「合議制」から「世の中を変える製品」は「生まれない」。

昨日の昼過ぎ、iGoogle を開いたら、「読んだことのある」タイトルが目に留まった。

「結果」を出すには「練習」はやめないとね。

僕が辻さんのブログを引き合いに出して書いたエントリーを、今度は辻さんが引き合いに出してエントリーを書かれていた。

彼のブログは勉強になる話が多いが、

「社長が煩悩の心(欲・怒り・迷い)を消せれば、成果は必ずあがってくる。そのために、社長とゴルフをするのが、最近の私のメインの仕事である」

という部分は、なるほどと思わされた。

ところで、僕は殆どゴルフの練習はしない。

正確に言うと、月1~2回、レッスンには通っているが、練習場に行くことは滅多にない。せいぜい年に2~3回である。

辻さんが言うように「時間がない」ことが一番の理由だが、何より、きちんとしたフォームで打たない限り、むしろ、悪いフォームを固定することになり兼ねないからだ。

また、練習場の「ライ」は「固定」だが、コースでは毎回、異なるライで打つわけで、そう簡単にナイスショットは出ない。

でも僕は、久しぶりに「練習場」に行こうと思っている。

ドライバーの調子があまりに悪く、どういうスウィングをすると、どういう球が出るのか?チェックしてみたい。

ところで、元エキサイト社長の山村さんのブログに、スティーブ・ジョブスのスピーチが紹介されていた。

There is ONE person responsible for everything regarding one product.
ひとつの製品の責任者は「1人」である。

There are zero committees at Apple- work in collaboration, do no decision making in a committee.
アップルは、委員会で物事を決めることはない。

ジョブスは独裁者だという話はしばしば耳にするが、「合議制」から「世の中を変える製品」は「生まれない」ということは事実だろう。

もうひとつ、山村さんネタ。こちらは、彼のTwitterでの発言。

「小沢は死なない。負けたっていうまで、負けじゃない。かんさんも、何度もまけてきた。代表選、年金問題。前原さんもね。アップルのジョブズだって一度、会社をおわれている。まだやれる」。

山村さんは「心」が「強い」方なのだろう。彼の文章を読んでいると、そのことが伝わってくる。

一度、お会いしてみたい。

何が一番大切なのか?

今日は法政での授業の後、ETICが主催する「イノベーション・グラント」なるソーシャルビジネスのビジネスプランコンテストの最終選考会に、コメンテーターとしてお招きいただいた。

「児童養護施設」で暮らす少年少女達の「勉強」を支援する活動をされていた大学4年生の女性が印象に残った。

就職せずに、その活動を続けるという。

志の高い人である。

ところで、外出続きでマスコミの報道は見ていないが、今日も鳩山首相の辞任と次の首相選びに関する話題が多かったのだろう。

特に政治に詳しいわけでもない僕がこの件でしつこくブログを書く必要はないと思うが、ひとつ、紹介しておきたい記事がある。

日経ビジネスOnlineで読んだ「辞任なんかじゃ許されない、鳩山首相が落とした“影”」というコラムのことだ。

僕は正直、この彼女の主張にはあまり好感を覚えなかった。

「理論的」には筋が通っているが、そこに「現場感覚」が感じられなかったことがその理由である。

但し、ひとつだけ、考えさせられたことがある。

~「何が一番大切なのか?」さえ明確になれば、リーダーとしてなすべきことが必然的に決まる。~

という一文である。

一国の首相に限った話ではなく、誰にでも当てはまることだ。

もちろん、僕自身にも。

「生き方」の根源である。

「目的と手段」と「民主党政権」。

今日は、とあるアポがあり、久しぶりに六本木ヒルズを訪ねた。

プライベートでは数ヶ月前にも行った気がするが、オフィスに足を踏み入れたのは久しぶりだった。

ビッグビジネスというか、おカネの匂いがした。

ところで、遂にというか?もっと早くにそうあるべきだったというか?社民党が連立政権を離脱した。

多くの方がそう思っていただろうが、理念の共有もなく、ただただ「政権を獲る」ためだけに参集した連立政権は、遅かれ早かれ、こうなることは「自明の理」だったと思う。

「普天間問題」が、そのトリガーになったということだ。

今回のドタバタ劇を見ていて、僕の頭を過ったのは「目的と手段」。

そもそも「政治家」の「目的」とは何か?

国政であれば「より良い国を創ること」だし、地方政治であれば「より良い地域を創ること」なのは言うまでもない。

しかし、政治家になり、自分が理想とする国家なり地域を実現しようとすると、まずはその「手段」として「選挙」に勝たなければならない。

ここに、現実というか、大きな矛盾(理念よりも「数」を優先)があるわけで、政権を獲らなければ、政策は実現できないということだ。

でも、悪いことばかりではない。政権が自民党から民主党に変わったことで、日本が直面する様々な問題が明るみになったし、上手くすれば、政治の世界でも「世代交代」が起きるかもしれない。

ところで、民主党では先日、「財政規律派」の議員連盟「国家財政を考える会」が発足した。

代表に就任したのは、小沢幹事長と距離を置くとされる「七奉行」の1人である「玄葉光一郎」氏だが、実は、玄葉氏と僕の弟(次男)は高校の同級生で、玄葉氏には何度かお会いしたことがある。

今や次期リーダーのひとりだ。

玄葉氏は、初会合の挨拶で、こう述べたらしい。

「政治家は保身を排して正論を主張し、それを実現する姿勢が必要だ」。

玄葉氏には是非とも頑張って欲しい。

話は変わるが、僕の父は生前、何かにつけて「目的と手段を履き違えるな」と言っていた。

政治の世界はさておき、自分自身の生き方において「目的と手段」を履き違えることのないようにしたい。

言葉にするほど簡単ではないが・・・。

「飽きる」のは「自分の成長が止っている」から。

昨日購入したMacBook Pro 13インチと15インチを較べるべく、また、Apple Store に行った。

結局は、13インチのままにすることにした。

現在のMacBook Proには付いているトラックパッドの拡大縮小機能を使えば表示エリアを変えられることと、やはり、持ち運びには13インチでないと辛いということがその理由である。

二度手間にはなったが、これで納得して13インチを使うことができそうである。

ところで、僕を担当してくれたApple Store の店員さんは、Apple 製品に関する知識が豊富なだけでなく、相手の知識レベルや使い方、また、僕の質問の意図を理解した上で、的確なアドバイスをくれる方だった。

社交的な性格も相俟って、お客さん受けが良いだろう。

どんな仕事をしても、その領域に関する専門知識も然ることながら、相手の求めていることを「理解する能力」の有無が、結果と顧客満足に大きな違いをもたらすことを実感した。

今回の購入で何人かの店員さんと話をしたが、彼は抜群に優秀だった。

ところで今日は、とあることで約4時間に渡り、英語でのMTGをした。

内容はとても楽しいものだったが、英語(外国語)での議論は集中力を要するので、かなり疲れた。

今晩は妻が学会関連の用事のため僕が子供の面倒を看ていたが、一緒に食事をしながら、眠くて仕方がなかった。

お風呂に入る前、ソファーに横になり、15分ほど仮眠した。

ところで、その「英語」のことだが、12歳で初めて接して以来、今も尚、興味関心が続いている。

以前は興味関心があったが、今はそれが無くなったものがたくさんあるが、「英語」は、唯一と言ってもいいほど、興味関心が続いている対象である。

因みに、「ニーチェの言葉」という本に「楽しみというのは、半可通な人の手にある」と書いてある。

また「飽きるのは自分の成長が止っているから」ということも書かれている。

つまり、成長を実感しているものは「飽きない」ということなのだろうし、「飽きない」から成長するのだろう。

こうしてブログを書きながら、僕が英語に対する興味関心を失わない理由は何か?と考えてみたが、それは僕は「人とのコミュニケーション」が好きなことと、自分を「表現」することが好きだからだろう。

「何を(一生の)仕事にすればいいか?」は、自分の「性格」に根ざしているかを判断基準にするのがいいように思う。

しかし、ドラッガーは「自らの強みと仕事の仕方が合わないことはあまりない。両者は相乗的である。ところが、強みと価値観が合わないことは珍しくない」と言っている。

この「後者」の折り合いをつけられるかどうかが、大きな問題である。

最近になって、そのことを痛感する。

幸いなことに、ようやく、少しずつではあるが、その折り合いがつきつつある。

多少は人間として成長したせいか?

ここ1~2年で、高い授業料を払ったからね・・・。

小学6年生の頃の「石川遼」と「イチロー」。

昨日のエントリーで書いた「<就活>廃止論」の書評とは言えない書評で、ひとつ、書き忘れたことがあった。

佐藤さんが著書の中で紹介していた、ゴルフの「石川遼」選手と野球の「イチロー」選手の小学6年生の時の「夢」が「鮮烈」だった。

僕が「鮮烈」と書いたのは、その夢の内容(まるで今の姿を予言しているようである)も然ることながら、小額6年生の時に、そのような「具体的」な「夢」を描けたことと、その「夢の実現」を信じて疑わず、努力を続けてきたことである。

僕はそもそも、小学6年生の時、どんな夢を持っていたかも憶えていないし、仮に何らかの夢があったとしても、その実現を本気で信じてはいなかったのではないかと思う。

要するに、彼らほど「自分の将来像」をはっきり描けていなかったということだ。

自分の将来像がはっきり描けないのだから、その実現を信じる以前の問題である。

では、どうすれば、彼らのように子供の頃から具体的な将来像を描けるようになり、どうすれば、その実現を信じられるようになるのだろう?

夢の実現を信じられなければ、努力を続けることはできない。

持って生まれたものが違うのかもしれないが、「環境要因」や「後天的」なものもあるはずである。

そのことに興味を持った。

日本の未来。

急性副鼻腔炎にも関わらず、土曜日は子供の保育園繋がりの友達家族と「筑波宇宙センター」に出掛けたり、日曜日は公園に遊びに行ったりとアクティブに活動していたせいか、今朝はかなり疲れが残っていた。

ところで今日は、ある方のお誘いで安倍元首相の昼食セミナーなる会合に参加させていただいた。

僕は安倍さんの支持者というわけでもないし自民党の支持者でもないが、講師の田原総一郎氏の話を聴きたいと思ったのが理由だった���

しかし、実際に出席してみると、予想に反して、とても勉強になった。

疲れが溜まっており集中力がないので、今日は詳細は割愛させていただくが、田原さんの話は「日本の近代史」。日本は「どこで間違ったか?」というもの。

田原さんが信頼しているという、近代史が専門の東大名誉教授「坂野潤治」氏に、「日本はどこで間違ったのか?」と質問をしたところ、その一年後(と言っていたと思う)に電話があり、日本は「満州事変」で間違えたという話だったそうである。

不勉強な僕は「満州事変」については中学で習っただけで、今は詳しいことは殆ど何も分からないが、それまでの日本は「アジアの植民地を欧州から解放する」ことを理念に外交をしてきたそうである。

日本が満州事変に突入した背景には当時、同盟関係にあった「イギリス」の支持が得られるだろうという目論みがあったそうだが、結果的にはイギリスに裏切られ(支持を得られず)、また、日本は「国際連盟」を脱退し、国際社会で「孤立」したという。

そこから、日本は「おかしくなった」そうである。

それを今日に置き換えると「日米同盟」ということになるのだろう。

ここから先は、田原さんの後を受けて挨拶をされた安倍さんの話だが、日米同盟の第五条には「米国の日本防衛義務」が記載されており、その代り、日本は「米軍に基地を提供する」ことが第六条に明記されているそうだ。

つまり、集団的自衛権を行使できない日本は、同盟国である米軍に「基地を提供する」ことで、辛うじて「対等」な立場を保っているということだ。

さらに言えば、日本に何かがあった場合、アメリカの「若い兵士」が命を懸けて戦うということを意味しているが、その逆はない、ということである。

昨年のいつだったか、あることで外務省の方と会った時、その方も同じことを言っていた。

にも関わらず、あたかも「日本から出て行け」と言わんばかりの鳩山政権(首相?)の対応は、アメリカにとっては「それでいて、困った時は助けてくれ」という虫のいい話は勘弁してくれと映っても仕方ないだろう。

オバマ大統領と僅か10分、それも正式な首脳会談ではない場での会話しかできなかった日本に対して、90分もの時間を割いてもらっている中国という構図が、今の日本の立場を如実に物語っているだろうし、このままでは、それこそ日本は国際社会で孤立しかねないと思う。

ところで、セミナー終了後、安倍さんと少しばかり話をさせていただく機会に恵まれたので、今日のような機会を「高校生や大学生、20代の社会人といった若い人にこそ是非、提供していただきたい」と提案したところ、真剣な表情で聞いて下さった。

欲を言えば、僕の話に「分かりました。そのような機会を是非、提供して下さい」と仰っていたことを、「そのような機会をつくります!」と言って欲しかった。

「票」にも「政治資金」にも繋がらないが、彼らこそ、日本の将来を担っていくわけで、彼らに「投資」しなければ、どこにも投資するところはないと思う。

話は変わるが、今日の夜はETICで、Mr. Jed Emerson という、米国初の「ベンチャーフィランソロピーファンド」設立者の話を伺った。

僕は彼のことは存じ上げなかったが、「Blended Value」なるコンセプトの起案者であり、簡単に言うと、利益を上げることと社会貢献的インパクトは両立するということを早くから提唱されている人らしい。

色々な意味で国際的に大きな転換期にあるのは間違いなく、その中で、自分がどんな役割を担うべきか?について、改めて考えさせられた一日だった。

貴重な機会を与えていただいたことに感謝したい。

追伸:ETICの宮城さんから、Mr. Jed Emersonとの懇親会にお誘いいただいたが、体調が優れず、丁重に辞退した。僕の信条として、縁がある人とは必ず、また会えると思っている。

株式会社とは?

今日の東京はとても暖かく、春のような陽気だった。

今週は今日のような日が続くそうだが、もう寒さの峠は越えたのだろうか?

ところで、民主党政権になって、公開会社法や企業の内部留保への課税など、企業経営に関する議論が活発になっているが、そもそも「株式会社」とはどういう存在なのだろう?

先程、Twitterでも書いたが、しばしば言われる「株主から経営を託される」という表現や立場は、プロ経営者やサラリーマン経営者の場合には当てはまるが、自ら起業する場合、つまり、自分のやりたいことを実現するための資金を株式を発行して調達する場合、それは託されるのとは違う。

その場合は、自分のビジョンや構想を買ってもらうということだ。

投資家(株主)は、その人物自身と構想のリアリティやリスクを評価して、買うか買わないかを決める。

また、起業家にとっては調達する金額が、投資家にとっては投資する金額が大きい場合、そのリスクを分散するために複数の株式を発行して、複数の投資家にお金を出してもらうわけだ。

株式を公開している会社であれば、経営者の能力や方針に疑問を感じれば、マーケットで売ればいい。

しかし、未公開の会社の場合、売ろうと思っても、そう簡単には売れない、つまり、流動性がなく、事業自体のリスク以外に「換金性」というリスクがあるということだ。

そういう意味で、同じ「企業」といっても、成熟した上場企業と未上場のベンチャー企業は、本質的に意味が異なる。

と同時に、そういうリスクを取って資金を投じる「投資家」は、起業家以上に「起業家的」である必要がある。

そういう意味で、成功した起業家がベンチャー投資家になるのは、理に適っている。

では、公開企業に関する法律や企業の内部留保に関する法律を立案するためには、誰の意見を聞き、誰との議論が必要だろうか?

労組が支持基盤の民主党政権は、経営者や経済学者の意見に耳を傾けるだろうか?