洗濯機、テスラ、Infarm。

今さら何を言っているんだ・・・と言われるかもしれないが、我が家のドラム式洗濯機の中で水しぶきが上がっているのを見て、人類はテクノロジーを開発する(進歩させる)ことで生き延びてきたということを再認識した。

洗濯機が出来る前は、洗濯板なるもので手洗いをしてわけで、重労働極まりなかったということだ。それも、女性が行っていたことを考えれば、尚更だ。

農業も同じだ。中学生の頃、焼畑農業というものを教わった。そして、灌漑という技術も。ビニールハウスで温室栽培をするようになり、今では、品種によってはロボットでの収穫もできるようになった。

でも、地球温暖化による相次ぐ台風による農作物の被害には、今のところ、有効な対策がない。

でも、LED/水耕栽培はどうだろう? 自家発電設備を備えれば、台風による停電の心配もない。

Infarm を含めた「LED/水耕栽培」市場は、国内外を合わせると、何百社という企業がひしめいている。

日本では、我々Infarm 以外に、老舗と言っていいスプレッドの他、レスターホールディングス(子会社で運営)、ファームシップ、PlantX等が凌ぎを削っている。

海外では「Vertical Farming」といい、単位面積当たりの収穫高を高めるため、縦に伸ばす、つまり、天井高を高くし、野菜を作るトレイを何段にも重ねる企業が多い。

投資効率を考えると、不動産コストの安いエリアで敷地面積を広げるより(その分、物流コストが高くなる)、建物の天井高を高くする建築コストの方が安いということだろう。

ところで、先週の水曜日(9/14)、ベルリン州政府が主催する AsiaBerlin Summit という、ベルリンとアジアのスタートアップエコシステムを繋ぐことを目的とした記念すべき25周年イベントで、大変光栄にも、Infarm の日本市場参入に関する話をする機会を頂戴した。

ベルリン州政府にとっては、日本人の僕がベルリン発のスタートアップの Infarmに投資し、尚且つ、日本市場へ参入したというのは、分かりやすいサクセスストーリーなのだろう。

でも、そんな簡単な話じゃない。とてもチャレンジングな仕事だ。

僕はネットバブル以降、自分たちでスタートアップを創業したり、スタートアップに投資する仕事をしたりと、かれこれ四半世紀、インターネット関連の世界でビジネスをしてきた。

でも、製造業や農業など、生産現場が伴うビジネスには一度も携わったことがない。

Infarm はインターネットは勿論、A.I.、IoT、メカニカル・エンジニアリング、Crop Science、Bio Technology等、事業を運営するために必要な知識や技術が極めて多岐に渡る。ダイナミックレンジが広い。

簡単に言うと、ハードウェアとソフトウェアの両方の技術とKnow-Howが必要ということだ。自動車産業で言えば、TESLA(テスラ)のようなモデルである。

もうひとつ言うと、connected ということ。つまり、ファーミングユニット同士がCloudで繋がっており、どこにいても内部の設定やモニタリングが可能だ。

ドラッカーが言うところの「新しい知識に基づくイノベーション」の典型である。

「新しい知識に基づくイノベーション」に共通することは、開放期と呼ばれる大勢のプレイヤーが挙って参入してくる時期があることと、整理期と呼ばれる時期を経て、極少数だけが生き残るということだ。そして、その市場は必ずグローバルになり、生き残った者はグローバルプレイヤーになる。

Infarmは幸いにして、ユニコーン(未公開企業で時価総額US$1B以上)と呼ばれるスタートアップになった。でも、まだまだ先は長い。

僕にとって、Infarm のようなスタートアップに投資する機会に恵まれ、日本法人を経営し、50ヶ国籍以上の従業員で構成され、10ヶ国で事業展開するスタートアップの幹部の一人として仕事ができていることは、とてもありがたいことだ。誰にでも訪れるチャンスではない。

申し上げるまでもなく、欧州と日本では、社会の構造も流通業界の商習慣も、そして何より、食文化が大きく異なる。

つまり、欧州で出来上がったビジネスモデルをそのまま日本にコピーしても上手くいかない。日本市場の特性に合わせて、カスタマイズする必要がある。

今から40年以上前、マクドナルドが米国本国とは異なる戦略とポジショニングで日本市場に参入することで成功したように、我々も日本版 Infarm を創り出す必要がある。

大変だが、やりがいのある仕事だ。そんなチャンスは滅多に無い。

先週のベルリン滞在中、とても光栄なことに、西村経済産業大臣が、Infarm Growing Center という我々の生産施設の視察に来られた。

最新鋭のFarming Unit をご覧いただいた後、様々な野菜を試食していただいた。「イチゴ」を試食された際、「美味しいですね!」と言っていただいた時は、素直にとても嬉しかった!!

西村大臣に「美味しい」と言っていただいたイチゴを、一日も早く、日本の皆さんに食べていただけるよう、事業を前に進めたい。

流浪の月。

窓の外から日本語が聞こえた気がして、カーテンを開けてみた。

すると、バックパックを背負った若い日本人女性が友人と話しながら歩いていた。パリの方がベルリンよりも日本人が多いんだろう。住んでいる人も訪問者も。統計を見れば明らかだが、実際、通りを歩いていても、パリの街では日本人を見掛ける。

当たり前だが、異国の地にいれば、僕は異邦人だ。どことなく、心許ない気持ちになる。僕の場合、出張で尚且つ一人で来ることが多いこともあり、余計にそういう心境になるのかもしれない。

ところで、久しぶりに飛行機の中で映画を見た。コロナ前は2ヶ月に一回は海外出張をしており、映画は殆ど飛行機の中で観ていたが、ここ2年半はどこにも行けずにいた。

今年6月、Infarm の幹部会議でアムステルダムに行き、8月は武蔵野大学アントレプレナーシップ学部の学生29人を連れて3年ぶりにシリコンバレーに行った。訪問前、人生が変わるよ!という僕の言葉に半信半疑だった彼らは、初日から、僕の言葉の意味を理解した。

今回のヨーロッパ出張はアムステルダムでのInfarm幹部会議、ベルリンではAsiaBerlin Summit 25周年記念イベントでの講演、そして、西村経済産業大臣のInfarm Growing Center 視察のアテンドと、盛りだくさんだった。

オマケに、フランス管制官のストライキにより、パリ経由の帰国便が欠航になり、予定外の一泊二日のパリ滞在を楽しんだ。

帰りの機中で見た映画は「流浪の月」という日本映画。普段は英語の勉強を兼ねて、洋画一辺倒なのだが、観たい映画がなく、消去法だった。

その「消去法」で観た「流浪の月」という映画に、今までに感じたことのない、形容できない感情を覚えた。

ネタバレで申し訳ないが、父親は病で早逝し、母親は恋人と新しい生活を始め、少女は叔母の家に引き取られる。そこでは、中2の従兄弟に性的虐待に合う。雨の公園でベンチに座ったまま本を開いて帰ろうとしない少女に傘を差し出した大学生に、少女は「家に帰りたくない」という。

世間では「誘拐事件」として報道され、2ヶ月間に及ぶ共同生活の後、通行人に警察に通報され、彼はロリコンの誘拐犯、少女は被害者となる。

人間は常識という名の偏見のもと、社会のマジョリティに適合できない人たちを差別してしまう。男か女か、白人か黒人か黄色人種か、既存の分かりやすい基準で人々をラベリングする。たしかに、その方が楽だろう。

そういう僕の中にも差別の念がある。国家間のイデオロギーに根付くものや歴史的経緯、また、価値観の相違によるものもある。その根底にあるのは、自己防衛本能だろう。何故なら、誰しも、社会の例外として孤立したくないから。

でも、この「流浪の月」という映画は、そのような「安全地帯」に住んでいる自分に対して、大きな疑問を投げ掛け、それまでに感じたことのない感情をもたらした。

話は変わるが「止まらぬ円安。縮む日本」。今朝の日経新聞の一面には、とても落胆した。そんなことは、10年前から分かっていた。遅いんだよ、警鐘を鳴らすのが!

競争力を失った産業を温存。新陳代謝を忌避し、リスクは先送り。

「賞味期限切れ」になった産業に終身雇用という美辞麗句で従業員を縛り付け(縛り付けられた人たちも、そのマヤカシを幸せと勘違いしていたんだろうけど)、新しいスキルを身につける機会を奪い、挙句の果てには「希望退職」という形で放り出す。当然、今の、そして、これからの世の中で必要とされる筈がない。

何が優しくて、何が厳しいのか? 表面だけを見ては、判断を間違える。

リフレ派政策で量的緩和を行い、円安誘導し、輸出型の製造業は「為替」による利益を上げ、株高や不動産価格は上昇したものの、ファンダメンタルズ(産業構造)は何も変わっていない。

欧米諸国は量的緩和の出口を探り、金利を上げ、安全資産と言われた「円」との金利差が生まれた。そこに偶然にもウクライナ危機が発生し、原油価格を始めとする様々な資源高が追い打ちを掛け、あっという間に、1ドル=140台後半に突入した。

資源が無い日本にとって、購買力が強い「円高」の方がいい。議論の余地はない。

1980年代、1990年代は、海外のホテルに泊まると部屋にあるテレビは日本製だったが、2000年以降、サムソン、LGといった韓国製に取って代わられた。

日本は「安い国」「二流国」に成り下がった。

facebookで、日本は「何かあったらどうする」病と揶揄する人を見掛けたが、言い得て妙である。ゴルフで言えば、バーディを取りに行くのではなく、ボギーを叩かないようにプレーする。

一方、シリコンバレーでは、失敗をしていないことはイコール、新しいことに挑戦していないと見なされる。

映画の話と日経の記事は脈絡の無い話に思われるかもしれないが、既存の枠組みに拘泥してはいけない、ということだ。大昔は地球は回っていないことになっていた。

学生たちと一緒に行った3年ぶりのシリコンバレー、そして、今回のヨーロッパ出張を通じて、これからの人生を考えた。

そして、伊藤羊一さんを見習って、年齢は忘れることにした。

僕には大した才能は無い。

故野村監督のような卓越した分析能力があるわけでもなく、落合博満氏のような類まれな才能と自分自身の判断に対する絶対的な自信と図太い神経があるわけでもなく、僕には大した才能はない。

こうして、わざわざ文字にするまでもなく、僕ぐらいの起業家はどこにでもいる。Exceptional でも何でもない。Just an ordinary person だ。

でも、野村監督はこう言った。

「人間の本当の勝負は、『実は自分には大した素質があるわけではない』と気づいたところから始まる。凡人は素質だけでは勝負できない。必ず壁にぶち当たる。苦労をする。だからこそ己が生きる道を必死で考え、変わることができるのである」。

ところで、Infarm Japan の経営は大変だ・・・。

野菜」を作っているという意味では「農業」かもしれないが、事業構造、収益構造、コスト構造は、どこからどうみても「製造業」である。

やってみて、よく分かった。

僕は取材を受けたり、新しいお客さんや提携先になるかもしれない方々や面接でお会いする皆さんに「Teslaの野菜版、野菜版のTeslaのようなものです」と説明している。

Infarmは、最新のテクノロジーを使っており、ドラッカーが言うところの「新しい知識に基づくイノベーション」だ。

新しい知識に基づくイノベーション」には、以下の3つが必要だ。

分析いかなる要因が「欠落」しているか?(足りないものは何か?)

戦略システム全体 v.s. 市場のみ v.s. 重点を占拠する。そのいずれの戦略を取るのか?

マネジメント財務についての先見性市場志向。資金はどれだけ必要か?市場のニーズは何か?

そして、新しい知識に基づくイノベーションを行おうとする者にとっては、「時間が敵」だ。

新規参入が可能な「開放期」は短い。チャンスは二度と来ない。

また、「整理期」は必ず来る。それは避けられない。しかし、規模の大きさは成功を保証しない。

「新しい知識によるイノベーション」は、イノベーションそのものが変化を起こす。ニーズを創造する」ことを目的とする。

しかし、顧客が受入れてくれるか、無関心のままいるか、抵抗するかを事前に知ることはできない。定量調査は意味がない。概念として人々の間に認識されていなければ、言葉にし、定量的にカウントすることができないからだ。大事なのは「顧客の声」を聞くことであり、定性的な分析だ。

起業家としての戦略は、何らかの意味において「トップの座」を狙うものでなければならない。さもなければ、競争相手に機会を与えるだけに終わる。

僕はサンブリッジ グローバル ベンチャーズという国内外のスタートアップに投資したり、アクセラレーションプログラムを運営する会社を、2012年から2017年6月まで経営していた。

2012年にTeslaモデルSが発売された頃、シリコンバレーでも、Teslaは疎らだったが、それから3–4年が過ぎた頃からだろうか、現地に行く度に、駐車場に停めてあるクルマに占めるTeslaの比率が目に見えて増えて行った。

充電ステーション、航続走行距離(バッテリーの性能向上)、世の中の環境意識の高まり等、Tesla が普及するために必要不可欠だが「欠けていた要素」が、時間と共に解決されて行った。

問題は「欠けているピースが揃う」までに、どの程度の「時間」が必要なのか?は、誰にも分からない、ということだ。時間が長ければ長いほど、その間を乗り切る資金が必要になる。

Infarm の経営には、変数が多い。僕が今までやっていたネットビジネスやスタートアップへの投資事業と較べると、半端なく変数が多い。

僕は起業家としての先見性、投資家としての着眼点には自信がある。

但し、来年で還暦を迎える人間にとって、Infarm の経営には、尋常ではない数の「履修科目」がある。

今までの僕は、八方美人で、周囲との軋轢を避け、嫌われることを極度に嫌っていた。でも、もうそれは止めることにした。僕には、もう躊躇している時間はない。

お前に何が出来るんだ!と言われようが、バカにされようが、嫌われようが、僕はドン・キホーテのように挑み続ける。

実は、僕が腹を括る覚悟をしたのは、某同業他社の創業経営者とお会いしたことがきっかけだった。

表敬訪問に訪れた僕を快く迎え入れてくれ、会社の事業構造を説明し、物凄い規模の生産施設を自ら案内して下さった。

その方の話を聞き、生産施設を拝見し、初めて、自分たちが挑もうとしていること、やろうとしている事業の本質を理解した。

自分たちが戦っているゲームのルールを理解していないことこそが、最大のリスクだ。

来年から「還暦少年」だ! 文句あるか!!!

That’s the only way I can and the way I can keep being myself.

Pay it forward. (恩送り)

誰しも多くの人から支えられ、助けられて生きている。特に、起業すると、毎日が困難の連続で、誰かの助け無しには生きていけない。

僕も28歳で起業し、まだ右も左も分からず、売上もままならず、生き延びていくのに必死だった頃、先輩起業家や会社勤め時代の上司等に、いつも相談に乗ってもらい、助けてもらってきた。

でも、彼らに僕が恩を返すことはできない。僕の助けを必要としていないからだ。そもそも、自分よりも経験豊富で能力もある方々の役に立てることはそうそうない。

つまり、当時の自分がそうだったように、毎日、必死にもがいている若い起業家(起業家でなくても)に「恩を送る」ことが、幸運にして何とか生き延びて来られた我々の責任であり、義務ということだ。

そう。能力とか実力とか以上に「運」が良かっただけなのだ。それを勘違いしてはいけない。

上記の内容とは少々異なるが、武蔵野EMCでは、Pay it forward 的な価値観とカルチャーが育まれている。是非、それをEMCのカルチャーとして根付かせていって欲しい。

「他人の夢を笑わない」武蔵野EMCの魅力を伝えるブログ Vol.10

「『Pay it forward』という言葉がある。

この言葉の本来の意味は、『自分が受けた恩を次の世代に送ること』だと聞いている。

でも、EMCには、それに近い価値観とカルチャーがあるように思う。

EMCはやることなすこと、その多くが許容的であり、他の大学と較べて、時間に余裕がある。それ故、自分のやりたいこと、熱中することを発見でき、実際に行動に移している人が多い。

でも、どんなに熱意、湧き上がる情熱があっても、やっぱり、一人でできることは限られている。

そんな時、このEMCには自分の想いを真摯に聞いてくれ、自分の想いに共感し、協力してくれる仲間がたくさんいる。世の中には、その行動の代償を求めてきたり、そもそも自分の想いを笑ってくる人がいるかもしれない。

でも、この学部にはそんな人はいない。何故なら、みんながそれぞれ情熱を持って、その人の想いを理解できるから。

2021年4月に開設されたばかりのEMCには、まだ2学年しかいないけど、『Pay it forward』という言葉は将来、EMCの価値観、カルチャー、日常の営みを表す言葉になると確信している」。

by 前川大空(武蔵野EMC第1期生)

武蔵野大学オープンキャンパス(2022年8月20日参加申し込みページ!)

Lead the self (自己を導く)。

何だかんだ言っても、自分の人生に責任を持ってくれるのは自分しかいない。誰も頼れない。

そういうと厳しい言葉に聞こえるかもしれないが、自分の人生の意思決定を他人に委ねたい人がいるのだろうか?

起業家精神に必要なことは「変化を善し」とすること。そして、もうひとつは「意思決定能力」だ。

「意思決定ができれば、誰でも起業家になれるし、起業家的な生き方ができる。意思決定ができなければ、色々な職業に向かない」。by ドラッカー

自分の夢は自分の手で手に入れてこそ、満足のいくものである。by 関根康太」。

いいこと言うね!

そう。自分の人生に責任を持つには、自己理解が極めて重要。

「他人の夢を笑わない」武蔵野EMCの魅力を伝えるブログ Vol.9

「この学部では、自分を導く、Lead the Selfの精神の重要性を感じることが多々ある。

答えのない課題に向き合う時、プロジェクトを進める時、自分は何を大事にするのか、何を軸に意思決定、行動をするのか。自分と向き合い、自分を律し、自分を導く。全ては自分から始まる。

だからこそ、とことん自分について考える。

起業家という生き方は、良くも悪くも人を巻き込み、社会を巻き込み、世界を変える。

だからこそ、正しいこととは何か、自分はどうあるべきか、とことん考え抜く。それがEMCでのLead the self」。

by 関根康太(武蔵野EMC第1期生)

武蔵野大学オープンキャンパス(2022年8月20日申し込みフォーム!)

先生と呼ばない。

FREE, FLAT, FUN. これは武蔵野大学アントレプレナーシップ学部(通称:武蔵野EMC=Entrepreneurship Musashino Campus)の学部長、伊藤羊一氏のポリシーだ。彼オリジナルのTシャツにも、そう書いてある。

そのような彼の思想が反映されているのだろうが、学生たちは我々教員を「先生とは呼ばない」。「さん付け」で呼ぶ。平石先生ではなく、平石さんだ。

相手を役職で呼ばないという意味では、僕が経営するInfarm 日本法人も、それ以前に経営していた会社でも、僕のことを社長と呼んでいた人はいないし、僕はそう呼ばれることが嫌いだ。僕は社長という立場や役職以前に、平石郁生という人間だから。

It’s not what I am. It’s who I am.(それは自分の職業ではなく、自分そのものだから。)という、Top Gun Maverick のワンシーンでのトム・クルーズのセリフがあるが、それに近い感覚だ。

EMCは「アントレプレナーシップ(起業家精神)」を教える場所ではなく、それを「学ぶ」ところだ。

上意下達ではなく、学生と教員が一緒になって、どうすれば「起業家精神」を身につけられるのか? そのためには、どのようなカリキュラムが有効なのか? それを試行錯誤しながら一緒になって創っていく学部なのである。

「他人の夢を笑わない」武蔵野EMCの魅力を伝えるブログ Vol.8

「僕たちは教員の方々を『先生』とは呼びません。僕の場合、◯◯さんと呼びます。(EMC生の中にはあだ名・呼び捨てで呼ぶ人もいます)これは決して敬意の心を持っていないというわけではなく、それくらい関係性が近いということです。

教員方を含め僕たちは、上下関係以前に各々を一人の人間として尊重し合っています。

僕の事例として、一年生の時の「プロジェクト」という授業を担当していただいた柏谷さんについてお話したいと思います。

柏谷さんは僕のことを柳田さんと呼び、僕も柏谷さんとお呼びしていました。柏谷さんは僕に真摯に向き合ってくれ、私的なことも相談させていただきました。授業外でも、個人的に柏谷さんの個展に足を運び、お話するほどの間柄になりました。おそらく、僕はこれからの人生で柏谷さんとコミュニケーションをとり続けていく思います。

このように、僕らは教員・学生という関係性を超えて、仲間です。僕はこの関係性は一生の宝になると思っています」。

by 柳田宙輝(武蔵野EMC第1期生)

武蔵野大学オープンキャンパス(2022年8月20日)申し込みフォーム!

濃厚な寮生活。

いつどこにいてもSNSで繋がれる今の時代、「寮」の存在意義は何だろう?

「アントレプレナーシップ(起業家精神)」を学ぶことをテーマに掲げた日本初の学部に集った約70名は、個性豊かなどという月並みな言葉では形容し切れない、男女ともに規格外の若者たち。

そんな彼らが寝食を共にし、自分たちの夢を語り、時に議論を戦わせ、お互いの理解を深める。その場所が、武蔵野EMCの「小平寮」だ。

「他人の夢を笑わない」EMCの魅力を伝えるブログ Vol.7

「毎日、共同生活を送ることで、友達を超えた家族に近い関係の友達が約70人できました。

朝はみんなで学校に行き、みんなで課題をし、夜は人生、価値観について語り合う時間が大変貴重でした。

特に仲良くなれたのはお風呂場でした。裸で語り合う大風呂は、つい声が大きくなり過ぎてしまうほど話に花が咲き、友人関係も広がりました。思い返せば、お風呂で仲良くなった友達もたくさんいました。

嫌というほどお互いを知る。自分を曝け出す環境はストレスになることもありますが、自分の弱みもオープンにして相談できる一生の仲間が多くできたことは、自分にとって、とても貴重なことでした」。

by 佐藤健太(武蔵野EMC第1期生)

武蔵野大学オープンキャンパス(2022年8月20日)申し込みフォーム!