藤田さんは心が強い。

今日は法政大学のビジネススクールと共同で運営しているオープン講座があり、サイバーエージェントの藤田さんにゲストでいらしていただいた。

さすがは、藤田さん。大勢の受講生の方がいらっしゃった。

藤田さんとこういう形でQ&Aセッションをするのは初めてのことだが、改めて藤田さんは「心が強い」と思った。彼が成功したポイントは、その点が最も大きいのではないかと思う。

その点、僕は心が弱い。良く言えば「繊細」である。

さすがに起業して15年も経つので、これでも、だいぶ強くなった。

もうひとつ、藤田さんとのセッションで印象に残ったことがある。それは、藤田さんが「経営者的なことは後天的に身に付いた」と言っていたことだ。

僕も、これでもだいぶ経営者的な感覚が身に付いたと思っている。藤田さんの言葉で、とても勇気づけられた。

明日も頑張ろう。

オールアバウトの江幡さん

10/23(月)、今年の7月から法政大学ビジネススクールと共同で開催してきたオープン講座にオールアバウトの江幡さんがゲストでいらしてくれることになった。

これを機会に、オールアバウトおよび江幡さんとの出会いを振り返ってみたい。

僕がオールアバウトという会社の存在を知ったのは、2001年の2月か3月だったと思う。

当時の僕は、インタースコープを創業してようやく1年になるかならないかの頃だった。中目黒のオフィスが手狭になり、中目黒・恵比寿・代官山あたりでオフィスの移転先を探していた。

その時に内見に行ったビルに入っていたのがオールアバウトだった。たしか、みぞれまじりの冷たい雨が降っていた。

恵比寿から徒歩6~7分の明治通り沿いにあるビルで、オーナーが京浜急行だった。インタースコープは資本金こそ1億円以上あり、財務体質としてはそこそこの会社だったと思うが、単年度黒字にはなっておらず、審査ではねられてしまい、残念ながらそのビルには入れなかった。やはり、リクルートが出資している会社とは「格付け」が異なるということだろう。

2001年というのはネットバブルが崩壊した後で、オフィスの空きはそこそこあった筈だが、僕らがオフィスを探していたエリアは、そもそも物件自体が少なく、オフィス探しに苦労をした。代官山にもうひとつ気に入ったビルがあったが、インタースコープよりも先に申し込みをしていた会社があり、なんとか我々に貸して欲しいと思い、オーナー宛に手紙を書いたりした。でも、それも「不合格」だった(笑)。

そんなことを繰り返しながら、なんとか代官山にオフィスを見つけた。

話しをオールアバウトのことに戻そう。

江幡さんのことはマスコミ等で知っていたが、実際にお会いしたのは、随分後のことだった。最初に会ったのがいつかは、よく覚えていない。

江幡さんの印象を「形容詞」にすると、「計画的・戦略的・情緒的」といった言葉が思い浮かぶ。その中でも「計画的」という言葉が最もフィットするように思う。

彼は、武蔵工業大学を卒業した後、早稲田大学のビジネススクールに進み、マーケティング戦略コースを修了しており、エンジニア的発想とマーケティング的発想がバランスよくブレンドされているのだろう。

同じイケメンということもあってか、アップルを退任された(ネットエイジの社外取締役に就任予定)前刀さんにも通じるところがあるように思う。

彼とのことで印象に残っているのは、2004年11月に行ったNILS(New Industry Leaders Summit)主催のゴルフコンペのことである。江幡さんが優勝、僕が準優勝だった。

江幡さんとは、それほどゆっくりと話しをしたこともないし、付き合いが長いわけでもない。それでも、そのカリスマ性故か、僕の起業家仲間の中では存在感がある人である。

彼が何故、起業という生き方を選んだのか? 何が彼のドライビングフォース(原動力)になっているのか? 10/23(月)のセッションで訊いてみたい。

ライブレボリューションの月初会

今週の月曜日、ライブレボリューションの「月初会」という全体会議に参加させて頂いた。同社の株主(マイノリティ)という立場で、ゲストとしてお招きいただいた。

この「月初会」という全体会議は、なかなか興味深く勉強になった。

まず、ライブレボリューションには「LR Heart」という経営理念をもとにした「29項目」から構成されている「行動指針」のようなものがある。とても興味深い内容である。

この「LR Heart」に則り、毎月数項目ずつ、読み合わせを行い、数人の人がその項目を具現化するために日々行っている(努力をしている)ことを発表する、ということを行っている。

次に、推薦図書をもとに、同じように読み合わせを行っている。毎回、数章ずつ進めているようだが、社員の人達がその章に書かれている内容に則って、自分の行動を紹介する。そして、それに対して、月初会の進行担当の取締役の方が解説を加える、というものである。

また、上記が終わった後、社長の増永さんが自ら製作した「新卒採用」用の会社紹介のビデオを上映した。

そして、最後に、ゲストである僕から「感想」を述べる機会をいただいた。

どんな感想を持ったか?

ひと言で言えば、良い意味で大学の体育会なりサークル的なカルチャーがあり、若い熱気が感じられた。
もうひとつは、カルチャーが明確であり、求心力が感じられる(ある)ということだ。

このふたつは、今後のライブレボリューションの成長にとって、大きな「強み」になるだろうし、大きな「経営資源(資産)」であると思う。

社風やカルチャーといったものは、創業者に負うところが大きいが、増永さんの経営哲学が脈々と流れているのだろう。30才そこそこにして、素晴らしいと思った。

これからドリームビジョンの価値観とカルチャーを醸成していくに際して、とても勉強になった2時間だった。

3度目の起業と10回目の引っ越し

昨日はオフィスの引っ越しをした。

振り返ってみると、僕にとっては「10回目の引っ越し」であり、1991年に初めて起業して以来、11個目のオフィスである。

オフィスの場所を振り返ると、原宿→松濤(渋谷)→恵比寿→原宿→原宿→中目黒→代官山→池尻大橋→渋谷→青山→原宿(今回)で、どうやら「原宿」に縁があるようだ。

今度の場所は、表参道と竹下通りの間にあり、うるさくもなく、静か過ぎず、なかなかいい感じである。何となく、自分の原点に帰ったという気がしていて、「新しいこと」をやろう(やりたい)という気持ちにさせてくれる。やはり、環境は大切である。

昨年の6月いっぱいでインタースコープの代表取締役を退任し、取締役になって以来、自分の中では次のモチベーションを探してきた感があるが、あれから1年3ヶ月が過ぎ、ようやく Re-Start ができそうな気がする。

3月いっぱいでインタースコープを退任し、ドリームビジョンの立ち上げをしてきたわけで、もちろん、モチベーションが低かったわけではないが、インキュベーションオフィス(仮住まい)に入っていたこともあり、本格的な立ち上げ前の準備期間という感じが拭えなかったのかもしれない。

初めて起業した時、そして、投資家から何億というお金を集めてインタースコープを立ち上げる直前にいた「原宿」に戻り、いよいよ本番という気がしている。

今年も残すところ、あと3ヶ月、良い結果を残そうと思う。

サイバーエージェントの藤田さんとの出会い。

藤田さんと初めて会ったのは、彼がサイバーエージェントを創業して間もない1998年の秋だったと思う。

たまたま、僕が当時経営していた会社に、彼らがお客さん宛に送ったはずのFAX(企画書&見積書)が間違って送られてきた。

それを見て、「このままにしておいては困るだろうな・・・」と思い、彼らに電話をしたのがきっかけだった。僕が電話をしたところ、とても恐縮していたが、おもしろそうな会社だと思い、先方のオフィスを訪ねることにした。

当時のサイバーエージェントは、原宿の京セラビルの前にあるビル(明治通り沿い)の8階にあった。1階に、FILAのお店が入っていた。広さは20坪ぐらいだったと思う。

藤田さんが書いた「渋谷ではたらく社長の告白」という本にも書いてある、ベージュ色のソファーが置いてあった。そこに、藤田さんと僕とで斜め横向きの位置に座り、お互いの会社の話しをした。

その時だったか、その後だったかは覚えていないが、サイバーエージェントの躍進の原動力となった「サイバークリック」のシステムを見せてもらい、「この会社は間違いなく伸びるな!!!」と思った。その時の僕にお金があったら、間違いなく投資していたと思う。もちろん、第三者割当をしてもらえればであるが(笑)。そのぐらい印象的な出会いだった。

藤田さんとは微妙な縁があると思う。

サイバーエージェントが急成長をし、明治通り沿いのビルを出て、表参道と青山通りの交差点からすぐの入来ビルに越した直後、あることで相談にのって欲しいと言われて伺ったことがある。インターネットリサーチのビジネスに興味があり、一緒に出来ないか?ということだった。

当時の僕は、インタースコープを立ち上げる前で、後に一緒にインタースコープを立ち上げた山川さんが経営していた会社と僕の会社(それぞれチッポケなマンションベンチャーだった)でインターネットリサーチ事業の立ち上げをしていた頃だったが、藤田さんが要求するスケールには応えられないと思い、残念ではあるが、その相談にはのれなかった。今にして思うと、その時に、どこからか資金調達をし、そのオファーにのっていれば、今頃はまったく違った人生を送っていたかもしれないと思う。

藤田さんとは僕がインタースコープを立ち上げた後も交流が続き、一時期はインターネットリサーチ事業で提携をしていたこともある。また、僕が創業に携わっていたウェブクルー(保険スクエアbang ! という保険の見積もり比較サイトの運営会社)にサイバーエージェントが出資(上場した後)してくれていたこともあり、ビジネスでの交流があった。

もうひとつ、奇妙な縁がある。

先に書いたサイバークリックは、実はバリュークリック・ジャパンという会社が運営していたモデルを参考にしたもので、尚かつ、サイバーエージェントはバリュークリックの「販売代理店」をしていた。要するに、販売代理店をやめて自社でシステムを開発したわけだ。そのシステムを開発したのが、当時、オン・ザ・エッヂを経営していた堀江さんである。

因みに、バリュークリック・ジャパンの創業者であるジョナサン・ヘンドリックセンは、ドリームビジョンの取締役になってくれている。

なんとも不思議な関係である。

その藤田さんに先日、ドリームビジョン(法政大学ビジネススクールと提携)で行っているオープン講座にゲスト講師としていらして頂けないか?というメールを送ったところ、ふたつ返事で快諾してくれた。

10/16(月)19:00~21:10、法政大学ビジネススクールにて開催されるオープン講座にいらして頂けることになった。

ところで、余談であるが、藤田さんに関してもうひとつ印象に残っていることがある。

上場して暫くした頃にマークシティのオフィスを訪ねた時の「表情」である。とても疲れ切った顔をしていた。後になって藤田さんの本を読んで知ったが、村上さん(村上ファンド)やGMOの熊谷さんにプレッシャーをかけられていた頃だった。

いつだったか、その話しをしたら、「あの頃は若かったですからね」と言って笑っていた。

今や日本のネットベンチャーを代表する創業経営者である。

その藤田さんがどんな話しをしてくれるのか? 僕自身、とても楽しみである。

MIXI いよいよ本日上場!!!

はたして初値はいくらか?

先日のゴルフの車中で、アライドアーキテクツの中村さんと「MIXI」の話しをした。

MXIの上場承認が降りた数日後、日経新聞の一面に、楽天のトラフィックをMIXIが抜いたという記事がグラフでの解説付きで掲載されていた。かなりのI.R.効果があったと思う。

しかし、楽天のトラフィックとMIXIのトラフィックは「等価」なのか?

中村さんがそこを指摘していた。鋭い視点だと思う。

楽天を訪問する人々は「買い物」を目的としていることに対して、MIXIユーザーの目的は、友人との会話や日記を書くこと、ニュースを読むことであり、ページビューには貢献するが、直接的に「お金を落とす」行為はしていない。

MIXIの笠原さんは今後、MIXIというプラットフォーム上で「EC」をやっていくと思われるが、MIXIユーザーの年齢層や可処分所得、カルチャー等を考えた時、はたして、どのような結果が出るか? そこは未知数である。

公募価格で計算した時価総額は「1,000億円」を超えており、PERは「100倍」を超えている。

これは、かなりの成長を織り込んだ数字である。つまり、「期待値」としての「株価」がついているということだ。

その期待に応えられるか? これからのMIXIに注目したい。そして、GREEにも。

オプトの鉢嶺氏との出会い。

先日のエントリーでも書いたが、9/25(月)、オプトの鉢嶺氏(ハチ)にゲスト講師としていらして頂き、法政大学ビジネススクールとの共催によるオープン講座の第4回目を開催する。

ハチとは古い付き合いだが、彼をゲストとしてお招きするにあたり、僕自身もインタビューされたことのあるプレジデントビジョンでの彼のインタビュー記事を改めて読んでみた。

そこで、再発見したことがいくつかある。

ひとつは、先日も書いた「ナイル川」の話し。

エジプトに行くまでは、「(起業して)食えなくなったらどうしよう?」というのが悩みだったらしいが、ナイル川の岸辺で洗濯をしながら生活をしている人達を見て、「自分はなんてちっぽけな事で悩んでいたんだろう」と思ったそうである。

ふたつ目は、統計的には設立して10年後も生き残っている会社は「数%」という現実を知り、「潰れる」のが分かっていて(覚悟して)会社を創ったということ。

3つ目は、「人と会うことの効用」を大切にしてきたこと。

4つ目は、自分が良いと思ったことは、紙に書いて壁にペタペタと貼っている(貼ることが好き)ということ。

そう言えば、オプトが、まだ、FAX DM の事業をしていた頃、オフィスに「目指せ座布団」という言葉が貼ってあった。要するに、座布団のように会社のベースとなって、経営が安定するような収益源を創る、という意味だ。当時の僕にとって、その意味は、痛い程、よく分かった。

また、彼が好きな言葉に「金を残すのは下、事業を残すのは中、人を残すのが上である。されど金がなければ事業が出来ない、事業がなければ人はつくれず」というものがあるそうだ。僕もこの言葉を、数ヶ月前に知った。痛く共感する。

こうして、ハチのインタビュー記事を読んでみると、彼の生き方から学ぶことが多い。

法政大学とのオープン講座から最も多くのことを学ばせてもらっているのは、ひょっとしたら主催者である僕かもしれない。

このような機会を提供してくれている法政大学ビジネススクールの皆さんとゲスト講師の方々、そして、受講生の方々に感謝をしなければと思う。