出会いはいつも、自分から。

今日のタイトルは、僕が以前、コピーライターまがいのことをしていた頃、ある留学関係の会社の仕事で書いたものだ。

何か新しいこと、チャレンジングなことをしようと思ったら、待っていても何も起こらない。自分から動くことが大切だという想いを込めた。

もうひとつ、「Future is the result of today.(未来は今日の結果です)」というコピーを書いた。これは、かなり評判が良かった。

今にして思うと、僕の自作の座右の銘のひとつである「人生はすべて必然」ということにも繋がっている。10年以上前から、そういうことを考えていたようだ。

そんなことにも繋がることが、この夏の帰省中にあった。

実家(福島県郡山市)の方には、今も交流がある友人が何人かいる。しかし、そのいずれも最後に会ったのは、思い出せないほど前のことだ。

いつも、帰省する度に「友人の家に寄ってみよう」と思うのだが、いつも行動に移さずじまいだったので、東京に戻る日に思い切って寄ってみた。

訪ねていった友人(2人)の家は、僕の実家からは車で2~3分の距離にある。

残念ながら、ふたりとも留守にしており、会うことは出来なかったが、ひとりはお父さんとお姉さんが、もうひとりはお母さんがいらして、本当に何年ぶりかで顔をみて言葉を交わした。僕の突然の訪問を心から歓迎してくれた。行って良かったと思った。

不思議なことに、仲の良い友人にも関らず、随分とご無沙汰してしまうと、なんとなく敷居が高くなってしまい、何故か、訪問するのを躊躇ってしまっていた。その理由を真剣に考えたことはないが、友情が薄れていて、自分を受け入れてもらえなかった時のことを考えて躊躇していたのだろうと思う。要するに、傷つくのが怖いということだ。

冷静になって考えてみると馬鹿げた話しではあるが、人間というのは、ちょっとしたブランクによって相手との距離を感じてしまうのだと思う。

こんな「新しいチャレンジ」とは程遠いことであっても、時と場合によっては「勇気」が必要だということだろう。

ある結果を望むのなら、自分から行動することが大切だということを改めて感じたひと時だった。日常のちょっとしたことでも。

終戦記念日

8月15日。

今までの僕は、この日を今日ほど意識したことは無かったと思う。逆に言えば、今日は今まで以上に意識した。その理由は、先日のエントリーにも書いたが、子供が生まれたことによる。

お恥ずかしい話しで、僕は靖国問題を議論できるほど歴史に関する知識がないが、僕の弟は日本に限らず歴史に関する知識が豊富であり、昨晩は帰省先で、小泉首相の靖国参拝に関する是非や、何故、中国と韓国が靖国参拝に対して強い非難をしているのか?等、歴史的背景を含めて説明をしてくれた。僕も日本人として、もっと歴史を勉強しなければと思った。

自分が知識を有していないことを長々と書くのは嫌なので手短かにするが、靖国問題の本質は、各国の「歴史教育」にあると思う。

自国に都合の良いようにしか「歴史」を教えないという姿勢がある限り、靖国問題に限らず、このような政治問題は無くならないだろう。

確かに「きれいごと」では国際社会で行きていけないのだろうが、「利他の精神」があれば、飢餓や戦争を無くすことに大きく近づくのではないだろうか?

我々の子供達に明るい未来を残すために、僕も今更ながらではあるが、歴史を勉強しようと思う。

記録より「記憶」。

いつだったか、新庄選手がメジャーリーグで活躍していた頃、「記録はイチロー君に任せて。『記憶』は僕に任せて」という発言をしていたことがある。なかなかおもしろいことを言うなあと思った。

先程、「記録より記憶」というエントリーのブログを読んだ。http://ieiriblog.jugem.jp/?eid=925

ある少年が開発した掲示板に、時間が経つとそのコメントがどんどん薄くなっていって、最後には消えてしまう、という機能が付いていたそうである。

その少年は、不幸にして事故で亡くなってしまったらしい。

<以下、元のブログより引用>
友人、ファンなどから掲示板に寄せられる大量のお悔やみコメント。
そのコメントひとつひとつに一生懸命に付けられるお母さんのレス。

だけど、悲しい事に、少年が実装した掲示板の売りの機能によって、その書き込みは時間が経つ毎にどんどん薄くなり、消えていく。
書かれる側から消えていく。

そうしているうちに訪問者が少しずつ減っていき、書き込む人も減り、残されたコメントは薄れていき、最後には白紙だけが残る。
途中までしか僕は見ていなかったので最後は想像だけど、すごく象徴的な出来事だったので今でも強く心に残っている。
<ここまで>

ある時、インフォプラントの大谷さん(彼は以前、ジャーナリスティックな番組を製作する会社を経営していた)と話しをしていた時、こんなことを言っていた。

「強く主張したい場合は、映像ではなく、むしろ、『写真』を使う。それも、カラーではなく、モノクロ。モノクロの写真の方が、見ている人の『想像力』を喚起する」。

たしかに、そうだと思う。

何でも「コピー」できる時代になり(それこそ、戦略もコピーできる)、モノゴトの価値が希薄化されていく。

「合理は語れない。非合理はストーリーになる」。東京大学大学院の教授をされていた片平秀貴氏の言葉だ。

合理的なことは誰でもが行き着くことなので、結局は「差別化」はできない。

「非合理」なことは「感動」を呼び、人々の「記憶」に深く刻まれる。そして、強いブランドが創られる。ということを、片平氏は言っていた。

インターネットというのは、基本的に「合理的」な世界であり、それ故に、どんなジャンルにおいても必ず、「一強」が表れれる。どこでも基本的に同じなので、そこに修練するからだ。

「記録(数字)」ではなく、「記憶」に残る人間や会社やブランドでありたい。

平和への誓い

8月6日は、広島に原爆が投下された日である。

人間は実に多くの人に支えられて生きている。

昨日の僕のブログ(すべてを受け入れる)を読んで心配されたのか、何人かの方から励ましのコメントを頂いた(ありがとうございます)。とても素晴らしいコメントなので、他の方にも是非、読んで頂けたらと思う。

その中のひとりは、リンドバーグさんといい、僕が以前、経済産業省のDREAM GATE という起業家支援プロジェクトでブログを書いていた時も、何度かコメントをくれた方だ。残念ながら、その方の本名を知らないので、僕が知っている人なのか?お会いしたことがない人なのか?は分からない。

これも、つい先日だったが、僕が社外取締役を務めるラソナという会社の石川さんという方とのメールのやり取りで、「最近の平石さんのブログには『病の気』が・・・。体調を治して、いつもの自信に満ちた平石さんに戻って下さい!!」という励ましを頂いた。

その石川さんに僕は、「いつもいつもやる気満々で自信に満ちあふれているっていうのは、何か不自然だと思うので、ありのままの自分を書いているんです(笑)」と返事を書いた。

また、僕がブログを書く際には、自信に満ちあふれていることを書く時は勿論であるが、やや落ち込んでいることを書く時も、そこに何らかの「前向き」な姿勢を盛り込むようにしており、読者の方々に、何かのヒントにして頂けるよう努力をしている。

僕のブログを読んで、かえって落ち込ませてしまったり、何も得るものがなく、時間を無駄にさせてしまったりしては申し訳がないから。

話しは変わるが、ブログを書くことの効用として、自分の精神状態やバイオリズムを自覚することができるということがある。

そういう意味で、今日の「坊主頭のりょうへいさん」のコメントにある「春夏秋冬」は、極めてタイムリーというか、なるほどと思った。

僕も毎日、勉強させて頂いている。感謝。

「すべて」を受け入れる。

言うのは簡単だけど、実際には難しい。

数日前からだいぶ良い状態になってきたが、ここ最近は精神状態が不安定な日々が続いていた。原因は色々あるが、その根本は「焦り」「嫉妬」「劣等感」のようなものだと思う。

そんなタイミングで、ある人からトラックバックを頂いた。そのタイトルは、「比較→競争→焦り・嫉妬」というものだった。

その方は、以前にも僕のブログにコメントを下さったり、トラックバックしてくれたりしたことがあったが、きっと、最近の僕のブログを読んで「こりゃマズい状況にあるな・・・」と思い、さり気なく諭してくれたのだと思う(心からお礼を申し上げます)。

彼(だと思う)は現在、中国に住んでいるそうだが、臨床心理士か精神科医のような仕事をされているようだ。

その方が「比較→競争→焦り・嫉妬」というタイトルで書いたブログに、次のようなフレーズがある。

「焦りを感じるときは、自分の進んでいる方向性に何か疑問を持っているときか、同時に多くのことを得ようとしているときです」。

ドリームビジョンを始めて約5ヶ月になるが、僕は「同時に多くのことを得よう」としてきたのかもしれない。それが、精神的な疲労を生み、自ら精神的に不安定な状態に陥れてしまっていたように思う。

ドリームビジョンを創業すると決めた時、100人の会社から数人の会社に戻ることは頭では分かっていたが、実際にそういう環境になってみて、そのギャップが何を意味するのか?が身を以て分かってきた。

銀行に行くのも、郵便物に宛名の書くのも、増資の書類を準備するのも自分でやる必要があり、その分、事業のドライブに直接的にインパクトがあることに投下できる時間は少なくなる。そして、そのことが焦りを生んでいく。

そうこうしているうちに、ネットベンチャー仲間がどんどん上場していき、自分だけが取り残された気持ちになったりする。

そんなことが悪循環を生み、どんどん、精神的に不安定になっていく。

こうして整理してみると、完全に「バッド・スパイラル」である。

でも、こうして気がつけるようになったことが、僕にとっては成長である。遅まきながら、43才にして。極めてお恥ずかしい。

一方、自分で自分を擁護するならば、インタースコープを立ち上げた頃と違い、今の僕はひとつのことに集中できる環境(立場)にはなく、自分の力を「複数の対象」に同時並行で注入する必要があり、肉体的にも精神的にもタフな生活を余儀なくされてきたことは否めない。

まじめな話し、こういう頑張り方(質の異なる複数の対象に同時にエネルギーを投入すること)には、かなりの集中力と体力が要求される。それ故に、ちょっとしたことが、精神のバランスを乱すというのも事実である。

ところで、昨夜は、子供があまりよく寝てくれず何度も起こされた。尚かつ、今週は妻が大学院で朝が早いので、今朝も僕が悠生を保育園に送っていき、ドリームビジョンとインタースコープを2度も往復し、急なアポが入ったりで、最近でも、特に慌ただしい一日だった。

話しは変わるが、今日は移動が多く、尚かつ、交通の便が良くないことが分かっていたので、朝から自分の車で動いていた。

その中で、今日のブログのタイトルとして頭に浮かんだのが、「すべてを受け入れる」というものだった。

このブログも本当は朝のうちに書きたかったが、その時間が取れないという「現実」を受け入れることが大切である。

正直に言って、体調はボロボロであるが、心の状態はだいぶ良くなってきた。そのこと自体に感謝したいと思う。

追伸:今週の金曜日は、久しぶりにゴルフに行く。体力面が心配ではあるが、精神面での進歩を期待したい。

まわり道

今日の「情熱大陸」は、アンジェラ・アキというシンガー・ソングライターの特集だった。彼女は、日本人の父親とイタリア系アメリカ人の母親の間に生まれたハーフで、出身は徳島県だと言っていた。

彼女のことは、名前とCDジャケットぐらいは知ってはいたが、番組を見るまで、詳しいことは知らなかった。

彼女は、27才の最後の日にメジャーデビューをし、来月で29才になるらしい。18才の時、当時、ワシントンDCに住んでいた彼女は「音楽で生きよう」と心に決めてから、10年間の「下積生活」をしてきたという。

デモテープを色々なところに何度も何度も送り続けては何も起こらない日々を過ごしていた時、日本のあるCMディレクターの耳に留まったことが、デビューのきっかけになったそうだ。

番組の最後に、ナレーターが「彼女は『まわり道』をしてきたかもしれない。でも、必要だった(のかもしれない)」と言っていた。

自分のことに置き換えてみると、最初の起業の頃を思い出す。

「徒手空拳」で始めたことなので、ある意味、当然のこととも言えるが、とにかく鳴かず飛ばずの9年間だった。正確に言えば、7年間だった。

最初の2年半間は、自分が勤めていたコンサルティング会社やコネのあった広告代理店の下請けをしたりで、起業したとは言っても、個人事務所に近いようなものだった。

それでは意味がないと思い、真夏の暑い太陽の下を新規顧客開拓で歩き回ったりもしたが、身を結ばなかった。今にして考えると、それは当然のことで、自分自身が「そんなことをしても、決まる筈がない」と思っていたのだから、決まる筈がないのである。何故なら、決めるまでの「努力」をしないのだから。

そんな僕を救ったのが、アップルコンピュータというかマッキントッシュだった。マックを使って「DTP」の仕事をし始めた。そういう仕事ができないか?(できるでしょ?)と言って、仕事を頼んできた人がいた。ラッキーだったとしか言いようがない。

それから数年間は、売上も伸び、多少ながらも利益も出るようになったが、起業してから5年半が経った頃、僕は、僕を救ってくれたDTPの仕事を「バサッ」と止めた。自分が本当にやりたい仕事ではなかったからだ。

その時の僕の会社は、売上の7割を「DTP」で稼ぎ出していたので、そのDTPを止めることは、普通に考えれば自殺行為に近い。僕にその決断をさせたのは、あるクライアントの責任者が、僕に「コンペ」を要求してきたことだ。

「勝ち目がない勝負をしても意味がない」。そう思って、スッパリと止めた。

そうしたら、案の定、翌年からの約2年間、僕の人生で最も貧乏な時期を迎えた。夫婦ふたりで年収が「300万円」あるか無いかだった。妻は、週に2~3日を「派遣社員」として働き、尚かつ、昼休みに公衆電話(まだ、今ほどケイタイは普及していなかった)で留守電を聞き、僕の会社の仕事もしていた。

そんな僕らに転機が訪れたのは、1997年10月だった。伊藤忠商事の新規事業開発を手伝うことになった。

その仕事(新規事業)は成就しなかったが、そこから僕は多くのことを学んだ。お金はもちろんありがたかったが、その仕事をすることによって、僕の仕事のレベルが格段に上がっていったと思う。そして、ネットビジネスにも関与するようになり、いつの間にか「自らネットビジネスを開発する」ようになっていった。そして、2000年3月にインタースコープを創業した。

ところで、昨日、ETIC主催の「cafe」というイベントで、インタースコープを創業した頃に何度か会ったことがある元アクシブドットコムの尾関さんと会った。本当に久しぶりだった。

当時の彼の印象は、何となく「軽い人」という感じだったが、それは昨日も変わらなかった(笑)。でも、彼の中で大きな変化があったのだろうと思わせる発言があった。

「今までの僕は、心を開くことをしなかった。それは、傷つくのが怖かったから」と言っていた。

その彼を変えさせたのが、沖縄との「出会い」だったという。

僕は沖縄に従姉妹がいるので何となく理解できるが、彼が言うには、沖縄の人は「本土」と「沖縄」の間で苦しんでおり、本土の人間に対して疑心暗鬼であったり、自殺率が高かったリと、そのイメージとは裏腹に、病んだところが多々あるらしい。アイデンティティに苦しんでいるのかもしれない。

その沖縄の人達が、彼に「心を開いて(彼を信じて)」くる姿をみて、彼は「この人達のために何かをしたい」と思うようになったという。

その結果、彼はアクシブドットコムを売却して得た資産のすべて注ぎ込んで、沖縄の土地を買い、新しい事業を立ち上げようとしているらしい。

女優の「山口もえ」さんと結婚したりと世の中に派手な話題を振りまいている傍ら、彼の中に大きな変化が起きていたことは、当然のことながら知らなかった。

そんな話しを、ETIC代表理事の宮城さんに言ったら、「いや、奴は昔からそういうところがあったんですよ。昔は、ポーズを取っていただけなんです」という返事が返ってきた。

尾関さんが「心を開く」勇気を持つために、今までの人生が必要だったのだろう。

その彼から、メールが届いた。とてもやわらかい感じがした。

近いうちに、彼のお店に行ってみようと思う。

自分自身の「人生のまわり道」の意味を考えるために。というと大袈裟であるが・・・(笑)。

追伸:「出会い」には、いつも何か「胸騒ぎ」を感じる。そんな「出会い」を大切にしていきたいと思う。