闘う大和撫子。

ネットエイジの上場記念ゴルフコンペに行く朝、途中で立ち寄ったナチュラルローソンで「Number(Sports Graphic)」という雑誌を買った。

表紙に「永久保存版 F1鈴鹿」と書かれており、僕が大好きだった「アイルトン・セナ」の顔写真が大きく載っていて、抵抗できずに買ってしまった。

F1の話しはさておき、表紙をめくると、そこには「闘う大和撫子」と題して、卓球の天才少女「福原 愛」の躍動感溢れる写真が載っていた。そして、小さな文字で且つたった数行の解説に「悔しさを押し殺し、2008年の北京だけを見つめ続ける」と書いてある。

彼女の心境に想いを馳せた。

僕はスポーツがとても好きだ。その理由は「自分の限界に挑んでいる」からである。

そういう意味で僕は、「起業家」と呼ばれる人や「創業者」が好きだ。

でも、起業家よりも、スポーツ選手が好きな理由は、ごまかしが利かないからかもしれない。すべてのことがダイレクトに「数字」に表れる。

僕がゴルフが好きな理由もそこにある。

すべてが自分との戦いであり、すべてが「数字(スコア)」に表れる。運も不運も含めて。でも、それが「結果」である。鈴鹿グランプリでシューマッハがマシントラブルでリタイアしたのも。

その結果を出すために「ひたむきに努力をする」スポーツの世界に、僕はチャレンジ精神と純粋さと誇り高さを感じる。

そして僕も、自分自身の生き様と事業を通して、そのことをより多くの人に伝えたい。

それが、僕が「起業家」であり「創業者」という生き方を選んでいる理由である。

ネットエイジの上場記念ゴルフ!!!

昨日は「ネットエイジの上場記念ゴルフコンペ~西川杯!!!」に参加してきた。

6組24人が参加したコンペだったが、結果は「54+58=112」という散々なスコアだった。

台風じゃないかというぐらいの強風で、ナイスショットをしても平気で30~40ヤードは戻されるというコンディションだったが、そんな状況下にあっても「36+39=75」という驚異的なスコアを出す方もいた。すべては「実力」ということだ。

さて、僕がゴルフを本格的にやり始めたのは、ここ4~5年であるが、ベストスコアは「43+46=89」。2004年の11月に宮崎のフェニックスで出したものだ。80台のスコアは、あとにも先にも、その1回しかない。

2004年の8月から、片山晋呉プロのコーチを務める谷将樹さんが経営するゴルフスクールに通い出し、我流のスイングを抜本的に改造してきた。

その結果、球筋が変わった(良くなった)。ドライバーはまだまだ平凡な球筋だが、アイアンは力強い球を打てるようになり、特にショートアイアンの精度は格段に高まった。

しかし、まだまだスコアはおぼつかない。

それは何故か? 昨日は、かなりのそのことを考えた。

所詮、ゴルフはゴルフと割り切れる人もいるのだろうが、僕にとっては、2年もレッスンに通っていながら、どうして、こうもスコアが向上しないのか?と考えてしまう。

コースの攻め方が悪いのか? それともメンタル面が弱いのか? その両方が当てはまるのだろうが、戦略性が足りないのかもしれない。

このエントリーを書きながらふっと思い立ち、今年に入ってから計7回のスコアをすべて「ショット数+パット数」に分解してみた。因みに、ゴルフは「パー(規定打数):72」の内、ショット(36打)+パット(36打)=72打である。

すると、最も良いショット数が「51(つまり15オーバー)」、最も良いパット数が「33(つまり3アンダー)。最も悪いショット数が「75(39オーバー)」、最も悪いパット数が「48(12オーバー)」となっている。

話しは変わるが、僕は「3度も起業」しているくせにミスショットを恐れるがあまり、もともとはスロープレイ気味だった。しかし、レッスンの成果が出て、ショットはスロープレイではなくなったと思う。

でも、パターは、集中力を高めようと思うと、どうしてもスロプレー気味になる。

人に迷惑をかけるのが嫌なので、最近、それを直そうとパタースタイルを変えたところ、以前は得意だったパットが入らなくなった。それでも最悪で「48パット(12オーバー)」である。

それに引き換え、ショットは「51(15オーバー)~75(39オーバー)」と開きがある。

要するに、まだまだショットが安定していないということである。

問題は、どのショットの精度を高めるべきか?ということだ。

僕は、2年ぐらい前から、18ホールで使ったクラブをすべて記録している。今年の計7回のスコアカードをもとにミスの内容を分析しみると、自分で思っていたこととは違う結果であることが分かった。

ミスの内容を、ティーショット(第1打)、セカンド、アプローチに分けて集計してると、ティーショットのミス:38回、セカンドのミス:22回、アプローチのミス:25回となっており、すべては「ティーショット」にかかっていることがよく分かる。

自分の中ではアプローチ(小技)が本題だと思っていたのだが、実は問題はティーショットだった。

良いショットを打とうという思いから、肩に力が入り身体が回らなくなる。その結果、極端なトップになり、球が左に出て30~40ヤードしか飛ばないミスが出る。

これを無くせば、良いスコアが出るはずである。

昨日は、ショット:65(29オーバー)+パット:47(11オーバー)=112で、その内、ティーショットのミスは「6回」だった。それに加えて、風の影響でナイスショットのはずが飛距離が足りないというセカンドが5~6回。パットは今期のワーストに近い「47」なのでベストよりも「10打」悪い。

ということは、理屈の上では、ショット「10打」+パット「10打」=20打縮めることができれば「92」で回れる計算になる。

たしかに、僕の調子が良い時のスコアである。

はたして、次回、どのようなスコアが出るか? 力を抜いて頑張りたい(会社の経営も同じか!?)。

ところで、昨日のコンペは、つい先日まで「楽天野球団」の取締役をしていた小澤隆生さんと同じ組だった(今、気がついたが、僕の弟と同じ名前だ)。

最終ホールの途中で彼が、「(これだけスコアが悪いと)心が折れますよね・・・」と言ったことに対して、「僕はさっきのバンカーショット(グランドキャニオンと言われている物凄く深いバンカー)の5打で折れたままですよ」と言葉を返した。

しかし、これで終わったのでは自分が許せないと思い、このショットは「絶対にグリーン載せてやろう!!」と思って、キャディーさんにヤーデージの確認をした。

彼女の回答は「160ヤード」だったが、僕は「上りだし、アゲインストなので、1クラブ長い方がいいですよね?」と確認したところ、「いえ、そんなことないんじゃないですか」という答えが返ってきた。

しかし、昨日はそれまでもキャディさんの読みと僕の読みが違い、結果として僕の読みの方が正しかったことが数回あったので、今回は「今日最後のショットなので後悔したくないから、クラブを替えさせて下さい」と言い、30ヤードほど走って5番アイアンを持ってきてもらった。

結果は昨日一番の会心のショットで見事にグリーンにオン。2パットで「パー」を取った。

やはり、自分の判断を信じるべきだと改めて思った。それなら、失敗しても後悔はない。

5番アイアンのショットを打った後、僕が「小澤さんのひと言で心が戻りました!!!」と言ったところ、「実力ですよ!!!」という返事が返って来た。昨日の僕にとっては、もっとも嬉しい出来事だった。

彼はビズシークというネットビジネスを立ち上げて、グロービスから出資を受けていたが、5年前に楽天に事業を売却して、楽天で働いていた。本人曰く、「三木谷から面倒くさい仕事ばかり回ってきて・・・」と言って笑っていたが、そういう彼の明るさと優しさが三木谷さんの信頼を勝ち得ていたのだろう。

今まではベンチャ-のイベントで顔を合わす程度でゆっくり話しをしたことはなかったが、昨日のゴルフと懇親会で彼の人となりに触れ、ファンになった。

スコアはボロボロで「心も折れてしまった」一日だったが、こうして振り返ってみると、小澤さんとの交流や自分のスコアの分析をさせたことも含めて、良い「原因」が潜んでいたのかもしれない。

また、以前からの「予定」とは言え、悠生が具合が悪いなか、文句のひとつも言わずに好きなゴルフに行かせてくれた妻には感謝している。

追伸:悠生もようやく良くなった。明後日からは保育園に行けるだろう。

遺伝の問題。

ようやく悠生の熱が下がったが、まだ、具合が悪い。

さすがに、1週間も具合が悪い日が続くと、悠生自身は当然だが、彼を看病している我々の体力も限界になってくる。昨日は、少し眠っては起き、少し眠っては起きを10回ぐらい繰り返しただろうか? 今日もそんな調子である・・・。

ところで、今朝(厳密には昨日の朝)、近所の小児科に連れていった。血液検査の結果を聞いたところ、白血球の数が多く、まだまだ治ったとは言えないと言われた。

また、悠生の場合、母親の体質を受け継いだのか、免疫力があまり高くなく、白血球が常時、ウイルスや細菌と戦っているらしい。しかし、それが限界に達すると発熱するということのようだ。

「遺伝」であれば何とも仕方が無いが、この話を聞いて、正直、僕はかなり落ち込んだ。これから先も同じようなことが続くわけだし、小学校に入ってからも、しばしば熱を出して学校を休むことになるのかと思うと、何とも言いようがない想いにかられた。

五体満足で生まれて来ているのだから、それで幸せと思うべきなのかもしれないが、親心としてはついつい、もっと丈夫な子だったらと思ってしまう。

話しを元に戻すと、看病疲れで妻の具合が悪かったので、今日は午後から悠生を1週間ぶりに保育園に連れていった。そして、僕らは昼寝をした。それでだいぶ身体が楽になった。

夕方、悠生を保育園に迎えに行ってみると、ちょっと疲れた顔をしていた。

妻は大学院に通っており、課題や発表や学会等があり、さすがに子供が1週間も具合が悪いとどうにもならなくなってしまう。子育てと大学院の両立は、並大抵のことではないということに、本人も気がついてきた。(会社の立ち上げとの両立も大変である。)

しかし、「人生はすべて必然」なので、きっとこれを乗り越えることで、親子共々得るものがあるのだろう。

そう思って頑張りたい。

ライブレボリューションの月初会

今週の月曜日、ライブレボリューションの「月初会」という全体会議に参加させて頂いた。同社の株主(マイノリティ)という立場で、ゲストとしてお招きいただいた。

この「月初会」という全体会議は、なかなか興味深く勉強になった。

まず、ライブレボリューションには「LR Heart」という経営理念をもとにした「29項目」から構成されている「行動指針」のようなものがある。とても興味深い内容である。

この「LR Heart」に則り、毎月数項目ずつ、読み合わせを行い、数人の人がその項目を具現化するために日々行っている(努力をしている)ことを発表する、ということを行っている。

次に、推薦図書をもとに、同じように読み合わせを行っている。毎回、数章ずつ進めているようだが、社員の人達がその章に書かれている内容に則って、自分の行動を紹介する。そして、それに対して、月初会の進行担当の取締役の方が解説を加える、というものである。

また、上記が終わった後、社長の増永さんが自ら製作した「新卒採用」用の会社紹介のビデオを上映した。

そして、最後に、ゲストである僕から「感想」を述べる機会をいただいた。

どんな感想を持ったか?

ひと言で言えば、良い意味で大学の体育会なりサークル的なカルチャーがあり、若い熱気が感じられた。
もうひとつは、カルチャーが明確であり、求心力が感じられる(ある)ということだ。

このふたつは、今後のライブレボリューションの成長にとって、大きな「強み」になるだろうし、大きな「経営資源(資産)」であると思う。

社風やカルチャーといったものは、創業者に負うところが大きいが、増永さんの経営哲学が脈々と流れているのだろう。30才そこそこにして、素晴らしいと思った。

これからドリームビジョンの価値観とカルチャーを醸成していくに際して、とても勉強になった2時間だった。

病児保育

「病児保育」という言葉を知ったのは、1年ぐらい前だろうか。

ETICのスタッフに相談をしながら紆余曲折の結果、フローレンスという秒時保育を行うNPO法人を立ち上げた駒崎さんの話を聴いた時だったと思う。ひょっとしたら、妻からだいぶ前にそういう話をされていたかもしれないが・・・。

ここ数日、子供が39~40度の熱を出しており、昨日は初めて、世田谷区の下馬にある小児科医院が運営している病児保育のサービスを活用した。

昨日は、妻が大学院での発表があり、どうしても休めない日だった。こういう時には、東京生まれの東京育ちの妻の両親が生きていてくれたらと思う。

実際に病児保育を活用してみての感想は、医療面での心配はなかったが、当然のことながら、やりきれない想いが残った。

悠生も、いつもの保育園とも違うということも分かっているし、僕らがいなくなってしまうことも分かっており、僕らがその施設を出るときは、もの凄い声を出して泣いていた。

親としては忍びない限りであるが、こういうサービスがあることに感謝している。

そして、子供を持ってみて初めて、ビジネス以外の社会の構造や問題等に直面し、関心を持つようになり、公的サービスのあり方を考えるようになった。

政治に対する関心も、以前よりも高まったように思う。

40度の発熱と父親の思い出。

昨晩、悠生が40度の熱を出した。

一昨日、39度の熱を出したが、昨日には下がっており、治ったかと思った矢先だった。

昨晩は少しビールを飲んで帰ってきたので自分の車で行くことができず、タクシーを呼んだ。そういう時に限って要領を得ない運転手さんで、イライラしながら広尾の日赤医療センターに向かった。

タクシーの中で、亡くなった父親のことを思い出した。

僕が小学校の頃、神経性胃炎で入院したことがあるが、父が勤務していた病院まで片道約20キロの道を、父が運転する車で連れていってもらった。

普段は決してスピードを出す人ではない父が、その時は、80キロを超えるスピードを出しており、子供ながらに父親の愛情を感じた。その時のことは今でも鮮明に覚えている。

親になって初めて親の気持ちが分かると言うが、そのことをしみじみと感じている。

インタースコープを一緒に立ち上げた山川さんから、「子供ができたら人生観が変わると思いますよ」と言われていたが、確かに、僕の人生の「構成要素」が変わった。

ディープインパクト

特に競馬が好きなわけでもない僕は、その名前は知っていたが、ディープインパクトがどれだけ素晴らしい馬であるか、そのことは知らなかった。

実は昨夜遅く、悠生が39.3度の熱を出し尚かつ吐いてしまったので、広尾の日赤医療センターの救急外来に連れていった。レントゲンを撮り、血液検査をしたところ、軽い肺炎を起こしているとのことだった。

検査結果を待っている間、待合室にあったテレビで「ディープインパクト」の特集番組が放映されていた。

残念ながら病院の待合室なので時間制限で途中でテレビが消されてしまったが、僕は、その番組をみて初めて、ディープインパクトがどれだけ凄い馬かということを知った。

そして、騎手である武豊氏のコメントを聞きながら、背中に身震いを覚えた。武豊氏は「久しぶりに凄い馬に出会った」と言っていた。

武豊氏がディープインパクトに跨がり、どこは守るのか? どこで攻めるのか?の指示を出すその映像をみていて、人間と馬が一体となっていることに強い感動を覚え、涙が出て来た。

お互いの体温を感じながら、きっと両者にしか分からない「信頼関係」で結ばれており、その信頼関係があってこそ、大きな結果を出せるのだろうと思った。

だからこそ、人々は競馬場に通い、才能あふれる馬を応援するのだろう。

たしかに、ギャンブルとしての勝ち負けがあるのは事実として、でも、それだけではない「ロマン」を感じた。

法政大学ビジネススクールと共同で運営しているオープン講座にグロービスの小林さんにゲスト講師として来て頂いた時、ベンチャーキャピタリストのモチベーションや楽しみは、才能豊かな起業家達と仕事をすることによる「刺激」だと言っていたことにも通じるような気がする。

ある米国の著名なキャピタリストが、そんな青臭いことはどうでもよく、純粋に「儲かるかどうかだけだ」と言っていたそうだが、僕はそういう人には共感しない。仮に、何百億円、何千億円を稼いでいるとしても。

一度もヨーロッパ(の馬)から出たことのない「凱旋門賞」を、何とかディープインパクトに取って欲しいと願い、何千人もの人がフランスに行き、その目で「奇跡の瞬間」を捉えようとしたという。

そういう「夢」や「ロマン」の素晴らしさを、大切にしていこうと思う。いくつになっても。