久しぶりの「新宿御苑」。

先日の日曜日は、久しぶりに「新宿御苑」に行った。最後に行ったのは、昨年の秋だったような気がする。

残念ながら、先日は天気はいまひとつで曇り空だったが、それでも、広大な敷地に敷き詰められた手入れの行き届いた「緑の芝生」と樹齢何十年という様々な樹木、そして、それらとのコントラストが効いている新宿の高層ビル群。

都会における静寂というか、自然というか、表現が難しいが、人々の心を静めてくれる空間がある。

New York のセントラルパークを思い出した。

前回来た時は、僕らの子供はまだよちよち歩きで、一人にしておくと何をするか分からず、また、長時間歩き続ける体力もなく、途中で眠ってしまった彼を、暑い中、僕が抱っこして歩く、ということがあったが、今回は、何かのオフ会の集団と仲良くなり、彼らが遊んでいた「シャボン玉」が気に入ったようで、一緒になって遊んだりと、成長が見て取れた。

東京の一角に、こんな素晴らしい場所がある。

経済効果だけでは計れない大きな価値を感じる。

家族の触れ合い。

夏休み最終日の日曜日は、都内のお寺で、妻の両親の七回忌の法要を行った。

僕たちの子供も連れて行ったが、お坊さんのお経に併せて、お経のような歌のような言葉になっていない彼流のお経を読んでいた。おまけに、僕たちがご焼香をする姿を真似て、自分ひとりでご焼香をしていた。子供は、習得がとても早い。

法事の後は、妻の兄と彼の元の奥さんと僕たち3人で昼食を共にした。久しぶりの再会に最初は照れていた僕たちの子供も次第に慣れてきて、大はしゃぎで喜んでいた。

妻の両親の兄弟は既に亡くなっている人も多く、また、健在の人も自分で移動するのは大変ということもあり、今回の法要は「5人」で行ったが、昼食の席で、このメンバー(家族)での会食は楽しいということを思い出し、家族がいることは幸せだということを改めて実感した。

大家族で育った時の思い出とも、帰省中に親族みんなで過ごした時とも違う、妻方の家族との触れ合いを大切にしたいと思った。

僕たちの子供のためにも。

そういう意味では、妻の両親が生きていてくれたら、僕らの子供の誕生をどんなにか喜んでくれただろうに・・・と思う。

久しぶりの「報道ステーション」。

臨床心理を学んでいた妻は先月末、何とか無事に大学院を修了し、今月から週に数日、働いている。

仕事が終わった後は、勉強会があったり、学会関連の会合があったりと、時々、帰りが遅くなることがある。

今日は大学院でお世話になっていた教授が主宰している研究会があるとのことで、今現在、まだ、帰宅していない。

そんなことで、今日は僕が子供を保育園に迎えに行った。

宵っ張りな彼は、時として、22時を過ぎても寝ないことがあるが、今日は何とか21時半過ぎには寝てくれた。

彼を寝かしつけながら僕もウトウトしてしまったが、リビングに戻ってきて時計を見たら、ちょうど「報道ステーション」が始まった時間だった。

この時間に自宅に帰ってくることは子供を迎えに行った日ぐらいしかなく、久しく報道ステーションを見ていなかったことを思い出し、久しぶりにチャンネルを合わせてみた。すると、山口県の補欠選挙の模様が報道されていた。

たまには、こういう時間を過ごすことが気分転換になることはもちろん、人々の心理を理解するためにも必要だということを感じた。

ところで、明日からゴールデンウィークが始まる。

充実した時間にしたい。

心身ともに。

このところ忙しい日々が続いていたせいか、微熱ではあるが発熱してしまった。しかし、最も大きな要因は、妻の具合が悪く、僕が子供と一緒に寝ていたこと(彼が寝返りをうち布団を剥いでしまうので、それが気になって夜中に何度も起きる)のような気もする。

明日(3/24)が締め切りの原稿(某業界紙)があるので、ここで具合が悪くなるわけにはいかず、大事をとって、掛かり付けのクリニックに行った。

そこでお医者さんに言われたことは「身体だけが具合が悪くなるということはなく、心身のバランスなので・・・。同じリズムで毎日毎日過ごしていると、そりゃ疲れるよ。僕だって、毎日毎日、同じことばっかりじゃ疲れちゃうよ」ということ。

なるほど・・・と思った。

気晴らしとか、リフレッシュとか言うが、やはり、そういうことが大切だということだ。

それも、科学の世界で生きている「医師」、それも僕が信頼している方に言われたことは、説得力があった。

もうひとつ、クリニック関係でトピックがある。

腰と首が痛くなり、近所の整形外科に行き、レントゲンを撮ってもらったところ、「44歳(来週の日曜日で45歳)にしては、骨は非常に若いです。椎間板も等しい感覚だし、問題ないですね。筋肉を痛めたのでしょう」とのことで、とても勇気づけられた。

予てから考えている「筋肉トレーニング」を実行すれば、身体は、まだまだ大丈夫だ。

あとは、充分な睡眠と「気分転換」!!!

「アマンド」のクリスマス・ケーキ。

クリスマス・ウィークエンドの3連休もあっと言う間にお仕舞い。

初日を除き、殆どが「子育て」というか「子供の面倒」だった。

「面倒」というと「やりたくないこと」という意味になってしまうが、そうではない。

たしかに、休みの日も朝7時から起こされるし、身体を休める暇がないのは勘弁して欲しいが、普段は「保育園」に行っている身としては、両親が揃っているのは嬉しいのだろう。何とも楽しそうな笑顔を振りまいて来る。

それには、疲れていようが、こちらも応えざるを得ない。憎めない存在というのは、こういうことを言うのだろう。

さて、その「子供の面倒」を身がてら、東京ミッドタウンに行った。

今年の4月に開催されたドリームゲートの表彰式でリッツ・カールトンに行ったことと、クルマで敷地内をぐるっと回ったことはあったが、ショッピング&レストランのエリアに行ったことがなかったので行ってみた。

最初は、子供を連れて、それも「3輪車」に子供を乗せて連れて行けるところではないのでは・・・と思い、恐る恐る足を踏み入れてみると、思いの他、子供を連れて入ってもいいようなお店があり、家族3人でランチを食べた。

飲食店に関しては、六本木ヒルズよりも、むしろ、ミッドタウンの方が子供連れで入りやすい店があった。

さて、ミッドタウンの帰りに、西麻布の「アマンド」に立ち寄り、イチゴのショートケーキと小さなクリスマスケーキを買って帰った。

田舎育ちの僕には分からないが、東京生まれの妻が言うには、彼女の子供の頃は、アマンドと言えば、美味しいケーキの代名詞的な存在だったらしい。

因みに、1946年創業と箱に書いてある。老舗なのは間違いない。

しかし、その「老舗」のアマンドであるが、今ではむしろ「寂れている」イメージの方が強い。

「六本木の交差点」の店舗はいざ知らず、事実として、僕らが立ち寄った「西麻布の交差点」の店舗は、とても寂れている。

僕はクルマの中で待っていたので実際のところは分からないが、妻が言うには、西麻布のアマンドの店内には、常連だかお店の人だが分からない人が「ひとり」いて新聞を読んでおり、女の人(お店の人)が文句を言いたげなアクセントで中年のおじさんに指示を出し、彼女が注文したケーキを専用の箱に詰めてくれたらしい。

家に帰って、そのイチゴのショートケーキを食べる際に気がついたことだが、なんと、今年のキーワードNO.1と言っても過言ではない「賞味期限」の記載あるべき「シール」の、肝心の「賞味期限」の欄が「ブランク」のままだった。

本来であれ���、そこに「日付」のスタンプが押してあるはず(べき)である。

なんとも情けない話しだ。

でも、ケーキは美味しかったし、お腹にあたったわけでもないので、まあ良しとしよう。

「ノロウイルス」のみならず、これで「アマンドのケーキ」にあたってお腹を壊したと言ったら、それはさすがにギャグになってしまっただろう(笑)。

それにしても、経営的には勿体無い話しだ。僕が経営者だったら、ああはしておかない。

でも、見方を変えれば、ああいう経営状態でも、僕らのようにケーキを買って帰るお客さんさんがいるわけだし、お店は潰れていない。現に「51年」も続いている。

そういう意味では、素晴らしい「資産」であり、オーナーが羨ましくもある。

何事も色々な見方がある。

自分の価値観だけで決めつけてはいけないということか・・・。

東京ミッドタウン/Tokyo Midtown 1st Christmas

昼前に家を出て、13時半ぐらいに、ドライブから帰ってきた。

数日前から子供の具合が悪くなったが、今日は、熱があって寝てしまうというわけでもなく、かといって元気にしているわけでもなく、とにかくダダをこねているので、子供自身も煮詰まってしまっているのだろうと思い、「クルマに乗って、どこかにいく?」と聞いたところ、「行く」という返事が返ってきたので、都内を適当にドライブした後、ファミレスに寄り、僕らの昼食を食べて帰ってきた。

彼はクルマが大好きで、駐車場を出ると少し機嫌が良くなり、口数も増えた。でも、いつものことで、程なく眠ってしまった。

そういえば、妻はミッドタウンには行ったことがないだろうと思い、ミッドタウンに向かった。

僕自身、外苑東通り側は何度か通ったことがあるが、反対側には行ったことがなかったので、赤坂方面から庭園の様子を眺めて、一旦、外苑東通りに出た後、リッツカールトンと中庭の間を走る道をぐるっと回ってみた。

外苑東通り側と赤坂側との「高低差」と高層ビルと庭園の「高低差」が相俟って、壮大な赴きを呈していた。六本木ヒルズがモダンだとすれば、ミッドタウンは重厚な感じがした。

考えてみると、インタースコープとインフォプラントが合併して出来たヤフーバリューインサイトは、ミッドタウンに入っている。

わずか7年前、中目黒の42坪強のオフィスでスタートした会社が、今や東京で最も注目を集めていると言っても過言ではないビルに入っている。何とも感慨深いものがある。

創業メンバーでもある妻にそのことを話したら、「立派な会社になったんだね」と言って笑っていた。

さて、家に帰ってしばらくすると、今度は激しい下痢が始まった。

吐き気が治まりだいぶ良くなったと思っていたが、これは、完全に何かのウイルスだろう。さすがに元気がない。

僕も昨夜から喉が痛くなり、鼻水が出るようになった。

とにかく、妻の修士論文が無事に終わって欲しい。それまでは、僕も気が気でない。

東京ミッドタウンの1st Christmas のイルミネーションを観に行く時間はあるだろうか?

追伸:東京ミッドタウンの開業日は、僕の誕生日と同じである。

地鎮祭

僕と同年代の方はご経験があるのではないかと思うが、子供の頃の思い出に、近所の家の「地鎮祭」というものがある。僕が生まれ育った福島県郡山市では「建前(たてまえ)」と言っていた。

まだ柱しかない家の屋根や二階から、ちり紙にくるんだ5円玉や10円玉、お餅などを家の前に集まった人たちに向かって放り投げる。

僕たち子供達は、臨時のお小遣いを求めていそいそと出かけていき、本気になって、その包みを取ろうと頑張った。極稀に、50円玉や100円玉が入っていることもあり、それをゲットした時は、宝くじが当たったような気分だった。

あの頃は、すべてが「アナログ」であり「リアル」であり、自分の目と耳と口と鼻と皮膚で感じていた。

それを検証することは出来ないが、そういう「プリミティブ(原始的)な経験」が今の自分の「感受性」を育んでくれたように思う。

東京で生まれた僕らの子供にも、出来るだけ「プリミティブな経験」をさせてあげたいと思う。