ブルドックソースの池田章子社長

米投資ファンドのスティール・パートナーズによる敵対的買収提案を退けたことで、時の会社と人となったブルドックソースと同社の池田社長であるが、今朝の日経新聞にとても考えさせられる記事が掲載されていた。

「会社は社員が自ら選び、懸命に働き、生活の糧を得る場でもある。仕事で社会の役に立てば誇りのようなものも生まれる」。

「105年の歴史を築いたOBの思いも含め、会社としての誇りは守りたかった」。

「社員にはどこの会社に行こうと、自分の生き方に誇りを持てるようにしてほしい。どんな時代でも頼りにできるのは自分だけだ。自立した生き方をするには、一人ひとりが力を蓄える必要がある。だから『この会社にいる間に力をつけなさい』と話している」。

「私も自分より優れた経営者が現れれば、交代するしかない」。

どれも、とても深い言葉である。

自ら創業したインタースコープを途中下車し、Yahoo! JAPANにM&Aした僕が言うのは矛盾しており、説得力に欠けるかもしれないが、僕は、池田さんのような経営者になりたいと思っている。

こんな僕であるがインタースコープ当時、社内で話をする時は、「ここにいる人たちが一生、インタースコープで働くとは思っていません。でも、後になって、『インタースコープで働いてよかったな』と思える会社にしたいし、はななだ微力ですが、そういう想いで経営をしています」と、言っていた。

「終っていない宿題」を片付けられるよう、今、頑張るのみである。

「巨樹」にもらった希望。

今朝、自宅を出る前にNHK教育テレビで「道徳ドキュメント」という番組を見た。

我が家では、子供が保育園に出かけるまでの間、いつもNHK教育テレビをかけており、その流れで時々、この番組を見ることがある。

今日は「巨樹にもらった希望」というテーマで、画家の「平岡忠夫さん」という方の「生き方」を紹介していた。

この「道徳ドキュメント」という番組がいいなと思うのは、副題のとおり、「現実から学ぶ道徳番組」という構成になっている点だ。つまり、すべては「ドキュメンタリー」であり、登場する人物の「現実の生活」に基づいている。

今日の番組で紹介されていた画家の「平岡忠夫さん」は現在、樹木、それも「巨樹」だけを描いている。描いた「巨樹」は通算2,000本以上らしい。

その平岡さんは、ある時から、自分が興味を持って「描く対象」を見出せなくなってしまい、10年もの間、画家としての活動ができないでいたという。

昭和30年代の半ば以降、日本の人口が急増していった時代、マイホーム需要に応えるために、自然に生えていた樹木を「建材」として、どんどん伐採していった。伐採した後に植えられたのが、「杉の木」である。

説明するまでもなく、「杉の木」は真っ直ぐに成長するので、住宅の柱にはうってつけだ。

その結果、日本全国、どこへ行っても似たような「杉林」が出現し、平岡さんにとっては、精魂込めて「描く対象」がなくなってしまったということだ。

余談だが、「花粉症」の原因がここにあるわけだ。「経済的成長」と「健康」が両立できていない事例のひとつだろう。

話しを元に戻すと、平岡さんは、ある時、たまたま、樹齢1,200年の「杉の巨樹」と出会い、その巨樹に、言葉には表せない「エネルギー」を感じ、「生きる勇気」をもらったという。画家である彼にとっては、精魂込めて描く対象が出現したわけだ。

彼は、日本中の「巨樹」を「2,000本」描くことにチャレンジすると決心した。

人間は、何に勇気づけられ、何によって自信を取り戻すか、人生の意味を見出すかは、人それぞれである。

大切なことは、どんなことでも構わないので、自分を励ましてくれる、勇気をくれる何かが必要だということだ。

ところで、平岡さんの番組の後、「鮭の産卵」に関する番組が放映されていた。

海から必死の思いで、自分が生まれた川に戻ってくるメスの鮭は、卵を産み落とした時には、尾ひれは、もうボロボロになっている。そして、生命を全うする。

母親の鮭が亡くなった後、彼女が産み落とした卵から、稚魚が生まれる。

自分の命と引き換えにして、子孫を残していく。

当たり前と言えば、当たり前のことかもしれないが、そのことの尊さを、改めて考えさせられた。

田坂広志さんの言う、「勝利(競争)の思想」「達成の思想」「成長の思想」という考え方にも通ずるものがあるように思った。

話しは変わるが、今日のお昼時、当社の株主でもある蛭田さんという方が来社された。

彼が温めている、ある事業プランに関して意見交換をするためだ。

とても社会的に意義のあることだが、それを「事業」にするには様々なチャレンジがあり、その実現のハードルはかなり高い。でも、だからこそ、挑戦のしがいがあるように思う。

蛭田さんと僕の共通項は、なかなか「お金にし難い」ことにこそ興味を持ち、価値を見出し、何とかそれを具現化しようと悪戦苦闘するところにあるようが気がした。

そういう「対象」がなければ「生きるモチベーション」が沸いてこないのであれば、世の中一般の経済合理性には欠けるかもしれないが、僕らにとっては、「理に適っている(合理的)」と言える。

誰しも「自分らしく生きたい」と思っているはずであり、それに合致することが、最も合理的である。

追伸:元気な時はそれを貫けるが、精神的に参ってくると、それ(自分らしさや自分の尺度)を貫けなくなるのが、人間である。自分自身を含めて。

「都会の喧噪」と「体育の日」。

3連休の中日(10/7)、「新宿御苑」に行った。前回はGWだったので、5ヶ月ぶりだった。

前回も想ったが、東京のど真ん中とは思えないほど大きな樹木があり、しばし、都会の喧噪を忘れさせてくれる。因みに、「十月桜」なる「桜の木」があり、満開の花を咲かせていた。

ところで、新宿御苑の最も新宿寄りのところに「母と子の森」というエリアがあり、そこには小川が流れている。なんと、その小川で「ザリガニ」を発見した。

子供を抱きかかえて小川の渕まで行き、ザリガニを掴んで、彼の顔の近くにもっていったところ、さすがに顔を背けたが、かなり気に入ったようだった。小川を離れて他の場所に行こうとすると、「あっち、あっち」と言って泣き出した。仕方なく、小川の先の方の水の浅いところに行き、また、子供を水辺まで連れて行き、しばし、水遊びに興じた。

僕らの子供は、先月で満2才になった。

以前は、何よりも自分のキャリアが大切で、誰それに負けたくないとか、そういう気持ちが自分を支配していたが、子供が1才半を過ぎた頃からだろうか?そういう「他人を意識する」気持ちがだいぶ薄らいできた。

もちろん、ドリームビジョンはインタースコープを超える会社にしたいと思っているし、外部の株主や社員の人達に対する責任において会社を成長させていく必要があるのは言うまでもないが、インタースコープを経営していた頃とは、考え方が変わった。

一言で言えば、他人との競争や周囲の評価を気にしていては、うまく行かないことが分かってきた。田坂広志さんが言うとおり、「勝利の思想」には「限界」があるということだ。何よりも、自分らしさを大切にすることが大切である。

ところで、今日は体育の日だ。生憎の雨で、運動会があった学校の方々は残念だったことと思う。

子供が思春期を過ぎて、自分の責任で物事を判断できるようになるまで、僕らの父親がそうしてくれたように、自分自身の「生き方」を通じて何かを伝えられるよう、元気でいたいと思う。

子供の運動会で走れるように、今から足腰を鍛えておかないと・・・(笑)。

「決断力の本質」 〜 羽生善治さんに学ぶ。〜

リクルート出身の安田佳生氏が経営する、「Y-CUBE」という、とてもユニークな会社がある。

「組織力」を高めるには、特にその企業独自の「カルチャー」を醸成するには「新卒採用が効果的」だという主張に基づき、中小企業にフォーカスして「新卒採用」のコンサルティングを行ってい���。

先週金曜日は、そのY-CUBE主催のセミナーに出席し、プロ棋士の羽生善治さんのお話を拝聴した。

実は、ここのところ睡眠不足が続いており、羽生さんのお話の最中、失礼にも居眠りをしてしまったが、ポイントとなる話しは聴くことができた。

講演のテーマは、「決断力の本質」。

彼の話は、決断力の本質を結論づけるものではなかったが、大きな論点は「直観力」「大局観」「ミス」「経験の価値」だった。

将棋の手は、無数にある。それを一手一手検討していたのでは、いくら時間があっても足りないし、集中力も体力にも限界がある。そこで必要になるのが「直観」であり、「大局観」である。

では、「直観」と「大局観」とは、どう異なるのか?

将棋に限らず、若い頃というのは「勢い」にまかせて、それが功を奏することが多々あるが、それらを含めて「直観」の有無が勝敗を分けることがある。

羽生さんは、「直観は『7割』当たっているが、それは、同時に『3割』間違っていることを示しており、直観だけに頼っていては敗北してしまう」と言っている。

そこで、必要となるのが、「大局観」だという。

「直観」は、才能やセンスがあれば、若くても働くが、「大局観」は、長年の経験に裏付けられたものがなければ働かないと羽生さんは言う。

若い頃に対戦した「大山名人」(と言っていたと思う)は、その時の羽生さん(19才)から見ると、失礼ながらどう考えてもそれほど真剣に考えているようには見えなかったが、ズバッと鋭い手を打ってきたそうである。

次に「ミス」の話し。これは、僕の好きなゴルフにも通ずると思った。

羽生さんでも「ミス」はするらしい。では、ミスによる悪影響とは何か?であるが、羽生さんは、こう仰っていた。

ひとつは「動揺」。もうひとつは、そのミスを取り返そうとして「無理なことをする」こと。つまり、「ミスがミスを呼ぶ」こと。

ゴルフで言えば、林に入れたら、状況にもよるが、基本は潔くフェアウエイに出す。それが大切。

さて、最後は「経験の意味」。これには、とても頷けるものがあった。

羽生さん曰く、「経験から得た『知識』というのは、殆ど使い物にならない。但し、『経験』があると、このぐらいのことを達成(習得)するには、このぐらいの時間や困難が必要だということが分かるので、その途中の焦りやプレッシャーに負けないで済む」。

これは、本当にそう思う。

才能があっても途中で挫折して行く若い人は、きっと才能があるが故、自分が期待する(出来るであろう)アウトプットと今の自分とのギャップなり、その途中の時間に絶えられず、精神的に参ってしまうのだろう。

もうひとつ、これは講演後の質問に対す答えだが、「リスク」というものに対する羽生さんの考えを述べられていた。

質問をされた方は、羽生さんがご自身の著書で仰っている「直観は7割当たっている」ということを引き合いに出し、「リスク」というものに対する考え方を尋ねていた。

それに対して羽生さんは、「直観は3割間違っているので、直観だけを信じて勝負を続けると必ず負けてしまいます。かと言って、定石だけを繰り返すことは誰でも出来ることであり、それはそれでジリ貧になっていくのも目に見えています。ですので、少しずつ、自分の立ち位置を変えていき、気がついたら、まったく異なる立ち位置に立っていた、とするのが良いように思います」と答えていた。

とても勉強になる1時間だった。

追伸:これは余談だが、羽生さんには、マネックスの松本さんに感じたものと同じようなものを感じた。凡人には到底イメージできない世界で生きている。異次元で生きている人と言ってもいい。まさしく「天才」である。

備忘録:「コンパクトにする(短くする)」「プレッシャー」

アメリカが「金融」と「I.T.」で一人勝ちの理由。

昨日のエントリーで紹介した元ソニーCEOの出井さんの講演で、「なぜ、アメリカが金融とI.T.で一人勝ちになったのか?」に関する話しがあった。

これは、出井さん以外の方も仰っていることだが、「冷戦」が集結したことにより、「軍事産業」に従事していた優秀なエンジニアが、「金融工学」と「情報技術(I.T.)」に流出したことが、今日のアメリカの一人勝ち状態をもたらしたとしている。

この話に関連することとして、デジタルガレージ共同創業者の「JOI(伊藤穣一氏)」は、ネットバブルが弾けたことにより、それまではAOLやeBayと言った大手のネットベンチャーに囲い込まれていた優秀なエンジニアが、草の根ベンチャーを興したり、若いベンチャーに流出したことが、Blogを代表とする「Web2.0」の流れを創ったとしている。

一言で言えば、「産業間における労働力の移動」ということになる。

では、日本では、そのようなダイナミックな産業間の労働力の移動があるか?

僕がインタースコープを創業した直後は、いわゆる大企業からネットベンチャーへの若い人材(20代)の流出が見られたが、そのわずか1ヶ月後、ネットバブルが崩壊すると、磯の蟹が退くように、ささささっと、その流れが止まってしまった。

日本人の国民性なのか? 終身雇用制度の問題なのか?

ダイナミックな労働力の移動という意味では、近年では、明治維新による武士階級の平民への移動が最も大きな出来事だったのではないだろうか?

ちょっと意味合いが違うが、昭和の高度経済成長期に、工場労働者として、農村から都会に人々が移動したことも、大きな移動と言える。

さて、歴史的に大きな転換期の今、労働力の移動が必要だとすれば、どのセクター(衰退する産業)からどのセクター(成長する産業)に人が移動する必要があるのか?

ここでポイントは、衰退する産業に従事している「優秀な人材」が、成長産業へ移動する必要があるという点である。

はたして、どんな可能性があり得るのか? 知り合いの経済学の教授に聞いてみようと思う。

元SONY 出井さんの話し

昨日は、ソニーOBの方々が設立された株式会社CEAFOMという人材紹介会社が主催するセミナーに参加させていただき、元SONY CEO 出井さんの講演を拝聴する機会に恵まれた。

出井さんの話しは、I.T.系ベンチャーのカンファレンスであるNILSでも聴いたことがあるが、昨夜のお話は、SONYというグローバル企業のトップを務めていらした方らしく、その視野の広さが際立っていた。

特に、印象に残っているのは、タイガーウッズとイチローを引き合いに出し、「一流な人(存在)ほど変われない」と仰っていたことだ。

最近の風潮として、とにかく「変化」を求めるところがあるが、タイガーウッズにしても、イチローにしても、あそこまで登り詰めるには、相当の時間と努力を費やして来ており、それを今更、他のスタイルに変えろと言われても勘弁してくれということだろう。それは、企業にも当てはまるように思う。

出井さんは、トヨタやSONYのことを引き合いに出して説明されていたが、何もそこまでの企業ではなくとも、同様なことが言えるように思う。僕と山川さんで創業したインタースコープは、マクロミル的な会社にはなれなかったのも同じである。

たしかに、「環境変化」に合わせて、自分自身も「変化」していくことは大切であり、それは避けられないことでもあるが、問題は「何を変化させるのか?」そして「何は変えない(変われない)のか?」ということのような気がする。

それ以外で印象に残っているのは、資本市場としての「Tokyo」の評価だ。

この評価はロンドン市場によるもので、取扱高ではなく「使い勝手」だそうだが、1位が「London」、2位が「New York」は想定の範囲内として、3位が「Hong Kong」、4位が「シンガポール」と続く。間を飛ばして、「Tokyo」は「9位」。

因みに、日本の「国際競争力」は世界第7位(おそらくOECD調べ)だそうなので、それと較べても「資本市場の使い勝手の悪さ」が気になるということだろう。

上記にも絡んだ話しとして、出井さんは「日本的資本主義」を創ることが必要だと仰っていた。

上記以外にも勉強になる話しがたくさん聴けたが、出井さんの講演後の会場からの質問に答えて、「個人のマインドセットを変えることが最も重要だと思います。会社のせいにしたり、国のせいにしたり、『ツケ』を回しているようなところがありますよね」と言っていたことには、共感を覚えた。

それ以外としては、出井さんレベルの方になると問題意識が「日本」という点が、当たり前といえば当たり前だが、そのスケールの大きさと視点の高さを改めて感じた。

自分にどこまでのことができるかは分からないが、より大きな事を成し遂げていくためには、インフォプラント創業者の大谷さんが言ってたように、出来る限り海外に出て、「自分の目と足」で世の中の変化を確かめることの重要性を再認識させられた。

そのためにも、まずは、ドリームビジョンの収益基盤を確立したい。

「ミハエル・シューマッハ」が「皇帝」になった理由。

F1フリークの皆さんにとっては、先週末は年に一度の大イベントだったことと思う。

僕の身近なところでは、ダイアログ・マーチャンダイズ社長であり、ドリームビジョンの監査役でもある堀水氏と、当社のインターンであり、F1レーサーを目指している前田翔平という学生が、富士スピードウエイの熱戦を満喫してきたようである。

ところで、2ヶ月ほど前に知り合ったドリームインテリジェンスの久保さんから、なぜ、ミハエル・シューマッハがあれ程までに強かったのか?そのことに纏わる話しを伺った。

久保さんは、元F1レーサーの中野信治氏���知り合いらしい。

中野氏の話によると、シューマッハは、レースが終った後も、トレーラー(クルマを積むトラック)に乗り込み、夜遅くまで筋力トレーニングをするなど、相当な努力家だったらしい。

ある時、誰と言っていたかは覚えていないが、シューマッハに、「なぜ、そこまで頑張れるのか?」と質問をしたところ、彼は、こう答えたという。

「みんなが僕のために一生懸命に頑張ってくれている。その彼らの頑張りに応えるために、僕はミスはできない」。

彼が所属していたフェラーリというチームには、世界中の「精鋭たち(メカニック)」が終結している。その数は、おそらく、100名にのぼるだろう。

シューマッハとしては、その「天才たち」の努力に応えるためにもミスはできないし、自分には「勝つ責任がある」という強い自覚があったのだろう。

だからこそ、フェラーリのメカニックたちは、なんとかシューマッハを勝たせようとして、一生懸命に頑張っていたのだと思う。

そんな話しを久保さんから聞いた。