初めてのロシア。

日程がまだ確定していないが、GWの後半にロシアを訪問することにした。昨年の上海に続いて、BRICs視察の第2弾である。

たまたま、ドリームビジョンの株主のひとりがサンクトペレルブルグに駐在しており、彼がいる間に行こうと思っていたのと、とにかく、今の自分に何らかの変化をもたらしたいと思い、先延ばしすることなく、今年のGWに実行することにした。

今回の訪露で初めて知ったことだが、ロシアを訪問するには「ビザ」が必要である。

社会主義国のベトナムでさえビザは不要だったのに、BRICsとして経済発展著しいとは言うものの、やはり、中央計画経済の国であることを感じさせる。

今週の水曜日、そのビザの申請のために、初めてロシア大使館内に入った。正確には、ビザ発給は領事館管轄だが、室内は殺風景で、いかにもロシアという感じがした。

それが、訪れたことのないロシアという国に対する僕の「パーセプション(認識)」、つまり、マスコミを通じて形成されたロシアに対するイメージである。

窓口には、どこにでもいそうな白人女性の他に、不慣れな日本語を話す東洋人の男性がいた。二世か三世なのだろう。何とも不思議な感じがした。

ところで、待合室で順番を待っている時に、隣に日本人の男性とロシア人の女性が座ってきた。

それが香水かシャンプーか洗剤かは分からないが、西洋の女性独特の匂いがして、20代の頃に頻繁にNew York に行っていた頃を思い出した。

自分でも理由はよく分からないが、僕は、西洋人の持つ独特のセンスオブユーモアや英語の抑揚がとても好きだ。

英語以外では、フランス語、イタリア語、ポルトガル語あたりの響きが気に入っている。残念ながら、ロシア語の響きは、あまり美しいとは思えない。僕にとっては・・・。

言葉の問題はさておき、ヨーロッパに行ったことのない僕は、欧州の香りがするらしいサンクトペテルブルグの街を、今からとても楽しみにしている。

異文化との触れ合いを楽しみたい。

「ファンド会社の言うことは絶対だから・・・」。

このエントリーのタイトルは、今日の帰りに夕食を食べに入った韓国料理のお店での、OLと思しき4人組の会話である。

「やってもダメだったことはいいんだけど、(行動に移す前から)予測してNGというのは絶対に許されないんだよね」。

「最近、うちの会社、軍隊的だから・・・」と続けていた。

10年前、いや、5年前だったら、ファンドという言葉は、極々一部の人たちの間でしか流通しない言葉だったはずが、今では、極々普通の人たちの間でも口にされる言葉(存在)になったということだ。なんとも感慨深いものがある。

僕はファンド事業に携わったことはないが、事業を再生する(立て直す)ことは、スクラッチから立ち上げるよりも大変だと思う。そのエネルギーは並大抵のものではない。

ところで、今朝のエントリーで、元通産事務次官で東京中小企業投資育成の社長を務められていた熊野さんのことを書いたが、そのことで、書きたいことがあり、こうして続編を書くことにした。

熊野さんのご子息から頂いたメールに、こんな一節があった。

「珍しく(笑)父が熱くインタースコープのことを話していたことを、今でも鮮明に覚えています」。

とても嬉しく思うと同時に、その期待に応えられず、本当に申し訳なく思う。

インタースコープに関して、どんなことを仰っていたのか?ご子息に聞いてみるつもりだ。

そして、そのことを励みに、もう一頑張りして、3つ目のヒット曲を創りたい。

人の縁:元通産省の事務次官

僕がインタースコープを経営していた頃、合計7社のベンチャーキャピタルからご出資を頂戴していたが、その中の一社、東京中小企業投資育成の熊野英昭社長には、とてもお世話になった。

大変残念ながら、熊野さんは2004年の12月末(だったと思う)、まだ、60代の若さで急逝されてしまったが、ご存命の頃、数えきれない程の投資先があっただろうに、お忙しい時間を割いて、親身に相談に載って下さった。

その当時のことを、ドリームゲートのブログに書いているので、興味のある方は読んで頂ければと思う。

ところで、つい先日、ある方のお引き合わせにより(とても感謝をしている)、なんとその熊野さんのご子息とお会いした。言葉にはできないものがあった。

彼(ご子息)は、子育て支援関連のビジネスを興され、会社の経営を始められたそうだ。

果たせなかった彼のお父さんとの約束を、彼との縁で、何かの形で具現化できたらと思う。

才能とは何か?

今日は僕が個人株主のひとりとして応援しているライブレボリューションの増永さんと久しぶりに会った。最後に会ったのは、昨年の暑い頃だったので、7~8ヶ月ぶりだろうか。

彼は僕よりも11才年下であるが、経営者としての才能は、僕よりもはるかに高い。

お父さんがゼネコンの役員をしていたらしく、お父さんの背中を見て育ったことが大きいのだろう。

しかし、父親の影響という意味では、僕の父も従業員2,000人を超える総合病院の事務長をしていたので、その父から学ぼうと思えば色々なことが学べたはずであり、父親の職業というよりも、本人の才能や努力が大きいように思う。

そんな増永さんは今「就職活動SNSリクトモ」の開発に夢中だそうだ。

僕の場合、今でこそ、それなりの論理性は身に付いていると思うが、そもそもは感受性で生きてきたタイプであり、会社の経営ということとは程遠い。

しかし、違う見方をすれば、時代の空気を感じ取る能力があるとも言えるわけで、実際、そのことには自信がある。

自分に合ったゴルフをすることが大切ということだ。

ゴルフと言えば、明日は定例メンバーでのゴルフである。

明日は僕が運転手(僕のクルマで行く)なので、今日の増永さんとの会食でのお酒は、かなり控え目にした。

自然体でのゴルフができますように。

37才の挑戦。

僕の大好きな「伊達公子」さんが、現役に復帰するという。心から応援したい。

中には「元女王の気まぐれ」という冷めた見方もあるらしいが、彼女の現役復帰によってテニス界にもたらされる刺激や経済効果は、かなり大きいと思う。

フェデレーションカップで全盛期のグラフを破った時にように、僕らに「勇気と自信」を与えて欲しい。

「父への手紙」。

4月4日。今日は、父の命日だ。因みに、父の誕生日は、4月27日。

桜の季節に生まれて、桜の季節に散っていった。

父が亡くなってから、21年。24才だった僕は、45才になった。時の経つのは本当にはやい。

ところで、父の名前は「正義(まさよし)」。妻の父の名前は「正吉(まさよし)」。

そして、本日(4/4)、弟の奥さんの弟さんの第一子が誕生した。因みに、弟さんの名前は「正淑(まさよし)」。

もうひとつ、付け加えると、僕らの結婚式の立会人をお願いした元H2Oの赤塩正樹さんの誕生日は、父と同じ4月27日。

単なる偶然なのか?神様の悪戯なのかはわからないが、僕は何かの縁を感じている。

ところで、昨日は、久しぶりにALBERTのオフィスにお邪魔し、元インタースコープの懐かしい面々に会った。山川さんと会うことが目的だった。

結果として、思いがけず、4時間も話をした。

山川さんと一緒にインタースコープ(インターネットリサーチ)の構想を考えたのが、1998年6月。あれからちょうど10年になる。

昨日は久々にクリエイティブな議論ができた。改めて、山川さんの才能を感じた。

デジタルガレージの林さんとJOI(伊藤穣一氏)も(共同創業者)、2004年の秋から、新たな関係でビジネスをしているし、僕らも何か、インタースコープの時とは違った関係でビジネスができるかもしれない。

ところで、話しを父のことに戻すと、父は生前、僕に、あることを繰り返し繰り返し、耳にタコができるほど言っていた。

「人生には必要なものが2つある。それは、『勇気』と『自信』だ」。

最近、父が生きていたらなあ・・・と思うことがよくある。

でも、父は55才という若さでこの世を去ったが、年老いた父の姿を見ないですんだのは、ひょっとしたら、僕にとっては幸せなことなのかもしれない。

今にして思うと、僕は父から、こうして「勇気と自信」をもらっている。

彼の耳に届くかどうかは分からないが、天国の父に、心から「ありがとう」と言いたい。

父に負けない父親になりたいと思う。

追伸:AERA「現代の肖像」

AERAの「現代の肖像」というコーナーで、インテリジェンス創業者のひとりである現「楽天球団オーナー兼社長」の島田亨氏の記事を読んだ。

彼は幼い頃、父親が借金を残して蒸発してしまい、とても辛い時代を過ごしたという。

サラ金の取立てが、当時住んでいた公団住宅の鉄の扉を激しく叩く。音がしなくなって外に出てみると扉に「死ね」と書いてあったそうだ。

褒められた話しではないが、実は妻の父親も、彼女が中学の頃、借金を作ったまま、暫く放浪生活をしていたことがあったそうだ。借金取りからの電話が100回以上も鳴り響くなか、彼女は高校受験の勉強をしていたらしい。

そんなこともあり、島田さんのインタビュー記事は他人事とは思えず、ついつい感情移入をさせられた。彼は、とても強い人だ。

僕には、彼のような生き方はできないが、他人の評価ではなく、自分の心の中にあるものを大切にしたいと思う。

追伸その2:アライドアーキテクツの中村さん面白法人カヤックの柳澤さん

AERAの「3社目の正直」で起業、という特集で紹介されていた。ふたりとも、才能豊な人だ。中村さんには「芯の強さ」、柳澤さんには「柔軟性」を感じる。

僕には彼らのような才能はないが、そういう才能のある起業家を発掘し、「投資育成事業」という係わりを通じて一緒にビジネスをしていきたいと思う。

ドリームビジョンの第一号投資先であるイミオの倉林さんには、彼らに勝るとも劣らない「才能」を感じている。イミオのメンバーと仕事をするのは、とても楽しい。

45才の初日。

今日は、僕にとっては記念すべき「年齢」の初日、つまり、誕生日だった。

なぜ、記念すべきかというと、産みの母が亡くなった年齢(45才)になったからだ。改めて、母の冥福を祈りたい。

さて、45才初日の話しを書く前に、44才最後の一日の話しを書いておこう。

先日のエントリーで予告したとおり、4ヶ月ぶりのゴルフに行った。

元アップルの前刀さん、森ビルの川端さん、そして、IFTOという「パフォーマンス向上(能力を発揮する能力の向上)」のための独自理論を構築中の蛭田さんと僕、という定例メンバー。

自分のゴルフをしてベストスコア更新の筈が・・・、何と近年稀に見る「酷い二日酔い」で敢えなくダウン。

何とかゴルフは出来たものの、行きのクルマの中ではひとり黙ったままで吐き気と戦い、無事にコースに到着したと思ったら、受付をしている最中に吐き気が限界に達し、受付終了後、トイレに直行し、嘔吐してしまうという、何とも情けない一日の始まりだった。

疲れがピークに達していたところに、金曜日は数年ぶりに会った大学時代のバイト先の後輩に「注ぐな!!!」というのにビールを注ぎに注がれて自分のペースを乱されてしまい、ついつい限界量を超えてしまったのだろう。

すべては後の祭りである。

さて、話しをゴルフに戻すと、そんなコンディションでまともなプレーが出来るわけもなく、また、そんな状態にも関わらず、ここ4ヶ月取り組んできたフォームを実践しようとしたことも災いし、128という、ここ数年、叩いたことのない無惨なスコアとなった。

でも、中には、ドライバーを275ヤードぐらい飛ばして、池越えの50ヤードの2ndをオンさせてパーを拾ったり、別のパー4では2ndをピンから1.5メートルにつけて、バーディは逃したもののパーを取ったりと、最悪なスコアの中にも、何とか自分を励ましてくれるプレーもあり、44才最終日のとても良い記念になった。

自画自賛のプレーはさておき、とても勉強になったことがある。

あるホールで、10を越えるスコアが確実となり、途中から「もうギブアップ(パーの3倍のスコアにしてもらう)でいいや」と思い、12打目にあたるパットが外れた時、60~70センチのパット(13打目)を残して「ギブアップ」と言ってボールを拾った瞬間、そのホールは「パー5」だと気がついた。

ギブアップ(パーの3倍)であれば「15打」になってしまう。

そんなスコア故、そのホールは「にぎり」には影響しないので、プレー後のお茶の席で自分の勘違いを説明し、認証してもらっていない60~70センチのパットを「OK」にしてもらい「13打」としたが、その一件で僕は、「遊び」で尚かつ「体調不良」とは言え、自分から「勝負を降りてはいけない」ということを学んだ。

相手はもちろん、自分にも失礼である。

そんなことで、記念すべき「44才最後の日」になった。

さて、「45才初日」の今日は、ドリームビジョンの個人株主でもある佐藤裕さんと彼の奥さんと「お花見」兼「妻の大学院修了のお祝い」兼「僕の45才の誕生日のお祝い」で、代々木公園に行った。

あまりの寒さで、お弁当を食べた後は急遽、僕らの自宅に移動し、5人+裕夫妻の愛犬とで寛いだ。

そんなことで、想い出に残る45才EVE&45才初日となった。

これからは、毎年毎年を「計画的」に生きて行こうと思う。

次の目標は、父親が亡くなった年齢である「55才」を元気で迎えること。

月並みだが、一日一日を大切にしたい。

追伸:ゴルフ場でお昼を食べていた時(僕は二日酔いで殆ど食べられなかったが/苦笑)のこと。隣のテーブルに「反町隆史」がいた。僕から見て左前に、なんか派手な「容姿」の男性がいるなあ・・・と思ったら、なんと、反町隆史だった。帰りは、運転手付きのセルシオで帰っていったらしい(僕はそのシーンは見かけていない)。