「お手伝いさん」という「原体験」。

「お手伝いさん」という言葉を知っている人はどのぐらいいるだろうか?

僕が「中学浪人(この言葉を知っている人も、はたしてどのくらいいるだろうか?)」をしている頃に知り合った友人の家には、「お手伝いさん」がいた。

そういう友人を持ったのは、初めてのことだった。

彼の父親は「創業社長」で、しかも郡山(僕の出身地)の出身ではなく、他から移り住んできた方だった。地元の経済会では誰もが知る存在だった。

その友人から聞いた話しでは、年商25億円(当時)だったらしい。何のコネもなく、一代で築いた年商である。

今の時代でこそ、イケてるベンチャー企業であれば20億や30億の売上は当たり前かもしれないが、1979年当時の福島県郡山市では、かなりの年商だった。

ところで、僕の家は貧乏ではなかったが、決して裕福な家庭ではなかった。

その僕にとって、彼の家は「羨望の的」となった。

でも、当時の僕は、彼の父親がどれだけの苦労をして会社を築いてきたのか、そのことは理解していなかった。というようりも、そのことを考えもしなかった。

今そこにある「果実」だけを見て、自分もその「果実」を得たいと思うのは、どう考えても勘違いはなはだしい。

そのことに気づくのは、僕が起業してからだった。浅はかな人間だった。

自分の人生の「プロセス」を信じる。

僕のブログに毎回コメントをくれる「坊主頭のりょうへいさん」が、とても素晴らしいことを書いていた。

「階段は一段ずつしか上れない」というエントリーに対して、以下のようなコメントをくれた。

自分の人生のプロセスを信頼するのだと。そして、生命がもってくるその経験を楽しむのだと。誰もあなたの体験は創造できないのだと」。

自分の人生のプロセスを信頼する。とても勇気づけられる言葉だと思う。

本当にこの道(選択)でいいのかな?と思う時があるが、自分の選択=プロセスを信じられなければ、その先の果実には辿り着けないのだから。

そして、「誰もあなたの体験は創造できない」という言葉にも感銘を受けた。

当たり前のことだが、自分の人生は自分でなければ創れないし、未来(先)のことを心配するのではなく、自分の人生の「プロセス」に集中することで、未来は開けるということだろう。

新年に向けて。

ドリームビジョンの創業と同時に、このブログを書き始めましたが、お陰様で200エントリー以上のブログを書き、多くの皆さんに読んでいただくことができました。

僕が精神的に落ち込んでいる時には、励ましのコメントを頂いたり、個別にご連絡を頂いたりと、このブログを書き出したことにより、多くの人に支えて頂いていることを実感することができました。

特に、200を超す僕のブログの「すべて」にコメントを下さった「坊主頭のりょうへいさん」には、年の瀬にあたり、心よりお礼を申し上げます。

今年は、「3度目の起業」と「初めての子育て」を通じて僕が経験したことや心境の変化から、少しでも僕のブログを読んで下さっている人達に対して何らかの参考になればと思うことを書いてきましたが、来年は、それらに加えて「事業開発」という観点で、このブログを書き続けていこうと思います。

では、皆様、良いお年をお迎え下さい。

新年も宜しくお願い申し上げます。

来年の「目標」。

仕事では「単年度黒字」。
私生活では「ゴルフで85以下のスコアを出す」。

NHKの取材

つい先日、NHKの方があることで取材に来られた。

今年、世の中の話題をさらったある出来事について書いた僕のブログを読んで連絡をして来られた。

僕の話が採用されるかどうかも分からないし、そもそも番組の放映前なので、企画を進めるに際してご迷惑をかけるといけないので、テーマは書かないでおく。

取材=番組のテーマは、一見するとドリームビジョンの事業内容とは関係のないことだが、彼の取材に応じて話しをしていくうちに、それはドリームビジョンの「企業理念」や事業内容の「本質」に深く関係していることに気づいた。

その出来事に対して僕が見出していた「意味」は、「生(きる)」ということや「信頼」「瞬間」「脆さ」ということとだった。別の見方をすれば「非言語コミュニケーション」の持つ「価値」と言ってもいいかもしれない。

話しは変わるが、先日、ある会社で実施している学生向けの面接講座を見学する機会を頂いた。

そこで、講師の方が言っていたのは、人間が相手を判断するのは、表情、しぐさ、服装、言葉の抑揚といった「非言語コミュニケーション」による部分が「85%」もあるということだ。

何も言葉を発しなくても存在感を持つ人がいたり、同じ話しをするのでも、誰が言うか?によって伝わり方が異なるのは、その人の持つ「オーラ」なり「雰囲気」の力によるものだろう。

更に言えば、その人の「生き様」が、そのような「非言語コミュニケーション」の力を生むのだと思う。

色々な意味で「生き方」が問われている今という時代において、取材のテーマとなった出来事は、僕にとっては、「生きる」ということの尊さや、自分以外の誰かとの「信頼感」といったものを改めて考えさせられる強いメッセージを持っていた。

詳細は、番組が放映された後に改めて書こうと思う。

繁栄は人間をダメにする。

今日のタイトルの言葉は、鰐淵美恵子さんという「銀座テーラー」という老舗を再生させた3代目女社長の言葉である。

昨日、数寄屋橋の本屋で目に留まり購入した「勝ち残りましょ、銀座で」という本の著者でもある。

僕のブログの読者は殆どが僕よりも年下だと思うのでご存知の方は少ないと思うが、彼女の夫は女優の鰐淵晴子さんの従兄弟にあたる。また、彼女の義父が「銀座テーラー」の創業者である。

僕もこの方が書かれた本を読んで初めて知ったことだが、歴代の総理を含めて、政財界の錚々たる方々が、この店(銀座テーラー)で「ハンドメイド」のスーツを仕立てているという。

ところで、彼女の夫は、いわゆる「遊び人」で、彼女はかなりの苦労をしたらしい。

彼女の夫が2代目の社長に就任した頃は、世の中がバブルの真最中で、カリスマ創業者(彼女の義父)が亡くなり、社内の求心力が低下して経営がおかしくなりかけていたにも関らず、銀座テーラーは業績が上向いて行ったそうである。

バブルの絶頂の頃、僕はODSというコンサルティング会社に勤めていたが、その当時は、不動産価格がうなぎ上りに上昇し、それを担保に銀行が挙って融資をしていた時代だった。その頃の記憶が蘇ってきた。

銀座テーラーの創業者は、商才に溢れた人で、不動産価格が安い頃に、テーラーで上がった利益を不動産投資に注ぎ込んでいたらしい。

それがバブル経済の頃、物凄い家賃収入を上げており、それを担保に銀行が青天井のようにお金を貸したという。

その金は何に使われたかというと、「絵画」だったそうである。

バブルが弾けてどうなったかというと、僕のブログの読者の方々が想像するとおりである。

さすがに金額は明記されていなかったが、彼女が「銀座テーラー」の経営に携わった時、別会社である不動産会社には、常識を超える額の融資がされていたという。おそらく、何十億という金額だったのだと思う。

その負債を抱えた状態で3代目社長になった彼女が、会社を救った(再生させた)わけである。

そして、その彼女が事あるごとに言っていたのが、「繁栄は人間をダメにする」ということだそうだ。

世の中の本質をついていると思う。

楽観・直観・志

僕が社外取締役を務めているラソナの記念すべき第1回目の社員総会が本日午後に行われた。

創業11年目に入り、第2創業のこの時期に、ラソナという会社は、何をするために、どこへ向かうのか?を、役員・社員全員で共有するためだ。

ラソナの創業者であり社長の岡村氏(通称ポン)とは、かれこれ13年の付き合いになるが、こうして、社員総会を行い、その席に僕が出席させてもらい、社員のみんなの前で話しをさせて頂くことになるとは、彼と知り合った頃は、当たり前だが、想像もしていなかった。人の「縁」というものを感じた数時間だった。

岡村氏が大阪芸術大学を中退し、単身スペインに渡り、5年間に渡り、画家としての活動をした上で、日本に帰ってきた頃に、プランドゥシーのオフィスで同社社長の野田という男に紹介されたのが出会いだった。

余談だが、今でこそ、年商100億円の会社になったプランドゥシーも、当時は恵比寿の雑居ビルに入っていた怪しげな、いつ潰れてもおかしくない会社だった。

ところで、今日の社員総会には、顧問の中(なか)さんという松下電器で松下幸之助さんがご存命の頃に働き、薫陶を受けた方も出席された。

その中さんの話しは、とても意味深く、考えさせられるものだった。

中さんは、松下電器を退職された後、政治の世界に関ったり、出版社の社長をされたり、ベンチャー企業の監査役等を務めたりと、多くの政治家や経営者と仕事をされてきた方である。

その中さんが接点があった「成功した経営者」に共通しているのは、「楽観的で直観力と志がある」ということだという。

自惚れかもしれないが、僕は「直観力と志」に関しては自信がある。しかし、「楽観的」かと言えば、むしろ、神経質な質であり、その点が今の僕を物語っているように思った。

その点、ポンは、その3つを兼ね備えている。

それが、僕が嫉妬するぐらい、中さんがポンを支援し、ポンのために時間を割き、彼の豊富な人脈を活用し、ラソナの成長を支援する理由なのだということが、今日の社員総会で分かった気がした。

中さんが言うには、「高楽観&低悲観」の人は成功するという。

それで言うと、僕は「中楽観&低悲観」のような気がする。

低悲観の方はいいとして、何故、僕が「中」楽観であり、「高」楽観になれないか?

それは、ポンと違い、中途半端に知識があり、中途半端にプライドがあり、そういう社会的立場を失うのが怖いからだと思う。

それらがないポンは、失敗しても死にはしないぐらいの感覚でいられるから「高」楽観なのだろう。

なにせ、スペイン語はひと言も話せないくせに、誰ひとりとして知り合いもいないのに、単身スペインに渡り、尚かつ、日本人として初めての「賞」を取ったぐらいなので、その生命力というか、カッコつけないというか、僕とは人間が違うと感じる。

彼のような生き方はできないまでも、彼の生き方から学べることは多々あると思う。