★au の風船

先日の3連休に久しぶりに横浜に行ったことはブログに書いたが、その後日談で紹介したいことがある。

ナンバーポータビリティが開始され、各キャリアともマーケティング投資を活発化させているが、au は、みなとみらい地区の道行く人々に、au および自社サービスのロゴの入った風船(ヘリウムガス入り)を配っていた。

我々家族も悠生のために風船をもらってベビーカーに付けると、暫くは楽しそうに遊んでいたが、すぐに飽きてしまい、見向きもしなくなってしまった。

その風船は家に持ち帰ってその辺に放置しておいたのだが、翌日にはヘリウムガスが抜けてしまい、しぼんでしまていた。

それを妻が、息を入れて膨らませてみせたところ、悠生はそれには物凄く反応したらしく、妻が風船を膨らませるのを止めると、悠生は、風船をとって、何度も妻の口にあてがってきたらしい。

子供というのは大人とは興味関心の視点がまったく異なり、とても面白い存在である。既成概念がないということだろう。

「たかが風船」にも、発想のきっかけというか、創造的な視点があるということを教わった気がする。

ベンチャーズ・ナイト(Venture’s Night)

JOBWEBと共同でベンチャーな人達のギャザリングを企画しました。11/17(金)@原宿で開催します。

ベンチャー、特に、ネットベンチャーというと、ここ最近の風潮として「拝金主義」的なイメージを持たれてしまった感もありますが、大多数の人達は、額に汗して働いています。

そんな人達が集まり、また、大企業にいてもベンチャースピリッツ溢れる人達が集まり、それぞれのビジネスや将来構想について話しができる機会があればと思い、今回のような機会を作ろうということになりました。

知り合いがいなくても、一緒に参加する人がいなくても、僕がひとりひとりの方ときちんと挨拶をさせていただき、この人とこの人を紹介したら何かが生まれるのではないか?という人がいたら、責任を持って紹介させていただきますので、安心していらして下さい。

http://college.dreamvision.co.jp/event/061117/01.html

「出会いはいつも、自分から」。

僕が若かりし日に書いたコピーのひとつです。

「若さ」を差し出す代わりに知識や経験を得る。

僕のブログを読んで下さっている方の中には、板倉雄一郎さんをご存知の方も多いかと思う。

インターネットが世の中を席巻する以前、日本のベンチャーシーンを席巻した人である。
30億円以上の負債を抱えて会社を倒産させて、自己破産をした人でもある。

「社長失格」という著作でも有名な人である。

彼は今、板倉雄一郎事務所という名称で「投資」や「ファイアンンス」に関する仕事をしているが、先日、アライドアーキテクツ中村さんと話しをしていた時、彼が「板倉さんって、物凄く頭がいい人ですよね」と言っていた。

「僕はお会いしたことがないので分からないけど、そうなんでしょうね」と返事をしたところ、「僕も会ったことはないけど、ブログを読んでいると(とても頭がいいということは)分かりますよ」とのことだった。

それで早速、板倉さんのブログを読んでみた。

板倉さんは理系の人で、彼が初めて創った会社はゲーム開発会社だったと思うが、たしかに論旨の展開が非常にロジカルであり、彼のブログには僕の苦手な「数式」がしばしば登場する。

中村さんが何を言いたいのか、分かるような気がした。

実は板倉さんと僕とは同い年(1963年生まれ)であるが、その板倉さんが書いていたことで「なるほど」と思ったことがある。

「若き起業家に会うたびに、「若さって、それだけで価値だよな」と思います。
(いや、そう思う歳に、僕自身が成ったということでしょうか)

言うまでも無く、若さには価値があります。
しかし、若さに価値があるということは、一方で、
時間経過と共に「若さの価値」は減少して行くということでもあります」。

そう、若さの価値は減少していくのである。

また、板倉さんは、こうも続けている。

「つまり、
時間経過によって「若さの価値」は減少するが、
一方で、時間経過の中で、経験や知識を習得し、
社会からの信頼が増大(=リスク認識が減少)すれば、
トータルとしての人の価値が「時間経過と共に増大」することになります。
ちなみに、
PV=FCF(1)/(WACC-g) に無理やりあてはめれば、
人の現在価値=
(「若さの価値」+「知識経験の価値」)/(「社会からの信頼の逆数」-「成長率」)
ということになるでしょう。
(生み出すキャッシュフローが、人の価値のすべてだ、
 と言っているわけではありません。
 あくまで、ファイナンス理論にあてはめれば、という意味です。)

刻一刻、我々すべての人間は、間違いなく「若さの価値」を失います。
失った「若さの価値」以上に、素晴らしい経験と知識を身につけることによって、
時間経過による「若さの価値の減少」以上に、
他の価値を手に入れることができます。
逆に言えば、
素晴らしい経験のチャンスや、知識習得のチャンスを逃していれば、
ただただ、時間経過による「若さの価値の損失」だけで終わってしまいます。

私たち人間のすべては本来、
「若さを差し出す代わりに知識や経験を得る」という「投資家」なのです。
投資家として成功するためには、
「差し出す時間以上の価値を手に入れる」を死ぬまで繰り返すことでしょう。
もちろん、
得られた知識や経験を社会に還元して初めて、
「社会にとっての価値」となり得、当人のキャッシュフローと成り得るわけです。

つまり、「One for All and All for One」ってことです」。

43才になった僕は、決して若いとは言えないが、50才になってからでは出来ない(したくない)ことを、今、やっているのであるが、43才という自分の時間を差し出す以上の価値とは何か?そのことを自問自答してみようと思う。

ヨコハマ(横浜)の夜景

11/19(日)に「ヨコハマ」で結婚式がある。

インタースコープ第1号インターンで伝説のインターンのひとりであるジロー(天辰次郎氏)と新卒入社の長島さんの結婚式だ。

僕の妻も創業メンバーとして働いていたので、彼らの結婚式&披露宴には夫婦で出席することになっている。僕らにとっては、とても感慨深いものがある。

そこで、問題なのは「悠生」をどうするか?だ。

このブログにも何度か書いたとおり、妻は東京生まれであるが、彼女の両親は既に亡くなっており、悠生をあずけられるアテはない。結論として、テンポラリーにあずかってくれる託児所を探した。

候補は2つ。渋谷のセルリアンホテルにある託児所と横浜みなとみらい地区にあるパンパシフィックホテルにある託児所。

先週の日曜日にセルリアンの託児所を見学に行ったが、やや狭いためか、悠生が泣きそうな表情をした。

それで今日は、横浜まで託児所の見学に行った。

パンパシフィックホテルに入っている託児所はホテルの部屋2室分を使っており、窓もあるので開放感があった。子供はみんな鏡が好きなようだが、壁には鏡のようなものがあり、悠生は大はしゃぎだった。保育士さんとも相性がいいようだ。ここなら悠生をあずけても大丈夫だろうと思い、安心した。

実は昨日も横浜まで出掛けていた。この3連休に第三京浜を2度、往復したことになる。この季節は夕方5時にはすっかり日が暮れており、首都高から見る横浜の夜景はきれいだった。

昨日もパンパシフィックホテルの託児所に行ったのだが、その時はあずかっている子供がいたため、安全のためだと思うが、施設の中には入れてもらえなかった。事前に電話をしてから出掛けたので、そのことは承知の上だった。

当然と言えば当然なのかもしれないが、悠生が生まれからは、週末はゴルフに行く日を除くと、子育てで何らかの用事があり、ゆっくりと時間を過ごすということができない。

自宅がある恵比寿から横浜までドライブがてら出掛けるのは、とても良い気分転換になると思い、二度手間(足)になるのは承知の上で、一昨日と今日と、横浜まで出掛けた。

久しぶりの横浜は、活気があった。ホテルのロビーに座っていると、なんとなくどこかに旅行に来たような気分を味わえた。

みなとみらいには小さな遊園地のような施設があるが、悠生を連れていくと、生まれて初めて見る「乗り物」に興味津々で、ベビーカーに乗ったまま、終始、顔を上げてそれらを見つめていた。

まだ、言葉を話せない(まだ、頭の中に言語はない)彼は、何をどう感じたのだろうか?

子育てから学ぶこと

子育て先輩の方々から異口同音に言われていたことは、子育てと言うものの、子供から学ぶことの方が多いということだ。

悠生が生まれて1年1ヶ月が経ったが、はたして、我々夫婦は何を学んできただろうか?

僕(が学んだこと)に関しては、明確に言語化できているものは少ないが、相手(自分の子供)はひとりの人間(人格)であり、僕とは異なる「意志」を持っている、ということだろうか。

言葉を話せようが話せまいが、彼は自分の意志で、遊び、ダダをこね、食事をする。

僕の言うことを理解することができない彼に対して僕ができることは、彼の意志を尊重することだけである。

相手が大人であれば、自分が言いたいことを伝えることはできるが、だからと言って、そのことを理解してくれるかどうかは別問題である。

世の中は自分の思うようにはならない。しかし、自分自身が成し遂げたいことはある。

そのギャップがあることを学んでいるのかもしれない。

一勝九敗

ユニクロの柳井正さんが書かれた本のタイトルである。読まれた方も多いことと思う。

僕がこの本を買ったのは、おそらく、2003年の暮れか2004年になってからだと思うが、いつもの悪い癖で「積読(つんどく)」状態だった。つい数日前、オフィスの本棚に並んでいるのを見つけて、読み始めた。

昨日のブログでリクルート創業者の江副さんが書かれた「かもめが翔んだ日」という本を紹介させていただいたが、その本と同じような匂いを感じている。まだ、読みはじめではあるが、きっと今の僕に大きな影響を与えてくれると思う。

さて、柳井さんはご自分のことを「一勝九敗」と評している(とても謙虚な方だと思う)が、僕自身は「二分八敗」というのがいいところだと思う。

昨晩は、かなり久しぶりに末弟とふたりで下北沢で食事をしたが、彼とも「二分八敗」の話をした。

僕にとって「勝利」とは何か?という質問をされたので、僕は「自分の想い描くやり方で、自分の想い描く結果を出せたら、それが僕にとっては【勝利】だ」と答えた。

ゴルフでは、今の僕の実力を考えると、2004年11月に宮崎のフェニックスで出した「89」がそれに当たる。つまり、1勝はできた。80台はそれっきりだが・・・。

しかし、ビジネスでは、自分で納得するものは出来ていない。残念ながら。

こうしてキーボードを叩いていて、でもな?と思ったのは、インターネットリサーチ研究会に関しては、業界の発展に貢献できたという実感があり、強いて言えば、これは「一勝」と言ってもよいかと思う。

でも、「ビジネス=お金を稼ぐ」という意味では、自分が描いたやり方で、自分が描いた結果を出せたことはなく、まだ、勝ったことはない。

総勢100人の会社(インタースコープ)から、4人(ドリームビジョン)になったが、今の方が自分の想い描くやり方で経営をしている実感がある。

毎日が試行錯誤の連続ではあるが、自分自身で意思決定をし、一緒に働く仲間の意見に耳を貸し、僕自身の不甲斐なさも曝け出し、ひとつの目標に向かって走っているという実感がある。

スケールは小さくても構わないので、何としても、まず、最初の「1勝」をあげたい。

2種類の後悔

「しておけばよかった」という後悔と「しなければよかった」という後悔があるとして、僕は「しておけばよかった」という後悔はしたくないと思っている。

1995年の阪神大震災の時、妻の友人が神戸に住んでいて、僕らは個人的に救援物資を送った。そして、僕は「現地」に行き、その惨状を自分自身の目で確かめたいと思った。そのことによって、自分自身の何かが変わるような気がしたからだ。しかし、結局は何となくの躊躇により、現地に足を運ぶことはなかった。

「行っておけばよかった(行くべきだった)」と後悔している。

もし、あの時、神戸に行っていたら、きっと、中越地震の時も、もっと被災した方々に対する支援をしていたのではないかと思う。

つい先程、銀座で働く社長のBlog 藤田憲一さんのブログを読もうと思い、リンクをクリックしたところ、彼のお父様の挨拶文が掲載されていた。

藤田さんは、10月12日(木)午後2時22分、永眠されたという。心からご冥福をお祈りしたい。

実は彼とは、僕がインタースコープを経営していた頃、事業提携の話しで何度かお会いしたことがあった。

彼が末期ガンになったという事実は、ある時、知り合いのブログに掲載されていた彼が書いた本へのリンクで知った。何とも言えない衝撃を覚えた。

彼が生きているうちに「藤田さんに会いに行こう」と思ったのだが、悲運なことで「有名人になった彼に会いに行く」と思われるのではないか・・・?という躊躇があり、面会を打診することはしなかった。そして、今朝、彼のブログを読もうとしたら、既にこの世を去っていた。後悔をした。因みに、藤田さんのお父さんのお名前は「郁夫」といい、僕と一字違いである。

彼は、自分が末期ガンになったことを知ってから、残された人生をどう生きるべきかを考えて、新しい会社を設立したらしい。僕は、彼の古い連絡先しか知らず、彼に連絡を取るためには、彼のブログだったか会社のウェブだったかにあった「彼への連絡フォーム」に面会したい旨を「入力」せざるを得ず、「以前からの知り合いなのに、面会を断られたら嫌だな・・・」という、極めて馬鹿げたことで入力することを躊躇をし、結局は最後の面会の機会を得ることができなかった。

少しばかり自分を擁護すれば、僕は両親ともにガンで亡くしており、末期ガンとはどういう状態かが分かっていたということと、その一方、これだけ精力的に活動している彼なら、ひょっとしたら治ってしまう可能性もあるのではないか?という思いがあった(そう願いたかったのだと思う)ことも、彼への面談を躊躇した理由かもしれない。いずれにしても、もう一度、お会いしたかった。

人生というのは、ほんのちょっとした「勇気」があるかないかで、大きく変わってしまうもののような気がする。

自分が最も大切にしているものの本質に対する掘り下げ方が足りないことと、他人の目を意識してしまう精神面の未熟さが、こういう後悔を引き起こしてしまうのだろう。

すぐに変えられるものではないかもしれないが、これからの人生は、会いたいと思った人には会い、行きたいと思ったところへは行き、やりたいと思ったことはやる、という生き方を貫けるよう、今回のことを機に、自分自身の本質を見つめ直そうと思う。

最後に、藤田憲一さんのご冥福を改めて心からお祈りします。