「志」が社会を変えていく!!!

1998年6月、原宿駅前のラーメン屋の角で山川さんと立ち話をして意気投合し、インターネットリサーチの事業開発に着手してから「8年半」、僕らがインタースコープを創業してからもうすぐ「丸7年」、インフォプラントの大谷さんと2人でインターネットリサーチ研究会(IRJ)を設立してから5年、マクロミルが東証マザーズに上場してから「3年」、インターネットリサーチは完全に社会に浸透した。

JMRA(社団法人日本マーケティングリサーチ協会)の加盟企業を対象とした第31回 経営業務統計実態調査によると、遂に「インターネットリサーチ」が全ての調査手法の中で「TOP(最も使われている手法)」になった。

JMRA加盟企業の売上高合計(調査売上)が「1,330億円(2005年)」。その内、アドホック調査(トラッキングではなく単発の調査)に占めるインターネットリサーチのシェアは「27.5%」で、金額換算で「230億円」。

非加盟企業も含めると、インターネットリサーチの市場規模は「300億円」は優に超えていると推定される。

僕らがインターネットリサーチを始めた頃は、アドホック調査に占めるシェアは、僅か「コンマ何%」というレベルだった。

その当時、今のインターネットリサーチの姿を信じた人は、どのぐらいいただろうか?

僕、山川さん、大谷さん、杉本さんは勿論、インターネットリサーチ業界の人達は皆、今の姿を信じて疑ったことはなかった。

そして、その僕らに賭けて「出資」に応じてくれたベンチャーキャピタルの方々には心から感謝をしている。

さらに言えば、大谷さんとふたりで立ち上げて、手弁当で運営してきた「インターネットリサーチ研究会(IRJ)」の活動が、業界の発展に大きく貢献したことは間違いないと思っている。

僕らは(特に、IRJ会長だった僕は)著名な統計理論の先生方に名指しで批判されながらも、決して信念を曲げずにやってきたし、そのことに誇りを持っている。

「志」だけが僕らを支えていた。

未来を創る(社会を変える)のは、「」と「行動力」である。

「非常階段」。

かれこれ10年以上の付き合いになる方から、「階段は一段ずつしか上れない」というエントリーを読んでの感想のメールを頂いた。

彼はここ数年、とても大変な時期を過ごして来て、ようやく、ひとつの山を越えたところにいる。

その彼のコメントを読んで、僕自身も考えさせられたというか、勉強になった。

「僕はまだまだ人以上に一段一段を普通の階段ではなく、右足、そして左足で踏ん張って、このように寒い日は凍り付いた階段、夏の日は焼け付いた『非常階段』を上ることなんだなと、目の前のマンションを見ながら思いました。しかし、上り詰めたその先の扉を開けば、青空があり、舞うことができるんだなと。

まだまだ課題はありますが、ひとつなにか気分的にすっと抜けたような気がします。これらをまた明日につなげていこうと思います」。

必死の思いで「6年間」やってきて、ようやく形になってきたインタースコープを退任した僕は、まだまだ「非常階段」を上っている(上らなければいけない)身なんだなと、彼がくれたメールを読んで思った。

自分で選んだ道なので、足の裏が熱かろうが、冷たかろうが、その階段を上っていくしかない。

でも、そうやって上れる階段があり、何とか上り続けていられることは幸せなことだ。

時々、人を羨んだりもするけどね(笑)。

特に、インフォプラントの大谷さんや、マクロミルの杉本さんを・・・。

まあ、それも「俺も頑張ろう!!!」っていう気にさせる要因のひとつと思えば、神様がくれた人参かもしれない。

自分の人生の「プロセス」を信じる。

僕のブログに毎回コメントをくれる「坊主頭のりょうへいさん」が、とても素晴らしいことを書いていた。

「階段は一段ずつしか上れない」というエントリーに対して、以下のようなコメントをくれた。

自分の人生のプロセスを信頼するのだと。そして、生命がもってくるその経験を楽しむのだと。誰もあなたの体験は創造できないのだと」。

自分の人生のプロセスを信頼する。とても勇気づけられる言葉だと思う。

本当にこの道(選択)でいいのかな?と思う時があるが、自分の選択=プロセスを信じられなければ、その先の果実には辿り着けないのだから。

そして、「誰もあなたの体験は創造できない」という言葉にも感銘を受けた。

当たり前のことだが、自分の人生は自分でなければ創れないし、未来(先)のことを心配するのではなく、自分の人生の「プロセス」に集中することで、未来は開けるということだろう。

完璧なんて求めない。

先週末は大変だった。

土曜日は、妻が大学院での発表があり、僕が家で悠生の面倒を看ていた。朝は37度台だったので安心していたところ、昼頃から39度以上の熱が出て、一日中、そのままだった。熱で身体が怠く、尚かつ、精神的に不安なのだろう、とにかく抱っこしてくれと僕にしがみついている。時々、眠りにはつくのだが熟睡はできないようで、30分から1時間ぐらいで目が覚める。そんな繰り返しだった。

夕方6時前に妻が帰ってきて、その日の事情を説明すると、座薬を入れた方がいいだろうといい、座薬を入れた。すると、その30分後、38度ぐらいまで見事に熱が下がり、悠生も元気になった。ただ、やはり、食欲はなく、夕飯も二口ぐらいしか食べられなかった。

日曜日は終日、熱が上がることはなく、このまま治ってくれればと思っていた。

僕は、SONYの若手メンバーが主催する勉強会の講師として招かれており、10:30頃に家を出た。帰宅後、妻から聞いたところでは、僕が家を出た後からしばらくの間、原因は分からないが、2時間近く、ずっと泣きじゃくっていたらしい。

僕が帰ってからは比較的機嫌をよくしており、21:30頃には寝た。ところが、23時頃に起きてしまい、激しく泣き出した。それからは、何をやってもダメで、02時過ぎぐらいまでだろうか、尋常ではないほどに、泣きじゃくっていた。きっと精神的に不安定になっているんだろう。

数ヶ月前、僕も妻もどうしても休めない時に「病児保育」に預けたことがあるが、その直後は、やはり、精神的な問題だと思うが、2週間ぐらいだろうか、夜は1~2時間おきに起きて泣くということがあった。

ところで、昨日からさすがに僕も具合が悪くなり、渋谷での勉強会(ドリームビジョンで初めて借りたオフィスのすぐ近くだった)が終わってから、東急プラザの横にある薬局に薬を買いに行った。

宮益坂から駅構内を抜けて南口の東急プラザに行く途中、東急プラザ前のバスターミナルのところで、僕の好きな「ビッグイシュー日本版(ホームレスの方の自律を支援する目的で発行されている)」を売っている(オジさん)ことを思い出し、薬局に行く前に立ち寄った。

「明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします」と声を掛けると、とても元気な笑顔を返してくれて、二言三言、立ち話をした。★皆さんも是非、買って欲しい!!!★

表紙には、女優のニコール・キッドマンが載っていた。目次を見ると、「パーフェクトなんて求めない」というタイトルで、彼女のインタビュー記事が載っていた。とても興味を惹かれ、山手線の中で読み始めた。

「パーフェクトなんて求めない。退屈でしょう? 私が誰かについていちばん魅力を感じる部分は、その人の不完全なところにあるの。完全なものや、完全であろうとすることから『幸せは見つけられないものよ』。私は欠点もみんな好きだし、いつまでも惹き付けられるような複雑でおもしろい人のさまざまな要素を発見していくのが好きなの」。

たしかに、感情移入できる人というのは、どこか不完全なところがあり、親近感を持てる人だ。キレイ過ぎる女性や頭が良過ぎる人には、僕は接点を見出せず、感情移入ができない。

ニコール・キッドマンに言わせれば、「人生も不完全なもの」なのだろう。

悠生が具合悪くなっても、自分も具合悪くなっても、当たり前の話しだが、彼が生まれて来なければ良かったとは思ったことはない。

ひとつだけ考えるとことは、子育ては「体力」勝負だということ。

でも、10年前に子供が出来ていたら、僕は、今のように悠生に接することはできなかったと思う。

当時の超未熟な自分だったら(今も未熟だが)、悠生や妻に当たり散らしていたかもしれないから、やはり、僕らにとっては、今が子育て適齢期なのだろう。

「不完全」を受け入れる精神力のある人間になりたいと思う。

僕がブログを書く理由。

このテーマ(僕がブログを書く理由)は以前にも書いたことがある。しかし、もう一度、書きたい?書くべき?と思わせる出来事があった。

2006年の4月初旬、インタースコープ退任の挨拶メールを約3,000人に送ったところ、たくさんの方々が返事を下さり、中にはケイタイに電話をくれた方々もいた。法政大学ビジネススクール(イノベーションマネジメント研究科)の小川教授は、その中のひとりだった。

「6年間お疲れ様でした。近いうちにお会いしませんか?よければ、食事でも・・・」。そんな内容だった。

その小川教授と創業間もないドリームビジョンと共同で、人生における「イノベーション(起業)」をテーマとしたオープン講座を企画し、始めることになった。小川教授が、教授会で僕らのことを熱く推薦してくれたのだと思う。

そのオープン講座は2006年7月23日、アップルコンピュータの代表取締役を退任した直後の前刀さんを記念すべき最初のゲストにお招きし、19時から開催した。

僕らのマーケティング戦略が奏功してか、定員60名のところに、優に100人を超える申込みがあり、予定していた締め切りを早めるほどの盛況ぶりだった。

ところで、「僕がブログを書く理由」というテーマで「もう一度、ブログを書く理由」であるが、それは、小川教授と一緒に運営してきたオープン講座(人生におけるイノベーション=起業がテーマ)の受講生の中から、実際に「起業」する人が現れたからだ。

ある意味、社会的な責任を感じた。

僕は自分のことを、かなりの「強運の持ち主」だと思っているが、2003年の秋、ある出来事により、その理由が分かった気がした。

それは、僕のような人間でも、一生懸命に頑張れば、このぐらいのことは出来るということを、僕が身をもって示すことで、その僕の悪戦苦闘している姿をみて「平石さんが出来るんだったら、自分にも出来るだろう!!!」と思い、後に続く人達が出てくるからではないかということだ。

この世の中に「神様」」という存在がいるとすれば、神様が僕に「運」を授けてくれるのは、僕という人間を活用することで、可能性を信じチャレンジする人々を世の中に輩出するためではないか?そのために、僕に「運」を授けてくれるのではないか?と思うようになった。

その「運」のお陰で、今まで何とかやって来れたし、自分の実力以上のことが出来ていると思っている。

そして、小川教授と一緒に運営してきたオープン講座の受講生の中から、「平石さんに影響を受けて、僕も起業をすることにしました!!!」という方が、実際に現れたのである。

とても嬉しく光栄に思った反面、とても大きな責任を感じた。

大谷さんではないが、「もう、後には退けない」。

八戸を訪れて「失った」もの。

それは、東北地方出身であることのコンプレックス。僕にとっては、とても大きな意味を持つ。

八戸は、本当に素晴らしい。人間味のある人達ばかりだし、地域としての可能性を感じる。

確かに、東京と較べれば寒い。それは事実である。

僕の出身地の郡山と較べても、最低&最高気温がそれぞれ「5度前後」低い。東京のそれと比較すると「10度前後」低い。

しかし、雪はあまり降らない。空っ風が吹く。その点は、郡山と似ている。

僕は20代30代の頃、アメリカの各都市を旅行した。現地の友達や親族がいるので、特に、New York、San Francisco、Seattle、Los Angeles はよく行った。

気温でいうと、八戸よりもNew York の方が寒い。冬の平均気温は、0度からマイナス10度。夏はクソ熱い。平気で40度を超える。

気候で言えば、Seattle が近い。冬の朝は、寒い時でマイナス5~7度ぐらい。夏は、30度前後である。街のキレイさも似ている。

大谷さんの言うとおり、あとは「やるだけ」である。10年後を目指して、階段を「一段ずつ」ね。

階段は一段ずつしか上れない。

僕が20代前半の頃に付き合っていた女性から言われたことで、20年近く経った今でもよく覚えていることがある。

「ノリちゃんは、先が読める人だと思うけど、階段は一段ずつ上ること(一段ずつしか上れない)」。
「何かを始める時は『これしかない(退路を断つ)』と思ってやること」。

という2つである。

(その頃の僕は、とんねるずの「木梨憲武」に似ているということで、当時の仲間からは「ノリちゃん」と呼ばれていた。)

最近、そのことの意味がよく分かるようになった。

彼女が言いたかったのは、「見えることと、出来ることは違う」ということ、「これがダメだったら何々をすればいい・・・という『逃げ道』があると、人間はコミットできない」ということである。

ドリームビジョンを始めた時の僕は、インタースコープで中途半端に成功したことで、自分の力を過信したり、世の中を甘く見ていたのだと思う。自分ではそういうつもりはなくても、潜在意識の中で、そういうものがあったのだと思う。

ところで、自分で「計画(直観)」した「43~45才」という「自己変革期」において、今年は「2年目(3月で44才になる)」になる。

9ヶ月の時間を要したが、初年度である「43才」は、初心に帰るために必要な時間だったのかもしれない。

2年目の「44才」は、変化を本物にするピリオド(期間)にしたい。

「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」。

リクルートの社是は本当に素晴らしい。