サンクトペテルブルグの3日目(夜)

昨日のエントリー「BRICsの今:ロシア視察レポート」で、今回のロシア視察に関する内容を報告しましたが、途中となっていた「写真でみる現地事情の紹介」を再開します。

まず、サンクトペテルブルグの3日目の夜。

友人の会社の女性スタッフ2人と夕食に出掛けた。


★メインアイランドとは別の島へクルマで移動。時刻は、たしか19時を回っていたと思う。まだまだ明るい。写真はないが、22時過ぎに店を出た時も「昼間」。「白夜(White Night)」を初めて経験した。


★ロシアの伝統料理を出してくれるレストランの入り口。ちなみに、英語は一切、通じない。トイレの場所を聞くのも「ロシア語」。


★こちらは、店内。民族音楽を演奏してくれる人たち。


★ロシアのビールを片手に。彼女たちの写真を掲載したかったが、プライバシーに配慮して、代わりに僕の写真で失礼。

次のエントリーでは、EMG Professional という人材紹介会社とのアポに出掛けた日の出来事を紹介します。

BRICs の今:ロシア視察レポート。

1週間の日程のロシア視察から昨日、無事に帰国。

冷戦時代の「ソビエト連邦」の残像が残るロシア訪問に際しては、言葉にできない緊張感を持っていたが、現地の友人とその関係者のお陰様で今の「ロシア」を理解することができ、とても有意義な1週間になった。

写真での現地レポートがサンクトペテルブルグの3日目で止ったままだが、その続きの前に、現地で面会した方々からの情報と僕自身がこの目で見たことを元に、ロシアの今について説明したい。

RE:ロシアの社会事情(概況)

1. 人口と街の雰囲気: 

・ロシアの人口は、約1億4,000万人。

・モスクワは、約1,200万人。東京と同じレベル。
・サンクトペテルブルグは、約450万人。横浜と同じぐらい。

・但し、街の雰囲気はまったく異なる。

・モスクワは、とにかく「権威的/威圧的」な雰囲気。サンクトペテルブルグ(欧州を彷彿とさせるキレイでオシャレな街)から移動すると、その違いがよく分かる。

・その象徴が「クレムリン」。赤レンガの巨大な建物と城壁は、まさに「要塞」。
・5/7(水)は「メドベージェフ氏の大統領就任式」だったため、一般人はクレムリンからシャットアウト。僕は、その前日に現地のガイドにアテンドしてもらい、クレムリンを見学。翌日の大統領就任式に備えて、ところどころにテレビカメラが設置されており、また、クレーンでの空撮の練習が行われていた。

・もうひとつ、権威的/威圧的なモスクワをよく表現しているのがクルマ。至る所で最新式の「メルセデスベンツSクラス(550)」を見かける。特に、政府関係のクルマはすべて「メルセデスベンツSクラス(550)」。日本だったら、税金の無駄遣いだと言って問題になるだろうが、ロシア国民は「強いロシア」の象徴として受け入れられているらしく、むしろ、歓迎さえされているらしい(クルマに関する詳細は後述)。プーチン支持の理由も同じ。

・また、モスクワは異常に物価が高く、1泊「10万円」のホテルは珍しくもなんともないらしい。僕が泊まったホテル(品川プリンスぐらいのレベル)でも、約5万円!!! 因みに、スターバックスのコーヒーは「約350円(75ルーブル/日本では280円だったと記憶している)」。それでも、現地の若者で混雑している。

・モスクワは今のこの瞬間、間違いなく、世界で最も物価が高い都市だろう。

2. 金融/投資環境(まだまだ未発達):

・1991年のソビエト崩壊後に市場経済に移行したロシアであるが、現地で紹介されたロシア人によると、1990年代のロシアは「Most Criminal Period(マフィアの最盛期で、犯罪や腐敗が横行)」だったらしく、社会が落ち着いてきたのは、2000年になってから。プーチンの功績が大きい。彼は、KGB(アメリカでいうCIA)という秘密警察の出身。

・そのようなこともあり、金融ビジネス(信用が基盤)は、まだ、あまり発達していない。
・「住宅ローン(という制度)」のスタートが2年前(2006年)というのが、ロシアの金融環境を物語っている。ロシアでは「焦げ付きリスク」が高く、いわゆる「トンズラ」も珍しいことではないらしい。

・2年前まで住宅ローンという制度が無かった背景には、共産主義時代(70年間)には、国家から国民に住宅が「配給」されていたという事情もあることはある。但し、既に、共産主義崩壊から17年目に入っており、それだけでは説明がつかないのも事実。

・また、近年の「資源バブル」により、不動産の価格は高騰。特に、モスクワで顕著。
・今回のロシア視察で面会した元ネットビジネスの起業家(現在は、不動産と海外投資を行っている)は、15MM米ドル(約1,500万円)を投じた不動産が、3年半で「6倍(90MM米ドル)」になったと言っていた。
・詳細は後述するが、ネットビジネスで商業的に成功している話しはあまり聞かないという。そんなこともあり、不動産投資&海外投資にビジネスを変えたのだろう。

・金融環境(金融リテラシーなり民度と言ってもよいと思う)が未発達のロシアでは、ベンチャーキャピタルという存在はないらしい。億単位の資金を投資するには、あまりにクレジットリスクが大きいようだ。いわゆるベンチャー投資は、個人(Privateと言っていた)が行っているらしい。

・因みに、1991年のソビエト連邦崩壊に伴う市場経済化の波に乗ったのは、その殆どが40才以下らしい。先述の元ネットビジネスの彼も、30代前半。彼のような新富裕層がごそごそいるという。

3. 自動車の販売台数(新車): 約250万台(年)

・ロシアの自動車販売台数(新車)は、ここ2~3年で「300万台」を突破するらしく、日本の自動車市場(約300万台)を「抜く」ことになる。ゴールドマンサックスが、BRICsに注目した理由がわかる。

・このような市場環境を踏まえ、トヨタは昨年12月からサンクトペテルブルグで工場を稼働(反対側にはGMの工場がある)。視察に行った際は、ちょうど、シフト(2 or 3 交代)の変更時だったらしく、大勢の人たちが工場から吐き出されて来ていた。
・昨年にはスズキが工場建設を発表。2009年末の稼働を目指しているという。日産はロシアに工場はないらしいが、街中でかなりの台数を見かける。
・尚、ロシアの道路は舗装の状態が悪く、SUVが人気。

・人口のところでも触れたが、モスクワでもサンクトペテルブルグでも、高級ドイツ車を頻繁に見かける。特に、モスクワでは、ベンツSクラス、BMW 7シリーズ、AUDI A8 はもちろん、Range Rover(英国)、BMW X5、Posche カイエン等の高級車を至る所で見かける。東京のそれの比ではない。マセラッティも見かけた。LEXUS も多い。友人に言わせると、モスクワの人たちは「成金趣味」らしい。

4. インターネット関連:

・ネット人口は、約3,000万人(全人口の約20%)。ネット利用率は、決して高くない。但し、大卒以上になると、約80~90%が利用。いわゆる、世代間の「デジタルデバイド」が激しい。50才以上の年齢層では、PCを使う人が僅からしい(日本と同じような事情のようだ)。
・ロシアのネット利用率の低さの原因のひとつと思われるのは、PCの価格。日本と較べると、1.5倍から2倍ぐらいするようだ。回線スピードも、日本ほどは速くない。

・ロシアで最もよく使われているサイトは、「yandex.yu」。Google はつい最近、ロシアに進出したらしいが、まだ、あまり使われてないという。Yahoo! は聞かないとのこと(前述の元ネット起業家)。

・SNSはロシアにもある。最もメジャーなサイト(URLは未確認)は「コンタクト(1,200万人が登録)。あるMTGに参加していた女性3人は全員が登録しているという。

・ロシアのネットビジネスの「収益源」は、ほぼすべてが「広告」。「インターネット=無料」という概念が浸透しており、ネットでお金を払うという習慣はないらしい(ECの普及を確認し忘れた)。但し、トラフィックはかなり集まるらしい。今後の発展の余地は充分にあるのではないか?

5. 人材関連ビジネス:

・ロシアでの「人材関連ビジネス」は、日本で言う「人材紹介(サーチファーム型を含むと思われる)」が先で、求人広告はその後らしい。

・求人広告媒体は、ネットの普及率を反映してか、まだまだ「紙(新聞&雑誌)」がベース。それ以外では、いわゆる「ジョブフェア(企業説明会)」が主流とのこと。

・en ジャパンでいう「転職コンサルタント(自分のレジュメを登録しておくと、スカウトメールが来る)」等もあることにはある。名称は、そのものズバリ、Headhunter。但し、利用者は、若者に偏っているらしい。

・また、経済成長著しい(近年のGDP成長率は「7%」)ロシアにおいては、売り手市場の側面もあり、企業において人材の「採用」は、大きな課題となっているようである。

6. 社会問題: 少子高齢化が進むロシア。

・1990年代の混乱を経て、ようやく経済的発展の恩恵を被り始めた「子育て世代」にとっては、子供を育てることよりも「消費を楽しむ」ことに関心が移行しているのか、ロシアでも「少子高齢化」が社会問題になっているという。
・それを物語るように、クレムリンのすぐ横に、3世代の家族の写真を掲載した「子育てキャンペーン」的な屋外広告(かなり大きい広告)がたくさん掲出されていた。こういうところに、共産主義時代の名残を感じた。
・「高齢化」という面では、年金の支給額が経済成長に追いつかず、高齢者の生活を圧迫しており、大きな社会問題になっているらしい。因みに、月額の年金支給額は「約100ドル(1万円)」。子供からの援助がなければ、とても生活していける金額ではない。

・このように、経済発展著しいロシアであるが、言ってみれば、先進諸国が「20年間」をかけて達成してきた経済発展を、たったの「5年」で行おうとしているわけであり~それも「資源特需」で~、社会に様々な歪みが起きるのは当然の帰結でもある。

・上記のリンク先では、ルーブルの下落が説明されているが、ここ最近(2007年後半以降)は強くなっているようだ。その理由は、エネルギー資源の高騰で得た膨大な外貨を「ルーブル」に戻す(ルーブル買い)需要があるからのようである。

ということで、ロシアの「今」を理解することに、少しでもお役にたてれば幸いである。

尚、写真での現地レポートは、近々にアップロードします。

サンクトペテルブルグの3日目(続き)


★有名な「エルミタージュ美術館」前の広場。勉強不足の僕は、サンクトペテルブルグに来て初めて知ったのだけれど、エルミタージュ美術館は「世界3大ミュージアム」のひとつで、合計5つの建物で構成されており、その中には「1,000」を超える部屋がある。一度や二度の訪問では、とても回りきれない数である。ひとつひとつマジメに見学すると、数年の歳月を要するらしい。


★1,000以上ある部屋のひとつ。この写真のように、とても美しい中世の芸術作品が展示されている。


★ロシアがナポレオンの侵略に勝利した時のすべてのマネージャー(正式なタイトルは忘れた)のポートレート。


★ミュージアムショップ。会社のスタッフへのお土産を買った。


★エルミタージュ美術館を出て、カナル(運河)沿いを歩く。周囲には、大使館が立ち並ぶオシャレなエリア。日本大使館もこの一角にある。


★ロシア美術館のすぐ横にあるミハイロフスキー公園とカナルの角にあるレストランで昼食。


★元々は湿地帯だったサンクトペテルブルグは、ピョートル大帝により、建造された街。街の構造は、New York のようにいくつかの島で構成されている。その島のひとつ、ペトログラード島にある「ペトロパヴロフスク要塞」。正確には、街の中心を流れるネヴァ川(ペトログラード側)に浮かぶ「うさぎ島」に建てられた要塞。


★要するに「何もするな」ということ。


★要塞から対岸を臨む。


★トロイツキー橋。フランスからプレゼントされた。


★北緯60度のサンクトペテルブルグの夏は短い。長い冬を終えて5月(春)になり、太陽が降り注ぐ日があると、写真のように「日光浴」をする人たちが現れる。


★「うさぎ島」のシンボル?


★市の中心部に戻り、ホテル近くにある「マーケット」の中。現地の人たちが買い物をしている。本当は写真は取ってはいけないらしい。


★マーケットを出てすぐの交差点。Olga(通訳ガイド)とさようならの挨拶を交わし、ホテルに戻る途中。

次回は、EMG Professional という「人材紹介会社 兼 サーチファーム」とのアポイントで伺った話を紹介します。

サンクトペテルブルグの3日目

さて、サンクトペテルブルグの3日目を紹介したい。

その前に、現地事情をひと言。

ロシアでは、5/1は「May Day」で「祝日」になる。今年は、5/1(木)が木曜日なので、金曜日を休みにすれば土曜日と合わせて3連休になるということで、金曜日が休日となるらしい。その代わり、日曜日は「平日」となる。なので、僕の友人は「出勤」である。

そんな事情により、英語が殆ど通じないロシアの街、それも初めてのロシアの街をひとりで散策するのは無理なので、通訳ガイドの方を雇った。要するに、団体旅行の時に、みんなを引き連れている方である。そういう方をひとりで雇ったのだから、かなり高くつく。

ということで、このエントリーでは、彼女に案内してもらったサンクトペテルブルグの一日をご紹介します。


★まず、ホテルを出て、イサク聖堂(下の写真)に向かって歩いた。写真(上)は、途中のビルにあったもの。文字の下にある「線」は、今までで最も酷かった「洪水」の時の水位だという。僕が普通にカメラを構えて取った写真なので、その高さがわかると思う。


★写真は、ロシア帝国の大聖堂として建設された「イサク聖堂(高さ101.5メートル)」。その建設に何と40年の歳月が費やされたという。というのは、サンクトペテルブルグはもともと「湿地帯」だったため、これだけの聖堂(Cathedral)を建てるには入念な基礎固めが必要であり、その作業だけで5年もかかったらしい。聖堂内にはモザイク画で描かれた多数の「アイコン(偶像)」がある。また、最も大きな扉は、20トンもの重さがある。とにかく、素晴らしい聖堂である。New York にあるSt.Patrick’s Cathedral を思い出した。


★クルマ好きな人なら知っているBMW 6シリーズベースのアルピナ。この手の高級車を街のあちこちで見かける。しかし、昨年訪れた「上海」ほどではない。


★建設中の「Four Seasons Hotel」の外壁に設置された広告。欧米の高級ブランドが浸透している。


★イサク聖堂と通りを挟んだところにある土産物屋。観光名所でよく見かける。


★イサク聖堂の中。天井に描かれた絵。


★僕を案内してくれた通訳ガイドさん(かなり美人。6才になる男の子がいて、その子が日本語を勉強中とのこと。)とハイネケンの広告。至る所で見かける。


★市の中心部で見つけたAUDIのディーラー。

次のエントリーに続く。

モスクワに到着。サンクトペテルブルグ2日目を振り返る。

さて、今日はサンクトペテルブルグから「陸路(特急列車)」でモスクワに移動。約4時間半の距離を走り、23時にモスクワに到着。ホテルにチェックインしで写真の整理をしていたところ。さすがに疲れが溜まってきて眠い。

時間が前後してしまって申し訳ないが、サンクトペテルブルグの2日目を紹介したい。

★まずは、地下鉄(こちらではメトロと呼ぶ)にトライ。トークン(切符)売り場でカメラを構えると、警備員が走り寄ってきて、物凄い剣幕でロシア語(僕には理解不能)で怒られた。ロシアでは、今でも公共の場所での写真撮影は禁止されている。


★サンクトペテルブルグの市街から、地下鉄に乗り、少し郊外にあるショッピングセンター内のマクドナルド。至る所で見掛ける。


★地下鉄の駅を出たところからバスに乗り、約50分。ペテルゴーフ(ピョートル大帝の夏の宮殿)に到着。金色の銅像は「噴水」になっている。


★宮殿の中。写真のような絢爛豪華な部屋がたくさんある。当時の大帝の力がうかがい知れる。


★こちらは、噴水(海の方)と反対側に造られた庭園。宮殿内の窓から撮影。


★宮殿に入る際に「履く」必要のある「足袋」のようなもの。靴についた泥が宮殿内に入ったり、ヒールで床に傷がつくのを防ぐため。


★モーターを使っていない「噴水」で有名。しかし、残念ながら、こちらでいう「Victory Day(ベルリン陥落の日)」まで「噴水」は休憩。金色の像が「噴水」。斜面を利用して、水が吹き出るようになっている。


★写真は、ようやく「芽」が吹き出た樹木。5月上旬にならないと、新芽が出ない。さすがは、北緯60度。
にも係わらず、この日は、とても暑かった。おそらく、25度を超えていただろう。

ということで、3日目以降の様子は、改めて紹介します。

ロシアでの4日目。現地企業とのアポイント。

さて、初めてのロシアに到着してから、はやいもので今日が4日目になる。但し、4日目と言っても、初日は19時頃に空港に着いたので、実質的には2日半といったところ。

実は今朝ほど、ロシア滞在記をブログにアップしようと試みたのだが、ネット接続ができず、ワードに原稿を書いていた。ホテルにもよるのだろうが、僕が泊まっているホテルは、時間単位で「WiFi接続」を購入する仕組みになっており、どうもその時間が切れてしまったようだ。

ところで、今日はこの後、今回の訪露をコーディネイトしてくれた友人の協力により、現地の人材紹介会社の経営者とのアポイントが入っている。

そもそも、今回の訪露は、BRICsの一国としてのロシアの今(主に経済)を知ることが目的であり、一般の観光客として来たのでは、ロシアの政治・経済、ましてや、新興のビジネスに関する情報にはアクセスすることはできない。とてもありがたいことである。

初めてのロシアでの朝。

昨夜は、深夜0時過ぎに合流した友人と、こちらの時刻で朝4時頃まで、ロシアのこと、ドリームビジョンの事業のこと、そして、お互いの人生について話し込んだ。

ところで、下の写真は、ホテルのレストランの窓越しに見える景色である。ヒストリカルな建物が目を引く。歴史や文化は、その国を知る上で、とても重要な要素である。

ところで、昨日のエントリーで「SONY」の看板を見かけて嬉しかったと書いた。そういう意味では、TOYOTA、HONDA、NISSAN、MAZDA、MITSUBISHI等のクルマを見かける度に、嬉しくなる。自分が創った会社でもないのに・・・。

同じ文脈で言うなら、10年後、楽天、DeNA、MONEXといった日本を代表するベンチャー企業の名前を異国の地で見かけたら、とても嬉しく思うと思う。

ましてや、DreamVision のロゴを、僕が生きている間に、海外のどこかの都市で見かけたら、そんな嬉しいことはない。

僕にはその経営能力がなくても、僕たちからバトンを受け取った人たちが、それを成し遂げてくれればそれでよい。そう考えれば、不可能なことではないと思う。

つまり、僕の役割(ミッション)は、僕らから「バトン」を受け取ってもいい(受け取りたい)と思ってもらえる会社にする、その基盤を創ることである。

「起承転結」で言えば、「起」が僕の「役割(ミッション)」である。

ここ数週間の出来事とそれを踏まえた自分なりの「熟考」の結果、そう思うようになった。

さて、いよいよこれから7日間のロシアでの日々の始まりである。