自分宛のハガキ

昨日、1年前の自分が書いた「自分宛のハガキ」が届いた。

そこには、「夢を実現する!!(2005.08.05)」というメッセージが書いてあった。

この粋なハガキは、ETICの企画によるものだ。

ETICでは毎年夏、「cafe」という「ソーシャル・アントレプレナー(社会起業家)」達の集まりを開催している。

「cafe」とは、中央大学の学生だった「故吉持彰博さん」を忍び、彼の「理念」と「生き様」を、志を同じくする人達と共に語り継いで行こうという趣旨で、吉持さんが亡くなられた翌年(1999年)から毎年、ETIC主催で行われている「熱い(ソウルフル)」な真夏のイベントである。

ETICとの縁ができて以来、僕も殆ど毎年、参加させて頂いている。

今日のタイトルである「自分宛のハガキ」は、昨年の「cafe」で、ETICの企画により、参加者が「1年後の自分に向けたメッセージ書く」ということで書いたもので、それをETICが今年の「cafe」への招待状代わりに各人に送ってきたものだ。

そのハガキ(1年後の自分へのメッセージ)を書く時に、僕は物凄いプレッシャーを感じていた。そして、とても真剣に、勇気を持って書いた。何故なら、書いたら最後、やらないわけには行かないからだ。

正直、昨日、そのハガキが届くまで、僕が自分宛のメッセージとして「夢を実現する!!」と書いていたことは覚えていなかった。とてもプレッシャーを感じながら書いたことは覚えていたけど。

「予言は現実化する」。そして、「人生は必然」なのだろう。

1年後の今年、僕は「ドリームビジョンの平石」として、参加する。

ちなみに、ドリームビジョンの企業理念は、「夢を実現する」である。

法政大学のビジネススクール

ご存知の方は少ないと思うが、法政大学のビジネススクール(社会人向け大学院)で「イノベーション・マネジメント研究科」というところがある。設立されて3年目の新しい大学院だ。

この大学院の特徴は、修士論文(研究)を書く代わりに「事業計画書」を書くこと、企業からの派遣で来ている場合には、その人が担当している「プロジェクト」を持ち込んで、その「事業化に向けたスタディ」をすること等で、極めて「プラクティカル(実践的)」である点にある。

昨日の日経産業新聞に「小さく」掲載されたので、ひょっとしたらご存知の方もいるかもしれないが、ドリームビジョンと同大学院で提携し、「起業」をテーマにした公開講座(「Turning Point ~「起業」というイノベーション ~」)を行うことになった。

5月22日に行ったドリームビジョンの設立記念レセプションにて、120人ものベンチャー仲間の前で、「10年後に大学を創る!!!」と宣言してしまったが、それに向けての第一歩を踏み出した気がしている。

来週水曜日(7/26)には、本講座の開講を記念して、アップルコンピュータ代表取締役の退任を発表したばかりの前刀さんにゲスト講師としていらして頂くことになっている。

ここ最近は、ネットベンチャー仲間に、本講座のゲスト講師の依頼をしているが、みんな快く「O.K.」の返事をしてくれる。

やはり、ある高みを極めた人は教育的な試みに協力的だし、自分の持っているものを「還元」しようという姿勢を持っているのだろう。彼らの好意に感謝すると共に、受講生の方々にとって有益な機会となるよう努めなければと思う。

ところで今日は、今回の提携にご尽力頂いた小川教授の依頼により、その「イノベーション・マネジメント研究科」の「通常の授業」で、僕がゲスト講師として話しをさせて頂くことになっている。昨日は深夜まで、その準備をしていた。

小川教授からリクエストされた講義のテーマは、

1. これまでの起業経験(3つ)、起業する側の心得(マインドセット)。
2. そのなかでマーケティングをどのように考えてきたか? 顧客とのビジネスシステムのつなぎ方。

という2つである。

昨夜、WBS(World Business Satellite)で「インタースコープ」が紹介されるのを見てから、このテーマに則って資料づくりを始めた(やはり、自分が創業した会社が、こうしてテレビで紹介されるのは嬉しいことだ)。

3時半ぐらいまでかかったが、ドリームビジョンを含めて自分の「3つの起業」を上記のテーマで整理すると、とてもシンプルで分かりやすい結果となった。

まず、素直に我ながら嬉しく思ったのは、格段に進歩してきていること。そして、最初の起業の時は、自社に対する「科学的なマーケティング」が殆ど何も為されていなかったということを再確認できた。

最初の起業をして暫くした後に、「シンプルマーケティング」という本の著者である森さんという方から、「『徒手空拳』の割には、よくやっているよ」と言われたが、今にして思うと、まさしく「徒手空拳」であったことが分かる(笑)。

以前は、僕が「ビジネススクール」で講義をするなどということは、想像もできなかった。

そのことに素直に感謝すると共に、こういう機会を頂けるようになった理由を考えると、それは、やはり、インタースコープという会社を創業し、上場こそできていないが、業界ではそれなりに認知される会社に育てるという経験をしてきたからだと思う(そのこと自体にも感謝している)。

何事にもステップというものがある、ということだろう。

「起業」に限らず、人生やキャリアにおける「イノベーション」には、そこには必ず、何らかの「法則性(共通項目)」があるように思う。

その「法則性」をドリームビジョンとして見出していくことにより、より多くの人が「自分らしい生き方とキャリアデザイン」を実現することの支援ができればと考えている。

小川教授をはじめとして、多くの皆さんのお力をお借りしながら。

パソナの南部さん

本日、大手町のパソナ本社で開催された「QM義塾社長大学」という会合で、パソナの南部さんとお会いした。南部さんとお会いするのは、僕の記憶が正しければ、今日が3回目だと思う。

初めて南部さんにお会いしたのは1994年か1995年だったと思うので、もう10年以上前のことになる。

南部さんが多摩大学の初代学長(現在は名誉学長)の野田一夫先生と親しくされており、僕は、野田先生の三男の野田豊と親しくしていた(彼が経営するプラン・ドゥ・シーというウエディングプロデュース会社に依頼して僕らの結婚披露宴を開催した)関係で、野田先生関連のパーティの席上等で、2度ほどお会いしたことがあった。

当時の南部さんは、40代前半で、今の僕ぐらいの年齢だった。当然のことだが、そう考えると、改めて凄い方だと思った。

その時の南部さんの印象は、とても躍動的でエネルギーに満ちあふれた人、という感じだった。

それから10年経った今日の南部さんは、とてもしなやかで、深みがあり、円熟した感じが全身に漂っていた。現在、54才だそうである。僕も、そんな54才になりたいと思った。

今日は、QM義塾社長大学なるものの3周年記念で、尚かつ、パソナは今年30周年ということから、運営委員を務められている南部さんが講演をされた。とても素晴らしい話しをされていた。

その南部さんとエレベーターの中で一緒になり、また、講演後の懇親会でも少々お話をさせて頂いた。

僕が「教育事業」や「人材紹介事業」を始めた年に、こうして再びお会いした(それもエレベーターの中で)のは、何かのメッセージ(縁)があるのかもしれない。

南部さんが講演でおっしゃっていたことは、大きくふたつあった。

ひとつは、南部さんが「村上ファンドやホリエモン問題から学んだこと」。もうひとつは、南部さんが「学生時代に抱いた3つの問題意識」。

そして、3つの問題意識のうちのひとつが、今の事業になったそうである。

ひとつめの「村上ファンドやホリエモン問題から学んだこと」は、

1. 容姿や様式は大切であること。
→以前は服装には頓着しなかったが、今は身嗜みに気をつけるようにしている。クールビズと言っても、襟のついたシャツとプレスのきいたズボンを履くことは礼儀ではないか?

2. 人生観というのは、親から受けた愛情や周囲に対する感謝の気持ちから生まれるのではないか?
→堀江さんの発言からは、親に対する感謝の念や愛情を受けたということが感じられたなかった。

3. 正義感、倫理観が大切。
→それらが欠如している人をイノベーターと呼べるのか? ヒットラーやポルポトはイノベーターか?

ふたつめの「学生の時に抱いた3つの問題意識」は、

1. 就職活動で創業者やオーナーに会いたいが、会えない(会えなかった)。
→パソナの採用においては、最初の説明会から南部さんが話しをするようにしている。

2. ふたつめは、よく覚えていない(ごめんなさい)。
→ここで南部さんがおっしゃっていたのは、今は就職活動時期が早くなっているので、就職するまでに時間があり、その時には、他の会社と合併しているかもしれないし、何が起きているかわからないということで、それに対しては、解決策が見出せていないというようなことを仰っていた。
あとは、スポーツ選手を採用するようにしたとかも言ってた。
いずれにしても、よく覚えていない。

3. 終身雇用=大きな雇用責任を負うということで、なかなか採用してもらえなかった。
→その中でも、女子学生は10人中1.6人しか採用にならず、苦労をしていた。また、同期の男子は年月と共に出世していくのに、彼女達はずっと平社員のまま。もっと大変だったのは、彼女達が何らかの事情で退職した後、再就職は困難を極めていた。そのことを「解決」しようと思い、人材派遣業を立ち上げた。

ということである。

また、父親から受けた教育や影響、母親の教え、言霊(ことだま)~たったひと言で人生が変わることがある~、「夢」が「欲望」に変わると会社がおかしな方向に行ってしまうリスクがある、「志」には大義名分があり、人に夢や希望を与える、「志」が「野心」に変わることがある、野心は人を恐れさせる、知識は本来、人々を豊かにするためのツールであるはずなのに、人々を「差別化」することに使われたりしている、学校は将来のビジョンを育むためのものなのに、学歴社会を駆け上るためのものになっている、「リーダー」と「権力者(社長)」は違う、というようなお話もされていた。

今回はまとまりの無い話しで恐縮であるが、

・40代の南部さんよりも、今日お会いした54才の南部さんの方がステキだったということ。
・インタースコープを始めてからの数年は、ネットベンチャー関連の若い経営者達との付き合いが多かったが、やはり、「大人の経営者」からは学ぶものが多いということ。
・人間は、生き様が「顔」に出るということ。
・様々な苦労や経験を重ねなければ見えてこない世界があるということ。

を感じたということと、それを僕のブログを読んで下さっている人達にも伝えたかったということである。
少しでも何かの参考になったようであれば幸いである。

そして、最後に、QM義塾社長大学に紹介してくれたパソナテックの森本さん、ありがとうございました。

集英社と日本の将来

1996年の秋。こうしてキーボードを打つと、何と今から10年前ということに気づくが、最初の会社を経営していた時、ある化粧品会社の広告製作の仕事をしたことがある。会社を設立して6年目の時だった。

その仕事は、ある商品の広告を製作し、それを掲載するメディアプラン(雑誌のみ)を立案して、実際に媒体を購入し広告を掲載することだった。

僕の会社は、広告代理店ではなかったので出版社との取引はなく、知り合いの紹介で出版社に強いパイプを持つ広告代理店を紹介してもらい、その会社経由で「広告枠」を買ってもらった。但し、広告原稿を入稿したり、色校を取りに行ったり戻したりという仕事は、僕らが行った。そのため、僕か僕の妻かアルバイトが、地下鉄に乗って集英社や小学館等の出版社に毎日のように通っていた。

実は、妻がボランティアをしている団体が九段下にあり、昨日(土曜日)、彼女を車で送っていった際に、出版社が並ぶ神保町のあたりを通り過ぎた。懐かしい想い出が脳裏をかすめた。

と同時に僕の頭を過ったのは、「大学生の人気就職ランキング」だ。

僕が大学生の頃は、一部の学生の間では「マスコミ」が根強い人気を集めていた。

そういう僕も、テレビ局、出版社、広告代理店などを受けてみたりした。実際には、そんなに行きたいというわけではなかったのだが、どうしても、製造業や金融機関、あるいはサービス業等のいわゆる「フツーの大企業(組織)」で働くということがイメージできなかったのだ。

当時はバブル経済前夜とも言える時代だったが、まだまだ、「会社=自由がない、組織の歯車」という感じがしていて、中学の頃からバンドをやっていた僕には、「就職=自分の個性を諦める」という図式としか思えず、消去法で「マスコミ=まだまし」という、なんともモラトリアムな考えしか持っていなかった。

因みに、Googleで「就職ランキング」と検索してみたところ、ダイヤモンド・ビッグ&リード調べ(2006年1月リリース)の「大学生が選んだ就職先人気企業ランキング2006」なるものが出てきた。

それによると、文系男子は、1位:三井物産、2位:三菱東京UFJ銀行、3位:三菱商事、理系男子は、1位:日立製作所、2位:松下電器産業、3位:野村総合研究所、文系女子は、1位:東京海上日動火災保険、2位:三井物産、3位:ANA、理系女子は、1位:資生堂、2位:サントリー、3位:日立製作所 という結果だった。

因みに、データソース(毎日コミュニケーションズ)は異なるが、僕が社会に出た1986年4月(1985年度)のデータを見ると、文系男子は、1位:地方公務員、2位:住友銀行、3位:国家公務員、理系男子は、1位:NEC、2位:富士通、3位:日立製作所 となっていた。

理系はともかく、文系の結果には驚いた。今以上に「保守的」な時代だったということだろう。

因みに、2006年に関しては、楽天が「圏外→92位」、サイバーエージェントが「圏外→116位」とランクインしてきているそうである。

しかし、僕の想像とはまったくもって異なる結果だった。

学生達にとってベンチャー企業という選択肢は、まだまだ遠い「圏外」ということなのだろう。寂しさを感じる。

そして、それが、日本という国の「将来」を表しているような気がするのは、僕だけだろうか?

「ゼロ」金利解除

「ゼロ金利解除」という新聞の見出しを見て、僕は「ついに来たか!?」と思った。同時に、あるふたつの出来事を思い出した。

ひとつは、昨年、今住んでいるマンションを購入する際に「住宅ローン」を組んだ時のことだ。

「住宅ローン」を組むというのは僕にとって初めてのことだったので、某都銀の担当者(50才を過ぎたぐらいだろうか)に根掘り葉掘り、色々なことを質問した。

その時、その担当者は、「当面、ゼロ金利は続くと思いますので、変動金利(2年契約)にしておいて、2年後に、また、変動金利に契約をし直すのがいいと思いますよ」と言っていた。

しかし、僕には、どうしてもそうは思えなかった。素人発想ではあるが、これだけの「財政赤字」を解消するには、どう考えても「インフレ」に誘導するしかなく、このままゼロ金利が「2年間」も続くとは考えられなかったのだ。

結果として僕は、担当者が薦める2年契約の変動金利よりも金利の高い、3年契約の「固定金利」のローンを組んだ。

それから1年4ヶ月が経った今日、僕の考えは「現実」になった。

もうひとつ、思い出したことがある。こちらの方がより強く印象に残っている。それは、もう20年近く前のことだ。1987年の秋だった。

当時は、バブル経済のピークに向かっている最中で、不動産が軒並み高騰していた。

その頃の僕は、まだ20代前半で安月給で働いており、貯金もまったくない状態だった。そのせいもあってか、そのまま東京で働いていても「住む家」すら買えないだろうと思った僕は、実家の福島県郡山市に帰って、新しい人生をスタートさせようかと真剣に考えていた。自分に対する「自信」がなく、家を買えるようなお金を稼げるイメージがまったくもって描けなかった。

その時、そんな僕に、とても新鮮なアドバイスをくれた人がいた。王子紙工という印刷会社を経営していた種村さんという人だった。

「こんなバブル経済が来ると誰が予想したと思う? ということは、その逆に、今は高騰している不動産が急落することだって考えられるということだ。どうやって(東京で)生き残るかを考えなくちゃ」。彼は僕にそう言った。

僕は、その言葉をそのまま受け止められるだけの精神的強さはなかったが、なるほどそうか?と思った。そして、その数年後、実際にそうなった。失われた10年が訪れたのだ。

バブル経済が弾けた時、僕は心の中で「やった!!!」と思った。僕にも「家」が買えるかもしれない。そう思った。

今にして思うと、とても庶民的且つ切実な想いで生きていた。そして、今はとても幸せだと思う。

人間は、今、起こっていることがそのまま将来も続くと思ってしまう傾向があるが、明日、何が起こるかは分からないということだ。

その一方、異常なものは正常に戻るとも考えられるわけで、表面的な見方ではなく、その出来事の「本質」に目を向けることができれば、ある程度、将来を予想できるということになる。

「先見性」や「洞察力」というのは、物事の「本質」を見抜く能力とも言えるように思う。

「元」アップルコンピュータの前刀さん

前刀さんと初めて会ったのは、1992年か1993年だったと思う。前刀さんは当時、ディズニーに勤めていたが、「この人は将来、きっと何かやるだろうな」と思わせるものがあった。