倍近い赤字であり、とうの昔に倒産している)、新興国の勃興と米国市場の停滞等、明治維新や第二次大戦の開戦と敗戦に次ぐと言ってもいいような、政治および経済的に大きな転換期にあるのだろう。

素人発言で申し訳ないが、鳩山首相の「友愛」路線による「米軍の駐留無き」安保は、僕にはリアリティを感じられないし、米国との関係が軋むことで密かにほくそ笑むのは、他でもない中国と北朝鮮だろう。

以前のエントリーでも書いたが、そもそも政策的に全く異なる(普天間基地の沖縄県外 or 海外移転を主張)「社民党」を何故、連立政権に入れたのか?まったくもって理解できない。

日米安保50周年にあたり、今回のような問題が出ることを想定出来なかったとは言えないだろう。

話は変わるが、ヨーロッパ最高の知性と言われるジャック・アタリ氏は、自身の著書「21世紀の歴史」で、「合理的な博愛が人類を救う」と主張しているが、今の日本において「合理」とは何だろう?

国内は言うに及ばず国際世論の大反対を押し切って、日本が今から「核開発」でもしようというなら話は別だが、そのような「軍拡」無しに、米軍から独り立ちして、この「キナ臭い」極東における安全を保持することは非現実的だろう。

さて、日本「経済」新聞が、数日前の朝刊一面で「首脳が会えない日米関係(政治部長 宮本明彦)」と題する論説を掲載し、その最後をこう締めくくっている。

「生き馬の目を抜く外交の世界でも『友愛』を語る首相は、ある種の理想主義者なのかもしれない。確かに理想のない政治はご免だが、現実を見失った政治も空虚である」。

幼少期に苦労をした「小沢一郎氏」が「現実派」だとすれば、日本を代表する企業のひとつである「ブリヂストン」創業者のご令嬢を母に持つ「鳩山兄弟」に、いわゆる「現実」は必要ない?のかもしれない。

では、首相と幹事長の「共通言語(理念)」は何か?

しばらくは、日本「政治」新聞から目が離せそうにない。

ところで、株の世界では「すべてに陽が当ると暗闇が来る」と言うと聞く。

「友愛」は、誰に陽を当てるのか?

「合理なき博愛」は、空虚である。

追伸:昨夜の報道ステーションで鳩山首相のお母様の映像を拝見したが、とても素晴らしい方のようにお見受けした。「政治家は国民の税金で食べさせてもらっている職業」だと仰っていたらしい。

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凋落の「世界第2位の経済大国」。

先々週は「5連ちゃん」、先週も「3度」ほど会食があった。

そもそもお酒が強くない僕は意識して酒量をコントロールしているので肝臓の負担はともかく、「胃」には相当な負担をかけていたようで、今日の昼頃から、今までに経験したことのない「胃痛」を感じた。

今日は午前中に義父母の墓参りに行った後、神宮外苑の銀杏並木沿い���レストランで昼食を食べた(僕はあまり食が進まなかったが・・・)。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
★今日の午後。紅葉した葉は、殆ど散っている。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
★こちらは、12/1(火)の午前中。まさに、紅葉の見頃で、黄色く色づいた葉がきれいだった。

不景気と言われつつも、銀杏並木沿いのレストランはどこも賑わっていた。

若いカップルもいれば、僕たちのような家族連れもいる。でも、目に付いたのは、60代と思しき、オバサマ達だった。

旦那さんがどんな仕事をしているのかは分からないが、彼女達の着飾った様子から、経済的に裕福なのは間違いない。

ところで、ソフトブレーン創業者の宋文洲さんのメルマガに、日本人として考えさせられることが書いてあった。

「副社長」と「第二位経済大国」と題された最新号のメルマガには、彼の友人の「日本人は第二位経済大国をアイデンティティにしてきただけにそれが無くなりそうな現在では方向感がない・・・」という発言が紹介されていた。

「GDPの規模をアイデンティティにするのか?」という宋さんの疑問に対してその友人は、「教科書も総理大臣の施政演説も日米首脳会談もよく使う言葉だよ。全員とはいわないが、かなりの人がそう思っている」と言い、主張を堅持したそうだ。

<以下は、宋さんのメルマガからの抜粋>

「第二位経済大国」にこだわることは「副社長」、「業界No.2」にこだわることと殆ど変わらないことです。個々の社員(国民)の幸せと何の関係もないことです。もし、「第二位経済大国」にアイデンティティを求めてきた人がいるならば、彼らはたぶん個性と自立心のない人々です。

個性のない人々は「ボリューム」や「大きさ」にこだわるのです。独裁者でもないのに国家の大きさにこだわり、それを誇りやアイデンティティにするなんて市民としてはかなり幼稚ではないかと、宋は思うのです。

これは日本人に限った話ではありません。中国人にもそのような人がいます。社会から脱落し個人のポジションを見付けられない人々に限って天安門広場のパレートに感動を覚えるのです。

しかし、中国が成長してきたのは間違いなく多くの個人が豊かさに憧れ、政治や国家と関係なく直向きに個人の努力を重ねてきたからだと思います。国家は個人の向上心を邪魔しないように、あるいは奨励するような政策さえ取ればそれでよいのです。

日本においても、もともと「GDP第2位」が日本国民の目的ではないはずです。戦争と貧乏を嫌う先人達が無我夢中で自分の豊かさを求めた結果として日本のGDPが2位になったのです。本来、関係のないその後の人達がこのGDP第2位を自慢する資格もなければ必要もないのです。まさにこれをアイデンティティにすること自体が先人達にとって迷惑千万の話です。

<ここまで>

僕を含めて、この話を鼻で笑える日本人がどれだけいるだろうか?

たしかに、国土の狭い島国で天然資源はなく、第二次世界大戦では見事に敗北し、おまけに最初で最後の原爆を落とされ、その宿敵のアメリカの核の傘下で守られておりと、それらの材料にもめげずに頑張ってきたお陰でG7唯一の東洋の国(マイノリティ)となった日本だが、「定量的尺度」以外に自らを定義する概念がないのだとすれば、それは哀しい事実だが、その「哀しい事実」が日本人である「誇り」を構成する大きな要素であるのは否定できない。

しかし、GDPの規模では、時間の問題で、中国やインドやブラジル等に抜き去られるのは間違いなく、また、一人当たりのGDPでは、既に、シンガポールや北欧の国々に遠く及ばず、なんと「24位」に甘んじている。

その現実を考えた時、これからの日本は、何をアイデンティティとして生きていくべきか?を考えざるを得ない。

さて、話を「銀杏並木のレストラン」に戻すと、この経済情勢下でも、一人当たりGDPが24位でも、僕たち家族も若いカップルも子育て中の家族も、そして裕福なオバサマ達も、それなりの生活レベルを享受していられるのは、僕たちの親の世代が頑張ってきたお陰であり、オバサマ達の旦那さん達が頑張ってきたからに他ならない。

そして、その過程で、道路・鉄道・空港・水道・ガス・電気・健康保険・年金等の社会インフラを整備してきており、その「維持費」に苦しみながらも、今のところは、過去の遺産の上で生活できているからである。

歴史と伝統のあるヨーロッパの国々に目を向ければ、フランスは「料理とワイン、絵画、プロヴァンスの農業」、イタリアなら「ファッションや高品質な繊維」、スペインなら「フラメンコや闘牛やシエスタ」、北欧の国々は「デザインや高福祉な社会制度」等、独自の「文化と歴史」に自国のアイデンティティがあるはずである。

同様に、これからの日本を考える時、「定量的尺度」ではなく、文化や歴史や精神性など「定性的」なものに「日本人のアイデンティティ」の源泉を求める必要があるだろう。

それが「科学技術」なのか?それとも「侘び寂び」の文化なのか?

いずれにしても、何もないところにアイデンティティを求められるわけはなく、その材料は2,000年の歴史のなかにあるはずである。

それなしには、将来展望は描けないだろう。

そして、それは、個人も同じ。

「社会起業家」が必要とされる理由。

昨日のエントリーでは敢えて「社会起業家バブル」という表現を使い、玉石混淆が懸念される現状に警鐘を鳴らした(苦言を呈した?)が、「社会起業家」という言葉や定義はさておき、ソーシャルな活動をミッションとする人と組織が必要なことは間違いない。

むしろ、その必要性はますます増大するだろう。

その「理由」を詳細に知りたい方はドラッガーの本を読まれることをお勧めするが、少々乱暴に整理すると、

・農業社会から工業化社会を経て「知識社会」へと変化してきたことにより、人々の流動性が増大し、「地域のコミュニティ」が機能しなくなってきたこと。

・ドラッガーの言う「知的労働者」の増大は、「知識」が「生産財」になったことを意味し、「知識労働者」は、自分自身の「生産性」と「自己実現」を「最大化」できる「組織」を求めるため、どうしても「人材の流動性」が高まる。

・また、「知識労働者」をベースとする「知識社会」では、それぞれの組織が「専門特化(限定的な機能に特化)」するようになる。

という社会構造の変化により、「社会共通の課題については、誰が面倒を見るか?」という問題が発生し、その「新たな担い手」つまり「社会セクター(NPO)」が必要とされるからである。

また、肥大化し高度化した社会では、政府のすることは遠くの出来事であり、個々人の「社会参加(社会に対する影響力)」は極めて限定的(実感が得難い)で、「投票」と「納税」ぐらいしか影響力を行使する手段がない。

しかし、NPOなり社会起業家として「社会共通の課題」に取り組むことで、「市民性の創造」という、さらに重要な役割を担うことになり、そこで働く人々に「世の中をより良い方向に変えることができる」という充実感をもたらすことが、心ある人々に「社会起業家」としてのキャリアを選択させているのだろう。

「病児保育」に取り組む「フローレンス(駒崎氏)」や僕がボランティアとして関わっている「日本中退予防研究所(山本氏)」の活動は、まさに「社会共通の課題」への取り組みである。

但し、問題は「収益化が難しい」という点。

結婚し、子供を育て、家庭を築こうとすると、どうしても一定水準以上の「経済」が必要となる。

そういう意味では、夫婦の両方が「社会起業家的な生き方」をすることは、現実的ではないかもしれない。

僕にとってのテーマでもある。

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「合意形成」と「連立政権」の矛盾。

12月も早第2週。今年も残すところ、3週間余り。

ところで、昨日は、僕たちが住むマンションの住民説明会なる会議があった。

連日の夜の席で疲労困憊していたが、議題のひとつは、そもそも僕が問題提起したことだったこともあり、身体に鞭を打ち出席した。

こういう会議に出る度に思い知らされるのは、年齢・性別はもちろん、価値観も職業も経済レベルも知的レベルも異なる人達が住んでいるわけであり、その中で「合意形成」していくのは、本当に難しいということだ。

僕が理事長をしていた時は、それほど大きな問題がなく、議論が紛糾したことは無かったが、僕が問題提起したことが発端となり、管理組合の収支構造に関する関心が高くなり、昨日の会議も白熱した。

「合意形成」という意味では、そもそも「民主党」自体が「寄り合い所帯」であるにも関わらず、「国民新党」や「社民党」と連立政権を組んでいること自体、そもそも無理がある。

今回の連立政権は、参議院での民主党の議席が過半数に達していないための「暫定措置」だろうし、来夏の参院選で民主党が過半数を獲得すれば両党の存在意義は無くなるわけであり、そのことを亀井氏も福島氏もよく分かっているからこそ、独自色の打ち出しに必死なのだろう。

しかし、僕が解せないのは、衆議院で「2/3超」には満たないとはいえ、308議席(64%)も持っているにも関わらず、そもそも考え方が異なる「国民新党」や「社民党」を何故、連立政権に入れたのか?ということである。

実質的な権力者といわれる小沢氏の意図が分からない。

それにしても、亀井氏や福島氏の説得力に欠ける主張は、いい加減にして欲しい。

さらに言えば、「国民新党」は存在意義が不明だし、「社民党」は既に歴史的な存在意義を無くしている。

まだ、ガソリン車に乗ってるわけ?

「ABC自動車って、いらないよね」。
「最近、日本に来ても、持って帰る情報って、ゼロなんです」。

シリコンバレーから出張で日本に来ていた友人と朝食を共にした際に、彼の口から出た言葉である。

「ガラパゴス化する日本」を憂いていた。

マネックスの松本さんが、日本の「異常さ」をご自身のブログで指摘されているが、海外から見ると、よりいっそう、そう見えるのだろう。

元グラビアタレントの「蓮舫」が、スパコン開発の予算に「世界でNO.1 の意味は?」と注文をつけたり、バズーカをかまし放題の「亀井静香」大臣然り、民主党の政権運営には、どうもチグハグ感が拭えない。

ドラッガー曰く、1950年代以降、政府主導で行ったプログラムで成功したものは、ひとつもないとのこと。

「世の中を変える」という意味で成功した政府プログラム最後のものは、1946~1947に立法化されたイギリスの国民健康保険制度だというが、その「赤字」は深刻の度を増すばかりらしい。

「自動車」に話を戻すと、電気自動車のリアリティが増しており、10年後は、「まだ、ガソリン車に乗ってるわけ?」という会話が繰り広げられているのだろう。

追伸:「羽田の国際ハブ空港化」は是が非でも、実現して欲しい。政府主導プログラムの歴史を書き替えるためにも。助成金の廃止も忘れずに。

ステーキがご馳走ではなくなった日本社会。

急に気温が下がり季節が進んだ文化の日の東京は、とてもよく晴れた一日だった。

ところで、ちょっと用事がありクルマで出掛けた際、「ステーキ半額」という看板を見掛けた。

考えてみると、僕が小中学生の頃は、ステーキはご馳走であり、家族みんなでレストランに出掛けるのが楽しみだった。

あれから30年。ステーキはむしろ、不健康な食べ物になり、半額(というか、いつも半額なのだけど)にしないとお客さんが来てくれない時代になった。

日本はそれだけ、豊かな社会になったということだ。

3年や5年では社会は大きくは変わらないが、10年、ましてや20年30年と経つと、確実に世の中は変わる、それも技術やサービスだけでなく、人々の「意識(価値観)」が変わるということを、何気ない道路沿いの看板で実感した。

2020年の日本は、どういう景色をしているのだろう?