サントリーの「ビール」事業、初の営業黒字。

サントリーが発表した2008年12月期の連結売上高、純利益が、共に過去最高を更新した。

尚且つ、同社のビール事業が、初の「営業黒字」を達成したという。1963年のビール事業参入から、なんと45年。同社の「執念」を感じる。

因みに、1963年は、僕の生まれた年でもある。

ところで、サントリーは、株式を上場していない。つまり、未上場企業である。

もし、仮に、サントリーが上場していたら、「45年間の醸造」が許容されただろうか? 同社が未上場を貫き、「長期的視点」に立って利益を考える経営体制であるからこそ、許されたことだと思う。

しかし、物事は常に多面的である。不採算事業からの「早期撤退」が、奏功する場合も少なくない。

話は変わるが、総合商社では「資源権益」依存度が低かった住友商事だけが、下方修正をせずに済んだという。しかし、資源絶好調の時は、その恩恵に被れていないとも言える。

イーグルがなかった分、ダブルボギーもない、ということか。

「虎穴にいらずんば、虎児を得ず」。「君子危うきに近寄らず」。

どちらも正論である。

問題は、個々人の「判断力」と「何を良しとするか?」ということである。

僕も含めて・・・。

数字よりも「質」の追求。

今日は、とある用事があり、中目黒に出掛けた。

その次いでというには、ちょっと距離があるが、中目黒と池尻大橋の中間にある「ムッシュ・ヨースケ」というカレーの美味しいレストランまで足を伸ばし、ランチを食べた。

インタースコープのオフィスが池尻大橋にあった頃、僕の一番のお気に入りのお店だった。

そこでランチを食べながら、「数字よりも質の追求」というコラムの内容を思い出した。

事業には、量的拡大が向くものと、そうではないものがある。

インタースコープの場合、もっと他のやり方があったかもしれない。

あの頃に学んだことを、これからの人生に生かしたい。

いや、生かす必要(責任)がある。

「創業者の苦悩」。

12月初日の月曜日、いつものように法政大学ビジネススクールでの授業があった。

今日のゲストは、News2uという「ネットPRベンチャー企業」創業社長である神原さん

計10回の授業で、唯一の「女性起業家」である。

神原さんとは勿論、何度も会ったことがあるし、大谷さんの絡みで「八戸」にも一緒に行っているが、彼女の「話(講演やプレゼン)」を聴いたのは、今日が初めてだった。

とても分かりやすく、示唆に富む講演内容で、僕自身がとても勉強になった。

また、授業の前の控え室では、田路先生を踏まえて「子育て談義」に花が咲き、とても楽しい時間だった(僕を含めて、全員が一児の親)。

ところで、神原さんの話を聴いていて僕が想ったことは、「創業者の苦悩」である。

これは、お世辞でも何でもなく、彼女がセミナーで喋れば、何社かはクロージング(契約)すると思う(思った)。

でも、それは、彼女の「人間力と営業力」に依存することになる。

News2uが、更なる成長を遂げて行くには、顧客開拓における「脱」神原が必要である。

ベンチャー企業が成長のプロセスで必ず通る関所?であり、インタースコープでも、そのことで苦労をした時期があった。

そして、両社に共通しているのは、「マーケットを創造しながら、自社の事業を行っていること」。

とてもチャレンジング且つ楽しいことである。

News2uの今後の展開に期待したい!!

>神原さん ありがとうございました。

その選択は「最短距離」か?

昨日のエントリーにも書いたとおり、昨夜は、法政大学ビジネススクールで客員教授としての初めての授業を行った。

計10回シリーズの授業で毎回、I.T.系ベンチャー企業の創業経営者をゲストにお迎えし、創業の背景や差別化戦略・拡大戦略、資金調達、人材採用・組織デザインに対する考え方等についてお話いただき、それをもとに質疑応答を行う。そして、学生の皆さんは、興味のある会社について分析し、自分が経営者だった場合の今後の戦略についてレポートを書く、というものだ。

初回は、ネットベンチャーの老舗である「カレン」の創業者であり、2年前に「Q Life」を創業した山内善行さんをゲストにお迎えし、2社の創業の背景や戦略、そして、生々しい事実を含めて、今日至る奇跡を語っていただいた。

当ビジネススクールの学生諸氏の約2/3が「自費」ということもあり、山内さんの講義の後の質疑応答は、かなり盛り上がった。真剣味が違うというのは、こういうことを言うのだろう。

ところで、山内さんの話しを聴いて、これは「凄いこと」だと思ったことは、カレンとQ Life では事業内容が大きく異なることから、自ずと「カルチャー」が異なることになり、山内さんは、それを見越して、QLife においては、カレンとは全く異なる「経営方針」を取った(ている)ということ。

ご存知の方も多いと思うが、カレンという会社は「ナレッジマネジメント」や「PDC」が得意な会社で、自社のノウハウをメソッドとして構築し、それを出版やセミナーという形で世に出すことにより、自社の知名度と評価を獲得してきたという経緯がある。

一方、Q Life においては、とにかく「スピード重視」で、常に、この選択は目的に対して「最短距離か?」を自問自答し、「PDC」は一切、行わず、管理コストを徹底的に省いているという。そして、それがリスクマネーを提供してくれた株主に対する「責任」だと、山内さんは言っていた。

因みに、Q Life は設立後2年にして、既に「医療情報の口コミ」サイトとして圧倒的「NO.1」の地位を獲得している。

ひとりの創業経営者が、これだけ異なる経営スタイルを取れるということに、僕は、山内さんの経営者としての高い能力を感じた。

それは、山内さんが持って生まれた「才能」の成せる技だと思うが、では、どうすれば、そのような才能が「開花」するのか?そのためには、どのような「環境」が必要なのか? また、ビジネススクールの客員教授という立場で考えた場合、どのような「教育メソッド」が有効なのか? ということを考えさせられた。

と同時に、元SONYの出井さんが言っていた、「何の試合をしているのか?」という一言を思い出した。

そのことについては、別のエントリーで書きたいと思う。

みんな「自分が分からない」。

原因は分からないが、数日前から尾てい骨のあたりが痛くなり、今日の午前中、近所の整形外科に行った。

10時の開院後間もない時間にも係らず、待合室は子供を連れたお母さんで埋め尽くされており驚いた。その整形外科は皮膚科も併設されており、火傷をした子供や顔に湿疹が出ている子供を連れたお母さんがたくさんいた。

男性は僕だけの中、待合室のソファーに「そっと(かなり痛かった)」腰掛けて新聞を読みながら順番を待っていたが、日常生活とはこういうことなのだろうな・・・と思った。

運転手付きのクルマで移動している政治家の「先生達」には、こういう実感は分からないだろうと思う。

自民党の総裁選挙で党内が盛り上がるのはいいが、今日の日本社会において、議院内閣制という「間接民主主義」は、機能不全に陥っていると思う。

ところで、今日は病院を出た後、NPO法人ETICが主催する「地方都市における社会起業家支援」プロジェクトの戦略会議に参加させて頂いた。

守秘義務の関係上、詳細は申し上げられないが、他人の事業を「客観的」に分析し、戦略的論点を整理してアドバイスするのが仕事である。

20代の頃、曲がりなりにもコンサルティングファームにいた僕は、その手の仕事はそこそこ得意だと思うが、今日も実感したのは、他人のビジネスは「客観的」に見ることができても、自分のビジネスは「客観視できない」ということだ。

自分のビジネスというのは、自分がやりたいこと=「主観」であるので、それを「客観的」に分析できないのは、考えてみれば当然のことだが、それ故に、もどかしさも感じた。

しかし、僕が担当させていただいた2社の経営者の方々との議論を通じて、自分自身が置かれている現状を振り返り整理することができ、とても有意義な時間だった。

社内のメンバーともそのことをシェアし、今後の事業展開を考えたい。

「社長失格」。

元ハイパーネット社長の板倉さんの著書のタイトルでもある。僕も随分前に読んだことがある。

人の上に立つのは、とても難しい。

相手を理解することも、自分の考えを理解してもらうことも、そう簡単ではないし、そのプロセスで相手を傷つけることもあるし、自分が傷つくこともある。

でも、逃げずに、相手とも自分とも正面から向き合い、泥臭い現実と対峙することでしか難局を乗り越えることはできないし、それらを乗り越えることでしか成長はできない。

それが嫌なら、経営者を辞めた方がいい。

何事もすべては自分に原因がある。

「意思決定」と自分自身への「問い」。

「意思決定」は、経営者の大きな仕事である。

その対象が大きければ大きいほど、それは経営者にしか出来ない仕事になる。

しかし、そこに伴う大きな問題は、その経営者の意思決定における「判断基準やメカニズム」と「プロセス」が、その組織のメンバーにとって理解できるものかどうか?という点である。

株式を公開している企業で尚かつ経営者がマイナーシェアしか持っていない企業であれば、大きな決断になればなるほど、その決定は株主総会決議に委ねられることになるが、株式の公開非公開に関わらず、経営者がマジョリティのシェアを持つ企業においては、経営者のリーダーシップが意思決定とイコールになる。

その場合のもうひとつの大きな問題(論点?)は、その経営者自身もしくはその経営者のビジョンなり意思決定が、組織の構成メンバーにとって理解でき且つ魅力的なものでなければ、「人は去っていく」ということである。

法律の元で「代表取締役」であっても、本人にその価値がなければ、何の意味もない。