「主観(自分の価値観)」という「色眼鏡」。

僕の仕事は、投資先のベンチャー企業の経営者や社外取締役あるいは顧問契約等をしているベンチャー企業の経営者に対して、自分の拙い経験から得られた知見と市場分析を踏まえたアドバイスを提供することだが、客観的に物事を見つめ、相手にとって現実的なアドバイスをするのは、とても難しいと感じるようになった。

今から数年前のことだが、マッキンゼーを経て独立し、ご自分でコンサルティングファームを経営されている方が、こんなことを言っていた。

ある方が、米国の一流ビジネススクールでMBAを取得し日本に帰国して、マッキンゼーに就職したいと相談に来た時に、「君は主観が強いので、コンサルタントは向かない」と諭したという。

因みに、その方は、その後、起業し、見事に成功されている。

要するに、「主観(=自分の価値観)」が強いと、客観的な市場分析はできたとしても、それを踏まえた戦略立案(提案)において、どうしても、自分の価値観に照らして良い(価値がある)と思うことを言ってしまう、ということだろう。

僕にどの程度のコンサルティング能力があるかは別として、最近、その方の仰ることの意味が分かるようになった。

また、この話は、自分で起業する際にも当てはまると思う。

自分の想いが強過ぎると、どうしても、市場のニーズを冷静に見れなくなる時がある。

人間は得てして、自分の中に「仮説」があり、その仮説を支持する「情報(材料)」を集めようとする。

「熱く」ある必要があるのは「努力(取り組み)」であって、「機会とリスク」に対する見方は「冷たく(冷静)」あることが大切である。

20代の時にお世話になっていたコンサルティングファームに「冷たい状況認識と熱い対応」と言う標語があったが、その言葉の意味の本質を、今になってようやく「理解」できたような気がしている。

田坂広志さんが~「風の便り」ふたたび ~ というメルマガを送られているが、以前に読んだときには気づかなかったことに気づくことが多々ある。

田坂さんも、そういう意味で、送られているのだろう。

人生は最後まで勉強・・・ということか。

「還暦」のポップスター。

ライオネルリッチーが、ベスト盤を出し、それに合わせて13年ぶりに来日したらしい。

30代後半以上の方ならご存知だと思うが、80年代に一世を風靡したミュージシャンだ。

僕も20代の頃、一度だけ、コンサートを観(聴)に行ったことがある。まだ、ドームになっていない後楽園で、たしか、雨の日だったと思う。

そのライオネルリッチー。60歳だそうだ。

60歳と言えば、矢沢永吉もそう。最近、ますます、その存在感が増している。

海外では、ミック・ジャガーキース・リチャーズも、とっくに60歳を超えている。ポールマッカートニーもそう。

実は、自宅の壁には、キース・リチャーズがキャラクターに起用されているルイヴィトンのポスターが貼ってある。

みんな今でもカッコいい。

ところで、僕が50歳を意識したのは35歳の時。現在46歳の僕は、遂に?60歳を意識し始めた。

僕のゴルフの師匠のようなある方は、先月で62歳。彼が60歳になる前に、ゴルフで彼に勝つと宣言したまま、一度も勝てたことがない。

まだまだ、現役バリバリである。

残念ながら数年前にお亡くなりになられた定性調査の巨匠「油谷さん」が「New 50(フィフティ)」という概念を提唱されていたが、今や「New 還暦」という感じがする。

物理的な尺度(年齢)よりも、個人差の方が大きくなったということだろう。40代にして、既に終っている感じの人もいる。

カッコいい50歳、そして、エネルギー溢れる60歳を迎えたい!!

手づくりの「靴」。

こう言ってはご本人にお叱りを受けてしまいそうだが、ネット系の起業家というよりも「山口もえ」のご主人と言った方が通りがいいかもしれない「尾関さん」と一緒に、メンズアパレルのECサイトを運営するZEELというベンチャーを立ち上げた「添田さん」という方がいる。

添田さんと知り合ったのは、僕がドリームビジョンを創業して間もない2006年の秋だったと記憶しているが、彼と名刺交換をして言葉を交わした瞬間に、彼の優秀さが伝わってきた。

それから、数ヶ月に一度ぐらい会うようになったが、残念ながら、仕事での接点はないまま現在に至っている。

その添田さんから先日(と言っても、もう数ヶ月前になるが)、久しぶりに連絡があり、彼が関わっている「手づくりの靴」を一足、プレゼントしてくれるということになった。

添田さんは靴職人ではないが、彼と同郷の「靴職人」である「今井 宏樹」氏のECサイトを、添田さんの会社で運営している。

添田さんがZEELを退職し、自分でビジネスを始められた頃、僕が食事に誘ったり、お子さんの誕生祝いを贈ったりしていたので、きっと、そのお礼の意味があったのだろう。

仮に、そのお礼だったとしても、それにしては少々高過ぎる靴なので申し訳ない気がしたが、せっかくのご好意なので、ありがたく頂戴することにした。

ECサイトで注文をしてから約1ヶ月半。その靴が、いよいよ到着した。

実は、僕の足は、形がかなり変わっており、新しい靴を履くと例外無く必ず「靴擦れ」を起こしてしまうのだが、「今井 宏樹」氏の靴は、僕のカッコ悪い足にぴったりフィットし、恐る恐る履いた最初の日、靴擦れしなかった。

問題は、そんなカッコいい靴を履いて出掛けるような機会があまりないことである。

そのことを添田さんに伝えたところ、「Gパンで履いても違和感はないので、どんどん履いて下さい」ということだった。

いつもはスニーカーしか履いていないボクは少々気恥ずかしい気がしているが、「馬子にも衣装」という言葉もあるので、これからは革靴も履いてみようと思う。

イルミネーション

写真は昨夜の新宿南口サザンテラス。

幻想的なブルーとホワイトのイルミネーション。

現在の社会情勢にあっても、ひと時の間、ロマンチックな気分にさせてくれる。

僕には、あまり関係のない気分になってしまったが・・・。

シリアルアントレプレナー 「3度目の起業」と「初めての子育て」

シリアルアントレプレナー 「3度目の起業」と「初めての子育て」

シリアルアントレプレナー 「3度目の起業」と「初めての子育て」

チーズはどこへ消えた?

今から10年前にベストセラーになったらしいので、僕のブログを読んで下さっている方々の中にもお読みになられた方がいると思うが、今日のエントリーは、スペンサー・ジョンソンの著作のタイトルである。

詳細は省くが、先週の土曜日、痛めた腰がなかなかよくならず、SOSの時に看てもらっているスポーツマッサージ(鍼灸師)の方を訪ねた。

約束の時刻よりも早く着いてしまったため、ある本屋に立ち寄ったところ、目に留まった本が「チーズはどこへ消えた?」と同氏の新作である「頂きはどこにある?」だった。

実は、心密かに(こうしてブログに書いているので、密かどころか公だが・・・)、今年の残り2ヶ月であと「8冊(つまり週1冊)」の本を読もうと決めていたこともあり、果たして、その中の1冊ないし2冊に入れるべき本かどうか?と思ったが、きっと今の僕にこそ必要な本だろうと思い、両方とも買うことにした。

「積読(つんどく)」が得意だった僕にしては珍しく、この週末に読み終えた。

お読みになられた方は思い出していただければと思うが、「チーズはどこへ消えた?」には、2匹のネズミと2人の小人が登場する。

2匹のネズミは、「スニッフ」と「スカリー」。
2人の小人は、「ホー」と「ヘム」。

「スニッフ」は、いち早く「変化を嗅ぎ付け」、「スカリー」はすぐさま「行動を起こす」。

「ホー」は、もっといいことがあるに違いないと、恐る恐るながら「変化の波に乗ろう」とする。
「ヘム」は、いっそうマズいことになりはしないかと、変化を認めず、変化を拒み続ける。

その4人?の物語だ。そして、とても示唆に富んでいる。

そう。今この瞬間の世の中は、極一部の幸運な人々を除き、今まで目の前にあった「チーズ」が無くなってしまったようなものかもしれない。

でも、その理由が何であれ、無くなったものは、元には戻らない。

であれば、答えはひとつしかなく、「新しいチーズ」を探しに出掛けるしかない。

でも、それは今まで行ったこともないところで、地図もなく、データもなく、試行錯誤は避けられない。

そんな状況かもしれない。

では、そういう僕はどうか?というと「ヘム」だったように思う。

つまり、「変化を認めず、変化を拒み続けてきた」ということである。

以前の僕は、ちょっと知能が足りない「スニッフ」や「スカリー」のように、自分の直感を信じて、苦労をしながらも一生懸命に努力を重ね、とにかく、「自分にとってのチーズ」を探していたが、苦労に苦労を重ねた結果、その甲斐あって、とても「美味しいチーズ」を手に入れることができた。

しかし、ようやく「自分が望んでいたチーズ」を見つけたにも関わらず、そのチーズの「有り難み」に気づかず、「もっと美味しいチーズを見つけられるに違いない」と思い、謙虚さに欠ける生き方をしてきたということだ。

つまり、「足るを知る」を知らなかったことと、「他人(の持っているもの)と(自分)を比較していた」ということだ。

頭というか理屈では分かっていたが、最近、そういう自分を受け入れられるようになった。

さらにもう少しだけ具体的に書くと、途中から自分の間違いを知り、もうこの先に道はないことに気づいてからも、そこから引き返す勇気も、別の道を探す勇気もなく、ヘムのように、その場に留まっていた。

でも、最近になって、ほんの少しだけ、僕にとっての「次なるチーズは何なのか?」そして、それが「どの辺にありそうなのか?」が分かってきたような気がしている。

ほんの少しだけ・・・。

話は変わるが、ここ最近に読んだ本のひとつに、「若者はなぜ、3年で辞めるのか?」という本がある。この本は「積読」状態だったが、何かの虫の知らせか、読んでみたくなり、これも数日で読み終えた。

実は、著者の「城 繁幸」氏のブログで、数週間前の東洋経済の「年金問題」に関する特集が「東洋経済は厚労省の天下りでも受け入れたのではないか?」というような内容だったと知り、どんな内容か知りたいと思っていたところ、「チーズはどこへ消えた?」と「頂きはどこにある?」を購入した本屋のレジ横に、その号が積んであり、「本当に読めるかな?」と「迷った」にも関わらず、購入してしまった。

先週から受講し始めたアスキー創業者の西さんの「迷ったら、絶対に引き返すべき」という言葉を頭に過らせながら・・・。

さて、その「東洋経済」、本当に読むだろうか?

チーズはどこへ消えた?/スペンサー ジョンソン

¥880
Amazon.co.jp

頂きはどこにある?/スペンサー・ジョンソン

¥980
Amazon.co.jp

若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 (光文社新書)/城 繁幸

¥735
Amazon.co.jp

アスキー創業者「西 和彦」氏の講義。

昨日から4回シリーズで始まったアスキー創業者の西さんの講義を受講した。

約30名の受講生が真剣な面持ちで西さんの話を聴いていた。

売上700億円で利益35億円の会社にまでなったアスキーが何故、その後、転落の一途を辿ったのか?その原因とプロセスを分かりやすく説明してくれた。

話にリアリティがあり、とても勉強になったが、その中でも「私の反省」と題して話をされていた、

・出版は「繰り返し」ていくビジネス(週刊、月刊)なので、素人が玄人になった。
・経営の素人は玄人になれなかった。

ということは、とても腑に落ちた。

また、ベンチャーの条件として「3つ」挙げられていた中の「ユニークであること」という一言は、極々当たり前ではあるが、その本質を再認識することができた。

そして、「迷ったことは絶対にやってはいけない。途中で気がついたら、引き返すべき」という指摘には、自分自身の今までを振り返り、耳の痛い話だった。

教科書の話ではなく、自ら実践してきた人の話には説得力とリアリティがあり、聞く者の脳裏に深く浸透することを改めて実感した。

ステーキがご馳走ではなくなった日本社会。

急に気温が下がり季節が進んだ文化の日の東京は、とてもよく晴れた一日だった。

ところで、ちょっと用事がありクルマで出掛けた際、「ステーキ半額」という看板を見掛けた。

考えてみると、僕が小中学生の頃は、ステーキはご馳走であり、家族みんなでレストランに出掛けるのが楽しみだった。

あれから30年。ステーキはむしろ、不健康な食べ物になり、半額(というか、いつも半額なのだけど)にしないとお客さんが来てくれない時代になった。

日本はそれだけ、豊かな社会になったということだ。

3年や5年では社会は大きくは変わらないが、10年、ましてや20年30年と経つと、確実に世の中は変わる、それも技術やサービスだけでなく、人々の「意識(価値観)」が変わるということを、何気ない道路沿いの看板で実感した。

2020年の日本は、どういう景色をしているのだろう?