久しぶりのサンフランシスコ。

L.A.からトンボ返りでSan Francisco に戻り一晩を過ごした後、本日、無事に帰国。

「無事」とは言うものの、僕らが乗った飛行機にテクニカルトラブルが発生し、機内に乗ってから離陸するまでに「3時間」も待たされた。そんなことで、成田に着いた時には、さすがに疲れていた。

前回の出張時(2004年12月)は、悪天候で帰りのフライトがキャンセルになるなど、San Francisco とはあまり相性が良くないのかもしれない。

ところで、今回の出張は4泊6日で3都市を訪問するという強行軍だったが、得るものが多い旅だった。

話しを最終日のSan Francisco に戻すと、ホテル代をケチり、安いホテルに泊まったところ、使えるはずのインターネットが使えなかった。やはり、値段は正直だということだろう。

でも、そのお陰?で仕事をするのを諦めて、しばし、街中を散策することができた。

San Francisco は今回が3 or 4度目で市内はだいたい理解していたが、Fisherman’s Wharf に行ってみることにした。

僕が泊まったホテルはユニオンスクエアのすぐ近くにあるThe Mosser Hotel というデザイナーズホテルで、そこから徒歩1分のところに San Francisco 名物のケーブルカー乗り場があった。

そこからケーブルカーに乗って20分ぐらいのところに、Fisherman’s Wharf がある。

まずは、Pier 39 という土産物屋がたくさん入っているところに行き、会社のスタッフと家族や親族へのお土産を買い、その後、Fisherman’s Wharf の中心と言ってよい、屋台がたくさん集まっているエリアまで歩いた。

行ったことがある方はご存知のとおり、San Franciscoは夏でもとても涼しい。というか、寒いぐらいで長袖が必須である。そのことはよく分かっていたので、ジャケットを羽織って出掛けたが、それでも寒かった。

このエリアには、屋台に混じって Seafood Grotto というレストランが何軒かある。そもそもはイタリア人の漁師のための船着き場として作られたらしい。見るからにイタリア人と思しき男性が「19XX年からやっているよ」いって客引きをしている姿が目についた。

観光客でごった返すWharfを一通り歩いた後、僕は最も入り口に近いところにある、とても愛想の良い中国人がやっている屋台で、Fisherman’s Wharf 名物の「クラムチャウダー」を買って食べた。

夕食?を済ませた後、ホテルに帰ろうと思いタクシーに乗ろうとしたが、まったくと言っていいほどタクシーを見かけない。しばらくして、前の客が降りたタクシーに乗り込み、運転手に聞いたところ、その日は「野球」があり、タクシーはみんな「ボールパーク(野球場)」の方に行っているという。

ほんの数時間のSan Francisco で感じたのは、イタリア人や中国人の「たくましさ」だ。

そして、「移民」によって創られたアメリカという国の「強さ」を改めて感じた。

次のエントリーでは、もう少し詳しく、そのことを書いてみたい。

久しぶりの Los Angeles。

本日昼過ぎに San Francisco を発ち、Los Angeles に到着。

今までにも何度かそれぞれ来てはいるが、今回のように「3日間」で3都市を訪れたのは初めてである。

そのことで気づくことがある。

以前は、そういう視点で考えたことがなかったが、同じ西海岸でも気候や風土が全く異なるし、デモグラフィクス(人口属性)や産業等の違い、経済水準の違いがあることがよく理解できる。

ここ最近は、中国、ベトナム、ロシアといった国々に行っており、アメリカに来ること自体が約4年ぶりということもあり、今までとは違う発見があった。

何事も「比較対象」があることが重要だということを実感した。

追伸:空港はかなりI.T.化されており、カウンターで働く人の数がめっきり少なくなっていることに驚いた。時代は刻一刻と変化している。

シリコンバレー2日目。何事も「準備が先」。

今朝は、DCMという全米トップ10にランクされているベンチャーキャピタルを訪問。日本人で初めてのパートナーになった伊佐山さんとお会いし、彼の今までの経験を踏まえた知見や最近のVC動向などを伺った。

彼のことは、IVSのカンファレンス等で以前から知っていたが、出井さんの主催する会で初めて話しをし、こうしてオフィスを訪問させていただくことになった。

DCMを出た後はサンフランシスコに向かい、Just Answer!という「Q&A」サイトを運営するベンチャーを訪問した。創業者でCEOのAndyと、エンジェルとして出資もしているビジネスディベロップメント担当VPのRonと面談した。

Ronは自ら創業し経営していたベンチャーを大企業に売却した経験を持つ、いわゆるシリアル・アントレプレナーで、話しが盛りあっがった。

Just Answer!のユニークなところは、すべての回答が質問に対する専門家からのものであり、「有料」だということ。オウケイウェイブとは、その点が異なる。

月間の利用者は「400万人」。 Excellent !!!

Just Answer!のオフィスを出た後は、また、シリコンバレーに戻り、僕の10数年来の友人である吉川さんの「3度目のベンチャー」を訪問した。

彼は、最初の会社を日本で立ち上げた後、石黒さんという超優秀なエンジニアの方とシリコンバレーに渡り、VCから20MMドル(20億円!!)を調達し、ip infusion というルーター開発ベンチャーを立ち上げた。

一昨年、ip infusionをアクセスに売却し(なんと100億円近いディール!!)、3度目の挑戦を始めたところである。

オフィスを訪ねた後、彼の自宅に招待してもらったが、素晴らしいのひと言。

でも、ビジネスでそこまで成功しても、彼の考え方や行動は何も変わっていない。

ところで、今回のシリコンバレー出張は、とあることでの取材が主目的だったが、彼らの話しを聴きながら自分自身のことが整理でき、今後の自分が何をするべきか?ドリームビジョンとしてどうしていくべきか?がかなりクリアになり、そういう意味でも充実した時間を過ごせている。

また、ブログには書いていないが、初日の夜にお会いした方(日本人)は、50才の時にシリコンバレーでビジネスを始められた。

もうひとりの方は、東芝のエンジニアだった方で、彼は37才の時にシリコンバレーで起業。VCから19MMドルを調達し、あと少しでナスダックにIPOというところまで漕ぎ付けたらしい。現在は、ビジネスモデルをReDesign中とのこと。意思の強さを感じる。

こうしてシリコンバレーに来てみると、人生を懸けて挑戦している日本人がたくさんいることに気づく。

日本のメディアは、「堀江さん」だけでなく、彼らのような人たちがたくさんいることを、もっと広く日本社会に知らせるべきだと思う。

僕も、15年若かったら、シリコンバレーに来ていたかもしれない。

でも、人生は、いつどこで、何があるか分からない。

事実として、15年前の僕は、VCからお金を集めてネットベンチャーを興すとか、僕が創業に参加したベンチャーが上場するとか、そんなことは考えたこともなかった。

吉川さんにもらった「ラスト・レクチャー」にも書いてあることだが、「And be prepared. Luck is truly where preparation meets opportunity.(幸運は、準備が整った時に訪れる)」。

そう、何事も「準備が先」である。

「人生はすべて必然」。

無事、シリコンバレーのホテルにチェックイン。

先程、無事にシリコンバレーのホテルにチェックイン。

時差ぼけで眠い目を擦りながら、サンフランシスコ空港からレンタカーを運転し、午後1時半頃にホテルに到着。しかし、チェックインは15時からとのことで、昼食を兼ねて近所のカフェに出掛けた。

東海岸と較べると、東洋系の人が多い。

「移民」の方々の努力と苦労は想像できない。何事も先人の苦労の上で成り立っている。

感謝の心を忘れないようにしたい。

さて、これから明日のアポの準備。充実した数日間にしたい。

久しぶりのシリコンバレー。

明日(テクニカルには今日)からシリコンバレー出張。回数としては「3度目」だが、実質的には初めてのようなものである。

というのは、初回はJMA(日本マーケティング協会)のツアーで、2回目は、デジタルガレージの林さんたちと一緒だったので、自分でアポを取ったり、道順を調べたりしたのは今回が初めてである。

そんなことで、少々緊張している。

もうひとつ、緊張している理由がある。

ご存知の方も多いと思うが、サンフランシスコ(最寄りの空港)からシリコンバレーまでは、空港でレンタカーを借りて自分で運転していくのが最も便利であり、今回はそのように手配をしている。

若い頃の僕は、むしろ、異国の地でクルマの運転をすることを歓迎して(楽しんで)いたが、多少は大人になったせいか、最近は「余計なリスク」は冒したくないと思うようになった。

人間は成長する(変わる)ものである(笑)。

ところで、そんな時に限って、子供が熱を出す。なんと39度の熱が出た。

日曜日の午後から様子がおかしいと思っていたら、夕方から吐いてしまった。でも、今朝はとても元気になっていたので安心していたところ、夕方から発熱したらしい。

留守中、何事も無くいて欲しい。

では、気をつけて行って来ます。

浅井慎平

全英女子オープン。不動裕理は残念だった

でも、素晴らしい活躍である。来年に期待したい。

ところで、1週間ぐらい前の日経夕刊に、写真家の「浅井慎平さん」に関する記事が掲載されていた。

いつからだったかは忘れたが、大阪芸術大学(現在は大学院)で「写真」を教えているらしい。

彼の話しで印象深かったのは、写真を撮るにも「言語化」能力が必要不可欠だという話し。

自分が何故、その写真を撮ったのか?その写真で何を表現したいのか?それを相手に伝えられなければ、自分でも何を撮りたいのかが分からないことになる。

自分には、この世界がどう見えているのか?

それを「写真」という「技術」を通じて表現するのだという。

ビジネスにも通じると思う。

ところで、最近、つとに思うことだが、僕はやはり、I.T.(デジタル)の世界よりも、写真や音楽などのアナログ(デジタル一眼レフ等、機材はデジタル化している)というか、何かを「表現する」世界の方が性に合う気がしている。

これからのドリームビジョンでは、自分のそういう性質を活かした事業を行っていきたい。

「全英シニアオープン」。

今日は久しぶりにゴルフレッスンに行った。最後に行ったのが6/21(土)だったの���、1ヶ月半ぶりだった。

スイングをビデオカメラで撮ってもらい、モニターで確認。自分でもスイングの乱れが酷いのがわかる。これじゃ、スコアは期待できない。

事実として、今期は未だに一度も「100」を切れていない。ここ数シーズンにないスランプである。

でも、前々回、ハーフで「45」を出せて、少しは回復の兆しが見られたのは良い材料。

さて、話しをレッスンに戻すと、コーチから悪いところを指摘され、それを矯正するドリルを行った。

すると、すんなりフォームは元に戻り、忘れていた感触が戻ってきた。コーチが言うには、基本動作(パーツ)は身体が覚えているので、少しやれば、すぐに思い出すのだそうだ。

たしかに、レッスンに通い始めて、この8月で丸4年。それで、基本動作が身に付いていなかったら、少し寂しい(笑)。

また、バンカーショットのスランプが、それ以外のスイングにも影響を及ぼしていた可能性があるとのこと。

当然、バンカーショットのレッスンもしてもらった。

今後の課題は、良い時のイメージを覚えておき、パーツだけでなく、スイング全体の完成度を高めること。

しかし、そのためには、練習時間を割くことが必要不可欠。それが「最大の課題」である。

ところで、今日の日経新聞の夕刊を読んでいたら、「全英『シニア』オープン」に関する記事が載っていた。

プロゴルフのシニアというのは50才以上のことで、今年からシニアとなった「羽川 豊」選手が、全英シニアオープンに「オールドルーキー」としてデビューした。

ゴルフ好きの方は誰でも知っているとおり、羽川選手は若い頃、華々しい活躍をされた。

しかし、ある時からスランプに陥り、その後は、トーナメントには出ず、ラウンド解説の仕事をされていた。

その羽川選手の久しぶりのトーナメントが「全英シニアオープン」だった。

実は、日本ツアーの優勝経験者には、シニアデビューの年に「全英シニアオープン」への出場資格が与えられているのである。ご本人は、さぞかし感慨深かっただろう。

ところで、今年は5人のオールドルーキーが出場したが、その内、予選を通過できたのは、なんと、羽川選手ひとりだった。

彼には今後、日本のシニアツアーでも活躍して欲しい。

さて、全英ということでは、今まさしく「全英女子オープン」が開催されている。

第2ラウンドを終わって、なんと、不動裕理が「首位タイ」である。

是非とも、夢を実現させて欲しい。