子を思う親の気持ち。

今日は、日本社会は「リスク」を取ることを許容するか?の続きを書くつもりでいたのだが、そういう気分ではなく、別のテーマでのエントリーを書くことにした。

3連休を郡山で過ごした後の今朝は、僕が子供を保育園に送って行った。毎週火曜日は、妻が精神病院でボランティアで働いており、朝早くに家を出るので、僕が子供を保育園に送る当番になっている。

この3連休中、僕たち夫婦(子供にとっては両親)と彼の祖母(僕の今の母)、僕の弟夫妻とその子供達、そして、僕の叔母夫婦たちと入れ替わり立ち代わり過ごしていたので、今朝は僕が保育園を出る際、これが今生の別かというぐらいの騒ぎで泣きじゃくっていた。

連休明けの保育園の朝は、いつもそうだが、今朝は今までに増して凄い形相だった。

考えてみれば、僕は幼稚園の初日、何十人かの入園児童の中で「ただひとり」、家が恋しくて泣いてしまった子供だった。

その僕の子供なわけで、そう考えれば無理もない。

彼の泣きじゃくる顔を見ながら、血は争えないという言葉を改めて感じた。

彼には、僕のような神経質な大人にはなって欲しくないが、それは叶わぬ想いなのだろうか?

子を思う親の気持ちというのが、少しずつ、分かってきたような気がしている。

大切な友人たちとの至福の時間。

建国記念日を含めた3連休、僕たち家族は僕の出身地である福島県郡山市に帰省していた。初日(2/9)は、夕方から雪が降り始め、朝までに約15センチほど積もった。郡山にしても数年ぶりのことで、僕にとっては子供の頃に見て以来の雪景色だった。

今回の帰省は、僕が高校を中退して予備校に通っていた時の仲間と久しぶりに会うためだった。

地元では有名な親父さんが創業した会社を継いだ奴、水道工事関係の会社に勤務していて、忙しなく東北六県を出張で回っている奴、地元にある松下電工の子会社に転職をしたばかりの奴、東京で警察官をしている奴、そして、僕である。

東京で警察官をしている奴とは高校を卒業して以来で、つまり、25~26年ぶりだった。それにも係らず、何のギャップもなく、すぐに29年前のあの頃の関係に戻り、楽しい時間を過ごした。

ところで、今回の同窓会?のきっかけは、同じく予備校時代の同級生だったひとりが「自殺」したことにある。

その時は、さすがに、その事実は書けなかったが、今年の正月(1/6)に大阪に焼香に行ったのは、そのためである。

僕らの仲間内で最後(と言っても10年ぐらい前だが)に会ったのが僕で、年賀状のやり取りをしていたのも僕だけだった(だから、彼の奥さんから僕に電話があった)こともあり、僕にとっては、どうしても大阪に行き、彼の霊前で焼香せずにはいられなかった。

さすがに、お袋にも弟にも、今回の帰省の理由は言えなかったが、弟夫婦の家で食卓を囲んでいた時、弟だったかお袋だったかに、「ところで、今回はどうしてみんなで集まったわけ?」と訊かれて、その理由を話すと、当然のことだが、とても驚いていた。

話しを「5人での同窓会」に戻すと、当然ながら、大阪での出来事(亡くなった友人の奥さんと会った)を報告したが、それ以外は湿った雰囲気になることもなく、昔話しと今現在の話しとを自由自在に話しながら、とても楽しい時間を過ごした。彼が引き合わせてくれたのだと思う。

5人とも「父親」になっていた。中には、20歳になる娘がいる奴もいて、人生が積み重なっていることを感じた。

こうして、元気に再会でき、お互いの立場(社会的立場)に関係なく、くだらない冗談を言い合ったり、マジメな話しをしたりして、夜中まで一緒に時間を過ごせることが、とても幸せなことだと感じた。

その中のひとりが「これを機に、5年に1度はこうして会いたいね」といったので、僕は「毎年、集まろうぜ」と返事をした。

お金も名誉も欲しいけど、こういう掛け替えのない仲間がいることが何よりの財産だと思う。

あの頃の仲間とこうして10年ぶり25年ぶりに会っても何の違和感なく時間を共有できるのは、出会った時の僕らが、高校受験に失敗して挫折した、何の見栄も飾るものも無い15歳の少年だったからだと思う。

ところで、2代目社長の親父さん(創業社長)は、若かりし日々、ゴルフのハンディが「2」の達人である。その親父さんと僕の友人と一緒にゴルフに行くことを約束した。とてもお世話になった親父さんが元気なうちに一緒にゴルフをしたいと思っていた。

後悔は先に立たず。しておけばよかった・・・では遅いのである。

人生は短い。

日本社会は「リスク」を取ることを許容するか?

WBSの取材絡みで「リスク」に関することを書いたが、僕自身の「生き方」にとってはもちろん、日本社会にとっても非常に大きいテーマであるので、このタイミングで僕の考えを整理し、僕のブログを読んで頂いている皆さんにお伝えしたいと思う。

前回のエントリーで、銀行融資に関する「個人保証」のことを取り上げた。僕は、この問題はかなり大きいと思っている。

裏を返せば、銀行に「経営者を見極める能力がない」ということにも繋がるのではないかと思う。

僕がインタースコープを経営している頃、社内でこんな議論があった。

公務員でいい加減な性格でお金にルーズな人間と、風俗店で働いている女性でマジメでお金にきちんとしている人とでは、どちらが「延滞リスク」が高いか?

これは、かなり極端な例かもしれないが、要するに、社会的な立場や職業だけでなく、その人の「本質」を見極めることが大切であり、そういう「判別ロジック」を開発できないか?という議論をしていた。

これは、僕の個人的エピソードであるが、同じくインタースコープを経営している頃、旧財閥系の某不動産ディベロッパーが建てたマンションを購入した。

その時、僕は「そうなるんじゃないかな・・・」と予想をしていたが、その不動産会社のグループである銀行(メガバンク)からの融資の審査が通らなかった。

因みに、インタースコープの社員は、何も問題なく「住宅ローン」を借りることができていた。

要するに、こういうことである。

代表者であった僕は、インタースコープの債務に対して「個人保証」をしていたため、既に、住宅ローンの何件分かの「リスク(潜在的債務)」を抱えており、銀行の「ロジック」としては、これ以上、リスク債権を許容できないという理由だったのだろう。

インタースコープの財務状況は「超優良」で、バランスシートには「億単位」の現預金があったにも関わらずである。会社が倒産するリスクは、極めて低かったと言えるし、仮に、清算(会社を解散)して、すべての債務を支払ったとしても、会社にはかなりの現金が残る財務状況であったにも関わらずである。

もうひとつ、別の事例を紹介したいと思う。ソフトブレーンの小松さんのブログで読んだことだ。

~「日本サッカー(日本代表)のフォワードは、他国のフォワードと比べてシュートをしたがらない」との話しがあり、その理由として「失敗を恐れる」からだ、との指摘があった。

そして、その背景として、日本社会が「一度失敗すると、チャンスを与えない」ような考え方があるのではと、元日本代表の福田氏が解説していた。~

僕は、そのような「価値観」や「生き方」が深く根付いている日本は、「ナローバンドな生き方」を善しとし、「ブロードバンドな生き方」は善しとしない国だと思っている。

僕が何故、そのように思っているか?と、僕の言葉で言う「ナローバンドな生き方」と「ブロードバンドな生き方」の定義は、次回のエントリーで説明したいと思う。

ワールドビジネスサテライトの取材を受けて・・・「損」を許容できない人。

昨日は、先週からスタートした「無料講座」の第2号の原稿を書いていて、久しぶりに夜中まで会社にいた。30代の頃と違って、睡眠不足は身体にキツイ。

さて、今日のエントリーでは、「ワールドビジネスサテライト(WBS)」の取材を受けたことに関連して、僕が考えたことを書こうと思う。

前回のエントリーで書いたとおり、WBSの取材を受けたきっかけは、ソフトブレーンの小松さんから打診されたことだ。

ソフトブレーンは多くの方がご存知のとおり、宋文洲さんが創業された会社である。僕は、宋さんのことがとても好きで、彼のメルマガを読んでいる

その宋さんのメルマガの最新号に、興味深いことが書いてある。

「高く買って安く売る人達の欲」というタイトルで、サブプライム問題に始まった株価下落局面において、買った値段よりも安い値段で株を売る人たち、つまり、「損」を確定している人たちのことを書いたものだ。

宋さんが言うには、長期投資ではなく、短期間のうちに「高く買って安く売る」人たちというのは、実は「欲深い」人だという。

つまり、「損」をすることが許せないので、とにかく「最低限」の損に留めようという心理から、すぐに「ロスカット」をするというのが、宋さんの主張である。なるほどと思った。

実は、僕は、2年ぶりに株式投資を再開した。正確には、再開しようと思ったが止めた、と言った方がいい。

昨年末に数銘柄を購入し、その内のひとつは年内に売却したのだが、年明けまで持ち越した銘柄は、何年かぶりかで安く終った年明けの初日に「損」を出して処分した。

そう、僕こそが「損を許容できない人」なのである。

実は、ドリームビジョンを創めてからは、殆ど株式投資はして来なかった。最もリスクの高い創業期には、いつ何時、財政出動が必要になるか分からないので、とにかく「損をする(お金が減る)」ことは許容できず、超低金利の銀行に預けるのを良しとするしかなかったからだ。

そういう状況であれば、株式投資をするべきではないのである。

昨年末、久しぶりに株式投資を始めようと思ってYahoo! Finance を見ていた僕に、妻は「余裕がない時に株を始めると、失敗するよ」と忠告をした。おっしゃるとおりである。

ひとつだけ、言い訳をすると、ここ2年間は、とにかく「がまん」の年と位置づけてきたが、今年は、少しずつ、自分から、変化なり「攻め」の姿勢を出して行こうという思いがあり、その一環として、自分が取れる範囲のリスクを取ろうということだった。

しかし、素直に自分の心の内を見つめてみると、「絶対に利益を出してみせる」という「強欲」な考えがあり、それが少しの「リスク(損)」も受け入れられないという心理と姿勢を生んだのだと思う。

因みに、僕は、何社かのベンチャー企業に個人的に出資しているし、昨年の秋から、ドリームビジョンとしての投資事業も始めたが、僕は「こいつに賭けて摩ったら仕方ない」と思える人間に、摩っても僕の生活や会社の経営が「困らない金額」しか投資しないことにしている。

つまり、僕は「損をすることを織り込んでいる(覚悟している)」ということである。何故なら、投資に百発百中はあり得ないからだ。

上場株式投資においても、同じことが言えるのである。

ところで、ワールドビジネスサテライトの取材のテーマである「起業率(開業率)の低下」は、まさしく、「リスク」を許容できない人が増えている=「リスク」を許容できる人が減っている、ということなのだろう。

それは何故か?というのが今回の特集の目的らしいが、その問いに答えるのは簡単ではない。

それでは、話しが前に進まないので、成否は別として、僕の意見を述べようと思う(実際に、WBSの取材で述べた)。

僕は、日本社会において「起業率(開業率)」が低下している「主因」は、今の日本社会が「失敗を許容しない価値観の社会」だからだと思っている。

例えば、起業して売上や利益がろくにない段階で、銀行の融資を受けようと思っても、殆どのケースで無理だろう。

また、それなりに軌道に乗ってきて銀行融資を受けようとすると、殆どの場合、代表者は「個人保証」を求められる。

確かに、融資をする側に立てば、何らかの「保証」を求める理由は理解できる。しかし、自分が経営している会社が倒産した場合、その会社の代表者に財産が残っているはずがない。つまり、返しようがないのである。

そうなると、自宅を担保に入れていたならば、一文無しになり、尚且つ、住む場所さえ失くすことになる。

そこまでの「リスク」を負ってでも「起業」しようという人は、余程の自信家か?バカかのどちらかである。

先日のエントリーに書いた「Mark Ferris」という僕の友人に言わせると、「起業家」というのは「超レア・アニマル(珍種)」らしい。上手いことを言うものだ。

さて、2/11(月)のWBSでは、「起業率(開業率)の低下」にスポットをあて、様々な人や会社を取材し、その本質を探ろうということらしい。

前回のエントリーで「ここ数年だか10年で、日本から100万社以上の会社が無くなった(廃業した)らしい」と書いたが、正確なデータをご紹介しておきたい。

「中小企業白書」よると、1986年に「535.1万社」あった企業数が、2004年には「433.8万社」に減っているという。

これが、開業と廃業の差なのか?それとも、合併等による社数の減少も含まれているのか?それは分からないが、いずれにしても、数として「100万社」が無くなったことが事実のようである。

2/11(月)のWBSで、どんな内容が放映されるのか?楽しみにしたいと思う。

ワールドビジネスサテライトの取材を受けました。

今日はとあることから「ワールドビジネスサテライト(テレビ東京)」の取材を受けました。来週の月曜日(2/11)に放映されるらしいので、ご関心のある方はご覧になっていただければと思います。

取材のきっかけは、ソフトブレーン・サービスの小松さんのところに取材の依頼があったのですが、テーマを考えた時に「これは、平石さんがドンピシャリだと思ったんです」とのことで、急遽、僕に白羽の矢が立ったということです。

テーマは、日本の「開業率(起業率)が低下している」のは何故か?というもの。ここ数年だか10年で、日本から100万社以上の会社が無くなった(廃業した)そうです。起業する人よりも廃業する人の方が多いのであれば、法人の数が減っていくのは当然です。

取材の内容は、最初に小松さんが今回の特集のテーマ(開業率が低下している)について、その背景や原因をどう見ているかに関するインタビューを受けて、その後、小松さんが主宰している勉強会というかセミナーのゲストとして僕が話しをさせていただき、受講者の方々との質疑応答を踏まえた上で、僕がインタビューを受けるというものでした。

セミナーで僕が話したことは、起業はそんなに簡単なものじゃないということや、僕の今までの苦労話しですが、その後のインタビューでは、何故、開業率が廃業率を上回ることができないのか?に対する僕なりの見解を述べました。

こういう取材は、あくまでもデレビ局側の意図に沿って編集されますので、はたして、どのような内容で放映されるかの?僕にも分かりませんが、多少なりとも「日本の開業率」の向上に貢献できれば幸いです。

僕も2/11(月)のワールドビジネスサテライトを楽しみにしたいと思います。

僕に影響を与える人たち。田坂広志さんと川井忠史さん。

東京としては久々の積雪となった今日は、暦の上では「節分」。子供に数粒の豆を渡すと、「鬼は外!!福は内!!」と、ちゃんと豆まきをしていた。

さて、昨日から何を書こうかと考えていた。

書きたいテーマはたくさんあるものの、その題材をもとに、僕はいったい何を伝えたいのか?その根底にあるものは何なのか?が自分でも整理できず、今まで書かずにいた。

でも、結論がないのも結論かと思い、ようやく子供が寝付いたタイミングを見計らって、こうしてキーボードに向かってみた。

先週の金曜日(2/1)は、渋谷マークシティで行われた「田坂広志さん」と「アレン・マイナーさん」の対談風のセミナーに出掛けた。

受付を済ませると、田坂さんとアレンさんが対談の準備をしている姿が目に留まり、挨拶をした。すると、田坂さんが「また、来てくれたの。いつも(僕の講演のことを)ブログに書いてくれて、ありがとう・・・」という、思いもかけない言葉が返ってきた。

まさか、田坂さんが僕のブログをいつも読んでくれているとは考えられないので、秘書の方が確認されたエントリーを読んでくれているのだろうが、それにしても驚いた。とても嬉しく、光栄に思う。

田坂さんの話しや著作は常に示唆に富んでいるが、先日の話しで最も印象に残ったことは、これからの知識社会においては「非言語」的価値が最も価値を持つ、ということ。つまり、「暗黙知」にこそ価値があるということだ。

最近は下火になったのかあまり聞かなくなったが、一時期は「形式知」という言葉が社会を賑わし、Knowledge Management という概念が注目されていた。

田坂さんが、形式知ではなく「暗黙知(非言語的価値)」が重要だとするのは、その概念が注目されなくなった理由とは別の理由によるものである。

それは、I.T.化が高度に進展した結果、何らかの知識が必要になった場合は、グーグルなりWikipediaなりで検索すれば、大概のことは調べられる時代になったわけであり、知識を持っていること自体には、あまり価値がなくなってきたということだ。

つまり、言語化できない、GoogleやWikipediaでは調べられない「知恵・スキル・センス」と言ったものが、これからの社会においては重要性を増すということだ。

これは、梅田望夫さんの「ウェブ進化論」で将棋の羽生善治さんが言っていた「知識の高速道路を抜けた後には大渋滞が待っている」ということにも通ずる話しである。

もうひとつ、このことに関連することとして、定量データよりも「定性データ」の重要性が増してくる、ということも仰っていた。

僕の直前のキャリアであるインターネットリサーチが普及したことにより、アンケート調査のコストは、従来のそれの「1/10」に低下しており、簡単に「定量データ」が取得できる時代になったことは、この話しの分かりやすい事例である。

田坂さんの話で、もうひとつ、考えさせられたことは、「お客様が知恵を出したい(貸したい)と思う企業かどうか?」ということ。

田坂さんは、アマゾンの書評を例に挙げてそのことを説明されていたが、アマゾンの書評自体は誰でも知っていることである。しかし、そのことが意味することの本質が理解できた気がした。

書評(コメント)の機能自体は、どの企業でも簡単につけることができる。現に、僕が始めたクローズドブログにも、コメント機能はついている。でも、そこにコメントしてくれる方がいるかどうかが問題なのである。

「お客様が知恵を出したい(貸したい)と思う企業かどうか?」という観点に関連することとして、前回のエントリーで紹介した、グレヒスの川井さんとの会話を思い出した。

ドリームビジョンを創業してからの僕は、とにかく、労働集約的な事業ではなく、仕組みで稼げる事業を毎日毎日考えており、そのひとつとして、人材紹介でいうところの「候補者」を集めるための「メディア」をつくりたいと思っていた。

何故なら、外部のメディアにかなりのお金を投下して「候補者」を集めているので、自社メディアをつくれれば、そのお金が浮く(=利益になる)ということと、優秀な「候補者」が集まるメディアをつくれれば、自社で「紹介事業」をするのではなく、人材紹介会社に「候補者」を紹介するという、僕らが利用しているメディアの立場に、自分たちがなれると思っていたからである。

しかし、川井さんは、僕のその「邪(よこしま)な考え?」を、見事に否定してくれた。

因みに、川井さんはインテリジェンス出身であり、人材関連ビジネスのことは熟知している。

その川井さん曰く、ドリームビジョンが新しい転職に関連するメディアをつくったとしても、それは、採用側にとっても、転職者側にとっても、あまり意味を為さない。つまり、メリットがないことだと教えてくれた。

「採用側」にしてみれば、その手のメディアが乱立することは、候補者が閲覧・登録するメディアが分散されることになり、出稿の数が増えることに繋がり、採用の費用対効果が低下するリスクがあるだけでメリットはないし、「転職者側」にとっても、登録するメディアが増えて手間暇が増えるだけで、あまり意味はないとのこと。

何らかの領域なりテーマに特化しており、その内容が優れていれば話しは別だが、それでも、自分たちの「金儲け」のため「だけ」のメディアは、絶対に成功しないだろうと付け加えていた。

この最後の一言は、僕にストレートに突き刺さった。

そうなのである。ここ最近の僕は、とにかく、非労働集約的な事業をつくりたい、はやく、売上・利益を伸ばしたいという想いが強く、以前の僕が持っていた「誰かの役に立つ」ということを何よりも大切にする姿勢が薄れていた。

それでは、田坂さんの言う、「お客様が知恵を出したい(貸したい)と思う企業」にはなれないだろう。

そのことに気がついた。

そして、以前から考えていた、あることを実行に移そうと思った。

その「あること」のことは、近い将来、実行に移した時にお話したいと思う。