ここにクルマを停めて大丈夫なの?

今日は妻が終日、結婚式で外出。僕は終日、子供と一緒だった。

子供がまだ小さい頃は、僕ひとりで一日、彼の面倒を看るのはプレッシャーだったが、最近はだいぶ聞き分けが良くなり、それほど苦にならなくなった。

午前中は絵を描いたり、ひとりでオモチャで遊んだりしていたが、11時半頃に家を出て、ガソリンスタンドに向かった。

実は先週の金曜日、ガソリンスタンドにクルマを置いて、修理に出していた「靴」を取りに行ったのだが、その「靴」をスタンドに忘れてしまったことに今朝になって気がついた。

実は、ちゃんとお金を出して買ったら「6万円以上」もする「オーダーメイドの靴」である。

失くしてしまったのでは、贈って下さった「今井さん(靴職人)と添田さん(プロデューサー)」に申し訳がたたない。

朝一番でスタンドに電話をしたところ所在が確認でき、胸を撫で下ろす。

さて、大切な靴を取ってきた後は、お気に入りのレストランで食事をした。

久しぶりの僕との一日を楽しんでいたのか、我が子は饒舌だった。

ところで、4歳8ヶ月になった彼は、なかなか高度な会話を挑んでくる。

「好き嫌いをしないで何でも食べないと大きくなれないよ」という話をしていた時だったと思うが、彼が「ビタミンBが入っているから豚肉は身体にいいんだよね?」と聞いていたので「そうだよ」と答えると、「でもさあ、ビタミンBアレルギーの人はどうする?」との質問・・・。

予想外の質問に、答えに窮してしまった(笑)。

気を取り直して、「たぶん、ビタミンBアレルギーの人はいないと思うよ」と答えるのが精一杯だった。

食事を終えた後は、薬局により買い物をした後、彼がお気に入りの公園へ。

その公園の横はクルマを停めておいてもまず駐禁は切られない場所なのだが、僕がクルマを停めようとすると「ここにクルマを停めて大丈夫なの?」と訊いてきたので、「時々、見ていれば大丈夫だよ」と答えると、「長く遊びたいから駐車場に入れて」との切り返し。

「正論」には逆らえず、仕方なく駐車場へ。

実際、2時間近く、公園で遊んでいた。

さて、公園を出た後、買い忘れたものを買いに薬局に向かうと、途中で眠ってしまった。

盛りだくさんの一日が終わった。

ところで、サッカー日本代表がイングランド相手に「善戦中」!!

頑張れニッポン!!!

「子育て」に「リハーサル」はない。

ほぼ終日、生憎の雨模様だった月曜日の東京。でも、さすがにもう真冬の寒さではない。

ところで今日は、古い友人が新規事業を始めるということで、彼にその道のプロの女性たちを紹介するために某所まで出掛けた。

彼女達の忌憚の無いとても貴重なコメントを聞きながら、何をやるにも「自分(たち)は何屋なのか?」を明確にすることが、成功の最重要事項だということを再認識させられた。

世の中はある意味、とてもシンプルにできている。

ところで、僕が時々読んでいるブログに、とても考えさせられる内容が書いてあった。

その内容は「心配性の心理学」なる本のことだが、心配性の人は自己申告で「小中学生で約50%、高校大学生で約65%」もいるらしい。

「自分のありのままの姿を拒絶され、ありのままの行動を否定され、ありのままの考え方をたたかれてきた人は『私は、受け入れられていない』という無意識の感覚を持つようになります。

こういう人は『私は、受け入れられていない』という強い恐怖感が心を支配し、他人に恐怖を抱きます。

その結果、どうするかと言いますと、他人の前で『演技』をするようになります。

演技しなければ、他人に受け容れられない、という強い不安があるからです。

こうした人は『他人は、自分のありのままを認めてくれない』と思っているのですから、演技をすることで自分を守ろうとします」。

心配性の僕には、思い当たる節がたくさんある。

ひとつは、父方の祖父。もうひとつは、小学校の時の担任の教師。

祖父は僕たち兄弟がケンカをすると、その理由の如何を問わず、「大きい者(年上)が悪い」と言って毎回、僕に「ゲンコツ」を見舞わした。

それがとにかく痛いゲンコツだった。

そして、弟(次男)は、その「法則」に気づいてからは、形勢が悪くなると「嘘泣き」をした。

それで「ゲンコツ」である。

僕は子供ながらに「どうしてこんな理不尽なことがあるのだろう・・・」と思っていた。

小学校4年生から6年生の時の教師は、何を勘違いしたのか?ある時から「平石はいつも、掃除をさぼる」と言い、僕がいくら一生懸命に「掃除」をしても、「平石はサボっていなかったですか?」と隣りのクラスの担任の先生やクラスメイトに訊いたりしていた。

はっきり言うが、「冤罪」である。

彼女が今、僕の目の前にいたら、彼女はいかに「教師」としては「失格」であるかを論理的に説明して差し上げるのだが、当然のことながら、小学生の僕にはそれは出来なかった。

「落ちこぼれ」シリーズのエントリーでも紹介した高校の時の「橋本祐一郎」という教師のことも含めて、彼・彼女達の存在が、僕に「教育」に対する憤りを感じさせ、日本の教育システムをガラガラポンしたいと思わせるようになったのだと思う。

ところで、たしか2月下旬だったと思うが、Twitterで知り合った15歳まで欧州で過ごしたという「帰国子女」のある女性とランチをご一緒した時、彼女が「たまたま担任の先生に恵まれた」と言っていたが、教育においては「誰が担任だったか」が、その子の人生を大きく左右するということを、自分の生い立ちを振り返りながら思い出した。

「子育て」に「リハーサル」はなく、最初から「本番」である。

我が子が「4歳半」になり、だんだんと「自我」が芽生えてくるに連れ、親の「影響力」と「責任」の大きさを、痛いほど実感するようになった。

もちろん、教師も。

「主体性」と「多様性」を何よりも尊重し、その子の「個性」を伸ばしてあげたい。

追伸:変な「優越感」についても同感である。僕の中にも「歪んだ優越感(間違ったプライド)」があり、それが自分の「選択肢」を狭めてきた(ことにある時、気づいた)。そのことについても、別のエントリーで書きたいと思う。

ドロップアウト。

今日の東京は生憎の曇り空。時折、小雨も混じり、肌寒い一日だった。

さて、今日は午前中、近所で子供を遊ばせた後、午後から中目黒の目黒川沿いに行ってみた。

物凄い人でびっくりしたが、両岸の出店で食べ物を買い、親子三人で花見を満喫した。

ところで、Twitterでも書いたが、昨日は近所の小学校で、子供のサッカー教室があった。

厳密に言うと「体験教室」だったのだが、運動神経の発達が遅い我が子は周囲の子供たちについていけず、休憩の時に、僕が「サッカー楽しい?」と聞くと無言だったので「ふつう?」と聞き返すと、僕の耳元に口をもってきて「つまんない」と本音を漏らした。

子供ながらに我慢をしてやっていたのだろうが、一度、口に出してしまうと緊張の糸が切れたのだろう。休憩が終ってもグランドに戻ろうとしなかった。

僕の教育方針が正しいかどうかは分からないが、何事も無理強いしても良い結果が出るとは思わないので、彼の気持ちを尊重し、初日の途中でのドロップアウトを善しとした。

彼がまだ1歳ちょっとの頃、ドーパミンンの分泌が正常に機能せず、睡眠障害があったり、運動神経の発達がやや遅く、3歳半ばぐらいまで、専門の小児科医の元へ定期的に通っていた。

そんなこともあり、同じ年齢の子と比較すると、どうしても運動能力に劣るのだと思う。

それは置いておいたとしても、僕も小学校の頃は、運動は極々普通で目立たず、中学校に入ってから得意になっていったことを考えれば、それほど心配しなくてもいいように思う。

また、僕は「英語」は得意で、中学2年生までは、予習も復習もせずに単語はすべて一発で憶えることができたが、「数学」はとにかく不得意だった。

小学校の時の「算数」は常にクラスで、1番か2番だったんだけど・・・。

いずれにしても、子供にはそれぞれ個性があり、運動が得意な子もいれば、勉強や音楽が得意な子もいるわけで、ありのままの彼を見守ってあげようと思う。

しかし、母親にとって「男の子」は特別な存在らしく、妻は大きなショックを受けていた。

今日は、朝から昨日のサッカー教室の話で持ち切りだった。

こうして考えてみると「ベンチャー投資」というのは、子供を育てることに相通ずるものがあるような気がしてきた。

幾ばくかのおカネは出すが、自分が経営するわけではなく、ましてや、実務を担っているわけではない。

事業をやるのは、経営陣であり、社員のみんなである。

つまり、一般論での戦略は、時として意味を為さないことがある。

そのチームにとって有効な戦略や相応しいやり方がある。

その「良いところ」を挽き出してあげるのが、コーチの役割だと思う。

そんなことを考えた日曜日だった。

追伸:妻が言うとおり、このままでは、体育の時間は嫌いになってしまうだろう。そう考えると、僕も心が痛む。何でもいいので、彼が得意な何かを見つけてあげたい。

妻は「ご機嫌」で帰ってきた・・・。

今日は今週2度目の「保育園のお迎え当番」の日だった。

朝、母親と一緒に家を出る時に「17:45ね!!」と言っていた我が子は、僕が17:55に保育園に到着すると、喜んだ表情を見せた次の瞬間、「なんで、17:45じゃなかったの?」。

子供は、何でもよく憶えている。

僕は僕で17:45に間に合わせようと必死に家を出たのだが、彼は彼で「17:45」を心待ちにしていたのだ。

夕食は、久方ぶりに、目黒通りを環七方面に向かった、とある住宅街にある「お蕎麦屋さん」に食べに行った。

彼は、子供ながら、かなりの「蕎麦ツウ」である。

妻と僕とふたりでは何度か行ったことのあるお店で、昨年の夏、彼とも一度だけ行ったことがあったが、その後は行く度に「定休日(学習能力がない/泣)」で、今日は「営業日」だということを確認し、久しぶりに行ったのだった。

彼はそのお蕎麦屋さんを「ぺろぺろキャンディのお蕎麦屋さん」と呼ぶ。

以前に行った時に「ぺろぺろキャンディ」をもらったからだ。

お蕎麦を食べ終わり、会計の前にトイレに連れて行くと、「お店の人に(ぺろぺろキャンディを下さいって)言った?」と訊くので、「自分から言ったら変でしょう。お店の人が『どうぞ』って言ったらいいけどね」と言って出てくると、お店の人が「ぺろぺろキャンディ、あげてもいいですか?」と訊いてきた。

夏に「もらった時」(お店の人が彼にぺろぺろキャンディをあげようとした時)、僕が「甘いものはあげないようにしているんです・・・」と言ったことを憶えていたのだろうか?

我が子は「ありがとうございます」と言って、喜んでもらっていた。

ところで、今日は忙しい一日だった。

とは言っても、普通の会社勤めの人のそれとはちょっと違うんだけど・・・。

かれこれ、もう2週間になるが、喉というか気管支のあたりの調子が悪くなり、かかりつけのお医者さんに看てもらっているのだが、なかなかよくならず、今日は「息子さん」ではなく、僕の主治医?の「お父さん」の方に看てもらいに行った。

息子さん(ハーバード出身!)がイケテナイわけではなく、お父さんの「経験」には勝てないのだ。

ラッキーなことに、いつもは激混みの医院は今日はガラガラで、僕を含めて患者はふたりしかいなかった。

いつもは、ものの数分で終るのに、今日は「お父さん」が饒舌(性格的にはそもそも饒舌なんだけど/笑)で、僕の亡くなった両親のこと、僕の既往症のことなどを話し、「そうか。だったら、ターゲットはこの辺だな。だんだん絞り込めて来たね/笑」という感じで「問診」をしてくれて、「こんなにゆっくりしてて、次の患者さんを待たせていないだろうか・・・」と心配してしまうほどだったが、なんと、その時点では、患者は僕ひとりになっていたようだ。

さて、「お父さん」との充実した「会話」を済ませて居心地の良い「医院」を出た後は、月末の支払いで銀行へ。

こちらは、だいたい「想定の範囲内」の混み具合。iPhoneでTLを読んでいるうちに、すぐに僕の番が来た。

銀行の次は「整形外科」へ「リハビリ」に。これまた空いている。

どうやら、今月下旬になってから、小さな病院(医院)は、患者さんが少なくなっているようだ。

新型インフルエンザも一段落し、年末年始で体調を崩した人達も、通常モードに戻ったということだろうか?

さて、銀行を挟んでクリニックをハシゴした後は、加湿器のフィルターと加湿器をもう一台買うために渋谷のビックカメラへ。

実際、そこそこ待たされたんだけど、iPhoneでTLを読んでいるうちに、「お待たせして申し訳ありません」と言って、店員さんが梱包した加湿器を持ってきてくれた。

iPhoneというかTwitterのお陰で待ちくたびれ感はなかったのだけど、肉体的には「持病の腰」が痛くなり、嵩張り重たい加湿器を持って混んでいる山手線に乗るのは嫌だな・・・と思い、一瞬、タクシーで帰ろうか?と思ったが、たいした稼ぎもないくせに、それは贅沢!と思い直し、えっちらほっちら、電車で帰ってきた。

タクシー代をケチったついでに「昼飯代」もケチろうと思い、近所のスーパーでレトルトのカレーやハヤシライスを買い込み帰宅すると、「ご飯」がないことに気づく・・・。

仕方なく、近所にある「オーガニックなレストラン」に行き、1,000円のランチを食べる。タクシー代がお昼ご飯に化けたわけだ。

ところで、僕は意図してそうしているわけではないのだが、オフィスや住まいの近所に必ず、行きつけのお店ができる。

下北沢でも久我山でも中目黒でも代官山でも池尻大橋でも青山でも、どこでもあった。

そして、それらのお店には、今でも時々、行っている。さすがに、久我山のお店には滅多に行かないけど・・・。

さて、遅いランチを済ませると、時計の針は、もう16時。

保育園のお迎えの時間まで、あと1時間半しかない。

実は、来週水曜日のJAGAT主催のカンファレンスでの講演資料(と言っても、僕はモデレーターなので、大した資料は要らないんだけど)の締切が今日で、ギリギリ、駆け込みで送付した。

そんなことで、今日はもうお終い。

子供がいると、一日はアッという間に過ぎて行く。「夜」は「自分の時間にはならない」のだ。

小さなお子さんをお持ちのお母さん方は毎日のことだが、夜は、子供を寝かしつけながら、どうしても、自分も寝てしまう。

で、こうして、23時過ぎに起きてきて、メールをチェックし、返事を書き、ブログを書いている。

・・・と、かなりご機嫌な様子で妻が帰宅した。

気がつくと、もう眠っている。化粧は落としたのだろうか?

明日、二日酔いでないことを祈る。

お下がり。

3連休明けの今日、我が子は「静かに」起きてきた。

連休中の笑顔はなく、朝食の間も口数は少ない。

でも、泣こうがわめこうが、もう以前の保育園には戻れないことは覚ったらしく、ダダをこねること無く、家を出た。

今日は妻の仕事の関係でクルマで保育園まで送っていき、「お父さんも一緒に(保育園の)中まで行こうか?」というと「お父さんはいい!」と言い、母親とふたりで保育園に入っていった。

自分でも泣いてしまうと思っていたのだろう。

泣くと僕に叱られるのが分かっていて、遮ったわけだ。

子供ながらに色々と考えていることが伝わってくる。

彼なりに頑張っているわけだ。

ところで、僕たちの子供が着ている洋服は、我々夫婦の友達のお子さんのお下がりが多く、殆ど買ったことがない。

また、我が子には小さくなった「お下がり」は、また「お下がり」として、保育園繋がりの友人宅に転籍していっている。

GDPには貢献していないが、モノを大切にするのはよいことである。

でも、靴だけは、そうはいかず、自分たちで買っている。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」

上の写真は、我が子のお下がりの靴を履いた前の保育園で一緒だったお友達。

こうして活躍していることを知ると、嬉しいよね。

想いも一緒に繋がっている気がして・・・。

「既成概念」を「アンインストールする」。

遅まきながら連休中日の今日は、我が子にお年玉をくれた友人夫妻と一緒に、明治神宮に初詣に出掛けた。

僕たち夫婦は1990年代の半ばからなので、もう15~16年、初詣は明治神宮と決めている。

理由は色々あるが長くなるのでここでは省略。

松の内も明け(元々は15日までらしい)、さすがにもう混んでないだろうという僕の読みは甘く、原宿駅側の駐車場入り口は閉鎖されており、仕方なく、周囲に駐車することに。

幸運にも明治通り路上のパーキングスペースが「2台分」連続して空いているところを発見。駐車料金を300円で済ませる。

ところで、子供ができてからは、三が日に初詣に行ったことはない。物凄い賑わいで、さすがに乳幼児を連れて行くのは辛い。

さて、その明治神宮。初詣シーズンには何かしらの装飾が施されている。

今年は見事な「氷細工」が何十体も並んでいた。

その先頭に鎮座していたのが、下の写真の干支のトラ。トラの下は、正面入口から見た本殿。

我が子にもお祈りの仕方を教え、全員で柏手を打ち、初詣を終えた。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」

さて、初詣のあとは恵比寿にある「ビストロ・シロ」というお店でランチ。

リーズナブルでとても美味しい。最近のお気に入りである。

ここでちょっとしたハプニングがあった。

我が子がどうやら魚の小骨を喉につまらせたらしく、いきなり、大粒の涙で泣き出した。

10~15分ぐらい経っただろうか、パスタに入っていたエビを食べさせたところ、刺さっていた小骨ごと胃袋に送り込んでくれたらしく、ようやくご機嫌に。

子供がいると、いつ何時、何が起きるか分からない。

親は常に臨戦態勢である。

ところで、我々はしばしば「童心に返る」と言うが、それは「大人の知見・視点を保持したままで」のことであり、実際にはなかなか難しい。

ランチの後、近隣の公園に行き、しばしの間、子供を遊ばせていたのだが、僕の妻が「そんなところ、汚いからやめなさい」というのを聞かずに、彼が僕の手を取り、あるところに連れて行った。

排水溝のようなところなのだが、昨年まで通っていた保育園のお散歩でよく来ていたのだろう。

「落ち葉」を排水溝に詰めたり(彼は隠しているつもりのようだ)、「これは汚いから、こっち」と言ってブロックの隙間に押し込んだり、また、壊れたパイプを水道に、その中に入っている砂を石けんに見立てて、「はいっ、手を洗って下さい」と言って、僕の手に砂をかけていた。

覗き込むと、パイプのような中にはプラスティックのスプーンが入っていた。

考えてみると、僕が子供の頃は、ドブ川でザリガニを獲って遊んだり、トンネルの中に入ったりと、公園の排水溝どころではない、もっと汚いところで遊んでいた。

そして、それが普通だった。

母親にしてみれば、インフルエンザの予防のために、とにかく、手洗いとうがいを習慣化しており、わざわざ、ばい菌が棲息していそうなところで遊ばなくても・・・となり、知識という「リスクマネジメント」を身に付けてしまうと「童心に返る」のは難しくなるのだろう。

何も教えないのに、いつの間にか妻のパソコンのマウスを上手に使いこなしている我が子を見ると、「既成概念」を「アンインストールする」ことの大切さを教えられる。

保育園の「給食」。

先程、妻からメールがあったのだが、大食漢の我が子が、保育園の給食を殆ど食べなかったらしい。

昨日から「以前の保育園がいい・・・」と繰り返していたが、そこまでとは思わなかった。

親バカながら、心が痛む。さて、どうするか?

朝食を食べていた時に「以前の保育園がいい」とあまりに繰り返すので、「頑張って新しい保育園に通って、もう少しお兄ちゃんになったら、120階(実際はそこまでないが、ニューヨークのエンパイアーステートビルのこと。彼は、高いビルが大好きなのだ)のビルに上りに、アメリカに連れて行ってあげるから」と言うと、少し元気になって登園していったんだけど・・・。

その健気な我が子の顔をみて会話をしてから出掛けようと思い、外出先から戻ったついでに、自宅で待機中。

僕がまだ独身の頃に親しくしていた年上の友人夫妻が、「子育てほどクリエイティブなものはない」と言っていたが、その言葉を思い出す。

・・・と、ここまで書いたところで、我が子が帰ってきた。

玄関で「保育園の給食、あんまり食べなかったんだって?」と訊くと、「え・・・」と返事。

「お母さんから聞いたんだけど・・・」と言うと、「大丈夫」。

子供ながらに、親に心配かけたくないのだろう。

妻が保育園の先生から話を聞いてきたところ、どうやら、今日のことだけではないらしい。

初日から、食欲がなかったようである。

昨年まで通っていた保育園では必ず「おかわり」をしていたことを考えると、4才児の彼にとってはギリギリの闘いをしているのだろう。

何とも心が痛む。

ここは僕たち親もぐっと我慢。

さて、僕はそろそろ出掛けよう。