嬉しい出来事。

2月は「逃げる」、3月は「去る」と誰かが言っていたが、文字通り、今年も2月は目まぐるしく過ぎ去った。

ところで、今日は久しぶりに、セコムに勤務する吉田さんという人とランチをご一緒した。

彼とは、かれこれ10年ぐらいの付き合いになるが、僕が昔から仕事をお願いしているデザイナーの方の旧知の友人ということで、最初の会社を経営している時に紹介されたのが、きっかけだった。

吉田さんは、とてもバランス感覚に優れた方で、情熱を持って仕事に取り組み、組織の中でも新しい事にチャレンジしていっている方だが、同時に、家庭をとても大切にされており、特に「子育て」には熱心な方である。

その吉田さんが、僕のブログを読んでいると聞いて、ちょっと照れくさかった。

吉田さんの僕に対するイメージは「仕事人間」というもので、「3度目の起業」と「初めての子育て」いうタイトルは意外だったらしいが、「初めての子育て」というテーマを入れたことを嬉しく思ったという。そう言われて、僕もとても嬉しく思った。

今日は、もうひとつ、嬉しい出来事があった。

インテリジェンス出身の三原さんという方が創業された「派遣会社」で、ビー・スタイルというユニークなベンチャー企業がある。

三原さんとは、1ヵ月前に知り合ったばかりだが、ちょうど派遣社員の方を採用したいと思っていたので、こちらの要望を伝えたところ、とても迅速な対応をしていただき、早速、紹介してくれた。

先程、担当の方から登録スタッフの方をご紹介いただき、早速、明日から来ていただくことになった。

桜の季節の到来と共に、オフィスも華やいだ雰囲気になりそうである。

少しずつ、一歩ずつ、会社を成長させていけたら、とても嬉しく思う。

元「伊藤忠商事」の添田さん

添田さんと初めて会ったのは、昨年末にジョブウェブと一緒に開催したベンチャーズサロンという交流会だった。

彼は、大阪大学を卒業後、伊藤忠商事に入社し、機械カンパニーに配属され、若いにも関らず、ダイナミックな仕事をしていたようである。にも関らず、自分でやりたいと思っていた仕事(部署)が無くなると分かると、何の躊躇もなく、誰もが羨む「総合商社」を飛び出して、女優の山口もえさんとの結婚で話題を振りまいた尾関さんと一緒に「Zeel(メンズアパレルのEC)」の創業に携わった。

売上は順調に推移していたようだが、考えるところがあったようで、先月24日に、新会社を立ち上げた。

その社名がとてもイケている。「XDREAM(エクスドリーム)」。

X-Dream という言葉には、添田さんの「想い」が込められており、彼の人間性が伝わってくる。

そう、本気で夢みたことしか実現しないのである。

追伸:今夜(ふたりとも既に、チョコレート市場からはデリートされている)は、インフォプラントの大谷さんとふたりで、経済会の某重鎮に対して熱いプレゼンをする予定である。テーマはもちろん、八戸を日本のシリコンバレーにする!!!

テーブルの「あちら側」と「こちら側」。

昨年の秋から「人材紹介」事業を始めたが、4ヶ月目にしてようやく「単月黒字」を達成した。先月の臨時株主総会で取締役に就任した創業メンバーの安田の頑張りのお陰である。まだまだ脆弱な経営基盤だが、単年度黒字に達成に向けて自信が深まった。

ところで、この仕事を始めたことで、初めて「感じたこと」と得られた「視点」がある。それは、自分の「立場が変わった」ことで気づいたことだ。

インタースコープを創業した頃の僕は「投資対象(企業の経営者)」として見られていたわけだが、今の僕は、投資ビジネスをしているわけではないものの、逆の立場でベンチャー企業の経営者と向き合うことが多い。

つまり、ベンチャー企業の経営者と「テーブル」を挟んで「あちら側」と「こちら側」とで話しをする際に、以前とは立場が違っているという意味である。

そのことにより気づいたこと&得られたことのひとつは、まだ30代で若かった頃(失ったもの)に対する郷愁を覚えること、もうひとつは、成長するベンチャー企業に必要な要素が、自分なりに理解できてきたような気がすることである。

僕が将来やりたいと思っている事業に対して、とても貴重な経験をしていると感じている。

数年後に振り返った時、そう思えるように「今」を頑張りたい。

かもめが翔んだ日。

今日は僕の人生にとって忘れられない日になりました。

2000年の創業から今日に至るまで、インタースコープを支えて頂いた社内外の皆様に心から感謝をしています。本当にありがとうございました。

正直に申し上げて、途中下車をした人間がコメントすべきかどうか躊躇しましたが、僕の信条として、批判を恐れて何も言わないよりも、批判を受け入れてコメントするのが自分の生き方だと思っており、一言、コメントを申し上げました。

今後は、より大きな傘の下で、更なる飛躍を目指して頑張っていって欲しいと思います。

「初めての起業」。

「初めて」のことというのは、それが何であっても独特な「高揚」がある。

1993年、初めて設立した会社(クリードエクセキュート)の3年目だったが、クレジットカード会社のポイント交換の商品提案&提供の仕事が取れた。

僕らが提案した商品は「ハンカチ」で、ハンカチメーカーとしては老舗の「川辺」という会社の商品だった。

その仕事をするにあたって、ひとつ、どうしても解決しなければいけない問題があった。

「川辺」から商品を仕入れなければいけなかった。つまり、売ってもらう必要があった。

最初の会社は資本金1,000万円で吹けば飛ぶような会社であり、大した売上もなく、大企業の「川辺」にとっては「不良債権」化するリスクがある会社だった。

僕らは超狭き門の「ポイント交換の商品提供」という商売を取ったまではよかったが、商品の「安定供給」ができなければ、その仕事はパーになる。何としてでも「川辺」に「うん」と言ってもらう必要があった。

そこで僕らは、カード会社の担当者(実際には責任者の決済)に掛け合って、僕らにその仕事を出すという「書面」を出してもらい、川辺と僕らの会社とで結ぶ契約書にそのコピーをつけて、何とか通してもらった。

その時、川辺の人達は、小西さんという部長(当時)を含めて3人で、僕らの会社を訪問(人物評価)に来た。

後から聞いた話しでは、小西さんは、僕らと取引をするつもりだったらしいが、もうひとりの方(別のラインの部長か次長の方だったと思う)が反対(心配)していて、その時の交渉の会議では、一瞬、口論になりかけた。

いつもは温厚な堀水(現在はクリードエクセキュートから分社化した会社の社長兼ドリームビジョンの監査役)が、自分が取ってきた仕事を何としても成立させたかったのだろうが、僕からみても、堀水の言い方が悪いよなと思うことを発言したことがきっかけだった。

何とか僕がその場を丸く収めて川辺の方々はお帰りになられたのだが、小西さんはその帰り道に「僕はあの人達と取引しますよ」と反対気味だった方に言ったらしい。

後日談を聞いた時、僕はとても嬉しかったが、このエントリーを書いている今は、そのことの「意味」が痛いほど分かる。

僕らのような「カネ」も「人」も「大した能力」もなく、あるのは「心意気」だけのベンチャー企業と「リスク」を取って「取引」をしようと言ってくれる大企業があってこそ、ベンチャー企業は成長できるということが、今になって初めて身を以て分かった気がする。

「夢=新しい社会的価値」の創造(実現)には、そういう理解者が必要不可欠である。

それが、エンジェル(個人投資家)であり、川辺の小西さんのような「起業家精神に溢れる大企業の方」であると思う。

小西さんとは、もう10年以上お会いしていないが、あの時のお礼方々、久方ぶりに表敬訪問をさせて頂きたいと思っている。

追伸:これも備忘録だが、僕の人生を変えたと言ってもいい人がいる。是非、彼のことも紹介したい。

「志」が社会を変えていく!!!

1998年6月、原宿駅前のラーメン屋の角で山川さんと立ち話をして意気投合し、インターネットリサーチの事業開発に着手してから「8年半」、僕らがインタースコープを創業してからもうすぐ「丸7年」、インフォプラントの大谷さんと2人でインターネットリサーチ研究会(IRJ)を設立してから5年、マクロミルが東証マザーズに上場してから「3年」、インターネットリサーチは完全に社会に浸透した。

JMRA(社団法人日本マーケティングリサーチ協会)の加盟企業を対象とした第31回 経営業務統計実態調査によると、遂に「インターネットリサーチ」が全ての調査手法の中で「TOP(最も使われている手法)」になった。

JMRA加盟企業の売上高合計(調査売上)が「1,330億円(2005年)」。その内、アドホック調査(トラッキングではなく単発の調査)に占めるインターネットリサーチのシェアは「27.5%」で、金額換算で「230億円」。

非加盟企業も含めると、インターネットリサーチの市場規模は「300億円」は優に超えていると推定される。

僕らがインターネットリサーチを始めた頃は、アドホック調査に占めるシェアは、僅か「コンマ何%」というレベルだった。

その当時、今のインターネットリサーチの姿を信じた人は、どのぐらいいただろうか?

僕、山川さん、大谷さん、杉本さんは勿論、インターネットリサーチ業界の人達は皆、今の姿を信じて疑ったことはなかった。

そして、その僕らに賭けて「出資」に応じてくれたベンチャーキャピタルの方々には心から感謝をしている。

さらに言えば、大谷さんとふたりで立ち上げて、手弁当で運営してきた「インターネットリサーチ研究会(IRJ)」の活動が、業界の発展に大きく貢献したことは間違いないと思っている。

僕らは(特に、IRJ会長だった僕は)著名な統計理論の先生方に名指しで批判されながらも、決して信念を曲げずにやってきたし、そのことに誇りを持っている。

「志」だけが僕らを支えていた。

未来を創る(社会を変える)のは、「」と「行動力」である。

「非常階段」。

かれこれ10年以上の付き合いになる方から、「階段は一段ずつしか上れない」というエントリーを読んでの感想のメールを頂いた。

彼はここ数年、とても大変な時期を過ごして来て、ようやく、ひとつの山を越えたところにいる。

その彼のコメントを読んで、僕自身も考えさせられたというか、勉強になった。

「僕はまだまだ人以上に一段一段を普通の階段ではなく、右足、そして左足で踏ん張って、このように寒い日は凍り付いた階段、夏の日は焼け付いた『非常階段』を上ることなんだなと、目の前のマンションを見ながら思いました。しかし、上り詰めたその先の扉を開けば、青空があり、舞うことができるんだなと。

まだまだ課題はありますが、ひとつなにか気分的にすっと抜けたような気がします。これらをまた明日につなげていこうと思います」。

必死の思いで「6年間」やってきて、ようやく形になってきたインタースコープを退任した僕は、まだまだ「非常階段」を上っている(上らなければいけない)身なんだなと、彼がくれたメールを読んで思った。

自分で選んだ道なので、足の裏が熱かろうが、冷たかろうが、その階段を上っていくしかない。

でも、そうやって上れる階段があり、何とか上り続けていられることは幸せなことだ。

時々、人を羨んだりもするけどね(笑)。

特に、インフォプラントの大谷さんや、マクロミルの杉本さんを・・・。

まあ、それも「俺も頑張ろう!!!」っていう気にさせる要因のひとつと思えば、神様がくれた人参かもしれない。