「ブラームスの小径(こみち)」。

原宿駅の「竹下通り」から少し横に入ったところに「ブラームスの小径(こみち)」と呼ばれる細い通りがある。僕は毎朝、その小径を通って通勤している。

東京も梅雨入りしたのだろうか?その小径には、きれいな「紫陽花(あじさい)」が咲いている。紫陽花以外にも樹木(アカシアだろうか?)があり、黄緑色の葉がしっとりとした風情を醸し出している。まるで原宿とは思えないような空間である。

僕の気のせいかもしれないが、東京では「紫陽花」の花を見る機会が少ないと感じている。

僕が子供の頃は、住んでいた家の庭にも紫陽花があったし、街中でもしばしばきれいな紫陽花を見ることができた。

「ブラームスの小径(こみち)」を通るたびに、そんな子供の頃の記憶が蘇ってくる。

心が休まる瞬間である。

追伸:インタースコープを創める前に経営していた会社のオフィスも原宿にあったが、「ブラームスの小径(こみち)」の樹木は、その頃よりもだいぶ大きくなったように思う。今ほど葉っぱが通りに被さっていなかった気がする。

禅寺での修行? 「諦める力」と「自分を信じる力」。

何かを判断し意思決定する際、自分が置かれている状況をどれだけ「客観視」できるか?が、物事の結果を左右する。そのことを再認識させられた週末だった。

土曜日は予てから一緒に行こうと話しをしていたDr.シーラボの神戸さんとゴルフに行った。他のメンバーは、神戸さんの前職時代の先輩の三上さんという方とラソナの岡村。初めての顔合わせで新鮮なメンバーだった。

神戸さんとは僕がインタースコープの頃からの付き合いで、プライベートでも食事に行ったりと、仕事上の関係を超えて付き合うことの出来ている数少ない人である。因みに、彼はホールインワンを「3度」も達成しているゴルフの達人である。そんなこともあり、僕は彼とゴルフに行くのをとても楽しみにしていた。

しかし、スコアは「103(51+52)」と惨敗(泣)。なんとラソナの岡村(102)に負けてしまった(大泣き)というおまけつきである。

前半のショートホールでの「9」と、最後のミドルホールでの「9」が痛かった。そのホールに限らず、原因は「精神力」にあると思う。

話しが長くなるのでショートホールの方は割愛するが、最後のミドルホールはドライバーが260ヤードぐらい飛んで(終日、ドライバーの調子は良かった)、セカンドは「150ヤード」と判断した。念のため、キャディさんに確認すると、「140ヤード」という答えが返ってきた。ピンがセンターから10ヤード手前で且つ下りを含めるとそうなるという。でも、僕の計算では「150ヤード」に思えた。敗因は、そこで「自分を信じる」ことが出来なかったことだ。

8番アイアンで打ったボールはドローがかかってやや左に行き、顎の深いグリーン左手前のガードバンカーにつかまった。(バンカーを越えるには)あと3ヤード距離が足りなかった。結果として、バンカーで「5打」も叩き、試合終了である。

僕が岡村にその話し(ヤーデージ)をすると、「平石さん、自分を信じた方がいいですよ」と言う言葉が返ってきた。おっしゃるとおりである。

バンカーが苦手な僕は、いつも、ミスショットしてもバンカーに入らないということを考えてショットを打っているが、この日はそれが出来なかった。あるロングホールでも、ドライバーをナイスショットして、残り「230ヤード」をスプーンで狙い、グリーン手前のバンカーに入れている。結果は「ダブルボギー」。

この日のキャディさんとは相性が悪かった。僕が「フック」と読んだパットを確認すると「スライス」と言われて、そのとおりパットすると「フック」だったりと、実は僕は彼女を信頼していなかった。であれば、ポン(岡村)の言うとおり、「自分」を信じればいいのである。

自分ではその気はなかったつもりだが、念願の?神戸さんとのゴルフで、やはり、良いスコアで回りたいという気持ちがあったのだろう。林に入れたことが2回ほどあったが、そのいずれも素直に出すことができず、木に当てて傷を深めた。それでも、パーを「5つ」取ることができており、ゴルフのレベルは確実に上がってきていると思う。であれば、尚のこと、「急がば回れ」である。

「冷静な状況判断(潔く諦める時は諦める)」と「自分を信じる力」。

普段の状況であれば何も難しいことではないかもしれないが、いざ、そのような判断が必要とされる局面になった時、冷静な「判断と行動」が出来るかが、問題である。

因みに、同じマンションに住んでいる方が、「うちの奥さんに、『(練習に行くよりも)禅寺で修行したら?』と言われるんですよね(笑)」と言っていた。彼もゴルフが好きでベストスコアは80台前半らしいが、最初のハーフで30台を出すと、ついつい「後半も」と力んでしまい、大叩きをするという。「メンタルが弱いんですよね」と言っており、自分で分かっているのである。

「言うは易し、行うは難し」。昔の人の言うことには重みがある。

ところで、日曜日は、妻が大学院でお世話になっている教授の「還暦のお祝い」とやらで午後から出掛けるということで、子供を乗せてクルマで送っていった。彼女を会場のホテルまで送った後、子供と一緒に買い物(おむつ等)をし、外でお昼を食べて、その後は、ディーラーを2件、ハシゴした。クルマが好きな彼の「遊び場」である。

「ありのままの自分」を受け入れる、子供のような「素直が心」が必要である。

「創造力」と「自己変革」。

マネックスの松本さんのブログに「創造力」というテーマでのエントリーがあった。

ノーベル物理学賞学者の江崎玲於奈博士の講演を聴かれたそうだが、「創造力」と「分別力」の話しが最も印象に残ったそうである。

江崎博士曰く、「創造力は20才がピークで70才でゼロに近づく。一方、分別力は20才から増え始め、70才では最大になっている。この創造力と分別力線は『45才』で交差する」そうである。

僕は今、44才。この「交差点」まで、あと1年を切っている。

しかし、人間には「個人差」というものがある。そして、それは大きいと思っている。

僕の好きなプロゴルファーの青木功は、「プロゴルファーのピークは30代前半だと思うが、自分にはそれが『5才』遅れてやってきたと思う」と、自身の著書で語っている。

ゴルフファンなら誰でも知っているであろう、あの「全米オープン」でジャック・ニクラウスとの「死闘(4日間、同じ組でプレーした)」を演じ、共にコースレコードを更新し、ニクラウスが優勝、青木が2位(2打差)という快挙を成し遂げたのは、青木が「38才」の時だったと思う。

松本さんのブログにも書いてあったとおり、創造力は「自己教育(self-teaching)」によってのみ養われる。ドリームビジョン流に言えば、「自己変革(Self-Innovation)」である。

「KISS」。

僕が30代半ばだった頃、ウェブクルー(東証マザーズ上場)の創業に繋がる「保険スクエア bang!」という事業開発に参加する機会に恵まれた。

それは、その後の僕の人生を大きく変えることになった。ウェブクルーの創業に参画しなかったら、今こうして、このブログを書いていなかったかもしれない。

ところで、その時のメンバーのひとりから、久しぶりに電話(着信)があった。僕が札幌でゴルフをしている時だった。

その後、僕から電話をし、その方とメールのやりとりをすることになったが、何年かぶりの電話であっても、不思議とすぐに「プロトコル」が合致する。事業を立ち上げる(創業する)という極めて濃い経験を共有すると、その関係は永く続くのかもしれない。インタースコープの創業メンバーとも、そんな感覚を共有している。

因みに、その方はインタースコープ(インターネットリサーチのシステム)の初期のプログラムを書いてくれた方でもある。

その方とあることでメールのやり取りをしている中で、彼がMr.チルドレンのある曲の詩を書いてきた。

「難しく考え出すと結局、全てが嫌になって、そっとそっと 逃げ出したくなるけど・・・」。

「たしかに、そうだよな」と思った。それで、あることが吹っ切れた(笑)。

その歌詞を読んで、英語のある表現を思い出した。

Keep it simple stupid.(KISS) ~物事をシンプルに考える~

(表現もよりシンプルにして、Keep simple stupid. とも言ったと思う。)

悩んだり迷路に迷い込んだ時の「鉄則」である。

いや、常にそうあるべきである(笑)。

「意志」の力。

僕が20代の頃に働いていたオーディーエスというコンサルティング会社では、いくつかの「不文律」のようなルールがあった。文字どおり、文章には記されていなかったが、創業者の山口社長(当時)がよく話していたことである。

「冷たい現状認識と熱い対応」
「言わないことは聞こえない」
「情熱は信じない。信じられるのは『意志の力』」

これ以外にもいくつかの言葉があったが、ぱっと思い浮かぶのは上記の3つである。

さて、今日のエントリーのテーマを「意志の力」にしたのは、ある方が僕にくれたメールに、そのことが書いてあったからだ。

たしかに「情熱」と「意志」とは意味が異なる。

何かに対する「想い」があっても、それを「やり続ける」ことができなれば実現はできない。

とてもシンプルなことだが、そんなことを考えさせられた。

「不都合な真実」と「終わらない一歩」。

「3度目の起業」と「初めての子育て」が始まり、約1年半が過ぎた。

正確には、ドリームビジョンの設立登記を行ってから1年3ヶ月、マネックスの松本さんをお迎えしてのトークセッションから1年、人材紹介の事業を始めてから約半年になる。子育ての方は、先月で1年8ヶ月になった。

僕の経験則では、何事も3ヶ月、6ヶ月、1年、3年という時間軸で物事が進んで行くような気がしているが、「3度目の起業」にしても「初めての子育て」にしても、そんなタイミング毎に節目があったように思う。

ドリームビジョンに関しては、試行錯誤を繰り返してきたが、設立からちょうど1年を過ぎた時期に、泉谷さんと松本さんが合流したことは大きな変化になった。派遣の方たちを採用したのも、同じようなタイミングだった。

そんなこともあり、遅まきながら経営者としてより一層の自覚と責任のもと、どのように組織を運営していったらよいかを常に考えながら仕事をするようになった。

子育ての方は、子供がだいぶ物事が分かるようになり、今までとは違う意味で手がかかるようになった。

朝は早くから僕を起こしに来るし、週末は朝食が終わると散歩に行きたいのか、だんだんと落ち着きがなくなってくる。また、僕がPCに向かっていると寄って来て、自分にも触らせろとばかりに悪戯するし、僕が拒むと泣いたり騒いだりする。家に彼がいる時は、自分のことは殆ど何もできないようになった。

実は、ここ最近、体調が優れない日が続いている。先月末に「首」を痛めた時に、セラピアの鈴木さんに言われたが、ドリームビジョンの立ち上げと子育ての疲れが出たのだろう。少し立ち止まって考える時期にいるのかもしれない。

ところで、僕は20代のある夏(たしか26才だった)、交通事故に遭った。それも、1度ではなく、2度も。

2度目の事故の時、現場検証をした警察が驚いていたが、僕は「7メートル半」も飛ばされたらしい。それでも、骨一つ折らずに済んだ。僕の記憶が正しければ、地面に落ちた瞬間、体操の選手のように頭からグルッとまわって着地した(立った)のである。まさに奇跡的である。

しかし、その時の衝撃でムチウチになったようで、疲れが溜まると頭の後ろのあたりが痺れてきて、集中力が続かなくなる。インタースコープを創めて3~4年した頃、ちょうど40才になった頃からだと思うが、どうしても集中力が続かない時は、仕事を抜け出してマッサージに行くようになった。そんなことをしながら騙し騙し何とか仕事をしている。

話しは変わるが、先週の土曜日(土曜日は子供は保育園に行っている)に、遅ればせながら「不都合な真実」を観に行った。予想はしていたが、衝撃的だった。

現代社会が輩出するCO2の増大により、地球が温暖化している事実とその描写にも心を奪われたが、それと共に、僕にとって印象的だったのは、ゴアが自分の子供(長男)を交通事故で亡くしかけたことにより、自分の人生で本当に成し遂げるべきことを深く考えるようになり、そのことが彼を「環境問題の研究」へと駆り立てたことだ。

また、彼は、フロリダの疑惑の投票結果によりブッシュに敗れたことを「ハードなショック」だったと述懐していた。でも、前に進むしかないと自分を励まし、今日に至っているという。

さて、今日のエントリーのもうひとつのテーマである「終らない一歩」は、日経ビジネス・オンラインの1周年記念セミナーで、ワタミの渡邉美樹さんの講演の最初に紹介されたビデオにあったテロップのことだ。

カンボジアの貧しい子供たちを支援しているという話しはその時のエントリーで紹介したとおりだが、今日を生きるために、たった「20円(だったと思う)」の現金収入を得るために、子供たちが毎日、「ゴミの山」を漁っている事実を目の当たりにし、渡邉美樹さんは「絶望感」に襲われたと言う。

それでも、何もしなければ何も解決できないとして、自分に出来ることを行っている。そのことを、その紹介ビデオでは「終らない一歩」と言っていた。

話しをゴアに戻すと、彼は「スライド講義」とか言っていたと思うが、全米はもちろん、世界中のどこでも、自分が必要とされれば現地に赴き、地球温暖化に関する彼の研究活動をプレゼンしているという。

そのことにより、より多くの人が「環境問題」に関する正しい認識を持ち、そのことにより「政治(家)」が変わり、我々の「子供たちに素晴らしい地球を残す」ことができると信じて。

田坂広志さんが言っていたことだと思うが、「志」とは、自分が見届けられないことの実現にコミットできることを言うらしい。

自分はいったい、自分の人生で何を成し遂げようとしているのか自問自答しつつ、シェーバーを充電しっぱなしにするのは止め、PCもスリープモードを止めた。

「事業」も「私生活」も、今の自分に出来ることを愚直にひとつずつやっていくしかない。と自分に言い聞かせている。

あれから1年。僕らが始めた「何か」。

先週の金曜日(6/1)の夜遅く、ある方から1通のメールを頂いた。

実は1年前の6/1、ドリームビジョンの創業を記念して、マネックスの松本さんをゲストとしてお招きし、渋谷のセルリアンタワー東急ホテルでセミナー(トークセッション)を開催した。メールの主は、参加者のおひとりである。

因みに、その時のテーマは、「流されない生き方 自分らしく働くために」というものだった。

頂いたメールには、こんなことを書いてあった。

「あのとき、あのセミナーに、セミナーという物に始めて出席し、名刺を忘れたから交流会に出ても何も出来ないからと、会場をあとにして、突然、何に導かれたのか、一枚だけ、その日ノート挟んだ名刺を思い出し、それをコピーするなどそれまでしたことのない行動に駆り立てられ、乾杯の済んだ会場にあとから参加をしました。

この1年、語れるような成果があるわけではありませんが、いまの自分がいるのはすべて、平石社長が始めた何かにあると思っております」。

僕たちがドタバタの中で開催したセミナーが、その方にとって何らかの意味があり、彼の人生に何らかの良い影響をもたらしたのであれば、とても幸せなことである。そして、超多忙なスケジュールにも関わらず、僕らの依頼にひとつ返事でO.K.してくれたマネックスの松本さんに感謝したい。

ところで、僕にとっては「平石社長が始めた何かにあると思っております」という一文が、頭にひっかかった。特に、僕が始めた「何か」という表現に。

ドリームビジョンは、僕と安田のたったふたりで創めた会社である。

セルリアンでトークセッションを開催した時は、僕と安田に加えて、アメリカの大学を休学してインターンとしてドリームビジョンの立ち上げに参加してくれた山田くんの3名だった。イベントは、様々な支援者のお陰で開催することができた。

そんなドリームビジョンも、現在はフルタイムが4名、パートタイムが6名で、合計10人が関与する会社になった。インタースコープの時のスピードと較べると、とても緩やかな成長ではあるが、それ故に「得られている」ことがたくさんあるように思う。

ところで、僕が安田に声をかけて創業したドリームビジョンであるが、僕はここで「何」を成し遂げようとしているのか?彼のメールは僕にその問いを投げかけてきた。

僕の心の底にあるものや創業当時の想いは変わってはいないと思うが、この1年間、僕らは様々な試行錯誤を繰り返しながらやってきた。理念とビジョンはあっても、それを「何でどう具現化」するのか?更に言えば、何でどうやってお金を稼ぐのか?それも、継続的に成長していけるもので・・・。

でも、その「何か」は、まだ、具体的な形にはなっていない。

最近、経営会議と称するMTGを定期的に行うようになった。正確に言うと、泉谷さんと松本さん(5月から加わったスタッフ)が加わり、個性も性格も異なるが、理念とビジョンは共有できている4人が集まったことにより、ようやく「組織」らしくなってきたことを受け、中長期および短期的に、ドリームビジョンをどんなふうに経営していくか?どんな会社にしていくか?について、議論をしている。

まだまだ、試行錯誤は続くと思うが、焦る心を落ち着けて、一歩ずつ、やっていこうと思う。

追伸:マネックスの松本さんとのトークセッションの内容を久しぶりに読み返してみようと思う。原点に返る良いきっかけ(視点)があるような気がする。