「挑戦する人」を創出する。

昨日は、ドリームゲートとニュービジネス協議会の共催による「大挑戦者祭」の表彰式&懇親会に参加させていただいた。

未曾有の経済危機と言われる今日、ベンチャーキャピタルファンドに資金が集まりにくくなり、ベンチャー企業へのリスクマネーの提供も細る中、とてもたくさんの人々で会場が埋め尽くされていた。

いつだったか参加させていただいたベンチャー通信主催のイベントでも、同じような熱気を感じたことを思い出した。

閉塞感の漂う日本社会においても、こうして、リスクを取ってチャレンジしている人たちが大勢いることがは、とても大きな意味があると思う。

審査員として、「挑戦する人」の創出に少しでもお役に立てたようであれば、嬉しい。

ところで、この「大挑戦者祭」のスローガン、かなりベタベタだが、なかなかいい(笑)。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」-大挑戦者祭_02

★大挑戦者祭のロゴ。スローガンは「逃げるな、挑め、まだ見ぬ自分に」。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」-大挑戦者祭_01

★表彰式での乾杯の様子。

来年も盛大に開催されることを期待したい。

そして、僕も、僕自身の「挑戦」を続けていきたい。

日本「中退」予防研究所

僕が「アドバイザー」を仰せつかっているNPO法人コトバノアトリエ代表理事の山本さんが、「日本中退予防研究所」という新しい事業を立ち上げた。

実は、何を隠そう、僕は「高校中退」経験者だ。

幸運なことに、僕は、高校を中退した翌年、新たに高校に入学し直し、何とか無事卒業し、大学に進み卒業した。

当時と今とでは時代がまったく異なるので単純な比較はできないが、「中退」経験者として、彼の事業構想を聞いた時、その社会的価値に「心」を動かされた。

山本さんが運営している事業は、お世辞にも儲かっているとは言えないが、でも、彼は、いつも、とても活き活きとしている。

自分の人生の「ミッション」を見つけ、そのことを信じているからだろう。

素晴らしいことである。

その山本さんから届いたメールに、こんなことが書いてあった。

「大学を卒業してから今日まで、七年ほどNPOの代表をやらせていただきました。その間、悩みに悩みぬいて、いや、まだ悩み足りないような気もいたしますが、七年間の一つの答えとして、本事業を立ち上げることにしました」。

僕から見ると、何の迷いも悩みもなく、一心不乱に自分の事業に邁進しているように見える彼でも、「悩みに悩み抜いて」今日に至っていることを知り、僕自身、まだまだ悩み足りないのかもしれないと思わされた。

アドバイザーなどという役割を仰せつかってはいるが、彼から相談を受ける度に、実は、僕自身が様々な気づきや学びの機会を頂いている。

経済的利益の多寡だけが、世の中の価値基準ではないことを、彼との付き合いを通じて学んでいる。

そうは言っても、「煩悩の塊」の僕は、彼とは別の意味で悩みの多い人生を送っている。

その「悩み」から逃げず、正面から向き合い続けることが、自分自身の成長に繋がるのかもしれない。

彼に負けないように、僕も頑張ろう。

祝:イミオのオフィス移転!!

ドリームビジョンの投資先であるイミオが、神宮前の手狭になったオフィスから、乃木坂のオフィスへ移転した。

インタースコープを創業してから最初の3年間は毎年、オフィスを移転した。その頃のことを思い出す。

ベンチャー企業というのは、伸びる時には、通常では考えられないスピードで成長する。急成長の分、歪みが出たりもするが、伸びる時に伸びることが大切だ。

イミオには、この勢い���大切にして欲しい。

そのためにも、僕が今までの経験から得た知見を惜しみなく提供したい。

日本社会の「開幕戦」。

女子ゴルフの今シーズン初戦は、三塚優子選手が優勝(ツアー通算3勝目)。賞金1,440万円を獲得した。

僕の応援する「横峯さくら」選手は、通算5アンダーの4位。

残念ながら優勝は逃したが、開幕戦としては、良いスタートを切ったのではないかと思う。

ところで、来月から「新年度」となる日本社会。政治も経済も教育も福祉も、様々な領域で混迷を極めている。

僕が大人になって以来、社会の仕組みがここまで揺らいでいる時はなかったと思う。

昭和の高度経済成長を実現した社会の構造が時代の変化に取り残され、「制度疲労」を起こしている。

騙し騙しの日本社会の運営は、もう限界だろう。

古いバージョンの「OS」に、いくら最新のアプリケーションを載せても、機能するはずがない。

「新しい時代に即した社会の仕組み(OS)」を創っていくためには、「大局的な視点」で社会の在り方をデザインし、同時に、それを実現するためのシステムを「ミクロの視点」で構築していくことが求められる。

全体最適と部分最適を、どうバランスさせるか?

ひとりひとりが「当事者意識」を持ち、「新しい日本の姿」を思い描いていくことが必要である。

Keep Paddling.(漕ぎ続けよ)

僕が尊敬する田坂広志さんから、「漕ぎ続ける日々」と題するメルマガが届いた。

田坂さんは若い頃、山登りをしていたらしいが、入道雲を背に聳え立つ遠い頂上に向かって、ただひたすら、一歩一歩、前に進んでいた時の心境を綴っていた。

 暑い夏の日、登山道の入り口から見上げると、
 入道雲を背に、山の頂が遠く輝き、聳え立っている。
 何日か後には、その頂に立っている自分の姿を思い、
 その目標に向かって、一歩を踏み出す。

 しかし、まもなく、道の周りは森に囲まれ、
 その頂は視界から消えてしまう。

 気がつけば、狭い山道を、重い荷物を背負い、
 汗にまみれ、ひたすらに登り続けていく。
 ときに、道の険しさと荷物の重さに、足が止まり、
 暑さと渇きに、涼しい街の店を、恋しく思い出す。

しかし、頂上を極めるには、それでも、ただひたすら、次の一歩を踏み出し続けるしかない。

田坂さんのメルマガを読んで、僕が創業に参加したウェブクルー創業者の渡辺さんとの会話を思い出した。

2004年9月に念願の東証マザーズ上場を果たし、その暫く後に会った時、渡辺さんは、こう言っていた。

「濃い霧の中をただひたすら足元を見つめて前に進んで来たんだけど、目的地に着き、霧が晴れたら、なんと断崖絶壁のような峯を歩いてきたことに気づいたような気持ちです。濃い霧がなく、最初から目的地が見えていたら、怖くて怖くて、とても、ここまで来れなかったと思います」。

同じ創業者として、彼の気持ちが痛いほどよく分かった。

ところで僕は、インタースコープ創業者として、インターネットリサーチという市場を創ることにコミットし、インタースコープも業界を代表する企業にまで成長した。

ある意味、僕にとっての「最初」の「目的地(頂上)」に辿り着いた。

でも、僕は、自らの意思で、その頂上から下山し、また、山の麓に戻った。

その時は、「一度、登った山なら、必ず、また登れる」と思っていたが、いざ、山の麓に戻ってみると、僕がいた場所は、霧がかかって霞むほど、遠く高いところにあった。

「もう一度、あの頂を目指すのか?」と思った時、そこに到達するまでに越えなければいけない多くの苦労が目の前に浮かび、とんでもない重たい気持ちになったことを憶えている。

でも、もう一度、そこに行くには、一歩一歩、前に進むしかない。

ヘリコプターで一足飛びには行けないのである。

さて、もう一度、田坂さんのメルマガに話を戻すと、波乗りの世界の伝説的サーファー、「ジェリー・ロペス」の言葉を引用し、こう結んでいた。

  Keep Paddling.(漕ぎ続けよ)

一日、海にいて、波に乗っている時間は、数十分。

彼らもまた、漕ぎ続け、素晴らしい波がやってくる一瞬を待っている。

僕も「漕ぎ続ける」。

「心」の「余裕」。

仕事に限らず、余暇の過ごし方でも、「心」に「余裕」がないと上手くいかない。

仕事では、リラックスした(肩の力が抜けた)集中力が発揮できないし、余暇では、余暇を心から楽しめない。

「精神的な余裕」が、何にも増して大切だということを最近、富に感じる。

「小泉改革」の是非。

「鳩山邦夫」総務相が「かんぽの宿」に続き、JR東京駅前の「東京中央郵便局の再開発」に、何やらまたクレームを付けている。

「重要文化財になるものをなくすのは、トキを焼き鳥にして食べるような話だ」とは、よく言ったものだ。

では、誰が「重要文化財」を指定するのか? 少なくとも、総務省の管轄ではないだろう。

あるニュースによると、次期首相の座を意識してのパフォーマンスという説もある。

すべてにおいて「小泉改革」を否定するような最近の自民党の言動には、違和感を感じる。

今の自民党(衆議院)の議席数があるのは、国民的人気があった小泉元首相の功績であり、現在の衆議院議員は、国民が選んだ人達である。

つまり、小泉元首相の政策を支持した国民に対して、その政策を遂行する責任がある。

それが、小泉さんが退陣されたから、そして、世界的金融危機で日本経済が深刻な不況に陥ったことの「原因(責任)」を、すべて、小泉改革(構造改革)に求めるのは、国民をバカにしていないか?

僕が20代の時に働いていたコンサルティングファームで教わったことだが、物事を「51:49」で決めた場合、「49」のことは忘れて、「51」を「100」と考えて、物事を進めることが必要である。

麻生首相が「あの時は、本当は賛成じゃなかった」というような趣旨の発言をされていたが、はたして、一国の首相が言うべきことだろうか?

実際に、小泉元首相の政策を実行に移してみた結果、「実は問題があった」ということであれば、潔く「衆議院」を解散して、もう一度、政策を提示し、国民の審判を仰ぐべきではないだろうか?

そうこうしている間に、民主党の小沢代表の政治献金問題が浮上した。

事実関係は分からないが、日本の政治が極めて「クリティカル(危機的)」な様相を呈してきていることは間違いない。

「自民党(与党) V.S. 民主党(野党)」という構造を超えて、この国の未来を真剣に考えて欲しい。

昨今の日本の政治は、あまりに悲しいものがある。