日本の政治家はなぜ、こういう話ができないのか?

既にご存知の方も多いと思うが、慶應義塾大学SFC研究所ネットビジネス・イノベーション政策フォーラム・キックオフ・シンポジウムでの「孫さん」の政策提言(講演)は素晴らしい。

これは「視聴必須」です!!!

日本の政治家は、自分���選挙に勝つために必死であり、その活動に「多額の資金」が必要なため資金集めに時間を割かれ、当選してからは「年功序列」に従わざるを得ず雑務に忙しく、「政策」について「勉強」したり、「提言」をまとめるために使える「時間」が殆どないのだろう。

「手段が目的化」している典型である。

手段を手段とし、本来の目的に邁進できる環境を創るためにも、選挙活動に「インターネット」を使えるようにするべきである。

また、そうすることにより、ネットを日常的に使う若い世代の「投票率」が高まれば、日本の政治は大きく変わるだろう。

その時、政治の世界も本格的な「世代交代」が起こるはず。

では、どうやって「公職選挙法」を改正することができるか?

自分を本当に説得できるのは、自分だけである。

先週末の疲れが抜けないまま、今週は昼夜共に人と会うことが多く、夜は多少はお酒が入るせいもあり、ようやく治りかけた体調が逆戻り。

やはり、30代の頃のようにはいかない。

ところで僕は今、バイオリンの先生のところで、このエントリーを書いている。

レッスンを受けているのは僕ではなく、子供の方である。

2才10ヵ月ぐらいの時、偶然に聴いたジャズバイオリニストに興味を持ち、自分から習いたいと言い出した。

自宅では殆ど練習はしないが、レッスンは一年以上、続いている。

サッカー好きな妻がそれとなくサッカーに水を向けてみても、彼は素っ気ない。

僕が海外に住んだことが無くても、そこそこ英語が話せるようになったのは、英語が好きだったからだ。

「主体性と自由」そして「多様性」が、何よりも大切だと思う。

自分の「生き方」は自分以外には決められないし、「自分を本当に説得できるのは、自分だけである」。

iPhoneから投稿

「大人げない大人」になるには、「勇気と覚悟」が必要だ。

土曜日は「大阪」、日曜日は「東京」で、社団法人関東ニュービジネス協議会とドリームゲート(株式会社プロジェクトニッポン)の共催による「DREAM GATE グランプリ」の「2次選考(プレゼン審査)」があった。

昨年から選考委員の仕事をさせていただいているが、ある意味で、人の「生き方」に関わる仕事であり、昨日は改めて、その責任の重大さを感じた。

書類選考では伝わってこない、人間の「生き方」がプレゼンテーションから伝わってくる。

年齢を言い訳にはしたくないが、土曜日は大阪での選考終了後、お好み焼きを食べながら「日本経済」に関する熱い議論をし、新幹線の中でその続編を行い、昨日は十数人のプレゼンを拝聴した後、うどんすきを食べながらの議論で、毎回の議論にはアルコールが入っており、松谷さんの肝臓の足元にも及ばないそれしか持っていない僕は、さすがに今日は疲労感が残っていた。

一方、今年から新しい保育園になった我が子は土曜日はお休みとなり、僕のいない週末を、ひとりで彼の面倒を看て過ごすのは大変ということで、妻は、以前の保育園繋がりの友達家族と過ごしていた。

ところで、もう4年半も前のことになるが、子供が生まれて、本当の意味での「人生が始まった・・・」と思ったというエントリーを書いたような気がするが、最近はよりいっそう、そう思う。

ひと頃の僕は、旧友を除けば、交友関係の殆どは仕事の上の付き合いで、ネットビジネスを始めてからは、ネットベンチャーの経営者との交流が大半を占めていた。

でも、子供が生まれてから、正確に言えば、3才ぐらいになってから、彼の交友関係のお父さん、お母さん達との付き合いが、僕の日常の人間関係の多くを占めるようになった。

これは「とても静かで緩やか」ではあるが、僕の人生に、とてもとても大きな影響をもたらしているように思う。

それはある意味で仕方のないことではあったと思うが、以前の僕は、ベンチャーキャピタルから資金を調達し上場を目指していたため、上場しているのなら「時価総額」が大きいこと、未上場よりは「上場」していること、未上場のベンチャーなら売上や利益、あるいは会社の規模(人数)、はたまた、どこのVCからいくら資金を調達しているか等、定量的というか「外形基準」で物事を判断しており、その尺度に当てはめて自分の価値を判断していたところがあった。

自分だけならまだしも、他人(他のベンチャー企業の創業経営者)を判断する際にも、同様な基準で考えるところがあった。

それは確かに、ひとつの判断基準にはなるのは間違いない。

ゴルフで言えば、スコアは少ない方がいい。

でも、「タイガーウッズ」と「アイルトンセナ」、「スティーブジョブス」と「マイケルジャクソン」をどうやって評価するのか?

以前の僕は間違いなく、「ベンチャー原理主義」なり「IPO原理主義」なりに囚われていた。

でも、世の中は「多元的」である。

とてもお恥ずかしい話だが、子供が生まれて保育園に通う(あずける)ようになって、仕事上の接点ではなく「子育て」という接点で知り合った人達との交流を通じて、ようやく、自分を支配していた「ドグマ」から自分を解放することができた。

そういう意味では、子供を育てながら働く女性の方が、視野が広いのは自明の理かもしれない。

さて、話をドリームゲートに戻すと、主催者の松谷さんが、選考委員を務める僕と影山さん宛に、「経済合理性」も「必然性」もないにも関わらず、グランプリの選考委員の仕事を快諾してくれていることに、心から感謝をしています、という趣旨のメールをくれた。

たしかに高額な収入でもなく、貴重な週末を潰しての仕事なのは事実だが(極めて地味な仕事である)、僕がこの仕事をしている理由は経済合理性ではなく、「価値観合理性」である。

そして、松谷さんや榎本さん(社員の方)と一緒に仕事をすることで、自分ひとりでは実現できないことを実現できるわけであり、その意味では「必然性」があるのである。

余談だが、ドラッガーは「経済は妥協できるが、価値観は妥協できない。半分のパンはパンだが、半分の子供は死体である」と言っている。

つまり、価値観を「共有」できない人とは、仕事はできないし、上手くいかない、ということである。

但し、ここで重要なことは、日々の生活に窮していたとしたら、いくら価値観的に共感できたとしても、その仕事を引き受けることはできず、稼ぎの良い仕事を取る必要(必然性)がある、ということである。

つまり、

・個人のレベルで見れば、仕事は「パン」だけのためではないが、パンは必要である。
・社会全体で見れば、何のために「経済成長」が必要なのか?

ということなのだろう。

日々の生活の糧を稼ぐことを除いて、僕は何のために仕事をしているのか?
何を基準として仕事を選んでいるのか?

そのことを将来、自分の子供にきちんと語れる「生き方」をしていきたいと思う。

そして、ALBERTの上村が数日の前のTwitterでつぶやいてた、「あなたにとっての”大きな石”はなんですか?」という問いを忘れずにいたい。

話は変わるが、僕の自作の「座右の銘(3点セット)」のひとつに「人生は短い」というものがあるが、最近は「まだまだ長い」と思うようになった。

僕たちの子供が「20才」になる時、僕は「62才」。「30才」の時、「72才」。

今までの人生とは異なる楽しみがあると思う。

そして、年齢的には「高齢者」になってしまうが、カッコいい親父でいたいと強く思う。

ところで、ウノウの山田さんのブログで、そのタイトル故に気になっていた、元マイクロソフト日本法人社長の成毛さんが書いた「大人げない大人になれ!」という本に関する書評(感想)を読んだ。

僕が思い出したのは「優等生な人生」は送りたくない、ということだ。

でも、「大人げない大人」として人生を歩んでいくには、それ相応の「勇気と覚悟」が必要である。

そのことも再認識した。

その「心」は、また今度。

「リーダー」とは、人々を「奮い立たせる人」である。

さて、今日はこれから、約一年ぶりの「大阪出張」。

その前に、昨日の「竹中平蔵」氏のキーノートの内容をレビューしておこう。

以下、箇条書きに(「・」は竹中氏の発言。「→」は、それに関する僕の感想&考察 and/or データ)。

・2010年、「上海」がGDPで香港を超える。また、中国の国債発行残高は、GDPの「30%未満」であり、まだまだ「財政出動の余力」がある。しばらくは、成長を持続させることができるだろう。
 →「上海」は、いよいよ「世界の中心都市」へ。

・ドバイ、南欧、東欧等、世界経済のリスクが存在する。
 →「フラット化した世界」。グローバル経済には坑がえない。

・オーストラリアは直近の半年?で、金利を「3回」も引き上げている。
・また、Kevin Michael Rudd首相が、現在2,200万人の人口を「3,500万人」に増やすと発言。尚かつ、800万人の「移民受け入れ」を表明。さらに、一定以上(金額はメモできなかった)をオーストラリアに投資することを条件に「永住権」も提供する。住宅需要が増大し、経済が発展する。

・「バーゼル2」と呼ばれている「BIS規制(国際決済銀行による銀行の自己資本比率規制)」が強化される。メガバンクは「資本増強(増資)」が必要になり、不良債権化をミニマイズする(査定を厳しくする)べく「貸し出し」に慎重になるだろう(中小企業の資金調達が困難になる)。
 →だからと言って、「亀井静香」のようなバカげたことをしてはいけない。

・「子供手当」は「とんでもない政策(財政を圧迫させる)」。
子供が「3人」いる家庭には、年間約「100万円」が支給される。これが、高校入学まで支給されることになる(政策が続けば)と、なんと「1,600万円」になり、地方都市なら「家が一軒、建つ」ことになる。
 →東京で1,600万円では中古のワンルームマンションが精一杯だが、僕の出身地「福島県郡山市」であれば、小さな家なら充分に買える金額だ。
 →そう考えると「子供手当」は、実質的に、都会から「地方」への「所得移転」である。「税負担」「福祉」の「不公平」が発生する。資産価格が安い分、レバレッジが効く。

・今の日本は「50兆円の赤字(単年度)」。累積債務は「GDP(約500兆円)の約2倍。
消費税を「1%」上げると「2.4兆円」。「50兆円」を「消費税」で賄おうとすると税率は「25%」になる。北欧並みの「重税国家」になる。
 →スウェーデンの人口は「約920万人」。近年は移民が多いが、大半は北欧諸国が多く、同胞意識が強い。また、若者はかなりの割合で英語を話す。しばしば、北欧を見習えという意見があるが、日本とは「前提条件」が大きく異なる。

・「構造改革」が「格差」を生んだと言われるが、2005年(郵政選挙が行われた年)は「株価」が「42%」上昇し、失業者が「100万人減少」した。2009年は、株価が42%下落した。
 →グローバル化した経済は不可逆的であり、競争力がない産業を保護することは「時間とおカネの浪費」でしかないことは議論の余地はない。僕(当社)の投資先(イミオ)つまりベンチャーでさえ、海外の工場に生産を委託している。とどのつまり、グローバル経済とは「役割分担」である。
 →日本は「知的職業」と「重サービス業(百年コンサルティング鈴木貴博氏)例:SUICA,Edyや鉄道のダイヤ管理システム等、『資本投下』と『高度なオペレーションKnow-How』を必要とするサービス業)」に国のリソースを集中投下すれば、まだまだ成長できる。

・今夏の参議院選挙の後「3年間」は「国政選挙」がない。この間に「政策転換」をするべき。
 仏ミッテラン氏は大統領は就任後、9つ(だったと思う)の企業グループを国有化した(GDPの17%を国有化)。尚かつ、法律を改定し「就業時間を短縮」。つまり、実質的に「賃上げ」とした結果、仏経済は「深刻な不況」に陥った。しかし、その後、「欧州の統合のためにフランスは変わる(変わらざるを得ない)」と発言し、大きな「政策転換」をする。結果として、14年という「超長期政権」となった。
 日本は、そのことに学ぶべき。
 →それでもフランスは、重傷の「閉塞感」に苛まれている。それは「規制」が強過ぎるからだと思う。
 →サルコジ大統領は「アメリカ批判と金融規制派」だが、その裏には、このままでは「フランスは消滅する」という危機感があるように思う。フランスの「解雇規制」は日本のそれよりも厳しく、実質的に「社会主義」的な国であり、若者の失業率は「25%(と記憶)」に上り、日本以上に「世代間格差」と「既得権保護」が強い。然るに「イノベーション」が誘発されず、歴史・文化とファッション以外に国富を生み出すエンジンがない。エンジンという意味では「ルノー」があるとも言えるが、今後のグローバル経済をリードできる存在とは思えない。
 →「明治維新」は「グローバル化」であり、社会そのものの「イノベーション」だったはず。

・日本経済の活性化のための政策(ご自身の考え)は、以下の3つ。

1. 法人税率の引き下げ:
 日本の実効税率40%は、世界に類を見ないほど高い。先進国の平均は約25%。
 いきなりが無理なら、経済特区を創ってはどうか?
 沖縄にそのような構想があるが、官僚が複雑な条件を付しており、事実上、使えない制度になっている。

2. 羽田空港の大規模拡張とオープンスカイ政策:
 アジア諸国はすべて、そのような政策を取っている。例外は、北朝鮮と日本だけ。

3. 3つと言いつつ、3つ目はお話にならなかった気がするが・・・、
 ひょっとして、小泉さんとの久しぶりの再会での「エピソード」のことかもしれない。

以上が、竹中平蔵氏のキーノートの概要と僕の感想&考察である。

尚、オマケ的(実は、この話が重要なのだが)な話として、こんな「エピソード」を披露してくれた。

久しぶりに小泉さんと会ったそうだが、その時に、小泉さんが「久しぶりに読み返しているんですよ」と言ってみせてくれたのが「スマイルズの自助論」だったそうである。

このブログでも書いたので読んで下さった方もいらっしゃるかもしれないが、僕も昨年秋、苦悩の中で読み、勇気づけられた本である。

これでもか!これでもか!とシツコイぐらいに、逆境にあっても尚、自分を叱咤し、窮地に追い込まれても尚、希望を失わず、人生のどん底から這い上がるの人々を紹介し、頼りになるのは「自分」以外になく、「自助」こそが「最大のエネルギー」であるということを説いている本である。

また、竹中氏は、福沢諭吉の「学問のすゝめ」に触れ、こんな実例を引き合いに出し、ご自分の話を終られた。

<ここから>

福沢諭吉の「学問のすゝめは「350万部」ほど売れたそうです。当時の日本の人口は「約3,500万人」だったそうですので、なんと「10人に一人(子供とご高齢の方々を除けば、7~8人に一人だろう)」が読んだことになります。

そのぐらい素晴らしい本だったわけですが、最も素晴らしかったのは、「学問のすゝめ」を読み、一生懸命に学ぼうとした「日本国民」だったのだと思います。

ご清聴ありがとうございました。

<ここまで>

「ヒット曲」は、「一発」出ればいい。

今日は、どういう脈絡かは分からないが、なぜか、CRM関係のカンファレンスでキーノートを務められた、「竹中平蔵」氏の講演を拝聴する機会に恵まれた。

大変勉強になった。

詳細は別途、レポートしたいと思う。

ところで先程、Twitterでもつぶやいたが、「ヒット曲」は、「一発」出ればいい。

問題はそのインパクトの大きさである。それで人生が決まる。

Hotel California/Eagles, Stairway to Heaven/Led Zeppelin, Layla/Eric Clapton等、世界レベルのミュージシャンでも、代表的ヒット曲は、せいぜい1~2曲である。

そういう意味では、Michael Jackson は間違いなく、天才である。

尚、「ヒット曲」の話は、「起業家」人生にも当てはまる。

「終身雇用と年功序列賃金」で果実を最大化するには「アベレージスコア」が良い方が有利なのだろうが、「起業=ベンチャー」はそうはいかない。

シングルヒットをコンスタントに狙うのは、かえって難しい。

そもそも起業を志すような人は、僕も含めて「リスク愛好的バイアス」が高いわけであり、統計的には「マイナス利潤(全体としての投資リターンはマイナス)」であるにも関わらず、「自分だけは成功する」と思って事を始めるわけだ。

カジノが成立するのも同じ理屈である。

つまり、成功確率「数%」に賭けるのを「正当化」するには、「期待収益(当たった時の利益)」が大きい必要がある。

今の日本で新卒の若者が「公務員志向」なのは、「起業の期待収益」が「小さい」からである。

「弱者」を「保護」しても(「救済」とは別の話である)「期待収益」は高まらない。

一時凌ぎは別として、雇用も生まれない。

「敗者復活」ができる社会こそ、健全である。

「既に起こった未来」。

今日は、JAGAT主催のカンファレンスでの講演があった。

僕の仕事はモデレーターで、Web、ケータイビジネスの「キラーコンテンツ」なるテーマでの議論を通じて、これからのビジネスに関する「示唆」を抽出することで、言ってみれば、会場の反応と議論の流れを見ながら、テーマと議論の方向性を常に「同期」させることだった。

「CGM」つまり「コンテンツ」という部分では「4トラベル」の野田さん、コンテンツを載せる&流通させる「デバイス(&通信インフラ)」という部分では「ビートレンド」の井上さんが、それぞれに実務に基づいた深い造詣を惜しみなく披露してくれて、事前の打ち合わせを超えた、とても有意義なセッションになったと思う。

因みに、Yahoo! JAPANのトラフィックが昨年12月に初めて「減少」に転じた(とても大きなシグナルである!)ことが象徴しているように、「ポータル」として「トラフィック」を集めて「自社サイト内にコンテンツを包含する」というビジネスモデルが限界にきており、いわゆる「個々のディスティネーション(目的サイト)」に重心が移ってきているのは間違いない。

一方、DeNAが過去最高売上と営業利益を叩き出したことは、額面通り受け取ると「ソーシャルゲーム」が支持されているということになるが、ソーシャルゲームが支持される理由は「コミュニケーション欲求」であり、ネットの「キラーコンテンツ」の本質は「コミュニケーション」だと言える。

「ゲーム」という「触媒」を通じて、自分と趣味の合う他人との交流(コミュニケーション)を楽しんでいるのである。

サバーエージェントの「アメーバ」が黒字化したのも、「アメーバピグ」という「アバターゲーム」のお陰と言っても過言ではないだろう。

4トラベルの野田さんが言うには、アメーバピグのユーザが使っているお金の平均は「1,500円/月」だとそうである。

シリコンバレーでは既に、ビジネスモデルの「主流」は「Freemium(フリーミアム:入口はフリーだが、有益&便利なコンテンツ&サービスは有料)」と言われているが、まさしく、そういうことである。

また、もうひとつのインプリケーション(示唆)は、デバイスの中心がPCから「モバイル端末」に移ってきているという事実である。

きちんと解説すると長くなるので割愛するが、モバイル端末の代表格である「ケータイ」のアドバンテージは「プッシュ」で「メール」が届く(届けられる)ことであり、メールの開封率は「ほぼ100%」である。

また、ムーアの法則のとおり、CPUとハードディスクの価格性能比は著しく向上しており、今やiPhoneのハードディスクは「32GB」で、そこらのパソコンと同じであり、クラウドコンピューティングとの相乗効果で、ネット接続デバイスとしての「スマートフォン」の価値がますます向上していくのは不可逆的だろう。

何故なら、いつでもどこでもポケットに入れて持ち運べて、尚かつ、自宅やオフィスのPCと簡単に「同期」できる。

つまり、顧客への「リーチ」が至上命題であるマーケティング目的のWebサイトは間違いなく、「スマートフォン&ケータイ」が中心になっていくと思う。

そして、PCは「Thin Client」化していくだろう。

話は変わるが、昨晩、ネットビジネスのキープレーヤーのひとりである旧友と久しぶりに杯を傾けていた時、彼も「ようやく、ネットバブル以来の大きな波が来たね!」と言っていたが、僕も今日のセッションで、その想いを改めて確信した。

今から3~5年後、日本の「メディア&広告業界」および「インターネット関連業界」の構造は、大きく変わっているだろう。

「既得権」は間違いなく、時間の問題で「崩壊する」。

僕たちが今、目にしているのは「既に起こった未来」である。