「NHK教育テレビ」。

子供が生まれてから、具体的には1才を過ぎた頃からだろうか、我が家では「NHK教育テレビ」を見ることが多くなった。正確に言えば、「NHK教育テレビ」以外の番組を見る余裕はなくなった(笑)。

毎朝08時ぐらいから子供を保育園に連れて行くまで、僕や妻が身支度を整える間、子供が僕らに遊んでくれと言ってこないように「NHK教育テレビ」を見せているわけだが、妻が子供を保育園に連れて行った後も、そのまま教育テレビを見ていることがある。

今朝は10時からラソナの経営会議があったが、ラソナは自宅から徒歩15分のところにあり、いつもより時間の余裕があったので、教育テレビを見ながらメールチェック等をしていた。

今朝の番組では、阪神淡路大震災で頭を強打し不幸にして障害を負ってしまった小学生と、その彼女が所属するクラスが校内の合唱コンクールに臨む姿が紹介されていた。

細かなことは省略するが、合唱コンクールの練習をしている最中に数人が「おしゃべり」をしたせいで、担任の先生は「全員で練習することを禁止」したらしい(僕の記憶は曖昧であるが)。

当初は、その先生がなぜ、そのような厳しい処置をしようとしたのかを児童たちは理解できずにいたが、徐々にその意図を理解し、最後はおしゃべりをした児童全員が「もう一度、みんなで練習させてください」と、懇願してきたという。

番組の中で、「おしゃべり」をした当事者のひとりにマイクが向けられていたが、その彼女が、「今までは、友達というのは、何か楽しいことを一緒にできればよいと思っていたが、今回の出来事で、友達とは一緒に何かを達成する相手のことだと思うようになった」と言っていた。

ごく普通の小学生がである。

考えさせられるものがあった。

追伸:「育児」は「育自」というらしい。当社の派遣社員の方から教わったことである。

「子供の発熱」と「親子の絆」。

昨日、子供が急に熱を出した。朝の時点では37度5分程度で、平熱か発熱かのボーダーラインだったが、その後、39度を超える熱が出た。そのことは、妻からのメールで知った。

保育園に連れて行ったものの、その時点で既に38度を超えていたようで、行きつけのお医者さんに連れて行ったところ、リンパ腺が腫れていると診断されたらしい。その後、処方してもらった薬を薬局で購入し、帰宅した後は、しばらく寝ていたようだ。

夕方17時前に、妻から今度は電話があった。

座薬を入れて一時は下がっていた熱が、まだ、ぶり返し、食欲がなくぐったりしているという。通常の食べ物は受け付けないので、何か食べられそうなものを作るためにスーパーに買い物に行きたいのだが、連れて行ける状況ではなく、また、ひとり置いていくわけにもいかず、出来たら、一度、帰って来てくれないか?という電話だった。

実は、17:30からラソナでMTGがあったのだが、社長の岡村に事情を説明し、まずは帰宅することにした。帰ってみると、たしかにぐったりとしていた。

何をするためだったかは覚えていないが、子供を抱きかあげたところ、急に嘔吐してしまい、僕の背中はドロドロになった。

妻が買い物に出掛けている間、子供をリビングに寝かせたまま、僕もソファーに寝転んだ。その前日、ドリームインテリジェンスのワークショップから帰ったのが遅かったので、寝るのが02時過ぎなり、睡眠不足で疲れていたせいか、ものの10~15分だろうが、うとうとしてしまった。

妻が買い物から帰った後、ラソナに行き、MTGに参加し、21:30頃に帰宅した。

実は、あることが気になっており、ここ数日間は心が重たい日が続いていたが、昨日は、さらに追い討ちをかけられたような気がした。さすがに疲れた一日だった。

話しは変わるが、今朝、恵比寿駅で電車を待っている際に、となりにいた女性が、「6歳にもなって、どうしてそんなに聞き分けがないの!!!」と、子供を叱り付けているところに遭遇した。どうやら、何かをこぼしてしまったらしいが、そのことでいつまでも駄々をこねているようだった。電車に乗り込んだ後も、その子が駄々をこねていて、母親が「いい加減にしてよ」と言っていた。

以前の僕だったら、「なんて我侭な子供&躾がなっていない母親なんだろう?」と思い、間違いなく機嫌を損ねていたと思うが、まがりなりにも父親になった今は、その母親の気持ちも子供の気持ちも理解できた。

何気ない日常のふれあいから、「親子の絆」が出来ていくように思う。

ところで、昨日から、藤原正彦氏の「国家の品格」というベストセラーを読み始めた。購入したのは随分と前のことだが、いわゆる「積読(つんどく)」状態になっていた。

実は、他にもたくさんの「積読」状態の本があるが、「若者はなぜ3年で辞めるのか?」とかいう本と「国家の品格」のどちらを読もうか?と一瞬、考えた。

何となく、今の僕にとっては「国家の品格」の方が得るものが多いような気がして、こちらを選択した。

彼はその著書で、「論理と合理」ではなく、日本古来の「情緒と形」が重要だと説いている。

まだ、最初の数ページしか読んでいないが、なんとなく理解できそうな気がしている。

追伸:数週間ぐらい前からだが、子供が機嫌が悪くなると、「お父さん、あっち」と言って、僕を嫌がるようになった。機嫌が良いときは遊んでくれとせがむのに、正反対のことを言う。妻に言わせると、昨年は毎週火曜日の夜は僕が保育園に子供を迎えにいき、そのまま一緒に過ごしていたが、今年になってからは、夜、一緒に過ごすことがないことが、原因のひとつではないか?とのことだ。心理学的にも関連があるらしい。

セカンドオピニオン。

郡山から東京に帰ってきた翌日の今日は、子供を病院に連れていった。

結論としては、アレルギー性のものだったようだが、昨日から右目が大きく腫れ上がってしまい、近所の眼科に行ってみたところ、やはり、お盆休みとなっており、日赤医療センターの眼科外来に行った。普段は混んでいて大変だが、こういう時に、年中無休の大病院は助かる。

担当のお医者さんは女の先生だったが、いかにも優秀そうでテキパキとした方だった。

実は郡山でも眼科に連れて行ったのだが、そこで看てくれた先生は若い方(おそらく20代か、せいぜい30~31才ぐらい)で、何となく頼りなさげな感じだったが、今日の先生とは診察結果も異なった。

診察の仕方や質問事項、納得のいく説明内容はもちろん、その雰囲気から発せられるものが、昨日の先生と今日の先生とでは全く異なった。医者(国家資格)だからと言って、誰でも信用できるとは限らない。弁護士でも公認会計士でも同じである。もちろん、経営者も。

さて、そんなことで今日の午前中は予定していたことが出来ずに終わってしまった。

人生は、ままならない。

初めてのグアム。

台風が日本に接近(上陸)している間、幸いにも晴天に恵まれているグアムで過ごし、昨日のフライトで無事に日本に帰ってきた。

グアムの空港からホテルまで送ってくれた現地の旅行会社の運転手さんが言うには、僕らが到着する前日までとても天気が悪かったらしい。また、グアムを出発する日は朝から物凄い雨で、天候に恵まれた旅行だった。

ところで、今日のエントリーを書き始める前に、新潟県中越沖地震で被災された方々に、心からお悔やみとお見舞いを申し上げたい。

さて、初日はホテルにチェックインした後、ホテルの中を散策し、その後、街中に出掛けた。日本からベビーフードを持って行ってはいたが、子供用の飲み物や食べ物などを買うためだ。

僕らが泊まったホテルはグアムの繁華街のほぼ中央に位置しているが、妻の提案で、何かという時に子供に食べさせるもの等をすぐに買いに行けることを重要視しての選択だった。結果として、とても便利だった。

また、これは笑い話だが、部屋にはちゃんとインターネット接続用のイーサーネットケーブルがあった。僕らの泊まったホテルはそこそこのホテルであり、無いはずはないな・・・と思い、改めて見てみると、テーブルの照明の下に用意してあった。

最近、出張で泊まったホテルの場合、必ず、インターネット接続用のケーブルという説明書きの小さなスタンドのようなものがあったので、それを探していたのだが、リゾートホテルのせいか、そのようなものはなく、僕の「固定観念」により、見過ごしていた。でも、妻からは、さすがに休暇に来てまで毎日ネット接続は止めてくれ(子供の面倒を看てくれ)ということで、部屋では一度もネットには接続しなかった。

グアム到着の翌日は、朝食を済ませた後、子供用の浮き輪とライフジャケットを持って、海とプールで遊んだ。というよりうも、子供を遊ばせた。最初は少し怖がっていたが、徐々に慣れてきて、翌日はひとりで泳ぎにならない泳ぎをしており、子供の柔軟性というか学習能力というか環境適応力に目を見張った。

学習能力という意味では、僕らが教えたということもあるが、人の集まる場所に行くと、Hello, Hello と手を振って人々を笑わせていた。また、その場を立ち去るときは、See you. Bye Bye. と言っていた。社交性があるのは、僕に似たのだろうか?(笑)

3日目(帰国前日)は、海やプールで遊ぶ前に、レンタカーを借りてドライブに出掛けた。

グアムは南北に約48キロ、東西は約14~20キロの島だ。

僕らの泊まったホテルは、グアムのメインのビーチ(西側)の真ん中にあり、そこから西海岸沿いを南に下り、最南端を通って東側の海岸沿いを北上し、途中でグアム島を横断して帰ってきた。全部で80~90キロぐらいだろうか。10時半過ぎに出て、途中で何箇所か観光スポットに立ち寄り、ホテルに戻ったのは、15:00頃だった。

ドライブの途中で立ち寄ったヨットハーバーに併設されているレストランでは、グアム基地に勤務していると思われる若いアメリカ兵士達が昼食を食べながら談笑していた。

彼らの姿を見ながら、ある映画を思い出したと同時に、ある意味、今の日本の平和が保たれている背景には彼らの存在があるし、その一方、沖縄での米兵の問題もあり、なんとも複雑な心境に駆られた。以前の僕だったら、同じシーンに遭遇しても、そういうことには思いをはせなかっただろう。

「ブラッド・ダイヤモンド(紛争ダイヤモンド)」という映画のことは以前にも僕のブログで紹介したが、その映画の監督が言っていた「世界は相互に関連しあっている(地球の裏側の出来事に誰も無関心ではいられない)」という言葉を思い出した。

また、走っているクルマにも発見があった。

まず、韓国メーカー「HUNDAI」のクルマがそこそこ走っていることが目にとまった。確実にシェアを伸ばしているようだ。

また、日産車では、MURANO の姿をよく見かけた。

HUNDAI のことで思い出したことがある。グアム滞在中にプールサイドで見かけたカップルの女性の方が、「月刊 朝鮮」という雑誌を読んでいたことが目に留まった。不勉強な僕は、アメリカと北朝鮮に国交があるのかどうかを知らないが、北朝鮮の経済状況を考えると、民間人がグアムに来れるとは思えないので、韓国の人なのだろうか?

また、それ以外では、中国語を話す人が多いことも印象に残った。以前にサイパンに行った時は、韓国語を話す人は多かったが、中国語を話す人はそれほどでもなかったと思う。「BRICs」ではないが、経済力という意味での新興国が、文字通り、経済力を高めていることを実感した。

因みに、グアムの人口は、14万5千人だそうで、5年前は13万人だったらしい。今も増え続けているという(行きのクルマの運転手による)。

僕が、「その人たちはどこから来ているのか?」と質問すると、「中国、フィリピン、ロシア、アメリカ本土」という答えが返ってきた。

さて、ドライブに話しを戻すと、最南端のあたりには、マゼランが初めて上陸したという記念碑が建っていた。一時期、スペインの統治下にあったらしい。

僕は正直に言って、グアムに来るまではグアムのことをバカにしていたが、歴史的な側面もかなりあり、また、島の雰囲気も含めて、かなり気に入った。時差は1時間しかないし、飛行時間も短いし、旅費も安いし、ハワイと違って「珊瑚礁」の島なので砂浜もきれい(砂が白い)だし、費用対効果を考えると、僕にとってはハワイに行くよりもずっといいと思った。とにかく、近いのと時差がないのが個人的には魅力的だ。自然の美しさという意味では、サイパンの方がもっと素晴らしいけど・・・。

さて、もうひとつ、今回の旅行で学んだことは、子供がいると、同じ子供連れの旅行者と仲良くなれるということだ。同じホテルに滞在していたある親子とはとても仲良くなり、彼らの子供(1歳半)と僕らの子供は仲良く遊んでいた。

また、子供ということでは、子供がいると、どうしても慌しくなり(じっとしていないし、機嫌が良くなったり、悪くなったり、くるくると状況が変わる)、ついつい「忘れ物」等をしてしまい、時間のロスが発生することを知った。そういうことも織り込んだ上で計画を立てる必要がある。

今回の旅では、普段の生活では気がつかないことをたくさん学ぶことが出来たが、最後にもうひとつだけ、グアム滞在中に思い出した(学んだ)ことを紹介したい。

今から20年近く前のことだが、当時の勤務先で上司だった林さんという人とニューヨークに出張し、そのまま現地で休暇を取って、サンフランシスコに行った時のことだ。

昔のことなので正確には覚えていないが、林さんがサンフランシスコに着いて暫くした頃、「サンフランシスコの住宅にはエアコンが付いてないな・・・(室外機の有無で分かる)」と言っていた。その前にいたニューヨークは、夏は摂氏で40度を越えることもあり、ほぼ間違いなく、すべての住宅にエアコンがついているが、当時のサンフランシスコでは、エアコンがある家がまばらだったのだろう。僕もその辺の記憶は曖昧である。いずれにしても、林さんは、その差異に目を留めていたということだ。

同じところに旅しても、同じことを経験しても、そこから学べることは、その人によって大きく異なるということだ。

当時の僕は、そんな「観察力」は微塵もなかった。

白髪が増え、髪の毛も薄くなり、体力も衰えてきてはいるが、その分、多少は利口になったと思う。

まだまだ、ゴルフも出来るし(尚且つ、20代30代の頃よりも格段に上達している。これは結構、自慢!!/笑)、こうして子供と一緒に旅行に行けることに感謝したい(している)。

社会という「仕組み」。

昨日は知り合いに不幸があって急遽、藤沢まで出掛けた。先日のエントリーで紹介した妻方の叔母と妻の母親がとてもお世話になっていた方のお母様が亡くなられ、そのお通夜に参列するためだ。

こういう時、僕たち夫婦は、どちらからの両親や親族が近所にいるわけでもなく、常に、子供をどうするかが問題になる。昨夜は、朝早く連絡したこともあり、保育園で延長保育をしてもらえることになり、助かった。

お通夜には、叔母と彼女の娘(僕らの従姉妹)と僕ら夫婦で向かったが、問題は交通手段をどうするか?だった。クルマで行くか?電車で行くか? それぞれ所要時間を検討した結果、電車で行った場合、藤沢駅から斎場までの移動時間、特に、帰りのタクシーにすぐに乗れるのかが不確定だったため、クルマで出掛けることにした。

渋谷で叔母達を拾って第三京浜、横浜新道経由で藤沢の斎場に着くと、所要時間は、予定どおり、1時間30分だった。帰りは、町田まで抜けて東名高速、首都高3号線を通って帰ってきたが、保育園に着いたのは、20:35だった。やはり、クルマで行った方が早かった。

とても慌ただしい半日だったが、行き帰りの車中で、久しぶりに会った従姉妹とも色々と話しをすることができ、そういう意味では何よりだった。

そして、保育園という存在のありがたさを、改めて感じた。

社会という「仕組み」に感謝したい。

「父と子」の触れ合い。

昨日のエントリーにも書いた叔母の家に遊びに行った際、近所の駐車場にクルマを停めた。叔母と僕ら親子とで近所の公園に散歩に行った後、駐車場に戻り、帰宅の途についた。

駐車場を出る前、子供を助手席に乗せると、彼は自分から運転席に移動してハンドルを握り、とても満足げな表情をしていた。それを見ていた叔母が、「やっぱり、男の子ね」と言って笑っていた。

妻がその時の模様をデジカメで撮っていたが、なかなか良い写真になっていた。親ばかの僕としては、このブログにアップロードしようかと思ったが、それは止めておいた。

こうして、今日のエントリーを書きながら、僕が2~3才の頃だと思うが、父親のオートバイ(スクーター)に乗って笑っている自分の写真のことを思い出した。当時の我が家にはクルマ(自動車)はなく、オートバイしかなかったようだ。

僕からせがんでオートバイに乗せてもらったのか? 父親が写真を撮ろうとして僕をオートバイに乗せたのかは分からないが、そこに、父と子の触れ合いがあったのは事実だ。

僕らの子供が僕の年齢になった時、彼はどんな人生を歩んでいるのだろうか?

子供の成長を見守るのは、とても幸せなことだということを、最近、少しずつ分かってきたような気がしている。

命のバトン。

GW最後の生憎の雨模様の今日は、妻の伯母の家に子供を連れて遊びに行った。

10:30頃から13:30頃までいただそうか。最初は緊張した面持ちだった我が子も、帰る頃にはすっかり慣れた様子で、伯父伯母と握手をしていた。

ところで、伯母の家で、伯母の若い頃の写真を見せてもらった。すべてがモノクロ写真で尚かつセピア色に色褪せていた。

当たり前の話しだが、僕らの存在(命)は今に始まったわけではなく、先祖代々続いてきた結果である。

僕らの子供にも命のバトンを繋いでいって欲しいと思う。

それが「親」というものの想いなのかもしれない。