久しぶりの「東京タワー」。

晴天に恵まれた3連休、僕たち家族は「東京タワー」に出掛けた。

僕たちの子供は最近、とにかく「高いところ」がお気に入りで、ここのところ、「東京タワーに行きたい!!」の一点張り。天気予報と睨めっこしながら、10/12(日)に予定を入れていた。

その東京タワー、行ってみて気がついたが、3連休の中日で尚かつ晴天ということで、大勢の人で賑わっており、チケットを買うのに「約30分」、エレベーターを待つのに「約20分」。そして、大展望台から特別展望台に上るのに、さらに「40分」と、お目当ての「特別展望台」に行くまでに、1時間30分も要した。

その間、4才の子供がじっと待っていられるわけはなく、妻が子供の相手をしている間、僕は「チケットの列に並ぶ」役割である。さすがに、腰が疲れた。

・・・ところがである。

ここ2~3ヶ月の間に、横浜ランドマーク(展望台は、地上273メートル)、六本木ヒルズ(屋上は、地上238メートル)と経験してきているからか、さほどの興奮もなく、こんなもんか・・・という表情。

子供は正直である。

それでも、東京タワー自体は、かなり気に入ったらしく、ランチを食べに入った近くのレストランで、東京タワーのミニチュアを持っている子供を見つけると、スタスタとその子のところまで行って話しかけ始めた。

どうしても欲しいというので、僕ひとり、東京タワーに戻り、ミニチュア(レストランで一緒だった子が持っていたものよりも小さいもの)を買ってきた。

そこまではよかったが、帰りに寄ったスーパーで、僕がそのミニチュアを落としてしまい、先の方が割れてしまったら・・・凄い形相で大泣き。

実は、僕が買ったミニチュアは、陶器で出来ており、嫌な予感が的中。

翌日、壊れないものを買いに行こうと言って何とかなだめて帰宅した。

さて、翌日の午前中は、とあることがあり、明治神宮にお参りに行き、その後、友人の奥さんが始めたギャラリーに立ち寄った後、再び、東京タワーへ行った。

今度は、プラスチック製の割れ難いミニチュアを買い、昨日と同じレストランへ行くと、お店の人から「久しぶりですね」と声をかけられた。

子供が2才半ぐらいの頃、2度ほど行ったことがあったのを、どの席に座ったかも含めて憶えていてくれたようだ。

料理がおいしいのは当然だが、こういうことがさり気なくできてしまうことが、顧客満足を高めるのだろう。

ところで、東京タワーのすぐ下に、小さな公園がある。

敷地内に小さな川のようなものが流れており、都会の真ん中とは思えない風情だ。

明治神宮の直線で単調な参道では「もう疲れた」と言ってだだをこねていた我が子は、その公園では、その辺から長い枝を見つけてきて、ひとりでチャンバラごっこを始めたり、小川の中に敷いてある石を伝って対岸に渡ろうとしたり、今の彼の運動神経では無理なことにも挑戦しようとしていた。

子供は「好奇心」をかき立てられることで、自分から、何かを学び、何かに挑戦していくということを実感した。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
その公園から見上げた東京タワー。雲ひとつない晴天だった。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
こちらは、明治神宮で見掛けた花嫁さん。我が子は、興味深そうに見つめていた。

雨の日には、雨の中を。

先日のエントリーで書いた少年の「生き方」に、衝撃を受けた。

彼のことを考えているうちに、何故だか分からないが、「相田みつを」の本を読み返してみたくなった。

好きな方はもうお分かりだと思うが、今日のエントリーのタイトルは、その「相田みつを」の「言葉」である。

随分前に妻が日めくりのカレンダーを買ってきて以来、好きになった。

読み返してみたのは、自宅の本棚の上の方に置いてある「生きていてよかった」という本だ。

その本に書かれている「言葉」は、氏が、週間ダイヤモンドに1986年4月12日号から1987年4月4日号に「おかげさん」と題されて連載されていたものだという。

「相田みつを」の息子さん(相田一人氏)が書いた巻末の解説を読み、そのことを知った。

「相田みつを」は59才の時に処女作「にんげんだもの」を出版したらしいが、60代前半は、息子である一人氏からみて、「相田みつを」の最も充実した時期だったという。

享年67才なので、最盛期に逝った人なのだろう。

ところで、一人氏の文章を読んでいると、今は亡き父親に対する愛情がひしひしと伝わってくる。

それは、見方を変えると、父である「みつを」氏が、それだけ真摯に人生を歩まれていたということで、その姿が「一人」氏に大きな影響をもたらしたということだと思う。

そういう意味では、僕も亡き父から大きな影響を受けた。

話を一人氏に戻すと、巻末の解説に、こんな文章がある。

「それは正に、相田みつをが完全燃焼した一年であった。傍らで原稿の整理を伝だっていた私には、そう見えた。さほどに父の打ち込み方は激しく、また一方で、あれほど生き生きと筆を執る父の姿もかつてなかった」。

プロスポーツの選手が、自分の子供に、自分が現役で活躍する姿を見せたい、正確には、自分の子供が自分の現役時代を覚えていられる年齢になるまで現役でいたいという話を時々耳にするが、相田みつをという人は、晩年に、その姿を息子さんに見せたのだろう。

ところで、僕は46才、僕たちの子供は4才。

彼が父親の生き方から何かを学ぶ年齢になった時、何かを伝えられる生き方をしていたいと思う。

「肩車」と治らない「肩」。

先月で4歳になった僕たちの子供は、最近、僕に「肩車」をしてくれとリクエストをする。

正確には、直接的にリクエストするのではなく、「しゃがんで!!」と言ってくる。

僕が「しゃがむ」と、後ろから、僕の肩に乗ってくる、という作戦だ。

4歳児にして、なかなか賢い。

しかし、彼のお目当ての僕の「肩」は、8月に痛めたまま、まだ治らない。

お世話になっているセラピアの鈴木さんが言うには、肩が「捻挫」しているらしく、年齢のせいではなく、そもそも治り難いのだという。

でも、間違いなく、年齢のせいもあるだろう。

彼と遊んであげるためにも、何とか「肩」を治したい。

ところで、とあることで、成毛さんのブログと堀江さんのブログを読んだ。

「世代間格差」のことが、分かりやすく説明されている。

また、成毛さんと彼のブログの読者とのやり取りも勉強になる。

そもそも頭が良いということが大きいのだろうが、社会の構造に対する「知識と理解」が幅広いのだろう。

ゴルフでも、スコアを縮めるには、スウィングに関する「知識」が必要である。

追伸:先日のエントリーでも書いたが、JALの再建に「公的資金(税金)」を投入することには、反対である。

言葉にできない。

フジテレビの番組で、難病と闘った少年少女の壮絶な人生を見た。

脳腫瘍により、僅か12年の人生を駆け抜けた少年が最後に母親に発した言葉は、「僕のこの眼を忘れないでね」。

彼はその時、どんな想いで、その言葉を発したのだろう。たった12歳の少年である。

合間に流れるのは、無粋なコマーシャル。演出も、あまり好きにはなれなかった。

スポンサーがいなければ、その番組もないわけだが、タイミングや内容を考えられないだろうか?

1時間番組ならともかく、4~5時間の特番である。

「八戸」と「奥入瀬」。そして、素晴らしい人々。

八戸大学「起業家養成講座」の記念すべき第1期生の前期修了式にて講演をさせていただいた翌朝、市が運営する「市場」に出向いた。

日曜日は市場はお休みだが、この日は、地元のイベントがあり、そこに集まる人を対象として、朝食用の魚を焼いたり、トン汁を作ったりする人で賑わっていた。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
★これが、市場の建物。そもそもは、戦争未亡人のために、市が用意した「職場」だったとのこと。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
★市場の入口で、魚を焼いたり、トン汁やおにぎりを作って売っている光景。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
★八戸沖で獲れた魚。たぶん、鯖。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
★市場に入ってすぐのところ。このおばさんは、いくらをメインに売っている。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
★買い揃えた魚やおにぎりで朝食。これが、かなり美味しい!!

市場で朝食を食べた後は、八戸港で毎週行われている「フリーマーケット」に出掛けた。
朝8時前だというのに、大勢の人で賑わっていた。
とにかく、何でも激安!!

フリーマーケットを堪能した後は、JRで三沢まで行き、駅前でレンタカーを借りて、奥入瀬に向かった。

八戸は、素晴らしい晴天だったが、奥入瀬に近づくにつれて、だんだんと雨模様に。残念。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
★「奥入瀬渓谷」を上り切ったところにある「十和田湖」。雨で霧がかかり幻想的な景色。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
★こちらは、八甲田山。温泉が湧いていて、こちらも幻想的。すでに、紅葉が始まっているのが分かるだろうか。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
★きれいな紅葉。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
★こちらは、大谷さんがオーナーの「North Village(ノースビレッジ)」
既に、八戸、十和田辺りでは、有名になりつつあるとのこと。
ランチのみの営業で、週末は「行列」が出来てほどらしい。
僕らがランチを食べようと思った時(14時頃)も、2~3組、待っている人がいた。
すべての料理は、左側に見える「石釜」で加熱される。この「石釜」は、ノースビレッジ・スタッフによる手造りだそう!!

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
★こちらは、ノースビレッジの斜め向かいにある「奥入瀬渓谷ホテル」のティーラウンジにある煙突。なんと、「岡本太郎」作。

ところで、話は前後するが、土曜日の夜、八戸大学「起業家養成講座」第1期生の面々と、2次会に出掛けた。

「屯田兵」というお店だったが、ここのマスターはただ者ではない。

10人ぐらいの団体で行ったのだが、それぞれの顔を見て、その場で人となりを分析し、お箸のカバー(包装紙)に、ひとりひとり、メッセージを書いて渡してくれた。これが、実に「核心」をついている!!!

なんと、恒例の行事だという。

そして、最後は、即興で歌を作ってくれて、ギターを弾きながら歌ってくれた。

「3度目の八戸」には必ず、立ち寄ろう(戻ろう)。

$シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
★ブレテしまっているが、自作自演のマスター。ありがとうございました!!!

追伸:現地で、大谷さんの「八戸・奥入瀬」構想を伺った。彼は本当に素晴らしい!!大谷さんのような人を、本当の意味で「社会起業家(ソーシャルアントレプレナー)」というのだろう。とてもスケールの大きな人である。

八戸で感じた「地方都市」の「現実」。

1泊2日の2回目の「八戸」訪問は、とても充実した時間になった。

すべては、大谷さんと彼の「門下生(受講生)」の皆さんのお陰である。

詳細は別途、書きたいと思うが、僕の出身地の「福島県郡山市」にしても、「八戸」にしても、クリティカルな問題なのは、有望な「産業」がない、ということである。

つまり、自民党の「公共工事」による経済システムで何十年もやってきたツケが、顕在化しているということだと思う。

「徴税」の仕組みを含めて「財源」を地方に移譲し、本当の意味での「地方分権」を進めていかない限り、何も変わらないだろう。

それはさておき、大谷さんの「門下生(受講生)」の皆さんは、とてもハジケテいた。

また是非、お会いしたい人たちである。

2回目の「八戸」。

初めて「八戸」を訪ねたのは2007年1月なので、2年9ヶ月ぶりになる。

「八戸大学」で客員教授をされている大谷さんの依頼により、明日(10/3)、八戸に行くことになった。

大谷さんが担当されている「起業家養成コース」の前期修了式&ビジネスプラン発表会の審査員とそこでの講演を依頼されたためである。

「八戸を日本のシリコンバレーにする!!」という大谷さんの構想に殆ど協力できていない僕だが、こういうことで多少でも役に立てるのであれば、とても光栄なことである。

その「八戸」。既に、マネックスが事業所を開設したりと、大谷さんの構想は、少しずつではあるが、着実に前に進んでいる。

ひとつのことに「集中」し、コツコツと目の前のことに取り組んでいくことだけが、大きなことを成し遂げる唯一の道なのだろう。

受講生の方々にとって少しでも参考になる話ができたらと思っている。