子供に罪はない。

八戸に向かう新幹線に乗り込んで15分ぐらいした時、ある用事があって妻に電話をしたところ、悠生が39.6度の熱を出して、掛かり付けの病院にきているという。

以前にも一度、このブログに書いたことがあるが、悠生は免疫システムが普通の子供よりも劣っているようで、疲れが溜まると、空気中のウイルスに対する抵抗力がなくなるのだろう。

今日は、妻が大学院で自分の発表があり、どうしても休めないということで、午後から僕が家に帰り、悠生の面倒を看ていた。

だいぶ熱は下がったが、38度程度の熱が続いており、食欲もあまりない。

具合が悪いので精神的に不安定なのだろう、機嫌が良くない。元気な時はひとりで遊んでいることも多いのだが、今日は常に僕にしがみついていた。

ところで、八戸で一緒だったニューズ・ツー・ユー社長の神原さんは、小学校1年生の男の子がいるという。ご主人も会社を経営されており、お子さんは「学童保育」に通っているらしい。

夫婦どちらかの両親が近くにいれば、子供を預けて働くことができるが、そうでない場合は、どうしても学童保育を活用することになるのだろう。

当たり前の話しであるが、子供ができてから、そういうことを日常的に考えるようになった。

僕の考えとして、子供を育てること、子供に対する教育というのは、未来に対する最大の投資だと思うが、その結果は自分たちには返ってこないし、今を生きながら、そのことを実感するのは難しい。

なので、税金の使われ方としても、教育に対するものを、道路建設に対する公共投資が上回ってきたのだろう。

ところで、子供を育てているからといって、経営者としての責任は変わらないし、そのことで子供に不憫な思いはさせたくない。

そうなると、自分の時間は「有限」なわけであり、何かを「削る」しかない。

要するに優先順位をつけて「削れるものは削る」「捨てるものは捨てる」ということだ。

そのことを、創業メンバーの安田くんと極めて優秀なインターン(大学院生)の増田くんとのMTGで、改めて考えさせられた。

ノースビレッジ。

昨日の朝09:55三沢発のJALに乗り、羽田まで帰ってきた。たった20時間の八戸滞在だったが、とても収穫の多い旅だった。

11:15に羽田空港に着陸し、11:39のモノレールに乗り込んだ。暫くして、ふっと目の前の景色を見ると、工場地帯の煙突から煙が出ているのが見えた。

最初の会社(1回目の起業)を経営している時、DTPの仕事をしていた時期があるが、ある時、納期の関係で、仕事を頼んでいた印刷会社の静岡にある工場まで色校正に行ったことがある。

その時初めて、印刷会社の工場というか印刷の工程を見学させてもらったが、僕にとっては「製造業」の現場を見る初めての経験だった。モノレールから見える「工場の煙突」を見て、そのことを思い出した。

最新式(当時)のマッキントッシュで仕事をし、手が汚れることもなく、涼しげに仕事をしていた僕にとっては、僕らが生きている社会(世界)が当たり前ではなく、工場で働いている人々のお陰で、自分たちの仕事や生活が成り立っているということを初めて実感した瞬間でもあった。

今回の八戸訪問は、その時のようなことを感じさせるものがあった。

ところで、八戸では、インフォプラントの八戸事業所(ノースビレッジという)が入っている「八戸インテリジェントプラザ」を訪問し、地元採用の社員の方々に挨拶をさせていただいた。

当日はノースビレッジの「開所式」で、なんと八戸市長がお祝いの挨拶に駆け付けており、地元のテレビ局や新聞社が取材に来ていた。因みに、市長自ら「八戸を日本のシリコンバレーにする!!!」プロジェクトに言及し、翌朝の新聞には、大谷さんの「構想」が本人のコメント入りで掲載されていた。市民の期待の大きさがわかる。

また、初日の夕方、八戸市の職員の方々に連れていって頂いた「種差海岸」では、とても風光明媚な自然の豊かさを実感し、昨日の朝06:45にホテルをチェックアウトし向かった港の市場では、中高年のおばさん達が身を粉にして働いていて、人間が生活するとはどういうことか?を考えさせられた。

そして、大谷さんの「八戸」に対する想い(郷土愛)を間近に見て、彼の「人間としての大きさや魅力」を改めて感じた20時間でもあった。

また、八戸市の職員の方々には、とても歓待して頂いた。最後になるが、この場を借りてお礼を申し上げたい。

追伸:自分を育んでくれた出身地(僕の場合は福島県郡山市)に、僕はいったい、どんな恩返しができるだろうか?

いつか来た道?

あれは、1998年の秋のことだった。

僕が初めて、岐阜県の春日井という駅に降り立った瞬間だった。

今では「ヒルズ族」のひとりとなったウェブクルー創業者の渡辺さんが、まだ、岐阜の春日井という片田舎で、妹さんとふたりで、独自開発の擬似キャッシュを用いてオンラインモールを運営するペガジャパンという会社を経営していた頃だ。

駅舎から駅前の広場に出ると、そこに白いウインドブレーカーを着た渡辺さんが立っていた。

そして、僕の姿を発見すると「ニコッ」と笑い、僕らは「目」で会話をした。

「よくここまで来てくれましたね(渡辺さん)」。「来ましたよ(平石)」。そんな感じだった。

あの瞬間が、僕のネットビジネスが始まった瞬間であり、敢えてカッコよく言えば、僕の起業家人生の始まりだったような気がする。

その時と同じ興奮を、八戸の駅に入る新幹線の中で覚えていた。

そのとおり、八戸の駅で大谷さんが待っていてくれた。

続きは、また。

鉄の「意志」。

僕が20代の頃にお世話になったODSというコンサルティング会社の社長(創業者)は、「僕は情熱は信じない。信じられるのは『意志の力』だ」と言っていた。

たしかに「情熱」はどちらかというと「感情」に近いと思うが、「意志」は「理性」だろう。だから、「意志」の方が自分でコントロールできるということを言いたかったのではないかと思う。

そういう僕は「意志」は強いだろうか?

この3連休の初日(1/6)、あまりの大雨で風も強く、その中を埼玉県の新座まで大学院に出掛けていく妻が気の毒になり、僕は車で送っていった。

土曜日(1/6)は、悠生が保育園に行っているが、日曜日と祝日は保育園はお休みなので、仕事をしようと思ったら「土曜日(1/6)」しかないのは知っていたが、妻は子育てと大学院で忙しく、僕は仕事と「時々子育て」で忙しく、普段はゆっくり話す時間もないので、新座までの約1時間の間、久しぶりにゆっくり話しをするのもいいだろうと思い、送って行くことにした。

思いの外、道が空いていて、1時間はかからずに新座についた。

そのまま真っすぐ帰るのも勿体ないと思い、トイレに寄ったついでに、建物の中を散策した。とても立派な建物がいくつも建っている。

駐車場から一番近い建物に入ってみると、オシャレなカフェテリアや本屋、そして、映画(DVD )の上映室のようなものがあった。

様々な業界のリーディングプレイヤーの方が講演に来られているのだろうか?映画の上映室のような教室には、「業界研究」シリーズとして様々な企業の研究DVDの上映スケジュールが書いてあった。

立派な教育を「施す=受ける」には、お金がかかるということだ。

僕はそれを、ドリームビジョンとして、安く提供したい。設立記念パーティで120人の前で宣言した「10年後に大学を創る!!!」である。

ところで、その翌日は、家にいる時は悠生の世話をみる必要があり(歩けるようになって、より一層、一瞬たりとも目が離せない!!!)、また、なんだかんだと雑用があり、想定の範囲内であるが、仕事をする時間はなかった。

しかし、今日(厳密には昨日)は、どうしてもやらなければいけない仕事(経理処理)があり、妻に悠生を散歩に連れていってもらい、僕は家で仕事をした。なんとか一段落したので、悠生を連れて遅いランチを食べに出掛けた。

仕事は終わったわけではないので、夕食を食べた後、また、仕事をした。

今日は食事の時に絶対にお酒は飲まないぞ!!!と誓い、食後にまた仕事についた。

この後、メールを「3通」書いて、今日の仕事はお終い。

こんな日常の些細なことでも、「意志の力」が必要である。

3度目の起業と「初めての八戸」。

明日から「八戸」だ。僕にとっては初めての八戸訪問で、とてもワクワクしている。

旅行の前であってもガイドブックなどは殆ど読まない僕だが、今回は大谷さんにもらった八戸のガイドブックを読んで「予習」をした。

ところで、「義経北行伝説」を知っている人は、どれだけいるだろうか?

源義経は、歴史上では1189年に平泉にて最後を遂げたとされているが、実は、自害することなく密かに平泉を脱出。「けせん(陸前高田市)」の湊から船に乗り、三陸海岸を北上し、八戸で上陸。そこで「7年間」滞在した後、北海道に渡ったという。

僕も初めて知った。

ガイドブックをめくると、手つかずの自然が残っている「種差海岸」というところがあり、その場所を、宮沢賢治、司馬遼太郎、東山魁夷といった文豪や詩人、画家が思索に耽りながら散策したという。

そして、様々な「お祭り」があり、八戸の住む人々はもちろん、僕のような来訪者にも愛されているらしい。

僕が生まれ育った「福島県郡山市」は東京から約200キロの距離で、新幹線なら1時間30分、東北自動車道でも都内から3時間もあれば着く場所で日帰りも簡単であるが、「八戸」は東京から「約700キロ」もある。

また、東北の最果ての地の青森県に位置することもあり、えらい「僻地」であると思われているし、事実、そうである。

でも、大谷さんのブログにあるとおり、思ったよりも「雪」は降らず、ありがたいことに「梅雨が無い」。そして、年間日照時間は、東京よりも多い。

大谷さんと僕の間では既に、「10年後の八戸」は「日本のシリコンバレー化」しており、人口は「100万人」を超えているのは間違いないが、何しろ僕は、その「八戸」に初めて行くのである。我ながらなんとも「幸せな男」である。

東北人と言ってよいか、北国の人と言った方がよいか、微妙なところだが、彼らは基本的に「控え目」であり「シャイ」な人たちだ。

あの「大谷真樹」が生まれ育った「八戸」という街がどんなところなのか? とても楽しみである。

誰とゴルフに行くか?

今年の年末年始は、成人の日の連休と上手く繋がったせいもあり、いつになく「精神的」にゆっくりと過ごしている。

子供がいると物理的には慌ただしく時間が過ぎて行くが、年末から色々なことを考えられている。

昨年末のあるとき、ゴルフのことについて考えた。

昨年のラウンド数は、計13回。今年は、15回を目標にゴルフをしようと思っている。

「誰とゴルフに行くか?」を考えた。

僕がゴルフに行くのは言うまでもなく「ゴルフが好きで上手くなりたい」ということだが、ある人と仕事上で親しくなりたいとか、上手な人と回って参考にしたいとか、気の置けない友人でラウンドしていて楽しいとか、一緒に行く人に関しても、それなりの考えがある。

今年は、そのことを意識してゴルフに行くことにした。

僕から誘う以外に、相手から誘われることもある。そう考えると、自分から誘える機会は「限られている」。

僕の「40代」は「あと6年と3ヶ月」。

フランスのある文豪の言葉。「この本を読めばあの本は読めない。読む価値がある本は、買う価値がある」。

人生は短いのである。

追伸:八戸でもゴルフをしよう!!!

10年後、八戸を人口100万人の都市にする。

それが、今日(厳密には昨夜)のMTGで大谷さんと決めた定量目標である。何事も「数値化」することにより、物事は前に進む。

因みに、現在の八戸の人口は「30万人」だそうだ。郡山は「32万人」。同じような規模だ。

10年後の目標を達成するためには、1ヶ月後、3ヶ月後、半年後、1年後、3年後の目標が大切だ。まだ、曖昧なままだが、そのことも議論した。

何事も「具体的にイメージ」できれば、半分は実現したようなものだ。あと半分は、行動するかどうか。チャンスは鷲掴みにする。

大谷さんにひとつ、リクエストをもらった。「平石さんには将来、八戸に住んで欲しいんですよ」。

「そのためにも、生活インフラが必要なんですよ。八戸を、ゆくゆくは東北を、カッコ良く、独自の文化がある知的で洗練された地域に、東北出身であることを誇りに思えるようにしたいんですよ。子供に最先端の教育を受けさせられるような機能もある地域に。東京生まれで東京育ちの育菜(妻)を説得するためにもね」。

僕の妻はインタースコープの創業メンバーなので、大谷さんは僕の妻のこともよく知っている。

「夏の間だけ八戸に住むとかね(平石)」。「それがいいんじゃない(大谷)」。

お互いに40代も半ばになっても、こうして「夢」を語り合えることは幸せである。

そして、本気で夢見たことしか実現しないのである。