子育てから学ぶこと

子育て先輩の方々から異口同音に言われていたことは、子育てと言うものの、子供から学ぶことの方が多いということだ。

悠生が生まれて1年1ヶ月が経ったが、はたして、我々夫婦は何を学んできただろうか?

僕(が学んだこと)に関しては、明確に言語化できているものは少ないが、相手(自分の子供)はひとりの人間(人格)であり、僕とは異なる「意志」を持っている、ということだろうか。

言葉を話せようが話せまいが、彼は自分の意志で、遊び、ダダをこね、食事をする。

僕の言うことを理解することができない彼に対して僕ができることは、彼の意志を尊重することだけである。

相手が大人であれば、自分が言いたいことを伝えることはできるが、だからと言って、そのことを理解してくれるかどうかは別問題である。

世の中は自分の思うようにはならない。しかし、自分自身が成し遂げたいことはある。

そのギャップがあることを学んでいるのかもしれない。

保育園の運動会

昨日は保育園の運動会があった。子供の運動会に出るというのは初めてである。

僕らがお世話になっている保育園は恵比寿ガーデンプレイスの近くにあり、ガーデンプレイスの真ん前にある「加計塚小学校(渋谷区立)」の体育館を借りて、朝9時過ぎからお昼前まで運動会が行われた。

土曜日の夕方、妻が悠生を迎えに行くと(18:00頃)、保育士の先生方が、まだ、日曜日の運動会の準備を一生懸命にやっていたそうである。

悠生が通っている保育園はゼロ才児から3~4才ぐらいまでの子供がいるが、運動会ではクラス(年齢)ごとに色々な種目があり、悠生達は「どんぐりころころ」の歌に合わせた種目だった。

それに使う「池」や「どんぐり」や「どじょう」などを、先生達が数週間前から工夫をして作っていたのだろう。

昨年の秋に開園した保育園ということもあるのかもしれないが、これだけ一生懸命に愛情を込めて保育をしてくれていることに感謝をしたい。

そして、社会がもっともっと未来の大人である子供に対して関心を持つよう、自分にできることをしていこうと思う。

追伸:それが仕事と言ってしまえば、元も子もないが、渋谷区長が挨拶に来ていた。

発達障害

僕がこの言葉を知ったのは1年ぐらい前のことだ。大学院で臨床心理を勉強している妻から教わった。

2週間ぐらい前だったと思うが、日経新聞の夕刊に幼児教育と発達障害の記事が掲載されていた。

発達障害とは、文字どおり、何らかの理由で正常な発達が阻害されることらしいが、ADHD等、幼児期を過ぎて少年にならないと判断できない場合もあるらしい。

日経の記事に書いてあったのは、ハイハイの仕方で発達障害の可能性がわかるということだが、その解説によると、悠生のハイハイの仕方は、発達障害の可能性があるということだった。

妻にその記事を見せたところ、彼女は翌日に早速、その記事で発達障害のことを解説していた病院に電話をし、診察の予約を取った。新聞記事の効果で翌日は電話が殺到したらしく、たまたまキャンセルが出たので、翌週に予約が取れた。

結果として、悠生は発達障害はないとのことで安心したが、今回の診断は「自閉症」に関することだったようで、前述のとおり、ADHD等の障害は幼児期には判明できない。

子育ては、本当に心配が絶えない。今更ながら亡くなった両親に感謝したい。

五体満足で心身ともに健康であるということは、ただそれだけで幸せなことだと思う。

感謝の心と謙虚さを忘れないようにしたい。

遺伝の問題。

ようやく悠生の熱が下がったが、まだ、具合が悪い。

さすがに、1週間も具合が悪い日が続くと、悠生自身は当然だが、彼を看病している我々の体力も限界になってくる。昨日は、少し眠っては起き、少し眠っては起きを10回ぐらい繰り返しただろうか? 今日もそんな調子である・・・。

ところで、今朝(厳密には昨日の朝)、近所の小児科に連れていった。血液検査の結果を聞いたところ、白血球の数が多く、まだまだ治ったとは言えないと言われた。

また、悠生の場合、母親の体質を受け継いだのか、免疫力があまり高くなく、白血球が常時、ウイルスや細菌と戦っているらしい。しかし、それが限界に達すると発熱するということのようだ。

「遺伝」であれば何とも仕方が無いが、この話を聞いて、正直、僕はかなり落ち込んだ。これから先も同じようなことが続くわけだし、小学校に入ってからも、しばしば熱を出して学校を休むことになるのかと思うと、何とも言いようがない想いにかられた。

五体満足で生まれて来ているのだから、それで幸せと思うべきなのかもしれないが、親心としてはついつい、もっと丈夫な子だったらと思ってしまう。

話しを元に戻すと、看病疲れで妻の具合が悪かったので、今日は午後から悠生を1週間ぶりに保育園に連れていった。そして、僕らは昼寝をした。それでだいぶ身体が楽になった。

夕方、悠生を保育園に迎えに行ってみると、ちょっと疲れた顔をしていた。

妻は大学院に通っており、課題や発表や学会等があり、さすがに子供が1週間も具合が悪いとどうにもならなくなってしまう。子育てと大学院の両立は、並大抵のことではないということに、本人も気がついてきた。(会社の立ち上げとの両立も大変である。)

しかし、「人生はすべて必然」なので、きっとこれを乗り越えることで、親子共々得るものがあるのだろう。

そう思って頑張りたい。

病児保育

「病児保育」という言葉を知ったのは、1年ぐらい前だろうか。

ETICのスタッフに相談をしながら紆余曲折の結果、フローレンスという秒時保育を行うNPO法人を立ち上げた駒崎さんの話を聴いた時だったと思う。ひょっとしたら、妻からだいぶ前にそういう話をされていたかもしれないが・・・。

ここ数日、子供が39~40度の熱を出しており、昨日は初めて、世田谷区の下馬にある小児科医院が運営している病児保育のサービスを活用した。

昨日は、妻が大学院での発表があり、どうしても休めない日だった。こういう時には、東京生まれの東京育ちの妻の両親が生きていてくれたらと思う。

実際に病児保育を活用してみての感想は、医療面での心配はなかったが、当然のことながら、やりきれない想いが残った。

悠生も、いつもの保育園とも違うということも分かっているし、僕らがいなくなってしまうことも分かっており、僕らがその施設を出るときは、もの凄い声を出して泣いていた。

親としては忍びない限りであるが、こういうサービスがあることに感謝している。

そして、子供を持ってみて初めて、ビジネス以外の社会の構造や問題等に直面し、関心を持つようになり、公的サービスのあり方を考えるようになった。

政治に対する関心も、以前よりも高まったように思う。

40度の発熱と父親の思い出。

昨晩、悠生が40度の熱を出した。

一昨日、39度の熱を出したが、昨日には下がっており、治ったかと思った矢先だった。

昨晩は少しビールを飲んで帰ってきたので自分の車で行くことができず、タクシーを呼んだ。そういう時に限って要領を得ない運転手さんで、イライラしながら広尾の日赤医療センターに向かった。

タクシーの中で、亡くなった父親のことを思い出した。

僕が小学校の頃、神経性胃炎で入院したことがあるが、父が勤務していた病院まで片道約20キロの道を、父が運転する車で連れていってもらった。

普段は決してスピードを出す人ではない父が、その時は、80キロを超えるスピードを出しており、子供ながらに父親の愛情を感じた。その時のことは今でも鮮明に覚えている。

親になって初めて親の気持ちが分かると言うが、そのことをしみじみと感じている。

インタースコープを一緒に立ち上げた山川さんから、「子供ができたら人生観が変わると思いますよ」と言われていたが、確かに、僕の人生の「構成要素」が変わった。

初めての誕生日。

今日は僕らの子供(悠生)の初めて誕生日、つまり、満1才になる。

当たり前の話しだが、昨年まではこの世に存在していなかった命であり、僕らにとっては新しい家族である。余談だが、名前(悠生)はどうやらヒットの予感!!!

先程、夜中に起きて来て、おむつを替えたり、少々あやしていたが、自分のDNAを受け継いでいる別の個性(命)であることが、何とも不思議な感じがする。子供がいらっしゃる方にはご理解頂ける感覚ではないだろうか。

最近、色々と考えることがある。

悠生が生まれる前までの僕の人生は、極端に言ってしまえば、自分のキャリアのことしか考えてこなかった。

正確に言うと、28才で起業してから40才ぐらいまでは、ベンチャー企業を立ち上げる&経営するということもあり、他のことを考える精神的な余裕が無かった。

それが、僕が40才になるかならないかの頃、妻が大学に編入したいと言い出したことがきっかけで、初めて彼女の人生を考える、多少カッコよく言えば、僕に何が手伝えるか?を考えるようになった。

でも、それでもまだ我々夫婦だけのことであり、お互いに大人なわけで、自分の人生には自分で責任を持つのが大前提であり、特に、何らかの責任のようなものは感じてはいなかったと思う。

しかし、子供が生まれたことにより、さらに正確に言えば、悠生が笑ったり、はいはいをしたり、つかまり立ち歩きをしたり、言葉にならない言葉を発するようになったりと、だんだん一人の人間としての「人格」が形成されてくるに連れて、彼が大人になるまでに、まだ、20年近くもあり、それまで親としての責任を果たす必要があることを、リアリティを持って実感するようになった。

きっと個人差が大きいのだと思うが、これは、僕にとっては大きな変化である。

子供が生まれたことと関係があるかどうかは分からないが、起業ということや会社を経営するということに関しても、考え方が変わったような気がする。

せっかく軌道に乗ったインタースコープを退任し、その前年には子供が生まれ、今年の春からは新しい会社の立ち上げに奔走し、安定というものとは程遠い生活を送っている。

時々、弱気になったりもするが、強い「意志」を持って生きていこうと思う。