今年一年を振り返る。

常日頃から「人生は短い」と言っている僕だが、今年は本当に短く感じられた。歳を重ねるほどに時間が経つのが速く感じられるというが、そのせいだけではなかったと思う。

田部さん(現インタースコープ社長)に「(インタースコープを)非常勤にさせて欲しい」という話しをし「話しが違いますよね?」と言われたのが、ちょうど昨年の今頃だったと思うが、それは随分と昔のような気がしている。

しかし、今年になってから、特に3月以降、更に言えば、インタースコープを退任し、本格的にドリームビジョンの立ち上げに取り組むようになってからは、時間の経つのが本当に速く感じられた。

それは、色々なことに取り組んできた=「変化の時期」だったということもあるが、それよりも、僕の「心」が目まぐるしく変化していたからのような気がする。

希望に満ち「高揚」したり、不安に苛まれて「萎縮」してしまったりと、こうして振り返ってみると、結果として、この9ヶ月間は「自分という人間と向き合う」とても良い時間だった。

話しは変わるが、昨日、今年最後のゴルフに行った。日本生命の方が主催するコンペだった。

そこで、44+46=90 という、僕にとってはとても良いスコアを出せた。2年前の宮崎(フェニックス)で出した「89」に次ぐスコアだった。

2年半前からレッスンに通い出し、スイング(フォーム)をゼロから造り直し、ショット自体は格段に良くなってきていたが、どうしても、スコアという「結果」に結びつかず、とても悔しい想いをし、落ち込んでもいた。

それが昨日、すべてのことが噛み合い、自分でも納得するゴルフができた。

きっかけは「パター」の打ち方だったが、その結果、自分の打ち方が分からなくなっていたドライバーも復調した。また、ミスショットの大半は、技術的なこともさることながら「精神面」にあることもわかり、年明けに予定されているラソナのゴルフコンペが楽しみになってきた。

一緒に回った佐藤裕氏も調子がよく、そのことも含めて、とても楽しく、収穫が多い一日だった。

ところで、以前にもこのブログに書いたことがあるが、僕の人生は、12月と3月に変化が起きる。統計的にそうなっているが、今年も、どうやら、そのような兆候がある。

来年は、良い一年(結果を出す一年)にしたい。

追伸:ドリームビジョンの株主の方々も、僕のブログを読んで下さっているが、日頃のご無沙汰をお詫びすると共に、近況報告とさせて頂ければ幸いである。

繁栄は人間をダメにする。

今日のタイトルの言葉は、鰐淵美恵子さんという「銀座テーラー」という老舗を再生させた3代目女社長の言葉である。

昨日、数寄屋橋の本屋で目に留まり購入した「勝ち残りましょ、銀座で」という本の著者でもある。

僕のブログの読者は殆どが僕よりも年下だと思うのでご存知の方は少ないと思うが、彼女の夫は女優の鰐淵晴子さんの従兄弟にあたる。また、彼女の義父が「銀座テーラー」の創業者である。

僕もこの方が書かれた本を読んで初めて知ったことだが、歴代の総理を含めて、政財界の錚々たる方々が、この店(銀座テーラー)で「ハンドメイド」のスーツを仕立てているという。

ところで、彼女の夫は、いわゆる「遊び人」で、彼女はかなりの苦労をしたらしい。

彼女の夫が2代目の社長に就任した頃は、世の中がバブルの真最中で、カリスマ創業者(彼女の義父)が亡くなり、社内の求心力が低下して経営がおかしくなりかけていたにも関らず、銀座テーラーは業績が上向いて行ったそうである。

バブルの絶頂の頃、僕はODSというコンサルティング会社に勤めていたが、その当時は、不動産価格がうなぎ上りに上昇し、それを担保に銀行が挙って融資をしていた時代だった。その頃の記憶が蘇ってきた。

銀座テーラーの創業者は、商才に溢れた人で、不動産価格が安い頃に、テーラーで上がった利益を不動産投資に注ぎ込んでいたらしい。

それがバブル経済の頃、物凄い家賃収入を上げており、それを担保に銀行が青天井のようにお金を貸したという。

その金は何に使われたかというと、「絵画」だったそうである。

バブルが弾けてどうなったかというと、僕のブログの読者の方々が想像するとおりである。

さすがに金額は明記されていなかったが、彼女が「銀座テーラー」の経営に携わった時、別会社である不動産会社には、常識を超える額の融資がされていたという。おそらく、何十億という金額だったのだと思う。

その負債を抱えた状態で3代目社長になった彼女が、会社を救った(再生させた)わけである。

そして、その彼女が事あるごとに言っていたのが、「繁栄は人間をダメにする」ということだそうだ。

世の中の本質をついていると思う。

楽観・直観・志

僕が社外取締役を務めているラソナの記念すべき第1回目の社員総会が本日午後に行われた。

創業11年目に入り、第2創業のこの時期に、ラソナという会社は、何をするために、どこへ向かうのか?を、役員・社員全員で共有するためだ。

ラソナの創業者であり社長の岡村氏(通称ポン)とは、かれこれ13年の付き合いになるが、こうして、社員総会を行い、その席に僕が出席させてもらい、社員のみんなの前で話しをさせて頂くことになるとは、彼と知り合った頃は、当たり前だが、想像もしていなかった。人の「縁」というものを感じた数時間だった。

岡村氏が大阪芸術大学を中退し、単身スペインに渡り、5年間に渡り、画家としての活動をした上で、日本に帰ってきた頃に、プランドゥシーのオフィスで同社社長の野田という男に紹介されたのが出会いだった。

余談だが、今でこそ、年商100億円の会社になったプランドゥシーも、当時は恵比寿の雑居ビルに入っていた怪しげな、いつ潰れてもおかしくない会社だった。

ところで、今日の社員総会には、顧問の中(なか)さんという松下電器で松下幸之助さんがご存命の頃に働き、薫陶を受けた方も出席された。

その中さんの話しは、とても意味深く、考えさせられるものだった。

中さんは、松下電器を退職された後、政治の世界に関ったり、出版社の社長をされたり、ベンチャー企業の監査役等を務めたりと、多くの政治家や経営者と仕事をされてきた方である。

その中さんが接点があった「成功した経営者」に共通しているのは、「楽観的で直観力と志がある」ということだという。

自惚れかもしれないが、僕は「直観力と志」に関しては自信がある。しかし、「楽観的」かと言えば、むしろ、神経質な質であり、その点が今の僕を物語っているように思った。

その点、ポンは、その3つを兼ね備えている。

それが、僕が嫉妬するぐらい、中さんがポンを支援し、ポンのために時間を割き、彼の豊富な人脈を活用し、ラソナの成長を支援する理由なのだということが、今日の社員総会で分かった気がした。

中さんが言うには、「高楽観&低悲観」の人は成功するという。

それで言うと、僕は「中楽観&低悲観」のような気がする。

低悲観の方はいいとして、何故、僕が「中」楽観であり、「高」楽観になれないか?

それは、ポンと違い、中途半端に知識があり、中途半端にプライドがあり、そういう社会的立場を失うのが怖いからだと思う。

それらがないポンは、失敗しても死にはしないぐらいの感覚でいられるから「高」楽観なのだろう。

なにせ、スペイン語はひと言も話せないくせに、誰ひとりとして知り合いもいないのに、単身スペインに渡り、尚かつ、日本人として初めての「賞」を取ったぐらいなので、その生命力というか、カッコつけないというか、僕とは人間が違うと感じる。

彼のような生き方はできないまでも、彼の生き方から学べることは多々あると思う。

内なる声に耳を澄ます。

昨日のお昼前、渋谷駅南口と東急プラザを繋ぐ横断歩道と横断歩道の間で、THE BIG ISSUE JAPAN を買った。前号も同じ場所で購入したのだが、今回も同じオジさんが売っていた。

僕が「前回の号も買ったんですよ」と言うと「ああ、そうでしたね」と言って、屈託のない笑顔を返してくれた。

代金の200円を受け取った手はアカギレがひどく、ハンドクリームも塗れないんだろうなと思うと、ちょっと可哀想な気がした。でも、彼は元気そうだった。僕なんかよりも、とっても。

そして、「次の号に私が載る(掲載される)んです」と言って、嬉しそうに話していた。

表紙を開くと、前号でも読んだ「私の分岐点」というコーナーがあり、ああ、そうだったなと思いながら、今回のインタビュー対象である「勝野 洋」さんの記事を読んだ。

彼の奥さんはキャシー中島という人だが、彼女と結婚した後は急激に仕事が減ったという。でも、そのことは予想していたと答えている。

彼は一時的な人気ではなく、しっかり板についた役者になりたいと思っていたので、将来に備えた乗馬の訓練や普段できなかった土いじりなどをして、心静かに過ごしたという。

また、彼は自分から進んで役者になったのではないらしいが、一生、役者でやっていくことに迷いがなくなったのは「40代」入ってからだという。

そして、「人(人生)には何度か大きな岐路が訪れると思うのですが、そんなときは素直になって、内なる自分の声に耳を澄ます。どちらに行けば得をするかと考えるのではなく、自分の原点を振り返り、童心に返るんです。そうすれば必ず道が開け、いい方向に向かうと思いますよ」と言っている。

「内なる声に耳を澄ます」という言葉は、5年前に「逆求人フェア」というイベントで出会った学生に、僕自身が言ったことでもある。

今度は、自分がそうする時に来ているような気がしている。

ゴールは何か?

先々週の土曜日、ETICが主催する「STYLE」というソーシャルアントレプレナー・ビジネスプラン・コンテストの2次審査のメンターとしてお招きいただいた。

何人かの方がメンターとして参加していたが、その中のひとりに、NPO法人ケア・センターやわらぎ の代表理事を務めている石川治江さんという方がいる。

石川さんとは、やはり、ETICが主催するイベントで知り合い、その後、STYLEの審査員としてご一緒させて頂いている。

彼女は、1947年生まれなので「59才」であるが、とても若々しく、強い「精神力」と「意志」を持っており、とってもステキな方である。経営センスも抜群で、大きな会社の社長も充分に務まるだろうと思う。

その石川さんがSTYELの2次審査で言っていた言葉で印象に残ったのが、「ゴールは何か?」ということである。

当然のことながら、ひとりひとりのゴールは異なるし、ゴールを決められるのは、自分しかいない。

すべては、自分の意志であり、結果に対する責任は、自分で負うしかない。

「自分が負える責任は何か?」を知ることが必要であり、負えない責任は負ってはいけないということだろう。

決して、見栄やプライドでは責任は終えないし、本当の「ゴール」は、そんなもので決められるものではないと思う。

そんなことを考えるきっかけを与えて頂いた一日だった。

創業メンバー。

このブログのタイトルのように、僕は今までの人生で「3度の起業」をした。それを含めて創業に携わったのは「6社」。

つまり、僕にとっての創業メンバーも、僕が創業メンバーの立場になったことも、それぞれ3社ずついるし、ある。

今日は、ドリームビジョンの創業メンバーである「安田 裕」という人物のことを書こう(紹介しよう)と思う。

彼とは、僕がインタースコープを経営していた2002年の夏、知り合った。法政大学の学生だった安田くんが、インターンとしてインタースコープに入ってきた時だった。

ドリームビジョンを創業したとほぼ同時に、法政大学のビジネススクールと提携をして講座運営を始めるなど、法政大学とは縁があるように思う。

話しを安田くんに戻すと、僕がインタースコープ時代に受け入れた50人ぐらいのインターンの中で、彼は珍しく「リサーチャー」や「研究開発」指向ではなく、「事業やビジネス」をどうやって「運営」するか?に興味のある学生だった。類は友を呼ぶのか、彼と同時期に入って来たもうひとりの学生も同じような指向性を持っていた。

彼がインタースコープで働いていた頃は、それほど一緒に仕事をしたわけではなかったが、インターンを卒業し就職をした後も、頻度は高くなかったが交流は続いていた。

彼はインタースコープに来る前、映画の配給会社でバイトをしていたり、舞台演出の仕事をしたりしていたらしい。外見は今風で普通だが、結構な変わり種だし、頑固な人間である。そして、将来は「起業」をしたいと思っていたそうである。

しかし、どうすれば起業できるのか?そのためには、どんな能力が必要なのか?ということが分からず、ETICの起業家育成ゼミのようなものに通ったりもしていたと、ETICの方から聞いていた。

それらのことを意識していたわけではないが、2005年の夏、僕の将来構想を誰かと議論をしたいと思い、食事に誘ったのが安田くんだった。

それから半年ぐらい議論を重ねるうちに、彼が当時、勤務していた会社が、組織変更や分社化や出向うんぬんという時期と重なり、彼としても、僕と一緒に起業するなら今だと思うようになったらしく、僕よりもむしろ彼の方が、積極的に、僕らの構想の具現化を急ぐようになった。自分の20代の頃を見るような気がしていた。

当時の僕は、僕から頼んで田部さんにインタースコープの社長になってもらった経緯もあり、また、創業者として投資家から億単位の資金を調達してきているという責任もあり、そう簡単にインタースコープを退任するわけにはいかず、また、正直に言って、40才を超えて「3度目の起業」をすることの「リスク」に躊躇してもいて、踏ん切りがつかずにいた。そんな僕の背中を押したことのひとつが「悠生」の誕生であることは、以前にもこのブログに書いたとおりである。

それでも、インターネットリサーチ業界はもちろんのこと、ネットビジネス全体においてもそれなりの認知度になったインタースコープを去り、もう一度、スクラッチから事業を立ち上げるという決断をすることは、そう簡単なことではなかった。

正直な話し、ドリームビジョンを立ち上げて4~5ヶ月経った頃から、28才で起業してから一度たりとも計画通りに行ったことのない事業計画が、「想定の範囲」の内か外かは別として、またしても、自分が考えたとおりには行かないことが分かり、希望よりも「不安」の方が先に立つようになっていた。

もっと具体的に言えば、20代や30代での失敗と異なり、40才を超えて事業に失敗することの意味やダメージをリアルにイメージできるようになり、事業の成功イメージではなく、失敗した時のダメージが僕の頭を支配するようになっていた。

それまでの僕は、大企業に勤める人達が組織を飛び出すことを恐れたり、40才を超えるとリスクを取れなくなるという「心情」を理解できずにいたが、そのお陰で身を以て理解できるようになった。

そのトンネルは、ここ数ヶ月(3ヶ月ぐらいだろうか?)続いていたが、人間とは不思議なもので、あるひとつの出来事がきっかけで、思考のパラダイムを変えることができるようである。

何が僕の思考パラダイムをシフトさせたか?については、またの機会に書こうと思うが、考えてみれば、今までの起業家人生の中で、そのようなことは幾度となくあった。

さて、話しを安田くんのことに戻すと、彼の良いところ、才能や能力があると思うところは、

・物事を機能に分類して、プロセス設計をしようとするところ。
・そのことを、組織運営に落とし込もうと思案するところ。
・コスト意識が非常に優れているところ。
・常に物事の優先順位を考えて仕事をしているところ。
・やりたいことではなく、やるべきことを優先する(やる)。
・他人を頼らず、常に自分自身で考え、行動するところ。
・精神的にタフ(心が強い)で、常に安定しているところ。

である。

その中でも、特に「精神的にタフ(心が強い)」な点は「持って生まれた資質」だと思うが、彼の今後の職業人としての人生の中で、最も大きな「強み(武器)」になると思う。

精神的に不安定で「心が弱い」僕に、彼のような「精神的な強さ」があったら、インタースコープは上場できていたかもしれないと思う。

また、常に、自分がやりたいことではなく、今の自分が、今の立場と状況において「やるべきこと」だと考えたことをやる「意志の強さ」がある。これは、とても素晴らしい姿勢であり、能力である。常に、やりたいことを優先してしまう僕に最も欠けているところである。

一方、ここは改善した方がいいだろうと思うところは、何事も他人を頼らず自分で考え自分で判断し行動する、つまり「自立」しているが故に、物事を自分の中でギリギリまで溜め込んでおり、こちらが何か不満があるだろうなと思い話しをすると、その時点で初めて、クリティカルな話しをする点である。

その内容は僕自身の欠点に関することが殆どなので、僕としても、対応が難しいことが多い。先日もそのような話しになり、今後は、遠慮せずに早め早めに「アラート」を出して欲しいという話しをした。

僕が20代の頃に働いていたODSというコンサルティング会社のモットーのひとつに「言わないことは聞こえない」というものがあったが、僕自身も彼と仕事をする中で、常日頃からお互いの考えを確認することが極めて重要であることを、ODSのその言葉の意味を、改めて勉強させられた。

人間は誰しも、自分の思考プロトコルで考え行動しているので、相手が自分と同じような思考プロトコルを持つ人間でない限り、自分が考えていることは「言葉」にして言わなければ相手に伝わらない。

話しは変わるが昨晩、マーケティングジャンクションの吉澤さんと会っていた時に「創造性というのは、異なる遺伝子(種)が交わる(配合)ことによって起こる」という話しを伺ったが、ここ数週間で僕の中で起きたパラダイムシフトは、僕とは異なる安田くんという遺伝子と一緒に仕事をしてきたことにより生まれたと思っている。

僕の強みは、日常の些細な出来事であっても、そこに何らかの「意味」を見出し、それを「メッセージ」として対外的にアウトプットできる能力にあると思っているが、そういう僕の能力と、実務に優れた安田くんの能力を「配合」すれば、きっと、素晴らしいアウトプットを生み出せると思っている。

あとは、その「仕組み(組織的構造)」をどう造るか?である。

右脳オリエンテッドな僕と、左脳オリエンテッドな安田くんと、そのふたりを上手く「繋げる人」が表れれば、ドリームビジョンはテイクオフすると思う。

というより、そういう人を「本気で探して連れてくる」ことが、出来は悪いが、経営者である僕の仕事である。

自分が登る山を決める。

昨晩のことだが、以前から親交のある政治家の方のお誘いで、ある会合にお邪魔させて頂いた。

その席でお会いした方のひとりは、100店舗もの飲食店を持つ会社の二代目(専務)の方で、その会合もその方の会社が経営するお店で行われた。

最後に、とても美味しい蕎麦が出たのだが、それは「知的障害者」の方が打っているものだという。食べ始めた後に聞かされたのだが、とても驚いた。お世辞抜きに、とってもおいしい蕎麦だった。

その方は「障害者でも、根気づよく努力を続ければ、こういう蕎麦が打てるようになるということですよ」と言っていた。

その方のお父さんが積極的に障害を持つ方を雇用しているらしく、競争が激しい飲食業で着実に会社を成長させながら、こうして、社会貢献もきちんと行っている。とても素晴らしいと思った。

僕の回りにはネットベンチャーの人達で尚かつ成功している人が多いが、何が「成功」かは色々な尺度があり、必ずしも最先端のビジネスを手掛け上場することだけが成功ではない、ということを改めて考えさせられた。

また、古くからの知り合いの政治家の方が言っていた話しも印象的だった。

「落ちたら(落選したら)自分のため。当選したら国のためなんですよ」。

その言葉を聞いて、僕は失礼を知りながら「落選して浪人中はどうやって生活するんですか?後援会からの献金等ですか?」と尋ねたところ、「私はお涙頂戴はしません。保険を解約したりして、何とか生活するんです。(政治家というのは)落選している間に人間が磨かれるんですよ」という答えが返ってきた。

事実、その方は、過去に落選を経験されている。

ところで、今日のブログのタイトルであるが、これは京セラ創業者の稲盛和夫さんが仰った言葉だそうだ。

他人との比較や相対的なものではなく、自分が登りたい山(目指したいもの)を見つけることが、経営者にとっては大切である、という意味だ。

経営者だけでなく、万人に当てはまる話しだと思う。

僕が言う「自分らしく」ということも、そういうことである。

追伸:昨夜の会食では、「3K=感謝・謙虚・工夫」ということも教わった。有意義な時間だった。