久しぶりのインタースコープ

今日は久しぶりにインタースコープの全体会議で話しをした。今年の3月に取締役を退任して以来なので、半年ぶりのことだった。

取締役を退任した後も毎週火曜日は社内の教育プログラムの運営に携わっているので、週に1度は出社しているわけだが、志半ばで退任した創業者が、いつまでも社内の会議等で話しをするのはよくないと思っており、意識的に皆の集まる場には顔を出さないようにしていた。しかし、そのこと(足を遠ざけていたこと)が、かえって誤解を生んでいたかもしれない。

半年ぶりにインタースコープのみんなの前で話しをしたのは、2002年2月13日に、インフォプラントの大谷さんと一緒に立ち上げた「インターネットリサーチ研究会(後にIMRJへと改組)」を解散した報告のためだった。

2000年にインタースコープを創業した頃はもちろんだが、2002年当時も、まだまだインターネットリサーチに対する風当たりは強く、「代表性が無い」という決まり文句で批判をされていた。

そんなインターネットリサーチを社会に広めるため、そして、「業界」を育てるために、僕らは腐心してきた。

その結果、市場は拡大し、今や当たり前のようにインターネットリサーチが使われるようになった。

しかし、そのことはイコール「インターネットリサーチ研究会の存在意義」が薄れたことを意味しており、先日のエントリーで書いた「ディープインパクトの引退」のように、スパッと潔く、もっと早くに解散していた方がよかったかもしれない。

話しをインタースコープに戻すと、僕の「退き際」は、決して格好の良いものではなかったと思う。

いつだったか、ライブレボリューションの増永さんのブログに書いていただいたことがあるが、僕はインタースコープでやり残したこと、心理学でいう「Unfinished Business」がある。

昨日の藤田さんとのセッションで、そのことを改めて考えさせられた。

まだまだ未熟であり、先は長い。

藤田さんは心が強い。

今日は法政大学のビジネススクールと共同で運営しているオープン講座があり、サイバーエージェントの藤田さんにゲストでいらしていただいた。

さすがは、藤田さん。大勢の受講生の方がいらっしゃった。

藤田さんとこういう形でQ&Aセッションをするのは初めてのことだが、改めて藤田さんは「心が強い」と思った。彼が成功したポイントは、その点が最も大きいのではないかと思う。

その点、僕は心が弱い。良く言えば「繊細」である。

さすがに起業して15年も経つので、これでも、だいぶ強くなった。

もうひとつ、藤田さんとのセッションで印象に残ったことがある。それは、藤田さんが「経営者的なことは後天的に身に付いた」と言っていたことだ。

僕も、これでもだいぶ経営者的な感覚が身に付いたと思っている。藤田さんの言葉で、とても勇気づけられた。

明日も頑張ろう。

「東京タワー」と「恵比寿ガーデンプレイス」と」「ホテルオークラ」と「川嶋あい」。

初めて東京タワーに上ったのは、中学3年生の時だった。当時、福島県郡山市に住んでいた僕は、修学旅行で東京に来た。悠生が物心がついたら、連れていこうと思う。

その東京タワーのふもとにある東京プリンスホテルは、僕が高校生や大学生の頃、帝国ホテルやホテル・オークラとは違う意味で、憧れのホテルだった。

その東京プリンスホテルで昨晩、ネットベンチャー仲間のリアラスの井手さんのお父さんの「お別れ会」があった。

井手さんのお父さんは、たしか競輪関係だったと思うが、「新橋商事」という会社を、文字どおり「新橋」で経営されていた。地元の経済会にかなり影響力があった方だったようで、お別れ会には、約1,300人の方が参列されたという。

会場には、お父さんの若かりし日々の写真が飾ってあったが、事業家のにおいがプンプンする、楽天的で社交家な感じの笑顔が似合う方だった。子は親の鏡とは、こういうことを言うのだろうと思った。ご冥福をお祈りしたい。

ところで、悠生はすっかり良くなったが、看病疲れから、妻が発熱してしまった。

元気で所狭しと動き回る悠生の面倒を看ていると彼女が休めないので、今朝は10時前から近所の恵比寿ガーデンプレイスに悠生を連れて散歩に行った。

ガーデンプレイスの入り口にあるカフェに入り、コーヒーを頼んだ。外国人のお父さんが男の子を連れて散歩に来ていた。アメリカ人のようだった。彼との会話(アクセント)から、そう思われた。とても気さくな人だった。子供は子供が好きのようで、彼の子供(もうすぐ2才になるらしい)も、悠生に微笑みかけている。

彼らが店を出ると、今度は黒ブチの眼鏡をかけたオシャレなお父さんと女の子が入って来た。やはり、外国人親子だ。場所柄、外国人が多い。日本語でコーヒーと食べ物を注文していた。

次は、サングラスをした金髪のお母さんと3人の娘が入って来た。ここは日本だというのに、英語で注文をまくしたてている。発音が典型的なアメリカ人だ。「少しは日本語を覚えろよ」と心の中でつぶやいた。

夜はインタースペースというアフィリエイト事業を行っている会社の東証マザーズ上場記念パーティにお招きいただいており、ホテルオークラに行った。ネットベンチャーの上場記念パーティとしては、非常に重厚な演出だった。

ふっと横を見るとミクシイの笠原さんが立っていた。「久しぶりですね」と声をかけたところ、僕が眼鏡をかけていたせいか、最初は分からなかったようだった。眼鏡を取って、「元インタースコープで今はドリームビジョンという会社を・・・」と言うと、「そうでしたね」という表情をされた。二言三言挨拶をして、その場を立ち去った。

妻の熱が下がらないので、乾杯の後、そうそうに失礼しようと思い出口へ急ぐと、リアラスの井手さんから声をかけられた。彼とは縁があると思う。

「お疲れ様でしたね」と挨拶をしていると、今度はサイバーエージェントの西條さんと投資担当の鈴木さんとお会いした。

しばらく、4人で話しをした後、「今日は所用があるので・・・」と言って会場を出た。

家に帰ってくると、悠生は元気で遊びまわっており、妻はぐったりした表情をしていた。悠生をお風呂に入れ、食事をした。悠生はその間もはしゃいでおり、食事をするのも一苦労である。

ようやく悠生を寝かしつけて、テレビをつけた。スポーツニュースでゴルフの結果を確認した後、テレビ東京にチャンネルを合わせると、「川嶋あい」という歌手の特集をやっていた。

九州から上京して堀越学園に入学し、歌手デビューを目指したが、現実は厳しかったという。九州の母に泣きを言うと、「九州女やろ。もう少し頑張りや」と励まされたという。因みに、血は繋がっていないらしい。彼女は養女ということだ。

その母と「路上ライブを1,000回やる」と約束したそうだ。3年間かかって、その約束を実現した。しかし、その途中で、お母さんは亡くなったそうである。

1,000回の路上ライブを達成する前に、苦労が実ってプロでビューを果たしていた。それでも、母親との約束を守るべく、路上ライブは続けたという。

もうひとつ、母親と約束したことがあったらしい。「渋谷公会堂でライブをすること」。2003年だったか、2005年の3月30日に、それも、実現させたらしい。僕の誕生日である。

そういえば、川嶋あいの特集の前に、僕の好きな「伊達公子」の特集をやっていた。

この週末は色々なことを考えていた。ドリームビジョンのこと、自分のこと。そして、家族のこと。

自分のエネルギーを何に集中(フォーカス)させるべきか?

すべての答えは「自分の中にある」。

そんな話しを何かで読んだことがある。

勇気をもって前に進みたい。

ディープインパクトにみる「引き際の美学」。

数日前の新聞で、ディープインパクトが今季限りで引退するという記事を読んだ。にわかファンのくせに、胸に迫るものがあった。

僕は競馬のことを殆ど知らないが、馬主の方のコメントとして「来年は重しのハンディが大きく、簡単には勝てない(難しくなる)。『有終の美』を考えて今季限りにした」というという趣旨のことが書かれてあった。どんな世界でも「世代交代」は避けられないということだろう。

アイルトン・セナ、伊達公子、中田英寿など、僕の好きな人達は皆、引き際が潔いというか、ピークの時に引退をしている。セナは引退ではないが、やはり、ピークの時にこの世を去ってしまったが故、人々の心に強く刻まれたと思う。僕が好きな人の中では、カズだけが例外で今も現役に拘っている。

スポーツ関連に限らず、政治家にしても、起業家にしても、その人の生き方が「引き際」に表れると思う。

僕も常に、潔い生き方をしたいと思っている。

起業家の「生命力」。

先日のライブレボリューションの増永さんのブログに「起業家には生命力みたいなものがあると思います」と書いてある。言い得て妙だなと思った。

たしかに会社の経営をしていれば必ず、絶体絶命のピンチのようなものがある。事実、僕も最初の起業の時も2度目の時も何度となく「もうダメだ!!」と思ったことがあった。そこを乗り切れるかどうかは、ある種、「運」があるかないかが大きいかもしれない。

成功する人は「運」があるとよく言うし、実際に、僕の周囲でも成功している起業家の人達と話すと「運が良かった」ということを口にする人が多い。

では、運のある人と運の無い人とを分かつものは何か? 僕は「性格」だと思う。

増永さんが今日のライブレボリューションは「幸運の連続」のお陰なので、これをもう一度、繰り返せと言われても自信がない、なので、もう一度、起業するなんて考えたくもない、ということを言っていたが、彼なら何度でも起業できるだろうし、その度に「運」を引き寄せるだろうと思う。

僕もドリームビジョンを成功させるために、今までで最高の「運」を引き寄せたいと思う。

NAKATA ルネッサンス

昨日の日経新聞に「NAKATA ルネッサンス」というコーナーがあった。サイクルは分からないが、定期的に掲載されている。

今回の記事で紹介されていた中田と前園による新しい試みに目がとまった。

ふたりが友情で繋がっていることは周知の事実であるが、興味深かったのは、ふたりがフル代表として同じピッチに立ったことは一度も無かったこと、そして、ふたりにとっても最も印象に残っている(楽しかった)試合は、ブラジルに奇跡的な勝利をしたオリンピックだったということである。

彼らがこれからやろうとしていることは、日本全国のサッカー少年の中から将来のプロ選手を発掘することなのだが、その思想とアプローチに共感を覚えた。

前園はインタビューに対して、「たまたま僻地に住んでいるとか、経済的に恵まれていないからとか、そういう理由で才能を開花させることができずにいる少年はたくさんいる。そういう少年たちにチャンスを提供したい。例えば、欧州のクラブが興味を示した場合、親が「留学費用」を負担するのではなく、すべて現地のクラブが負担する。そんな仕組みを創りたい」という趣旨の話しをしていた。

また、「監督やコーチになるだけがサッカー界に対する恩返しだとは思わない」という、ふたりの所属事務所サニーサイドアップの次原悦子社長の発言が紹介されていた。

前園は、彼の全盛期に、欧州のクラブからオファーがあったらしいが、当時は今と違って日本のクラブが選手を出したがらず、また、仕組みも整備されておらず、彼の「夢」は実現しなかったという。

彼は、そんな自分の経験も含めて、才能溢れる少年たちにステージを用意してあげたいと思っているのだろう。

将来は一般のビジネス界だけでなく、中田や前園のような思想の持ち主とも仕事をしてみたい。

オールアバウトの江幡さん

10/23(月)、今年の7月から法政大学ビジネススクールと共同で開催してきたオープン講座にオールアバウトの江幡さんがゲストでいらしてくれることになった。

これを機会に、オールアバウトおよび江幡さんとの出会いを振り返ってみたい。

僕がオールアバウトという会社の存在を知ったのは、2001年の2月か3月だったと思う。

当時の僕は、インタースコープを創業してようやく1年になるかならないかの頃だった。中目黒のオフィスが手狭になり、中目黒・恵比寿・代官山あたりでオフィスの移転先を探していた。

その時に内見に行ったビルに入っていたのがオールアバウトだった。たしか、みぞれまじりの冷たい雨が降っていた。

恵比寿から徒歩6~7分の明治通り沿いにあるビルで、オーナーが京浜急行だった。インタースコープは資本金こそ1億円以上あり、財務体質としてはそこそこの会社だったと思うが、単年度黒字にはなっておらず、審査ではねられてしまい、残念ながらそのビルには入れなかった。やはり、リクルートが出資している会社とは「格付け」が異なるということだろう。

2001年というのはネットバブルが崩壊した後で、オフィスの空きはそこそこあった筈だが、僕らがオフィスを探していたエリアは、そもそも物件自体が少なく、オフィス探しに苦労をした。代官山にもうひとつ気に入ったビルがあったが、インタースコープよりも先に申し込みをしていた会社があり、なんとか我々に貸して欲しいと思い、オーナー宛に手紙を書いたりした。でも、それも「不合格」だった(笑)。

そんなことを繰り返しながら、なんとか代官山にオフィスを見つけた。

話しをオールアバウトのことに戻そう。

江幡さんのことはマスコミ等で知っていたが、実際にお会いしたのは、随分後のことだった。最初に会ったのがいつかは、よく覚えていない。

江幡さんの印象を「形容詞」にすると、「計画的・戦略的・情緒的」といった言葉が思い浮かぶ。その中でも「計画的」という言葉が最もフィットするように思う。

彼は、武蔵工業大学を卒業した後、早稲田大学のビジネススクールに進み、マーケティング戦略コースを修了しており、エンジニア的発想とマーケティング的発想がバランスよくブレンドされているのだろう。

同じイケメンということもあってか、アップルを退任された(ネットエイジの社外取締役に就任予定)前刀さんにも通じるところがあるように思う。

彼とのことで印象に残っているのは、2004年11月に行ったNILS(New Industry Leaders Summit)主催のゴルフコンペのことである。江幡さんが優勝、僕が準優勝だった。

江幡さんとは、それほどゆっくりと話しをしたこともないし、付き合いが長いわけでもない。それでも、そのカリスマ性故か、僕の起業家仲間の中では存在感がある人である。

彼が何故、起業という生き方を選んだのか? 何が彼のドライビングフォース(原動力)になっているのか? 10/23(月)のセッションで訊いてみたい。