「意志」の力。

僕が20代の頃に働いていたオーディーエスというコンサルティング会社では、いくつかの「不文律」のようなルールがあった。文字どおり、文章には記されていなかったが、創業者の山口社長(当時)がよく話していたことである。

「冷たい現状認識と熱い対応」
「言わないことは聞こえない」
「情熱は信じない。信じられるのは『意志の力』」

これ以外にもいくつかの言葉があったが、ぱっと思い浮かぶのは上記の3つである。

さて、今日のエントリーのテーマを「意志の力」にしたのは、ある方が僕にくれたメールに、そのことが書いてあったからだ。

たしかに「情熱」と「意志」とは意味が異なる。

何かに対する「想い」があっても、それを「やり続ける」ことができなれば実現はできない。

とてもシンプルなことだが、そんなことを考えさせられた。

まずは、フェアウェイに出す。

先日のゴルフでは絶対にやってはいけないミスをしてしまった。技術的なミスではなく、「判断ミス」である。

午後の6番ホールで僕は第1打を林に打ち込んだ。かなり奥深いところまで入ってしまったにも関らず、一番確実にフェアウエイに出せるコースではなく、少しでも次のショットの距離を短くしようとして、少々難しいコースからボールを出そうとした。

結果は、林の中で「3打」叩き、そのホールは「8」となった。一発で出せていれば「6(ダブルボギー)」で済んだはずである。

絶対にやってはいけないミスである。「感情」に「理性」がついていかない、ということだ。

これが経営だったら・・・と思うと、言葉がない。

「心技体」の「心」を磨きたい。

最後の理事会。

僕の人生で初めての「住宅(マンション)」を購入してから丸2年。

高いお金を出して購入したわけだし、賃貸と違って、そこに住む人達とはこの先の人生を共に過ごすことになるので、マンションという「組織」の「カルチャーやルール」づくりに主体的に関りたいと思い、自ら進んで初年度の理事会メンバーになった。

2年目は、まったくもって「想定外」のことだったが、初年度の理事長からのご指名を受け、2代目の理事長として管理組合の仕事をしてきた。マンション前の道路は車の往来が多く危険であることから、住民にアンケートを取り、その結果をもって渋谷警察に陳情した結果、今年の夏には「横断歩道」が設置されることになった。

ところで、今日は管理組会の総会がある。理事長としての僕の仕事は、そこでお終いである。

この2年間は、子供が生まれたり、新しい会社を立ち上げたりと、僕の人生で今までにないほど「大きな変化」の最直中だったので、その時期に理事会の活動や理事長としての責任を果たすのはとても大変だった。

でも、結局は「与える人」が「最も与えられる」ということではないかと思う。会社でも何でも組織の経営は似たようなものでもある。

そのことを学んだ2年間でもあった。

また、積極的に理事会の運営に関ろうという方が少ない現実を考えると、他の人に任せてしまうのが心配な反面、かと言って、さすがにこれ以上はやりきれない。物事には何でも「潮時」というものがある。

「国や会社や組織」が何かをしてくれると期待するのではなく、自分自身が「国や会社や自分が属する組織」のために「何ができるか?」を考えて、愚直に「実践する」人が多い国や会社や組織は「発展」し、それらに「期待する人」が多いそれらは「衰退する」という至極当たり前の原理があると思う。

鉄の「意志」。

僕が20代の頃にお世話になったODSというコンサルティング会社の社長(創業者)は、「僕は情熱は信じない。信じられるのは『意志の力』だ」と言っていた。

たしかに「情熱」はどちらかというと「感情」に近いと思うが、「意志」は「理性」だろう。だから、「意志」の方が自分でコントロールできるということを言いたかったのではないかと思う。

そういう僕は「意志」は強いだろうか?

この3連休の初日(1/6)、あまりの大雨で風も強く、その中を埼玉県の新座まで大学院に出掛けていく妻が気の毒になり、僕は車で送っていった。

土曜日(1/6)は、悠生が保育園に行っているが、日曜日と祝日は保育園はお休みなので、仕事をしようと思ったら「土曜日(1/6)」しかないのは知っていたが、妻は子育てと大学院で忙しく、僕は仕事と「時々子育て」で忙しく、普段はゆっくり話す時間もないので、新座までの約1時間の間、久しぶりにゆっくり話しをするのもいいだろうと思い、送って行くことにした。

思いの外、道が空いていて、1時間はかからずに新座についた。

そのまま真っすぐ帰るのも勿体ないと思い、トイレに寄ったついでに、建物の中を散策した。とても立派な建物がいくつも建っている。

駐車場から一番近い建物に入ってみると、オシャレなカフェテリアや本屋、そして、映画(DVD )の上映室のようなものがあった。

様々な業界のリーディングプレイヤーの方が講演に来られているのだろうか?映画の上映室のような教室には、「業界研究」シリーズとして様々な企業の研究DVDの上映スケジュールが書いてあった。

立派な教育を「施す=受ける」には、お金がかかるということだ。

僕はそれを、ドリームビジョンとして、安く提供したい。設立記念パーティで120人の前で宣言した「10年後に大学を創る!!!」である。

ところで、その翌日は、家にいる時は悠生の世話をみる必要があり(歩けるようになって、より一層、一瞬たりとも目が離せない!!!)、また、なんだかんだと雑用があり、想定の範囲内であるが、仕事をする時間はなかった。

しかし、今日(厳密には昨日)は、どうしてもやらなければいけない仕事(経理処理)があり、妻に悠生を散歩に連れていってもらい、僕は家で仕事をした。なんとか一段落したので、悠生を連れて遅いランチを食べに出掛けた。

仕事は終わったわけではないので、夕食を食べた後、また、仕事をした。

今日は食事の時に絶対にお酒は飲まないぞ!!!と誓い、食後にまた仕事についた。

この後、メールを「3通」書いて、今日の仕事はお終い。

こんな日常の些細なことでも、「意志の力」が必要である。

「計画的」に行動する。

今年は計画的に行動するよう心がけようと思う。しかし、そもそも僕は、そういう生き方があまり得意ではない。

随分前になるが、Given Means & Given Goals ということを書いたことがある。米国ワシントン大学の方の論文に書いてあったことだ。

彼女はその論文を書くにあたり、数十名の起業家を取材した。彼らの成功に至るプロセスを分析すると、最初から今の姿(事業)を思い描いていた人はひとりもなく、その時々の「自分が持っていた(与えられていた)材料(Given Means)」で何ができるか?を考えて物事(事業)を進めてきたことが分かったという。

しかし、自分で創業した会社を全米あるいは世界的に著名な会社にまで育て上げた人を見ると、あるタイミングからは「Given Goals(目指す姿や目標)」を設定し、そこに到達するにはどうしたらよいか?を考えて、且つ、実行してきているとも書いていた。

数年前のことになるが、僕が自分の進路(進退)について悩んでいた時、ODS時代の上司で柴田さんという方に相談をしたことがある。

僕はその時、自分は「戦略を描くことが得意ではない」という話しをしたところ、柴田さんが「平石、お前はザクッとした『戦略』を描くのは得意だよ」と言われたことがある。

また、ある時は、インタースコープ創業メンバーの久恒整から、「平石さんは、ビジョンもあるし、戦技もある。でも、戦略と戦術がないんですよ」と言われたことがある。

ふたりの話しを自分なりに咀嚼すると、僕という人間は、基本的には「Given Means」的であるが、「Given Goals」的なところもある。しかし、自分が思い描いた「ビジョン(Goal)」を実現するための「How」を考える力が弱いということだろう。

実際のところ、方法(How)を考えるのは好きじゃないというか、そのことに興味がなかった。

それでも、何とか今までやってこれたのは、その部分を「僕以外の誰かが担ってきてくれた」からだと思う。

しかし、さすがに40才も過ぎて、これからはそうも言っていられないので、遅まきながら「How」を考えることに気持ちを集中させていこうと思う。尚かつ、自分らしさを忘れないようにして。

自分自身の備忘録として書いておくが、Dr.シーラボ(化粧品ベンチャーで今や一部上場企業)執行役員の神戸さんとの会話と、リンクアンドモチベーションの小笹さんのことを、この話の続きとして紹介したいと思う。

備忘録として、もうひとつ。

新年を機に、ブログの「テーマ」も変更、正確には新しいテーマを追加しようと思う。

そのひとつが、このエントリーのテーマである「自分を律する(自律)」。

もうひとつは、僕の人生に影響を与えた人達との「出会い」を考えている。